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6 皇子と騎士(ケヴィン視点)
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豪奢な私室のソファに腰かけたディーが、クスリと思い出し笑いしているのを発見した私は、対面に座って問うような眼差しを彼に向けた。私の視線に気づいたディーが言う。
「面白い女だったな」
「ハンナ嬢のことかね?」
「当然だ。知っているだろ?」
ディーは女性に興味がない。妙な意味ではなく、異性に対して行動的になるには、ディーは子どもすぎるし、箱入りすぎるんだ。そのディーが、今はじめて女性に好印象をいだいている。
「今朝までおまえはずっと不機嫌だったじゃないか」
わずか数時間前のディーを思い出して、私は苦笑した。
「俺には想像力が足りなかった━━」
ディーは素直に言った。私の前で、彼はいつも素直だ。
「━━自分のことしか考えていなかった。『首席入学者』という栄光を他人にかっさらわれた、マヌケな自分に腹がたっていたのだ。だが栄光をかすめとった張本人は、あの通りのチビ助で、しかも女だ。正直、毒気をぬかれたぞ。それでもなお俺のプライドは傷つけられていたが、あいつは━━ハンナは俺の存在など、意識すらしていなかった。ここまでくると笑えるほどだ。逆に痛快だとは思わないか?」
「たしかにな」
妙齢の貴族女性で、おなじ年頃の皇族を歯牙にもかけない存在は稀有といっていい。白銀の髪、アメジストの瞳。顔は知らなくても、ディーの特徴くらいは把握していて当然だ。だがハンナ嬢は…。
「どなたさまかは存じませんが━━━だと。クハハハッ、とぼけた女もいたものだ」
心の底から楽しそうなディーの姿を見ていると、私の心の奥底で、のたうつものの存在を意識せざるをえない。
忘れろ、忘れるんだ━━。
私はいつも自分に言い聞かせる。白い肌。緑のいばら。恥入るような表情。遠き日の思い出が、いつの日か友情へと融けるように。私は祈りをこめて目をつむる。
「それで?貴様の方はどうなんだ」
ふいにディーに訊かれて、私は戸惑う。
「どう、とは━━」
「とぼけるなよ、俺が立ち去ったあと、ハンナと話したのだろう?騎士の誓いをたててより、ずっと女を遠ざけてきたケヴィン・バルツァー見習い騎士どのが、うら若い乙女とどのような会話を交わしたのか━━興味が尽きないものだ」
「馬鹿な!私はそんな━━」
「おいおい、ムキになることはないだろう。俺と貴様の仲じゃないか。言ってみろよ、俺にだけ…」
ささやきかけるディーの魅力的な声が、私には悪魔のそれに聞こえた。私とディーは親友だ。皇宮でそれを知らないものはないほど━━そのエピソードが逸話となって残るほどに、私たちは深い友情で結ばれている。だから。
「なにも、ありはしないさ。ただ、彼女は聡明な女性だと、そう思っただけだ」
「ほう、あの堅物なケヴィンが女性に好感をもつことなど、そうありはしないな」
「かりにそうだとして━━おまえはどう思うんだ、ディー」
「…ふん、まあ、そうさな。貴様を応援してやりたい気持ちは山々だが、あれは俺の感興をえるにふさわしい女だ。未来はまだわからんぞ」
「おまえには婚約者がいるじゃないか」
ディーの婚約者━━エリーゼ・フォン・アードルング。帝国三大美女と呼ばれた美しい女性。第3皇子と添い遂げることを運命づけられた、輝かしいひと。
だがディーは憮然となった。
「せっかく興がのってきたというのに、あんなつまらない女の話はするな」
「…以前から聞きたかったんだが、おまえはエリーゼ嬢のなにが気に食わないんだ?」
あれほど完璧な令嬢は他にいない。あれ以上を望むなど、ぜいたくが過ぎるというものだった。だがディーは心底、エリーゼ嬢をうとましく感じているようなのだ。
「俺には色恋というものがよくわからない」
ディーがつぶやいた。私は思わず頭をガリガリかきむしる。
「おい、これまでさんざん色恋の話題に花を咲かせておいて、それはないんじゃないか」
「わからんのだ。女から言い寄られることなど、飽き飽きするほど経験したが、どうもいまひとつピンとこない。女はどれも同じに見えるんだから、仕方がないだろう」
それで唯一、毛色が違ったのはハンナ嬢だけだったというわけか。ハンナ嬢は元平民と聞いている。まさしく毛色が違うのだろう。面白い女、という表現は、ディーにとっては当然の感想だったに違いない。
「だがな、凡百の貴族令嬢などより、エリーゼはもっと始末が悪い」
「どういう意味だ?」
「女としての野心、欲望、乙女の憧れ、恋心━━どれかひとつでもいい、そういう当たり前のものがエリーゼにあると思うか?」
「ある、んじゃないのか?」
「ないさ。あの女にはなにもない。ないならそれでいいのだ。あのハンナのように、そもそも俺に興味をもたなければいい。だがエリーゼは━━」
私はいつかの光景を思い出す。ディーは婚約者から贈られた刺繍入りのスカーフを、くずかごに投げ入れたことがあった。以来、アードルング家から毎週のように届く手紙も、心のこもった贈り物も、すべて捨てるように執事に命じた。そしてディーは吐き捨てた。嫌悪に満ちた表情で━━気持ち悪いと。
「…そんなことより、ケヴィン。明日の昼食は空けておけ。ハンナのところに行く」
唐突に話題を変えられて、私は戸惑いを飲み込んだ。ディーは猫のように気まぐれで、いま、その興味の対象はハンナ嬢に向かっているようだった。私はため息をついて手帳を開き、下級騎士との会食の予定に二重線を引いた。
「面白い女だったな」
「ハンナ嬢のことかね?」
「当然だ。知っているだろ?」
ディーは女性に興味がない。妙な意味ではなく、異性に対して行動的になるには、ディーは子どもすぎるし、箱入りすぎるんだ。そのディーが、今はじめて女性に好印象をいだいている。
「今朝までおまえはずっと不機嫌だったじゃないか」
わずか数時間前のディーを思い出して、私は苦笑した。
「俺には想像力が足りなかった━━」
ディーは素直に言った。私の前で、彼はいつも素直だ。
「━━自分のことしか考えていなかった。『首席入学者』という栄光を他人にかっさらわれた、マヌケな自分に腹がたっていたのだ。だが栄光をかすめとった張本人は、あの通りのチビ助で、しかも女だ。正直、毒気をぬかれたぞ。それでもなお俺のプライドは傷つけられていたが、あいつは━━ハンナは俺の存在など、意識すらしていなかった。ここまでくると笑えるほどだ。逆に痛快だとは思わないか?」
「たしかにな」
妙齢の貴族女性で、おなじ年頃の皇族を歯牙にもかけない存在は稀有といっていい。白銀の髪、アメジストの瞳。顔は知らなくても、ディーの特徴くらいは把握していて当然だ。だがハンナ嬢は…。
「どなたさまかは存じませんが━━━だと。クハハハッ、とぼけた女もいたものだ」
心の底から楽しそうなディーの姿を見ていると、私の心の奥底で、のたうつものの存在を意識せざるをえない。
忘れろ、忘れるんだ━━。
私はいつも自分に言い聞かせる。白い肌。緑のいばら。恥入るような表情。遠き日の思い出が、いつの日か友情へと融けるように。私は祈りをこめて目をつむる。
「それで?貴様の方はどうなんだ」
ふいにディーに訊かれて、私は戸惑う。
「どう、とは━━」
「とぼけるなよ、俺が立ち去ったあと、ハンナと話したのだろう?騎士の誓いをたててより、ずっと女を遠ざけてきたケヴィン・バルツァー見習い騎士どのが、うら若い乙女とどのような会話を交わしたのか━━興味が尽きないものだ」
「馬鹿な!私はそんな━━」
「おいおい、ムキになることはないだろう。俺と貴様の仲じゃないか。言ってみろよ、俺にだけ…」
ささやきかけるディーの魅力的な声が、私には悪魔のそれに聞こえた。私とディーは親友だ。皇宮でそれを知らないものはないほど━━そのエピソードが逸話となって残るほどに、私たちは深い友情で結ばれている。だから。
「なにも、ありはしないさ。ただ、彼女は聡明な女性だと、そう思っただけだ」
「ほう、あの堅物なケヴィンが女性に好感をもつことなど、そうありはしないな」
「かりにそうだとして━━おまえはどう思うんだ、ディー」
「…ふん、まあ、そうさな。貴様を応援してやりたい気持ちは山々だが、あれは俺の感興をえるにふさわしい女だ。未来はまだわからんぞ」
「おまえには婚約者がいるじゃないか」
ディーの婚約者━━エリーゼ・フォン・アードルング。帝国三大美女と呼ばれた美しい女性。第3皇子と添い遂げることを運命づけられた、輝かしいひと。
だがディーは憮然となった。
「せっかく興がのってきたというのに、あんなつまらない女の話はするな」
「…以前から聞きたかったんだが、おまえはエリーゼ嬢のなにが気に食わないんだ?」
あれほど完璧な令嬢は他にいない。あれ以上を望むなど、ぜいたくが過ぎるというものだった。だがディーは心底、エリーゼ嬢をうとましく感じているようなのだ。
「俺には色恋というものがよくわからない」
ディーがつぶやいた。私は思わず頭をガリガリかきむしる。
「おい、これまでさんざん色恋の話題に花を咲かせておいて、それはないんじゃないか」
「わからんのだ。女から言い寄られることなど、飽き飽きするほど経験したが、どうもいまひとつピンとこない。女はどれも同じに見えるんだから、仕方がないだろう」
それで唯一、毛色が違ったのはハンナ嬢だけだったというわけか。ハンナ嬢は元平民と聞いている。まさしく毛色が違うのだろう。面白い女、という表現は、ディーにとっては当然の感想だったに違いない。
「だがな、凡百の貴族令嬢などより、エリーゼはもっと始末が悪い」
「どういう意味だ?」
「女としての野心、欲望、乙女の憧れ、恋心━━どれかひとつでもいい、そういう当たり前のものがエリーゼにあると思うか?」
「ある、んじゃないのか?」
「ないさ。あの女にはなにもない。ないならそれでいいのだ。あのハンナのように、そもそも俺に興味をもたなければいい。だがエリーゼは━━」
私はいつかの光景を思い出す。ディーは婚約者から贈られた刺繍入りのスカーフを、くずかごに投げ入れたことがあった。以来、アードルング家から毎週のように届く手紙も、心のこもった贈り物も、すべて捨てるように執事に命じた。そしてディーは吐き捨てた。嫌悪に満ちた表情で━━気持ち悪いと。
「…そんなことより、ケヴィン。明日の昼食は空けておけ。ハンナのところに行く」
唐突に話題を変えられて、私は戸惑いを飲み込んだ。ディーは猫のように気まぐれで、いま、その興味の対象はハンナ嬢に向かっているようだった。私はため息をついて手帳を開き、下級騎士との会食の予定に二重線を引いた。
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