【完結】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~

Lihito

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第2章:王都謀略編

26話:相場と違和感

王都の薬種通りは朝から人が多い。

グレンと並んで歩きながら、私は三軒目の店を出たところだった。手帳には軟膏の種類と価格がびっしり並んでいる。

(金貨二枚から四枚。どこも大体同じ)

相場は安定している。品質に多少の差はあっても、価格帯はほぼ横並び。

「次、あっちの通りを回るわ」

「はい」

グレンは何も聞かない。ただついてくる。今日みたいな日には、この無口がありがたい。

四軒目は間口の広い店だった。棚に軟膏がずらりと並んでいて、種類だけなら一番多い。手に取ってみると質にばらつきがある。安いものは色が薄くて水っぽい。

(品揃えで勝負して、品質は二の次ね)

なんとなく鑑定した。

【軟膏】
現在価値:300
潜在価値:260

(まあ、こんなものか)

五軒目は品数が少ないが、一つ一つの質がいい。店主が自分で調合しているらしく、聞けば元薬師だという。

【軟膏】
現在価値:340
潜在価値:300

(こっちのほうが腕はいい。値段も相場の上限寄りだけど、数字は素直)

手帳に書き込んで店を出た。

(うちの軟膏なら、この相場帯で十分戦える。ただ——)

引っかかったのは利幅だった。アーレン領の原価から逆算すると、王都の相場で卸しても思った以上に利益が出る。ありがたい話のはずなのに、なんだか居心地が悪い。

(相場自体が高めに寄ってる? いや、今は比較対象が足りない。考えすぎね)

手帳を閉じた。卸値の目安は見えてきた。ここまでは順調。

六軒目に入ったとき、奥の棚に並んだ軟膏が目に留まった。

(……高い)

金貨十枚。相場の倍以上。高級品として別枠で並べてある。

なんとなく鑑定した。

【軟膏】
現在価値:600
潜在価値:320

手が止まった。

(現在600の潜在320。——合わない)

さっきまで見てきた軟膏は、どれも現在と潜在がほぼ揃っていた。この乖離は品質だけでは説明がつかない。

それに、潜在320。この数字に引っかかる。

「すみません、この軟膏について教えていただけますか」

店員が棚から一つ取って説明してくれた。希少な薬草を使っている。浸透が早く、効きが違う。用法は一日二回、薄く伸ばして——。

(この効能。この用法)

「少し手に取っても?」

「どうぞ」

蓋を開けた。薄い緑がかった色。指に乗せると体温でじわりと柔らかくなる質感。少し青い匂い。

全部知っている。

(レムリア草。トビアスが作ってるものと同じだ)

潜在320。アーレン領の軟膏の潜在価値。トビアスの加工技術に依存する数字。偶然で一致する数字じゃない。

「仕入れ先を教えていただけますか」

「申し訳ございません。仕入れ先は商売上の秘密でして」

まあ、それは正論。

「では、一つ買います」

金貨十枚。高い。けれど実物は手元に置いておきたい。

店を出た。グレンがこちらを見ている。

「見つけたものがあるの。後で説明する」

紙袋の中の軟膏。

(もしこれが本当にうちの軟膏なら、誰かが中間で利鞘を抜いてる。しかも現在価値が膨らんでるってことは、単なる転売じゃない)

ただ、今はまだ推測だ。確証もない。実害もない。私の直販はこれから始めるところ。

(気になる。けど、今やるべきことは別)

手帳を開いた。卸値の計算が先。

***

午後は商会回りに使った。

軟膏の卸先を探す。アーレン領の名前を出して、商品の説明をして、取引条件を提示する。やることは単純。結果も単純だった。

一軒目の大手商会は、応接室に通されるまでに三十分待たされた。出てきた番頭は帳簿を開きもせず、サンプルにも手を伸ばさなかった。

「辺境の小領地の軟膏ですか。申し訳ありませんが、うちでは」

「サンプルだけでも見ていただけませんか」

「お気持ちは分かりますが、取引先の選定基準がございまして」

基準の中身は聞かなかった。聞いても答えは変わらない。

二軒目はもう少し小さい商会で、番頭がサンプルを手に取ってはくれた。蓋を開けて、匂いを嗅いで、「品質は悪くないですね」と言った。それだけ。

「ただ、継続的な供給は可能ですか。辺境からの輸送コストを考えると」

「輸送費込みの原価構造はこちらに」

「拝見しますが、正直に申し上げまして、今すぐのお取引は難しいかと」

三軒目は門前払いに近かった。「実績のない商品を棚に並べるリスクは取れない」。一分で終わった。

まあ、そうよね。私だって同じ立場なら同じ判断をする。

(ただ、時間は使ったわね)

通りを一本入った先に、落ち着いた構えの商会があった。大通りには面していない。看板には「ヴァルト商会」。聞いたことはないが、壁も窓もきれいに手入れされている。

(規模より足元をやる人か)

中に入ると、主人が出てきた。四十過ぎの男で、愛想はないが目が鋭い。

鑑定。

【ヴァルト商会主】
現在価値:820
潜在価値:900

(近い)

これだけで十分。

「アーレン領の領主です。軟膏の卸先を探しています」

「アーレン。北の辺境の?」

「ええ。レムリア草を原料にした軟膏で、加工は薬師ギルド出身の職人が担当しています」

「サンプルはありますか」

持ってきていた。商会主がサンプルの蓋を開け、指先で質感を確かめ、匂いを嗅いだ。さっきの番頭と違って、軟膏を手の甲に少量取って、伸ばして浸透の具合まで見ている。

「……悪くない。粒子が細かい。加工の腕がいいな」

「原価構造をお見せします」

帳簿を開いた。原材料費、加工費、輸送費。項目ごとに数字を並べる。

商会主が数字を追っていく。指が止まったのは輸送費の欄だった。

「辺境からにしては、輸送費が抑えてあるな」

「北街道の定期便に相乗りさせてもらう形で」

「なるほど」

顔を上げた。

「卸値はこれで考えています」

数字を指した。商会主がしばらく黙った。

「利幅が薄いな。もう少し乗せてもいいんじゃないか」

「初回は実績を作りたいので。売れたら見直します」

「ふん」

腕を組んだ。

「正直に言う。辺境の無名商品を並べるのは、うちにとってもリスクだ」

「分かっています」

「ただ、品物は悪くない。帳簿もまともだ。——初回は五十個。売れたら追加発注する。それでいいか」

「十分です」

「契約書は明日だ。条件の詳細はそこで詰めよう」

立ち上がって、握手した。硬くて乾いた手。現場を歩いてきた人間の手だった。

商会を出た。

「取引成立、ですか」

グレンが聞いた。

「初回五十個。小さいけど、これが普通よ。実績のない商品にいきなり大口を出すような商人がいたら、そっちのほうが怪しいわ」

手帳に書き込む。卸値、数量、納期の目安。

(五十個。戻ったらトビアスに生産計画を立ててもらわないと。セバスにも報告。ルッツたちの受け入れ準備も)

日が傾いてきた。薬種通りの店が一軒ずつ灯りを点け始めている。

紙袋の軟膏のことが、まだ頭の隅に引っかかっている。現在600。潜在320。あの数字だけが、今日見てきた相場のどこにも収まらない。

けれど今は、やるべきことのほうが多い。

(違和感の正体は、そのうち分かる)

数字は逃げない。帳簿に残った数字は、いつか必ず答えを出す。

今はまず、自分の商品を売ること。
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