【完結】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~

Lihito

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第2章:王都謀略編

38話:紙の上の証明

グレンが入ってきた。

「失礼します」

命令書を差し出した。

「これ、読んで」

グレンが受け取って、目を通した。数秒。表情が変わった。

「……公金輸送。封印金庫。緊急扱い」

声が低くなっていた。命令書を持つ指が白くなっている。

「この前話してくれたのと、同じでしょう」

グレンが顔を上げた。目が据わっていた。

「同じです。——自分がやられたのと、同じ手口です」

命令書を机に戻した。

「封印金庫で受け取らせて、受領署名をさせて、開けたら中身が足りない。署名した側が盗んだことになる。自分の時は、そうなりました」

グレンの声は淡々としていた。だがさっき領地を歩きながら話してくれた時とは違う。あの時は過去を語る声だった。今は目の前の脅威を報告する声だった。

「グレン。あなたの時は、書類はどうだった? 護送記録とか、運送の伝票とか」

「確認する間を与えられませんでした。受け取れ、開けろ、で終わりです」

「署名の前に書類を見せろと言えなかった?」

「言いました。緊急扱いなので手続きを省略すると言われました」

(ああ、なるほど。急がせるのが手口なのね)

「手口が分かってるなら、準備できるわ。必要そうな書類は全部かき集めるわよ」

グレンが頷いた。

「自分も記憶にある範囲で、近衛時代の輸送規定を——」

「お願い。全部出して」

その夜、執務室の灯りは遅くまで消えなかった。

***

数日後。

朝、セバスが報告に来た。

「アイリス様、二組の来客がございます。一組は監査院からの使者。もう一組は公金輸送の一行です。ほぼ同時に到着いたしました」

「同時?」

「はい。監査院の使者は早馬で。公金輸送は馬車で。馬車の方が遅いはずですが、宿駅の具合で追いついたようです」

(タイミングが合いすぎてる。一斉停止と公金輸送を同時に仕掛けたのなら、出発日も近かったはず)

「監査院の使者を先に通して。その後、輸送の方を」

応接間に入った。グレンが後ろについている。

監査院の使者は若い男だった。カイルより年下に見える。緊張した顔で、書状を差し出した。

「カイル殿から至急お届けするよう言われました。主要商会への一斉営業停止命令が出ています。名目は不正取引に関連する緊急調査。カイル殿は——」

「意図的な経済破壊の合図、ね」

使者が目を丸くした。

「以前カイルに伝えてある。一斉停止が出たら不正対策じゃない、って」

書状を受け取った。一斉停止の対象リスト。名目の文面。カイルの私信が添えてあった。「あなたの予測通りの事態です。現在、対応策を検討中。詳細は追って」

(来た。——でも今は、こっちが先)

書状を置いた。

「ありがとう。この件は後で返信する。先に対処しなきゃいけないことがある」

「はい。自分はしばらくこちらに留まるよう指示を受けております」

「助かるわ。……一つお願いしていい?」

「何でしょう」

「この後、公金輸送の立ち会いをしてほしいの。監査院の方がいらっしゃるなら、公式の記録として成立する」

使者が戸惑った顔をした。

「自分はカイル殿の伝令で——」

「監査院の所属であることに変わりはないでしょう?」

使者が口を閉じた。頷いた。

***

公金輸送の一行を通した。

護衛兵が二名。馬車一台。荷台に封印金庫が載っている。そして使者が一名。命令書の写しを持っていた。

「辺境防衛補助金の緊急輸送です。速やかに受領署名をお願いいたします」

「受け取ります。書類を確認させてください」

「緊急扱いですので、手続きは——」

「受領側が送付書類を確認するのは、王国公金輸送規定の第十二条に定められた正当な権利です。ご存じですよね」

使者の口が止まった。

「命令書の写し、護送編成記録、運送ギルドの伝票、宿駅の通過記録。全部出してください」

使者が鞄から書類を出した。手が少し震えていた。出さないという選択肢がないことを、この男は分かっている。

机の上に書類を並べた。命令書の写し。護送記録。ギルド伝票。宿駅記録。

(さて)

まず命令書の金額を確認した。金貨三百枚。それなりの額だ。

護送編成記録を開いた。

「護衛兵二名、馬車一台。——これ、金貨三百枚の輸送編成ですか」

「緊急扱いでしたので、編成が間に合わず——」

「公金輸送規定では、金貨二百枚以上の輸送には護衛兵四名以上、馬車二台以上の編成が必要です。緊急扱いでも編成基準は免除されません。第十五条」

使者が黙った。

次。運送ギルドの伝票を開いた。

「ギルドへの支払い。一般貨物の料率で計算されてますね」

「……は」

「金貨三百枚の重量は約七十五キロ。重量物扱いです。一般貨物の料率が適用されるのは三十キロ以下。ギルドの料率表を引くまでもない話ですけど」

使者の顔から血の気が引き始めていた。

最後。宿駅の通過記録を開いた。

「宿駅での馬の交換。四日間で三回。——金貨三百枚を積んだ馬車で四日走って、馬の交換が三回?」

使者が答えない。

「重量物を積んだ馬車なら、最低でも一日一回は馬を替えます。四日で四回が下限。三回ということは、馬車が想定より軽い。つまり命令書通りの金貨は積まれていない」

書類を揃えて、机の上に並べ直した。

「護送編成が規定の半分。運送料金が軽荷の料率。馬の交換頻度が重量と合わない。三つとも、同じことを示してます」

使者を見た。

「この金庫の中身は、命令書の金額と一致しない。開ける前から分かります」

使者の目が泳いだ。入口を見た。グレンが立っている。出口はない。

「……わ、私は命じられた通りに運んだだけで——」

「ええ、分かってます。あなたの責任じゃない。命じた側の問題」

立ち上がった。

「監査院の方にお立ち会いいただいて、公式に開封します。よろしいですね」

使者は何も言えなかった。

***

応接間に、全員が揃った。

アイリス。グレン。公金輸送の使者。護衛兵二名。そして監査院の使者。

封印金庫が机の上に置かれている。封蝋の状態を全員で確認した。破損なし。輸送中の開封痕なし。

監査院の使者が記録用紙を広げた。手が震えている。こんな仕事をするために来たわけではない。だが立場上、やるしかない。

「開封します」

封蝋を割った。蓋を開けた。金貨が並んでいる。

「数えて」

監査院の使者とセバスが立ち合って、一枚ずつ数えた。

百八十枚。

命令書には三百枚と記載されている。百二十枚足りない。

「記録。命令書記載額:金貨三百枚。実数:金貨百八十枚。差額:百二十枚。封蝋に開封痕なし。受領署名は未実施」

監査院の使者がペンを走らせた。

「護送編成の不整合、運送料金の不整合、宿駅記録の不整合。いずれも開封前に指摘済みであることを記録に加えてください」

「……はい」

「受領側は一切署名していない。封印金庫の開封は公式立ち会いの下で実施。以上の記録に、立会人として署名をお願いします」

監査院の使者が署名した。手が震えたまま、それでも筆跡は読める字だった。

公金輸送の使者に向き直った。

「あなたはこの記録の写しを持って帰ってください。命じた側に、ちゃんと届けて」

使者が頷いた。もう何も言わなかった。

***

輸送の一行が去った。監査院の使者はカイルへの報告書を書くために別室に入った。セバスが片付けを始めた。

執務室に、二人だけが残った。

書類を棚に戻した。命令書の写し。護送記録。ギルド伝票。宿駅記録。開封の公式記録。全部揃っている。

(これで終わり。罠は潰した)

紅茶が冷めていた。セバスが戻る前に淹れてくれたものだ。一口飲んだ。ぬるい。

椅子に座ったまま、息を吐いた。

静かだった。

グレンが窓際に立っている。外を見ている。夕方の光が差し込んでいる。

「……グレン」

「はい」

「あなたのおかげよ。あの話をしてくれてなかったら、準備もできなかった」

グレンが振り向かなかった。窓の外を見ている。

「アイリス様がやったことです」

「書類の読み方は私の仕事。でも手口を知っていたのはあなただけ」

グレンが黙った。

しばらく、夕方の光だけが動いていた。

「……アイリス様」

「何?」

グレンが振り向いた。

目が合った。灰色の瞳。いつもの無表情——ではなかった。何かが違う。表情は動いていない。目の奥だけが、違う。

グレンの唇が動いた。

開きかけて、止まった。言葉が形になる直前で、飲み込まれた。喉が動くのが見えた。

「……いえ」

「何よ、気になるじゃない」

「大したことではありません」

大したことではない。そういう言い方をする人は、大したことがある時にそう言う。

「グレン」

「はい」

追及しようかと思った。でもやめた。今日は長い一日だった。この人も同じだ。それに——追及したら壊れそうな気がした。何が壊れるのかは分からないけど。

「お疲れ様。今日は助かったわ」

グレンの目が動いた。窓の外から、こちらへ。

夕方の光の中で、その目を見た。

怒りじゃない。悲しみでもない。安堵でもない。名前をつけられない何かが、灰色の瞳の奥に灯っていた。今日初めて見る目。いや——前にも一度、見た気がする。領地を歩いた午後。安心して、と言った時。

あの時と、同じ目。

「……護衛ですから」

いつもの返答。

声が違った。低くて、静かで、震えてはいないのに、どこか危うかった。

何を言えばいいか分からなかった。だから言わなかった。冷めた紅茶を飲んだ。ぬるいのに、喉が熱かった。

グレンはそれ以上何も言わなかった。窓際に戻って、外を見ていた。

夕方の光が長くなっていた。二人の影が、執務室の床に伸びている。

(——何なの、この人)

答えは出なかった。出ないまま、日が暮れた。
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