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第2章:王都謀略編
19話:王都の値段
出発の朝、セバスが門の前で待っていた。
「留守の間、日次の帳簿と住民対応はお任せします。判断に迷うものは保留にしておいて」
「かしこまりました。お気をつけて、アイリス様」
「トビアスの工房の進捗も見ておいてね。次月分の納品が遅れたら困るから」
「承知しております。……アイリス様」
「何?」
「焼き菓子を包みました。道中、お召し上がりください」
セバスが小さな布包みを差し出した。受け取る。まだ温かい。
「……ありがとう」
半年前、ここに着いた時は館の中に人の気配がなかった。出迎えはセバス一人。今は違う。朝から住民が畑に出ているし、トビアスの工房から薬草を煮る匂いが漂ってくる。
振り返らずに歩き出す。
グレンが荷馬の手綱を持って待っていた。
「準備できた?」
「はい」
「じゃあ行きましょう。手続き終わったらすぐ帰るから」
「……長居はされないんですか」
「しないわよ。あんまり居たい場所でもないし」
「横領で追放された令嬢」の噂はここが出どころだ。長居するもんじゃない。
***
街道は、半年前より人が増えていた。行商人とすれ違う。荷馬車が追い抜いていく。
セバスの焼き菓子を一つかじった。前より香ばしい。麦の配合を変えたと言っていたが、確かに良くなっている。
「グレンも食べる?」
「……いただきます」
一つ渡す。グレンは片手で受け取って、黙って食べた。感想はない。いつも通り。
「南の道の拡幅の件だけど」
「はい」
「石は足りてるのよ。問題は人。道を広げるにも建物を建てるにも、大工がいないと始まらない」
「募集を出しますか」
「出したいけど、辺境の小領地に好んで来る職人がいると思う?」
「……厳しいかと」
「でしょうね」
道も倉庫も宿舎も足りない。人が増えるほど足りないものが増える。帳簿は私がやる。薬はトビアスがいる。でも建物だけは、どうにもならない。
「王都に行くなら、腕のいいのがいないか見ておきたいわね」
「商業登録のついでに、ですか」
「ついでよ、ついで。本命はあくまで手続き」
グレンが何か言いかけて、やめた。
「何?」
「……いえ。ついでが増えるのはいつものことなので」
「嫌味?」
「護衛の所感です」
(うるさいわね)
でもまあ、否定はできない。港町に行った時もそうだった。ロッソ商会との取引にエルスト商会の違和感。結局、ついでのほうが大きくなる。
しばらく歩いた。街道の分岐が見えてきた。右が港町方面。左が王都。
左に折れる手前で、グレンの足が止まった。
一瞬だけ。すぐに歩き出す。何事もなかったように。
でも見えた。王都に向かう道の先を見た時の、あの間。
「久しぶり? 王都」
「……二年ぶりです」
短い答え。いつものグレンなら「護衛ですから」で返すところだ。二年ぶり、と正直に答えたのが珍しかった。
近衛を追われて、辺境に飛ばされた。あの街に、いい思い出がない。私と同じだ。
それ以上は聞かなかった。グレンが自分から話す時を待てばいい。
「焼き菓子、もう一つ食べる?」
「……いただきます」
***
三日目の午後、王都に着いた。
門をくぐって、最初に思ったのは「うるさいな」だった。
人が多い。前に来た時もそうだったけど、密度が違う。大通りの両側に露店がぎっしり並んで、客がたかっている。笑い声と怒鳴り声と、荷馬車の車輪の音がごちゃ混ぜになって降ってくる。
「グレン、前からこんなだった?」
「……いえ。もう少し落ち着いていたかと」
やっぱり。記憶の中の王都はもう少し整然としていた。華やかではあったけど、こういう騒がしさじゃなかった。
何気なく、鑑定した。
【王都中央区】
現在価値:7,700
潜在価値:4,100
(……7,700の4,100?)
通りを歩く。すれ違う店を片っ端から鑑定していった。
宝飾店のショーウインドウに並ぶ指輪。580の250。仕立て屋にかかっている外套。420の220。どっちも現在が潜在を上回っている。値段ほどの中身がない。
果物屋の前を通った。りんご、8の12。これは普通。隣の肉屋も普通。日用品はまともなのに、高いものだけ数字がおかしい。
「この通りは高級店が多いんですか」
グレンに聞いてみた。
「昔はもう少し地味でした。宝飾店がこんなに並んではいなかったかと」
「ふうん」
新しい看板が目立つ。最近できた店が多いのか。どの店も客が入っている。繁盛しているように見える。
鍛冶屋の前を通った。店先に並んだ短剣を鑑定する。250の100。
(これもか)
「アイリス様」
「何?」
「さっきから、やたらきょろきょろしていますが」
「……見てるだけよ。物見遊山」
「物見遊山にしては顔が険しいですが」
「うるさいわね。護衛は前を見てなさい」
グレンが前を向いた。肩がわずかに揺れた。笑ったかもしれない。
(笑うな)
険しい顔をしている自覚はあった。数字のせいだ。歩くたびに目に入ってくる。この通りも、あの店も、あっちの看板も。見かけは華やかで、中身が追いついていない。
(インフレ? 景気がいいだけ?)
でも、港町はこんなじゃなかった。あっちのほうが帝国との交易で金が動いてたのに、数字はもっと素直だった。現在と潜在が近い、普通の並び。
(何が違うんだろう)
分からない。仮説を立てようとしても、ピースが足りない。
(……まあいいわ。私が考えることじゃないし)
商業登録を済ませて帰る。それだけ。ここの経済がどうなっていようと、私はアーレン領の領主であって、王都の監査官じゃない。
***
行政区画に向かう途中、大通りから一本入った先で人だかりができていた。
城壁の修繕工事だった。足場が組まれて、職人たちが動いている。壁面の一角が新しい石に積み替えられていた。真新しい白。周囲の古い壁との色の差が目立つ。
足を止めて眺めている住民が何人かいた。
「いやあ、立派なもんだ」
「さすが王室の事業だな。金のかけ方が違うよ」
「こないだ完成した東側も見事だったぞ」
聞こえてくる声。好意的な反応ばかりだった。見た目はたしかに悪くない。新しい石は白くて、いかにも頑丈そうに見える。
何の気なしに、鑑定した。
【城壁修繕区画(完成部分)】
現在価値:2,500
潜在価値:400
足が止まった。
(400?)
2,500の400。
街全体の7,700対4,100は、まだ比率として飲み込める範囲だった。でもこれは違う。現在の六分の一。城壁に400。国の防壁に、400。
見た目は立派。住民の評判も良い。金がかかっている、と皆が言っている。
でも中身が400。
商品の数字がおかしいのとは訳が違う。高い指輪を買って中身がなくても、損をするのは買った人間だけだ。でも城壁は違う。城壁は国を守る壁だ。いざという時、この数字で何が守れる。
「アイリス様」
グレンの声。
「……なんでもない」
なんでもなくない。この数字は飲み込めない。さっきまでの「私が考えることじゃない」が、喉の奥で引っかかっている。
もう一度、工事現場に目を向けた。足場の上で働いている職人たち。石を運び、壁に据え、汗を流している。
(この街の物価を見てると、人件費もとんでもないことになってそうね)
鑑定が、職人たちの上に数字を浮かべた。
「留守の間、日次の帳簿と住民対応はお任せします。判断に迷うものは保留にしておいて」
「かしこまりました。お気をつけて、アイリス様」
「トビアスの工房の進捗も見ておいてね。次月分の納品が遅れたら困るから」
「承知しております。……アイリス様」
「何?」
「焼き菓子を包みました。道中、お召し上がりください」
セバスが小さな布包みを差し出した。受け取る。まだ温かい。
「……ありがとう」
半年前、ここに着いた時は館の中に人の気配がなかった。出迎えはセバス一人。今は違う。朝から住民が畑に出ているし、トビアスの工房から薬草を煮る匂いが漂ってくる。
振り返らずに歩き出す。
グレンが荷馬の手綱を持って待っていた。
「準備できた?」
「はい」
「じゃあ行きましょう。手続き終わったらすぐ帰るから」
「……長居はされないんですか」
「しないわよ。あんまり居たい場所でもないし」
「横領で追放された令嬢」の噂はここが出どころだ。長居するもんじゃない。
***
街道は、半年前より人が増えていた。行商人とすれ違う。荷馬車が追い抜いていく。
セバスの焼き菓子を一つかじった。前より香ばしい。麦の配合を変えたと言っていたが、確かに良くなっている。
「グレンも食べる?」
「……いただきます」
一つ渡す。グレンは片手で受け取って、黙って食べた。感想はない。いつも通り。
「南の道の拡幅の件だけど」
「はい」
「石は足りてるのよ。問題は人。道を広げるにも建物を建てるにも、大工がいないと始まらない」
「募集を出しますか」
「出したいけど、辺境の小領地に好んで来る職人がいると思う?」
「……厳しいかと」
「でしょうね」
道も倉庫も宿舎も足りない。人が増えるほど足りないものが増える。帳簿は私がやる。薬はトビアスがいる。でも建物だけは、どうにもならない。
「王都に行くなら、腕のいいのがいないか見ておきたいわね」
「商業登録のついでに、ですか」
「ついでよ、ついで。本命はあくまで手続き」
グレンが何か言いかけて、やめた。
「何?」
「……いえ。ついでが増えるのはいつものことなので」
「嫌味?」
「護衛の所感です」
(うるさいわね)
でもまあ、否定はできない。港町に行った時もそうだった。ロッソ商会との取引にエルスト商会の違和感。結局、ついでのほうが大きくなる。
しばらく歩いた。街道の分岐が見えてきた。右が港町方面。左が王都。
左に折れる手前で、グレンの足が止まった。
一瞬だけ。すぐに歩き出す。何事もなかったように。
でも見えた。王都に向かう道の先を見た時の、あの間。
「久しぶり? 王都」
「……二年ぶりです」
短い答え。いつものグレンなら「護衛ですから」で返すところだ。二年ぶり、と正直に答えたのが珍しかった。
近衛を追われて、辺境に飛ばされた。あの街に、いい思い出がない。私と同じだ。
それ以上は聞かなかった。グレンが自分から話す時を待てばいい。
「焼き菓子、もう一つ食べる?」
「……いただきます」
***
三日目の午後、王都に着いた。
門をくぐって、最初に思ったのは「うるさいな」だった。
人が多い。前に来た時もそうだったけど、密度が違う。大通りの両側に露店がぎっしり並んで、客がたかっている。笑い声と怒鳴り声と、荷馬車の車輪の音がごちゃ混ぜになって降ってくる。
「グレン、前からこんなだった?」
「……いえ。もう少し落ち着いていたかと」
やっぱり。記憶の中の王都はもう少し整然としていた。華やかではあったけど、こういう騒がしさじゃなかった。
何気なく、鑑定した。
【王都中央区】
現在価値:7,700
潜在価値:4,100
(……7,700の4,100?)
通りを歩く。すれ違う店を片っ端から鑑定していった。
宝飾店のショーウインドウに並ぶ指輪。580の250。仕立て屋にかかっている外套。420の220。どっちも現在が潜在を上回っている。値段ほどの中身がない。
果物屋の前を通った。りんご、8の12。これは普通。隣の肉屋も普通。日用品はまともなのに、高いものだけ数字がおかしい。
「この通りは高級店が多いんですか」
グレンに聞いてみた。
「昔はもう少し地味でした。宝飾店がこんなに並んではいなかったかと」
「ふうん」
新しい看板が目立つ。最近できた店が多いのか。どの店も客が入っている。繁盛しているように見える。
鍛冶屋の前を通った。店先に並んだ短剣を鑑定する。250の100。
(これもか)
「アイリス様」
「何?」
「さっきから、やたらきょろきょろしていますが」
「……見てるだけよ。物見遊山」
「物見遊山にしては顔が険しいですが」
「うるさいわね。護衛は前を見てなさい」
グレンが前を向いた。肩がわずかに揺れた。笑ったかもしれない。
(笑うな)
険しい顔をしている自覚はあった。数字のせいだ。歩くたびに目に入ってくる。この通りも、あの店も、あっちの看板も。見かけは華やかで、中身が追いついていない。
(インフレ? 景気がいいだけ?)
でも、港町はこんなじゃなかった。あっちのほうが帝国との交易で金が動いてたのに、数字はもっと素直だった。現在と潜在が近い、普通の並び。
(何が違うんだろう)
分からない。仮説を立てようとしても、ピースが足りない。
(……まあいいわ。私が考えることじゃないし)
商業登録を済ませて帰る。それだけ。ここの経済がどうなっていようと、私はアーレン領の領主であって、王都の監査官じゃない。
***
行政区画に向かう途中、大通りから一本入った先で人だかりができていた。
城壁の修繕工事だった。足場が組まれて、職人たちが動いている。壁面の一角が新しい石に積み替えられていた。真新しい白。周囲の古い壁との色の差が目立つ。
足を止めて眺めている住民が何人かいた。
「いやあ、立派なもんだ」
「さすが王室の事業だな。金のかけ方が違うよ」
「こないだ完成した東側も見事だったぞ」
聞こえてくる声。好意的な反応ばかりだった。見た目はたしかに悪くない。新しい石は白くて、いかにも頑丈そうに見える。
何の気なしに、鑑定した。
【城壁修繕区画(完成部分)】
現在価値:2,500
潜在価値:400
足が止まった。
(400?)
2,500の400。
街全体の7,700対4,100は、まだ比率として飲み込める範囲だった。でもこれは違う。現在の六分の一。城壁に400。国の防壁に、400。
見た目は立派。住民の評判も良い。金がかかっている、と皆が言っている。
でも中身が400。
商品の数字がおかしいのとは訳が違う。高い指輪を買って中身がなくても、損をするのは買った人間だけだ。でも城壁は違う。城壁は国を守る壁だ。いざという時、この数字で何が守れる。
「アイリス様」
グレンの声。
「……なんでもない」
なんでもなくない。この数字は飲み込めない。さっきまでの「私が考えることじゃない」が、喉の奥で引っかかっている。
もう一度、工事現場に目を向けた。足場の上で働いている職人たち。石を運び、壁に据え、汗を流している。
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