1 / 54
0話:前世
しおりを挟む
「この会社、終わってるよな。俺らがどんだけ頑張っても上が腐ってんだから意味ねえよ」
俺は同期の愚痴に頷きながら、缶コーヒーを傾けた。
深夜の喫煙所。蛍光灯がジジジと音を立てている。
研究棟の窓からは、まだ明かりが漏れていた。誰かが残業している。いつものことだ。
「上は現場のこと何も分かってねえんだよ。納期だけ押し付けて、人は増やさない。予算も削る。で、『なんとかしろ』だろ? バカじゃねえの」
「ほんとそれ」
俺は適当に相槌を打った。
入社して五年。最初の頃の熱意なんて、とっくに擦り切れていた。
学生時代は違った。
研究が楽しかった。新しい発見に心が躍った。世の中を良くする技術を作るんだと、本気で思っていた。
今は——ただ、日々をこなすだけだ。
言われたことをやる。無理な要求には愚痴を言う。でも逆らわない。
逆らったところで何も変わらない。この会社はそういう場所だ。
「俺らがいくら頑張っても、上が腐ってたら意味ねえよな」
同期の言葉に、俺は深く頷いた。
——そうだ。悪いのは環境だ。俺たちじゃない。
そう思うことで、なんとか自分を保っていた。
***
それから半年後。
後輩の高橋が死んだ。
入社二年目。真面目で、要領は悪いが、誰より努力する奴だった。
入社した頃は目が輝いていた。実験が楽しい、新しいことを学べるのが嬉しい、と言っていた。
半年で、その目から光が消えた。
「大丈夫です」
高橋は笑っていた。
疲れ切った顔で、目の下に隈を作りながら、それでも笑っていた。
俺は気づいていた。
あいつが限界だってことくらい、見れば分かった。
でも、声をかけなかった。
——俺が関わったところで、何が変わる?
そう思った。
会社が悪い。環境が悪い。俺一人が何かしたって、どうにもならない。
だから、見て見ぬふりをした。
高橋は、自宅で倒れているところを発見された。
過労だった。
葬儀の後、誰かが言った。
「仕方ないよ。あいつ、メンタル弱かったから」
俺は何も言えなかった。
——仕方ない?
違う。仕方なくなんかない。
あいつは必死に頑張っていた。助けを求める余裕すらなかっただけだ。
俺は気づいていたのに、何もしなかった。
「環境が悪い」「会社が悪い」——そう言い訳して、目を逸らした。
高橋の机を片付ける時、引き出しから一冊のノートが出てきた。
実験のアイデアがびっしり書き込まれていた。
最後のページには、こう書いてあった。
『もう少しで結果が出そう。頑張ろう』
——こいつは、最後まで諦めてなかったんだ。
俺は、いつから諦めていた?
いつから「仕方ない」で済ませるようになった?
学生時代、研究発表で教授に褒められた日のことを思い出した。
「君の着眼点は面白い。将来が楽しみだ」
あの時、俺は本気で世界を変えられると思っていた。
入社した頃もそうだ。
先輩に「お前は見込みがある」と言われて、嬉しくて夜中まで実験した。
新しいデータが出るたびに心が躍った。
いつから、こうなった?
環境のせいにして、愚痴を言うだけの人間に。
高橋のノートを見つめながら、俺は決めた。
——もう一度、やってみよう。
あいつの分まで。いや、自分のために。
まだ諦めるには早い。
***
それから俺は変わった。
愚痴を言う時間を減らした。データと向き合う時間を増やした。
夜中まで実験を繰り返し、週末も研究室に通った。
三ヶ月後、手応えのある結果が出た。
新しい触媒の配合。従来より効率が15%向上する。
コスト削減にも繋がる。実用化できれば、会社の主力製品になり得る。
データを揃え、資料を作り込んだ。
論理の穴がないか、何度も確認した。
課長へのプレゼンは、完璧だった。
「……これは、すごいな」
課長の目の色が変わった。
「いいじゃないか。上に持っていこう」
——通った。
久しぶりに、心が躍った。
やればできる。諦めなければ、結果は出る。
部長へのプレゼンも、課長が同席してくれた。
データを示し、効果を説明し、実用化までのロードマップを提示した。
部長は腕を組んで聞いていた。
そして、言った。
「面白いとは思う。だが、今期の計画には入っていない」
「しかし、このデータを見ていただければ——」
「計画にないものは通せない。来期の検討課題にしておく」
それだけだった。
データは見なかった。効果の説明も聞かなかった。
「計画にない」——ただそれだけで、却下された。
課長は申し訳なさそうな顔をしていた。
「すまない。俺からも言ってみるが……」
——理屈は、完璧だったはずだ。
帰り道、俺は考え続けていた。
どこが悪かった? データに不備があったか? 説明が下手だったか?
いや、違う。課長は納得していた。論理的には問題なかったはずだ。
じゃあ、どうすればいい?
もっと圧倒的な結果を出せば、上も黙らせられるか?
……本当にそうか? 今回だって、理屈の上では完璧だったのに。
頭がぐるぐると回る。
答えが出ない。
気づけば、終電を逃していた。
深夜の街を歩く。足元がふらつく。もう三日まともに寝ていない。
信号が赤に変わった。
立ち止まる。
ぼんやりと、向かいのビルを見上げた。
巨大な電光掲示板が、夜空に浮かんでいる。
『転職で、人生を変えよう』
転職サイトの広告だった。
——環境を変えれば。
そう思った瞬間、視界が歪んだ。
足元から力が抜ける。
体が傾く。
クラクション。
眩しいライト。
——環境を変えれば、俺だって——
俺は同期の愚痴に頷きながら、缶コーヒーを傾けた。
深夜の喫煙所。蛍光灯がジジジと音を立てている。
研究棟の窓からは、まだ明かりが漏れていた。誰かが残業している。いつものことだ。
「上は現場のこと何も分かってねえんだよ。納期だけ押し付けて、人は増やさない。予算も削る。で、『なんとかしろ』だろ? バカじゃねえの」
「ほんとそれ」
俺は適当に相槌を打った。
入社して五年。最初の頃の熱意なんて、とっくに擦り切れていた。
学生時代は違った。
研究が楽しかった。新しい発見に心が躍った。世の中を良くする技術を作るんだと、本気で思っていた。
今は——ただ、日々をこなすだけだ。
言われたことをやる。無理な要求には愚痴を言う。でも逆らわない。
逆らったところで何も変わらない。この会社はそういう場所だ。
「俺らがいくら頑張っても、上が腐ってたら意味ねえよな」
同期の言葉に、俺は深く頷いた。
——そうだ。悪いのは環境だ。俺たちじゃない。
そう思うことで、なんとか自分を保っていた。
***
それから半年後。
後輩の高橋が死んだ。
入社二年目。真面目で、要領は悪いが、誰より努力する奴だった。
入社した頃は目が輝いていた。実験が楽しい、新しいことを学べるのが嬉しい、と言っていた。
半年で、その目から光が消えた。
「大丈夫です」
高橋は笑っていた。
疲れ切った顔で、目の下に隈を作りながら、それでも笑っていた。
俺は気づいていた。
あいつが限界だってことくらい、見れば分かった。
でも、声をかけなかった。
——俺が関わったところで、何が変わる?
そう思った。
会社が悪い。環境が悪い。俺一人が何かしたって、どうにもならない。
だから、見て見ぬふりをした。
高橋は、自宅で倒れているところを発見された。
過労だった。
葬儀の後、誰かが言った。
「仕方ないよ。あいつ、メンタル弱かったから」
俺は何も言えなかった。
——仕方ない?
違う。仕方なくなんかない。
あいつは必死に頑張っていた。助けを求める余裕すらなかっただけだ。
俺は気づいていたのに、何もしなかった。
「環境が悪い」「会社が悪い」——そう言い訳して、目を逸らした。
高橋の机を片付ける時、引き出しから一冊のノートが出てきた。
実験のアイデアがびっしり書き込まれていた。
最後のページには、こう書いてあった。
『もう少しで結果が出そう。頑張ろう』
——こいつは、最後まで諦めてなかったんだ。
俺は、いつから諦めていた?
いつから「仕方ない」で済ませるようになった?
学生時代、研究発表で教授に褒められた日のことを思い出した。
「君の着眼点は面白い。将来が楽しみだ」
あの時、俺は本気で世界を変えられると思っていた。
入社した頃もそうだ。
先輩に「お前は見込みがある」と言われて、嬉しくて夜中まで実験した。
新しいデータが出るたびに心が躍った。
いつから、こうなった?
環境のせいにして、愚痴を言うだけの人間に。
高橋のノートを見つめながら、俺は決めた。
——もう一度、やってみよう。
あいつの分まで。いや、自分のために。
まだ諦めるには早い。
***
それから俺は変わった。
愚痴を言う時間を減らした。データと向き合う時間を増やした。
夜中まで実験を繰り返し、週末も研究室に通った。
三ヶ月後、手応えのある結果が出た。
新しい触媒の配合。従来より効率が15%向上する。
コスト削減にも繋がる。実用化できれば、会社の主力製品になり得る。
データを揃え、資料を作り込んだ。
論理の穴がないか、何度も確認した。
課長へのプレゼンは、完璧だった。
「……これは、すごいな」
課長の目の色が変わった。
「いいじゃないか。上に持っていこう」
——通った。
久しぶりに、心が躍った。
やればできる。諦めなければ、結果は出る。
部長へのプレゼンも、課長が同席してくれた。
データを示し、効果を説明し、実用化までのロードマップを提示した。
部長は腕を組んで聞いていた。
そして、言った。
「面白いとは思う。だが、今期の計画には入っていない」
「しかし、このデータを見ていただければ——」
「計画にないものは通せない。来期の検討課題にしておく」
それだけだった。
データは見なかった。効果の説明も聞かなかった。
「計画にない」——ただそれだけで、却下された。
課長は申し訳なさそうな顔をしていた。
「すまない。俺からも言ってみるが……」
——理屈は、完璧だったはずだ。
帰り道、俺は考え続けていた。
どこが悪かった? データに不備があったか? 説明が下手だったか?
いや、違う。課長は納得していた。論理的には問題なかったはずだ。
じゃあ、どうすればいい?
もっと圧倒的な結果を出せば、上も黙らせられるか?
……本当にそうか? 今回だって、理屈の上では完璧だったのに。
頭がぐるぐると回る。
答えが出ない。
気づけば、終電を逃していた。
深夜の街を歩く。足元がふらつく。もう三日まともに寝ていない。
信号が赤に変わった。
立ち止まる。
ぼんやりと、向かいのビルを見上げた。
巨大な電光掲示板が、夜空に浮かんでいる。
『転職で、人生を変えよう』
転職サイトの広告だった。
——環境を変えれば。
そう思った瞬間、視界が歪んだ。
足元から力が抜ける。
体が傾く。
クラクション。
眩しいライト。
——環境を変えれば、俺だって——
71
あなたにおすすめの小説
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
【完結】前世の不幸は神様のミスでした?異世界転生、条件通りなうえチート能力で幸せです
yun.
ファンタジー
~タイトル変更しました~
旧タイトルに、もどしました。
日本に生まれ、直後に捨てられた。養護施設に暮らし、中学卒業後働く。
まともな職もなく、日雇いでしのぐ毎日。
劣悪な環境。上司にののしられ、仲のいい友人はいない。
日々の衣食住にも困る。
幸せ?生まれてこのかた一度もない。
ついに、死んだ。現場で鉄パイプの下敷きに・・・
目覚めると、真っ白な世界。
目の前には神々しい人。
地球の神がサボった?だから幸せが1度もなかったと・・・
短編→長編に変更しました。
R4.6.20 完結しました。
長らくお読みいただき、ありがとうございました。
元救急医クラリスの異世界診療録 ―今度こそ、自分本位に生き抜きます―
やまだ
ファンタジー
朝、昼、夜を超えてまた朝と昼を働いたあの日、救急医高梨は死んでしまった。比喩ではなく、死んだのだ。
次に目覚めたのは、魔法が存在する異世界・パストリア王国。
クラリスという少女として、救急医は“二度目の人生”を始めることになった。
この世界では、一人ひとりに魔法がひとつだけ授けられる。
クラリスが与えられたのは、《消去》の力――なんだそれ。
「今度こそ、過労死しない!」
そう決意したのに、見過ごせない。困っている人がいると、放っておけない。
街の診療所から始まった小さな行動は、やがて王城へ届き、王族までも巻き込む騒動に。
そして、ちょっと推してる王子にまで、なぜか気に入られてしまい……?
命を救う覚悟と、前世からの後悔を胸に――
クラリス、二度目の人生は“自分のために”生き抜きます。
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
【本編完結】転生隠者の転生記録———怠惰?冒険?魔法?全ては、その心の赴くままに……
ひらえす
ファンタジー
後にリッカと名乗る者は、それなりに生きて、たぶん一度死んだ。そして、その人生の苦難の8割程度が、神の不手際による物だと告げられる。
そんな前世の反動なのか、本人的には怠惰でマイペースな異世界ライフを満喫するはず……が、しかし。自分に素直になって暮らしていこうとする主人公のズレっぷり故に引き起こされたり掘り起こされたり巻き込まれていったり、時には外から眺めてみたり…の物語になりつつあります。
※小説家になろう様、アルファポリス様、カクヨム様でほぼ同時投稿しています。
※残酷描写は保険です。
※誤字脱字多いと思います。教えてくださると助かります。
転生チート薬師は巻き込まれやすいのか? ~スローライフと時々騒動~
志位斗 茂家波
ファンタジー
異世界転生という話は聞いたことがあるが、まさかそのような事を実際に経験するとは思わなかった。
けれども、よくあるチートとかで暴れるような事よりも、自由にかつのんびりと適当に過ごしたい。
そう思っていたけれども、そうはいかないのが現実である。
‥‥‥才能はあるのに、無駄遣いが多い、苦労人が増えやすいお話です。
「小説家になろう」でも公開中。興味があればそちらの方でもどうぞ。誤字は出来るだけ無いようにしたいですが、発見次第伝えていただければ幸いです。あと、案があればそれもある程度受け付けたいと思います。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる