【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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ほどけては結われる花々の章

65.守る者として

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 神殿地下への突入は、間も置かず、夜更けに決行された。

 ルーチェが引き出した情報――
 旧神殿区画、地下、正式な牢ではない場所。
 それらを繋ぎ合わせ、即席とは思えないほど綿密な作戦が組まれた。

「先頭は私が務めます、アルベルト殿下」
 ダリウスがそう言ったとき、誰も異を唱えなかった。
 他に前に立つのに相応しい者はいなかった。
「殿下に何かあれば、リヒト卿の働きが無に帰します。どうか逸らず、私に露払いを任せてください」

 アルベルトは堪えるように息をついた。
「わかった。ヴァルト辺境伯……神殿の治外法権は、今日で終わりだ。すべての責任は僕が負う」
「……承知しました」
 短く告げ、ダリウスは剣を抜いた。

 地下へ続く石階段は、湿り気を帯び、冷え切っている。
 壁には古い聖句が刻まれていたが、その多くは削られ、塗り潰されていた。
 最初に現れた神殿兵が、制止の声を上げる。
「おい誰だ、ここは――」

 言葉は、最後まで続かなかった。

 ダリウスの踏み込みは速かった。
 剣ではなく、まず蹴りを喰らわせる。

 正確な一撃が、兵の体を壁へ叩きつける。
 骨の軋む音が地下に響いた。
「止めろ! ここをどこだと――!」
 次の兵が短槍を構えるが、ダリウスはもう、距離を詰めていた。
 的確に柄を払い、相手が体勢を崩したところへ喉元を押し潰すような衝撃。
 兵は呻き声すら上げられず、崩れ落ちた。

 狭い通路では、数の利は意味をなさない。
 ダリウスは止まらなかった。
 剣を振るう。場によって蹴りを入れ、剣を突き、時には体当たりして叩き伏せる。
 神殿兵たちは訓練されているが、命令に従うだけの動きだった。
 ダリウスを止められるほどの猛者は、そこにはいない。
 その差は残酷なほど明確だった。

 後詰めの兵たちに捕縛を任せ、薙ぎ倒すように無力化していく。
 奥へ。
 さらに奥へ。
 血と香の混じった、吐き気を催す匂いの先で、木製の扉が見えた。
 扉には鍵がかかっていたが、ダリウスは蹴り飛ばして扉ごと破壊した。

「……!」
 その部屋にいたのは、公爵エドムンドと、数人の神官たち。
 何が起こったのか分からないという様子で驚愕に目を見開き、少しばかり返り血を浴びたダリウスのことを凝視している。
 一瞬、ダリウスは足を止めた。

 リヒトが床に倒れていた。
「……」
 全身が、痣と裂傷で覆われている。
 服は血と汚れに塗れ、左腕は不自然な角度で垂れていた。

 息を吸うのが、遅れた。
(魔獣に殴られて崖下に落ちた俺より、ひどい有様じゃないか)
 どう見ても、正式な拘束と取り調べではありえない。
 リヒトの背に残る痣が靴底の形をしているのを認めて、ダリウスは怒りより何より、まず理解が追いつかなかった。
(人が、人に、こんなことを)
(何をどうしたらこんなことができる)
(落ち着け、まずは捕縛と、リヒト卿の安全を……)

 背後で、追随した兵たちが周囲を制圧していた。
「辺境伯!」
 そこへ、遅れて地下へ踏み込んだアルベルトは――
 その光景を一目見た瞬間、言葉を失っていた。

 神官たちが慌てふためいている。
 しかし、アルベルトにおもねるような言葉が続く。
「で、殿下がなぜ、ここに」
「南方に赴かれたのでは」
「違います、殿下これは」

「………………リヒ?」

 アルベルトの顔から血の気が引くのが、傍目にもはっきりと分かった。

「……っ」


 血の匂い。
 言い逃れの余地など、どこにもない。
 次の瞬間だった。
 優柔さなどどこにも無く。
 アルベルトの剣は、烈火のように鞘を離れていた。

 はっとしたダリウスが止めるより、早く。
「殿下――!」
 アルベルトは踏み込んでいた。
 躊躇はない。
 剣先は正確に、エドムンドの肩口を貫いた。

「ぎゃああああっ!」

 叫び声が、地下に反響する。

 エドムンドは膝を折り、血を噴き出しながら床に崩れた。
 神官たちが一斉に悲鳴を上げる。逃げ出そうとして互いの服の裾を踏み、もんどりうって次々と折り重なって転んでいる。

「辺境伯!」

 アルベルトが、叫ぶように。

「早く彼らを捕縛してくれ。早く。早く!…………僕が、殺してしまう前に!」

 ぶるぶる震えた手が、突き立てた剣を引き抜く。
 遅れて血が噴き出し辺りを鮮血で染めた。
 ダリウスは低くこたえる。

「承知しました、殿下。……あとは、私が」

 剣が閃いた。
 エドムンドの足元で、鈍い音がした。

 次の瞬間、理解したのだろう。
 遅れて、絶叫が上がる。

「ひ、ひぃぃっ――!」

 足の腱を断ち切られた激痛に、エドムンドは転げ回る。
 周囲にいた神官たちも同じように。
 床に爪を立て、無様に泣き喚くその姿を、ダリウスは一切見下ろさなかった。

「度重なる不正」
 冷え切った声だった。
「それを咎めようとした者への、悪辣な暴力。神殿と結託した不義」
 一歩。
「――決して、許されることはないでしょう」

 剣先から滴る血を振り払い、振り返る。
「連れて行け!」

 ダリウスの声に、数人の兵がエドムンドと神官たちのもとへ駆け寄った。
 床に転がり、泣き喚き続ける罪人たちを無言で拘束し、引き摺り出す。
 慈悲も、罵倒もない。ただ処理すべき対象として、兵たちは淡々と罪人を運ぶ。

 兵がエドムンドたちを連れ去り、地下に残ったのは、沈黙と血の匂いだけだった。
 詰めた息を漏らし、血が滲むほど強く剣を握り締めたままアルベルトは身動きも取れていない。
「……殿下。リヒト卿を、早く安全な場所に早く連れて行きましょう」
 アルベルトの震える背に声をかける。
 ダリウスは視線を逸らさずに言った。
「治療のできる場所に。死なせるわけにはいきません」

 跪き、リヒトの口元に手をやる。
 呼吸はある。
「……リヒト卿。わかりますか」
 微かに瞼が動き、茫洋とした瞳がダリウスの姿を映した。
 ルーチェと同じ、深く澄んだ翠。
 けれどルーチェよりも少し、陰の色が濃い瞳。
「……」
 何故ここにいる、と問いたげなリヒトに、ダリウスは安堵の溜め息をついた。
 軽く腕を押される。
 助けを拒否するような動きに、ダリウスは眉を顰めた。
「色々と、申し上げたいことはありますが。リヒト卿。あなたが助からねば、殿下とルーチェは生涯、許さないでしょう」
「……」
「……あなたを、ではない。自分自身をです。彼女はきっと……自分を責めてしまうから。彼女を守る者として、私は決してそれを良しとはできません。あなたは死んではならないのです」

 膝をつき、そっと手を差し入れる。
 リヒトの身体を抱え上げた瞬間、思ったより軽くて驚いた。
 振り向いたアルベルトが血に染まった剣を取り落とし、縋るようにその手を取る。
 からん、と場違いなほど軽い音が響いた。

「リヒ、リヒ……ごめん、僕が、……僕のせいで」
 名を呼ぶたび、何かが壊れていくようだった。
 返事はない。
 呼吸だけが微かに胸を上下させている。
 ただ一度、仕方なさそうに、ぽんとアルベルトの肩に手がふれた。

 ダリウスは何も言わなかった。
 ただ、しっかりとリヒトを抱え直し、出口へ向かう。
 背後で、アルベルトがなおも名を呼び続けている。
「リヒ……頼む……」

 その声は、地下の闇に消えていった。
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