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第2章:王都謀略編
20話:正しい場所
大工たちの上に数字が浮かんだ。
450、380、500、420——。
ボリュームゾーンの下の方だ。城壁の工事に使われてるくらいだから、それなりの腕はあるはず。にしては低い。
潜在価値も見る。550、600、700、580。どれも現在より高い。伸びしろがある人たち。待遇か、環境か、何かが足を引っ張っている。
改めて城壁を見上げた。
新しく積み直された白い石。目地は綺麗に揃っていて、仕上げも丁寧だ。素人が見れば立派な仕事にしか見えない。実際、周りの住民は感心して眺めている。
でも鑑定は2,500の400。
城壁は攻められなければボロが出ない。見た目さえ整えておけば、中身が伴っていなくても誰も気づかない。手を抜くなら、これほど都合のいい対象もない。
(でも大工の腕は悪くない。仕上げは丁寧。なのに中身が400ってことは、問題は大工じゃなくて——)
素材か。金の流れか。あるいは両方か。
一人だけ、違う数字が目に入った。
【大工(若手)】
現在価値:550
潜在価値:1,700
(……1,700?)
周りが500台から700台の中で、一人だけ飛び抜けている。
足場の上段で石を据えている若い男。二十歳前後。動きにまだ荒さはあるけど、一つ一つの所作が正確で、隣のベテランより明らかに手が早い。
1,700。トビアスの潜在が1,800。この若さでそこに迫る数字。
道中でグレンと話したことが頭に浮かんだ。大工がいない。道も倉庫も建てられない。
「グレン、ちょっと待ってて」
「……どこへ」
「話を聞くだけ」
現場の端で休憩している職人たちに近づいた。若い男もそこにいた。水を飲んでいる者、腰を伸ばしている者。足場仕事は体にくる。
「すみません、少し聞いてもいい?」
若い男が顔を上げた。日焼けした顔に人懐こい笑み。手が大きい。職人の手だ。
「はい? 何でしょう」
「大工を探してるの。うちの領地でインフラの整備をしてて、人手が足りなくて」
「へえ、どちらの?」
「北のアーレン領」
「アーレン……辺境の。遠いですね」
「遠いわね。だから来てくれる人がなかなかいなくて」
「ああ、それは大変だ。でも俺、今の現場は続けたいんですよね」
「待遇がいいの?」
「待遇っていうか、ここ王室の事業じゃないですか。王室の城壁に関われるなんて、普通の大工じゃまずない。ブルクハルト商会さんに拾ってもらえなかったら、俺なんか場末の修繕仕事ですよ」
目が輝いていた。本気で言っている。
「ブルクハルト商会?」
「元請けです。王室の事業を任されてる大きい商会で。俺みたいな若手にも仕事を回してくれるんです。親方も、ここで経験積めば一人前になれるって」
「給金はどう?」
「正直、安いです。でもまあ、まだ修行中みたいなもんだし。王室の仕事に関われてるだけでありがたいっていうか」
安い給金を「修行中だから」で飲み込んでいる。王室の事業という看板を、自分の価値だと信じている。
(——この子、いくらもらってるの)
「具体的にいくらくらい?」
数字を聞いた。
(……安い。辺境の小さな仕事でもこれよりは出る)
「月でそれ? 日当じゃなくて?」
「月ですよ。まあ、経験を買ってると思えば」
笑っていた。本当に、笑っていた。
隣にいたベテラン風の男が、ルッツの肩をぽんと叩いた。
「お前なあ。経験を買ってるって、それブルクハルトの受け売りだろ」
「え、だって親方も——」
「親方は親方だ。俺は二十年やってるけどな、嬢ちゃん、この額は公共事業の規模にしちゃ安いよ。王室の事業だからって、俺らに入ってくる分がいいとは限らねえ」
「じゃあなんで続けてるんですか」
ルッツが聞いた。素朴な疑問の顔。
「仕事があるからだよ。今どき大工の仕事なんてそうそう転がってねえ。選べる立場じゃねえんだ」
ベテランはそれだけ言って、水を飲んだ。
ルッツは黙った。さっきまでの笑顔が少し曇っている。でもすぐに持ち直して、「まあ、経験にはなりますから」と笑った。
(——ああ)
知ってる。この笑い方。
前世の後輩が重なった。上司に潰されてるのに「育ててもらってます」って笑ってた子。
おかしいと分かっていた。残業時間を数えて、給与明細を突き合わせて、「あなたの労働に見合ってない」って数字で示した。一目瞭然だった。こんなの誰が見たっておかしい。
でもあの子は笑ったままだった。「先輩、大丈夫ですよ」って。やりがいって名前の鎖は、データじゃ切れなかった。
結局、あの子を連れ出すことはできないまま、私は私の戦いに巻き込まれて——あの子がどうなったかは、知らない。
「——お姉さん?」
ルッツの声で戻った。
「大丈夫ですか? なんか遠い顔してましたけど」
「……ごめん、ちょっと考え事。大丈夫」
「それで、領地の話ですけど——」
「うん。あとでちゃんと話すわ。——名前、聞いていい?」
「ルッツです。ルッツ・ハイデン」
「ルッツ、ありがとう。また来る」
「はあ、どうも」
現場を離れた。グレンが通りの向こうで壁にもたれて待っていた。
「お待たせ」
「……何か分かりましたか」
「給金が安い。安いのに本人が気づいてない。元請けはブルクハルト商会」
「調べるんですか」
グレンの声に驚きはなかった。
商業登録を済ませて帰る。それだけのはずだった。王都の経済がどうなっていようと、私はアーレン領の領主であって、王都の監査官じゃない。そう思ってた。
でも。
あの笑い方だ。安い給金を「修行だから」で飲み込んで、搾取されてることに気づかないまま笑っている。潜在1,700の手を持ってるのに。
前世では、気づいたのに何もできなかった。おかしいと分かってたのに、あの子を連れ出せなかった。数字で示して、正論で説いて、それでも届かなかった。
あの時と同じ選択肢が目の前にある。見て見ぬふりをするか、しないか。
「調べるわ。少しだけ」
「……少しだけ、ですか」
「少しだけよ」
グレンは何も言わなかった。半歩前に出て、歩き始めた。
いつもの背中。この男は、私が何をすると決めても前を歩く。
450、380、500、420——。
ボリュームゾーンの下の方だ。城壁の工事に使われてるくらいだから、それなりの腕はあるはず。にしては低い。
潜在価値も見る。550、600、700、580。どれも現在より高い。伸びしろがある人たち。待遇か、環境か、何かが足を引っ張っている。
改めて城壁を見上げた。
新しく積み直された白い石。目地は綺麗に揃っていて、仕上げも丁寧だ。素人が見れば立派な仕事にしか見えない。実際、周りの住民は感心して眺めている。
でも鑑定は2,500の400。
城壁は攻められなければボロが出ない。見た目さえ整えておけば、中身が伴っていなくても誰も気づかない。手を抜くなら、これほど都合のいい対象もない。
(でも大工の腕は悪くない。仕上げは丁寧。なのに中身が400ってことは、問題は大工じゃなくて——)
素材か。金の流れか。あるいは両方か。
一人だけ、違う数字が目に入った。
【大工(若手)】
現在価値:550
潜在価値:1,700
(……1,700?)
周りが500台から700台の中で、一人だけ飛び抜けている。
足場の上段で石を据えている若い男。二十歳前後。動きにまだ荒さはあるけど、一つ一つの所作が正確で、隣のベテランより明らかに手が早い。
1,700。トビアスの潜在が1,800。この若さでそこに迫る数字。
道中でグレンと話したことが頭に浮かんだ。大工がいない。道も倉庫も建てられない。
「グレン、ちょっと待ってて」
「……どこへ」
「話を聞くだけ」
現場の端で休憩している職人たちに近づいた。若い男もそこにいた。水を飲んでいる者、腰を伸ばしている者。足場仕事は体にくる。
「すみません、少し聞いてもいい?」
若い男が顔を上げた。日焼けした顔に人懐こい笑み。手が大きい。職人の手だ。
「はい? 何でしょう」
「大工を探してるの。うちの領地でインフラの整備をしてて、人手が足りなくて」
「へえ、どちらの?」
「北のアーレン領」
「アーレン……辺境の。遠いですね」
「遠いわね。だから来てくれる人がなかなかいなくて」
「ああ、それは大変だ。でも俺、今の現場は続けたいんですよね」
「待遇がいいの?」
「待遇っていうか、ここ王室の事業じゃないですか。王室の城壁に関われるなんて、普通の大工じゃまずない。ブルクハルト商会さんに拾ってもらえなかったら、俺なんか場末の修繕仕事ですよ」
目が輝いていた。本気で言っている。
「ブルクハルト商会?」
「元請けです。王室の事業を任されてる大きい商会で。俺みたいな若手にも仕事を回してくれるんです。親方も、ここで経験積めば一人前になれるって」
「給金はどう?」
「正直、安いです。でもまあ、まだ修行中みたいなもんだし。王室の仕事に関われてるだけでありがたいっていうか」
安い給金を「修行中だから」で飲み込んでいる。王室の事業という看板を、自分の価値だと信じている。
(——この子、いくらもらってるの)
「具体的にいくらくらい?」
数字を聞いた。
(……安い。辺境の小さな仕事でもこれよりは出る)
「月でそれ? 日当じゃなくて?」
「月ですよ。まあ、経験を買ってると思えば」
笑っていた。本当に、笑っていた。
隣にいたベテラン風の男が、ルッツの肩をぽんと叩いた。
「お前なあ。経験を買ってるって、それブルクハルトの受け売りだろ」
「え、だって親方も——」
「親方は親方だ。俺は二十年やってるけどな、嬢ちゃん、この額は公共事業の規模にしちゃ安いよ。王室の事業だからって、俺らに入ってくる分がいいとは限らねえ」
「じゃあなんで続けてるんですか」
ルッツが聞いた。素朴な疑問の顔。
「仕事があるからだよ。今どき大工の仕事なんてそうそう転がってねえ。選べる立場じゃねえんだ」
ベテランはそれだけ言って、水を飲んだ。
ルッツは黙った。さっきまでの笑顔が少し曇っている。でもすぐに持ち直して、「まあ、経験にはなりますから」と笑った。
(——ああ)
知ってる。この笑い方。
前世の後輩が重なった。上司に潰されてるのに「育ててもらってます」って笑ってた子。
おかしいと分かっていた。残業時間を数えて、給与明細を突き合わせて、「あなたの労働に見合ってない」って数字で示した。一目瞭然だった。こんなの誰が見たっておかしい。
でもあの子は笑ったままだった。「先輩、大丈夫ですよ」って。やりがいって名前の鎖は、データじゃ切れなかった。
結局、あの子を連れ出すことはできないまま、私は私の戦いに巻き込まれて——あの子がどうなったかは、知らない。
「——お姉さん?」
ルッツの声で戻った。
「大丈夫ですか? なんか遠い顔してましたけど」
「……ごめん、ちょっと考え事。大丈夫」
「それで、領地の話ですけど——」
「うん。あとでちゃんと話すわ。——名前、聞いていい?」
「ルッツです。ルッツ・ハイデン」
「ルッツ、ありがとう。また来る」
「はあ、どうも」
現場を離れた。グレンが通りの向こうで壁にもたれて待っていた。
「お待たせ」
「……何か分かりましたか」
「給金が安い。安いのに本人が気づいてない。元請けはブルクハルト商会」
「調べるんですか」
グレンの声に驚きはなかった。
商業登録を済ませて帰る。それだけのはずだった。王都の経済がどうなっていようと、私はアーレン領の領主であって、王都の監査官じゃない。そう思ってた。
でも。
あの笑い方だ。安い給金を「修行だから」で飲み込んで、搾取されてることに気づかないまま笑っている。潜在1,700の手を持ってるのに。
前世では、気づいたのに何もできなかった。おかしいと分かってたのに、あの子を連れ出せなかった。数字で示して、正論で説いて、それでも届かなかった。
あの時と同じ選択肢が目の前にある。見て見ぬふりをするか、しないか。
「調べるわ。少しだけ」
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