【完結】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~

Lihito

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第2章:王都謀略編

39話:計算が合わない

翌朝から報告書を書いていた。

昨日の経緯を書面にまとめる。公金輸送命令の受領、書類の不整合、公式立ち会いの下での開封、差額百二十枚の記録。事実を順に並べるだけの作業だが、一つ一つの記述に正確さが要る。監査院に提出する書類だ。曖昧な表現は一箇所も許されない。

護送編成記録の不備。ギルド伝票の料率。宿駅の馬交換回数。昨日指摘した三点を、根拠条文と照合しながら記載していく。第十二条、第十五条、料率表の該当項目。手元に広げた輸送規定書は、数日前の夜にグレンと二人で洗ったものだ。近衛時代の記憶を頼りに条文を拾い上げてくれなかったら、昨日の対応はあそこまで正確にはいかなかった。

開封結果。命令書記載額:金貨三百枚。実数:金貨百八十枚。差額:百二十枚。封蝋に開封痕なし。受領署名は未実施。

書き写しながら、昨日の空気が戻ってくる。使者の震える手。封蝋を割った音。金貨を一枚ずつ数える間の静けさ。あの場に書類の準備がなかったらと思うと、背筋が冷たくなった。

(終わった。——とりあえずは)

残りは体裁を整えるだけだ。肩の力が抜けた。昨日からずっと張っていた糸が、ようやく緩んだ気がした。

ペンが紙を走る音だけが続いた。セバスが朝のうちに焼き菓子を置いていってくれたが、まだ手をつけていない。

セバスは別件で領地の南側に出ていた。住民との打ち合わせらしい。戻りは昼過ぎになるとのことだった。

しばらくして、机の横に紅茶が置かれた。

見上げた。グレンだった。

「……あなたが淹れたの?」

「セバス殿が不在でしたので」

窓際の定位置に戻った。それだけだった。

一口飲んだ。温度がちょうどいい。セバスほど気が利いた淹れ方ではないけど、濃すぎず薄すぎず、ちゃんと飲める紅茶だった。

(……いつからお茶の淹れ方なんて覚えたのかしら)

セバスが不在の時は、今まで紅茶なんて出てこなかった。水を自分で汲むか、何も飲まないか。それが普通だった。この人がお茶を淹れるという発想自体が、今までのグレンにはなかったはずだ。

焼き菓子を一つ取った。セバスが朝焼いたやつだ。もう一つ、グレンに差し出した。

グレンが受け取った。食べた。

「……前より、美味しくなってますね」

ペンが止まった。

(今、この人——感想言った?)

以前も同じことがあった。セバスの焼き菓子を渡して、食べて、何も言わなかった。「感想はない。いつも通り」。そういう人だった。それが自分から味の変化に言及してる。

「珍しいわね、感想言うの」

グレンが少し間を置いた。

「……そうですか」

窓の外を見た。いつもの姿勢に戻っている。

「ふうん」

それ以上は追わなかった。報告書に戻った。

***

護送記録の項目を書き終えて、ペンを置いた。

ふと、昨日の一件を振り返っていた。書類の読み方は私の仕事だ。でも手口を知っていたのはグレンだけだった。護送編成の基準、宿駅記録の読み方、封印金庫の運用。あれは護衛の知識じゃない。

以前、この人を鑑定で測ろうとしたことがある。戦闘、統率、知識。全部外れた。その後も石材の知識とか、潜入系の適性とか。外れ。

昨日見せたのは「書類から嘘を見抜く力」だった。これまで試していない切り口。

(もしかして、分析系? 情報処理とか、書類審査とか——)

新しい仮説。久しぶりに気になった。報告書の手を止めて、グレンを見た。

> 【グレン・ファルクス】
> 現在価値:4,999
> 潜在価値:9,999

ペンが滑った。インクの染みが報告書に落ちた。

数字を見ている。見間違いかと思って、もう一度見た。変わらない。

4,999。

前は1,200だった。何度見ても1,200だった。何を試しても変わらなかった。それが——4,999。

(……は?)

四倍。この領地が1,800。護衛騎士一人が、領地の倍以上。

仮説の検証どころじゃない。分析系かどうかなんて、もう頭から消えていた。

報告書の上のインクの染みを拭いた。手が止まっている。止まっているのに、頭だけが回っている。

1,200から4,999。いつ変わった? 以前確認した時は1,200。そこから昨日まで鑑定していない。この間に何があった?

環境は変わった。王都で戦った。領地の運営にも関わるようになった。実績は積んでいる。でも、実績で四倍にはならない。

アーレン領が12から1,800に化けた時は、領地そのものが別物になった。人が増えて、産業が生まれて、帳簿の中身が丸ごと塗り変わった。それと同じ規模の変化がグレンに?

何が変わった?

この人の仕事は変わっていない。護衛のまま。能力が急に伸びたわけでもない。昨日の書類戦で見せた知識だって、近衛時代からあったもので、新しく身についたものじゃない。

(なのに四倍。計算が合わない)

報告書の同じ行を三回読んだ。内容が頭に入ってこない。インク瓶に手が伸びたまま動かない。数字に引っかかると離れられない。帳簿の矛盾を見つけた時と同じだ。分かるまで気が済まない。

「……アイリス様」

顔を上げた。グレンがこちらを見ていた。

「外の空気を吸いませんか」

普段のグレンなら「体を壊します」と言う。忠告で職務の範囲のはず。今のは違った。

「……後にするわ。これ片付けたら」

「……はい」

グレンが引いた。窓際に戻った。

報告書に目を落とした。集中しろ。今は報告書が先だ。

ペンを持ち直した。残りの項目を埋めていく。開封の公式記録。立会人署名。受領側の未署名。一つ一つ、事実だけを紙に落としていった。

4,999は消えなかった。頭の片隅に張り付いたまま、報告書の行間から覗いてくる。以前も棚上げした。その前も。三度目。

***

報告書がほぼまとまった頃、セバスがノックした。

「カイル殿から急報が届いております」

受け取った。封を切った。二通入っていた。

一通目。公金輸送詐欺の調査協力要請。昨日の立ち会い記録が監査院から上位機関に報告された。王族の署名が絡む犯罪のため、被害当事者の証言が不可欠とのこと。正式な王都出頭要請。制度上、断れない。

二通目。カイルの私信。

「王都主要商会に営業停止命令が出ました」

名目は「不正の関連調査」。以前摘発した件を口実にしている。対象リストが添えてあった。商会の名前がずらりと並んでいる。主要どころは軒並み含まれていた。

以前カイルに伝えた。一斉処分命令が出たら、不正対策じゃない。意図的な経済破壊の合図だ、と。

カイルの私信にはこう添えてあった。「あなたの予測通りの事態です。現在、対応策を検討中。詳細は追って」

(——来た)

椅子から立ち上がった。

「グレン」

「はい」

「支度して。王都に行くわ」

グレンが頷いた。迷いはなかった。

書き上がった報告書を封筒に入れた。これも持っていく。

4,999のことが頭をよぎった。今じゃない。王都が先だ。

(……いつか絶対突き止めるから)
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