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7 背徳の騎士
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目の前にあるサンドイッチを見つめて、アタシはため息をついた。ただでさえ少ない食欲が、ついさっき消し飛んじまったんだよ。
「ハンナ、貴様それしか食べないのか。道理で小さいわけだな。クハハハッ」
原因はこの小僧さ。第3皇子ディートハルト。なんの因果かこの小僧は、食堂でサンドイッチをかじっているアタシにつきまとってきた。これじゃ目立ってしかたないよ。やれやれ、こんな婆さんを相手にして、何が楽しいのかねえ。嫌味のひとつも言ってやりたくなる。
「まあ、殿下はまるで親類のおじ様のようですね。十代の子どもと見ればものを食べさせたがるたぐいの」
「馬鹿な、貴様俺をオヤジ臭いと言うのかっ」
「それ以外に聞こえたなら、耳掃除をおすすめします」
こうして会話を交わすのは2度目で、合計しても5分ほどなんだが、アタシゃだんだん、ディートハルトの性格がつかめてきたよ。良くも悪くも、ぜんぶ顔に出るからね、こいつは。正直者でしかもお調子者だ。皇子らしく威張った口調だが、中身はよくいるそこらのガキさ。
「耳掃除なら、貴様がやってくれればよい。苦しゅうない、近うよれ」
「こんどはエロ代官の真似ですか。とても15歳とは信じられませんね」
「なっ、耳掃除はべつにエロくないであろう!」
困ったように隣のケヴィンを見つめるディートハルト。きのうケヴィンが言ったとおりさ、ディートハルトは悪いやつじゃない。これだけ無礼なことを言われて、アタシに腹をたてる様子がない。親の権力をふりかざして、威張ることもしない。
だけどそれはディートハルトのほうでも不思議だったらしい。率直に訊ねてきた。
「…しかしハンナよ。貴様は伯爵家の令嬢であろう。この国の皇子に対して、どうしてこうも歯に衣きせぬ物言いができる?」
アタシもどうやら、ディートハルトに乗せられたみたいだね。正直に答えたくなった。
「殿下には私を害することができませんから」
「ほう、それは俺の性格を言っているのか?」
「いいえ、貴方の権力がおよぶ範囲の話です」
ディートハルトとケヴィンは、そろってポカンとした。どうやらアタシの正体をわかっているわけじゃなさそうだ。『学園』でアタシの裏の姿を知るものは、アルフォンスの小僧とエルマーだけだろう。ケヴィンが戸惑いながらアタシに忠告する。
「ハンナ嬢、貴女はもしかしたら知らないのかもしれないが、門閥貴族の令嬢と皇帝陛下の子息では、もてる権力がまるで違うんだ」
「そうかもしれませんね」
アタシは微笑んでみせる。それを見たディートハルトは哄笑とともに手を叩いて喜び、ケヴィンはため息をつく。アタシのことを天然娘だとでも思ってるんだろ。周囲の学生たちがざわついた。
「殿下が楽しげにしてらっしゃるわ」
「あのご令嬢はなにものだ?」
「これは、ひょっとしたらひょっとするぞ!」
ひょっとしないよ。この馬鹿皇子に恋心なんて繊細な感情があるわけないだろ。どこからどう見ても、ただのクソガキだろうが。いまもデカい口を開けてステーキにかぶりついている。「学園ではマナーを気にしなくていいのが素晴らしいな」だとよ。そりゃ皇宮に比べりゃね。
「ディー…殿下、口元にソースがついていますよ」
かいがいしくディートハルトの口をぬぐうケヴィンだった。こいつら仲がよすぎるだろう。先日、忠告したんだかねえ。近衛騎士団長を継ぐものが第3皇子と仲良くするのは、よけいな疑念をまねくってね。
「おふたりは、ずいぶん仲がよろしいのですね?」
アタシが訊くと、ディートハルトが満面の笑みを浮べる。
「ああ、ケヴィンと俺は互いの命を捧げあった仲なのだ。有名な話だが、貴様は本当になにも知らんな」
「命を…」
「そうだ、ケヴィンは俺にとって、唯一最高の友人なのだ」
そりゃまた、ガキにしちゃエラく大げさな誓いをたてたもんだ。こりゃ茶化したら可哀想かね。だけどケヴィンのほうは、ずいぶん複雑な表情をしてるよ。おやおや、これは、ふうん。
前世でアタシが見たことのある表情だ。アタシが街娼の元締めをやっていたとき見た━━寝た客に恋愛感情をもってしまって、押し殺そうとしている娼婦の顔さ。汚い娼婦の分際で、良いとこの坊ちゃんと結ばれるはずがないって諦めようとしてたときの顔だよ。
食べ終わってようやく立ち去っていったディートハルトを、そのままの表情で見送ったケヴィンは、アタシに語りかけてくる。
「きのう貴女が言ったことだが━━」
寂しげな表情のまま、ケヴィンは言う。
「━━私が殿下と仲良くするのは、もうなんの問題もない。私は家を継がないと公言しているのだから」
「初耳です」
「身内だけが知っていることだよ。弟が家督を継ぎ、私はディートハルト殿下の護衛騎士になる。3年前、そう誓ったんだ」
騎士の誓い━━仕えるべき主君を選ぶ儀式さ。近衛騎士だろうと、そこは変わらないらしい。騎士には命をかける相手を選ぶ権利がある。
「それはまた、険しい道を選ばれましたね」
「どういう意味だ?」
驚くケヴィンの目の前で、アタシはティースプーンでカップを鳴らす。
「それはあなた自身がよくわかっていることじゃありませんか」
「貴女はいったい━━」
言いかけて、ふいにケヴィンは顔を赤くした。それから声を震わせて訊いてくる。
「私は、そんなにわかりやすい…だろうか」
「私には人の心が読めるんですよ。だから大丈夫、私が口をつぐんでいれば、誰にも知られずに済みます」
「そうか、では、頼む」
美形が顔を赤らめているってのは、なかなかオツなものさ。だけどおせっかいな婆さんとしちゃ、ケヴィンの行く末を案じないではいられないねえ。
もしケヴィンに女性を愛せる可能性が残っているのなら、『学園』で良縁に恵まれてほしいもんさ。それなら表向きは、女に縁遠い堅物騎士の恋物語ってシナリオで落ち着くんじゃないか。
この世界はまだ同性愛に理解がないからねえ。よっぽどの権力がなきゃ、周りの雑音を消すことは出来ないだろ。残念だけど、相思相愛でもないかぎり、アタシがケヴィンの背中を押してやることはできないね。
「ハンナ、貴様それしか食べないのか。道理で小さいわけだな。クハハハッ」
原因はこの小僧さ。第3皇子ディートハルト。なんの因果かこの小僧は、食堂でサンドイッチをかじっているアタシにつきまとってきた。これじゃ目立ってしかたないよ。やれやれ、こんな婆さんを相手にして、何が楽しいのかねえ。嫌味のひとつも言ってやりたくなる。
「まあ、殿下はまるで親類のおじ様のようですね。十代の子どもと見ればものを食べさせたがるたぐいの」
「馬鹿な、貴様俺をオヤジ臭いと言うのかっ」
「それ以外に聞こえたなら、耳掃除をおすすめします」
こうして会話を交わすのは2度目で、合計しても5分ほどなんだが、アタシゃだんだん、ディートハルトの性格がつかめてきたよ。良くも悪くも、ぜんぶ顔に出るからね、こいつは。正直者でしかもお調子者だ。皇子らしく威張った口調だが、中身はよくいるそこらのガキさ。
「耳掃除なら、貴様がやってくれればよい。苦しゅうない、近うよれ」
「こんどはエロ代官の真似ですか。とても15歳とは信じられませんね」
「なっ、耳掃除はべつにエロくないであろう!」
困ったように隣のケヴィンを見つめるディートハルト。きのうケヴィンが言ったとおりさ、ディートハルトは悪いやつじゃない。これだけ無礼なことを言われて、アタシに腹をたてる様子がない。親の権力をふりかざして、威張ることもしない。
だけどそれはディートハルトのほうでも不思議だったらしい。率直に訊ねてきた。
「…しかしハンナよ。貴様は伯爵家の令嬢であろう。この国の皇子に対して、どうしてこうも歯に衣きせぬ物言いができる?」
アタシもどうやら、ディートハルトに乗せられたみたいだね。正直に答えたくなった。
「殿下には私を害することができませんから」
「ほう、それは俺の性格を言っているのか?」
「いいえ、貴方の権力がおよぶ範囲の話です」
ディートハルトとケヴィンは、そろってポカンとした。どうやらアタシの正体をわかっているわけじゃなさそうだ。『学園』でアタシの裏の姿を知るものは、アルフォンスの小僧とエルマーだけだろう。ケヴィンが戸惑いながらアタシに忠告する。
「ハンナ嬢、貴女はもしかしたら知らないのかもしれないが、門閥貴族の令嬢と皇帝陛下の子息では、もてる権力がまるで違うんだ」
「そうかもしれませんね」
アタシは微笑んでみせる。それを見たディートハルトは哄笑とともに手を叩いて喜び、ケヴィンはため息をつく。アタシのことを天然娘だとでも思ってるんだろ。周囲の学生たちがざわついた。
「殿下が楽しげにしてらっしゃるわ」
「あのご令嬢はなにものだ?」
「これは、ひょっとしたらひょっとするぞ!」
ひょっとしないよ。この馬鹿皇子に恋心なんて繊細な感情があるわけないだろ。どこからどう見ても、ただのクソガキだろうが。いまもデカい口を開けてステーキにかぶりついている。「学園ではマナーを気にしなくていいのが素晴らしいな」だとよ。そりゃ皇宮に比べりゃね。
「ディー…殿下、口元にソースがついていますよ」
かいがいしくディートハルトの口をぬぐうケヴィンだった。こいつら仲がよすぎるだろう。先日、忠告したんだかねえ。近衛騎士団長を継ぐものが第3皇子と仲良くするのは、よけいな疑念をまねくってね。
「おふたりは、ずいぶん仲がよろしいのですね?」
アタシが訊くと、ディートハルトが満面の笑みを浮べる。
「ああ、ケヴィンと俺は互いの命を捧げあった仲なのだ。有名な話だが、貴様は本当になにも知らんな」
「命を…」
「そうだ、ケヴィンは俺にとって、唯一最高の友人なのだ」
そりゃまた、ガキにしちゃエラく大げさな誓いをたてたもんだ。こりゃ茶化したら可哀想かね。だけどケヴィンのほうは、ずいぶん複雑な表情をしてるよ。おやおや、これは、ふうん。
前世でアタシが見たことのある表情だ。アタシが街娼の元締めをやっていたとき見た━━寝た客に恋愛感情をもってしまって、押し殺そうとしている娼婦の顔さ。汚い娼婦の分際で、良いとこの坊ちゃんと結ばれるはずがないって諦めようとしてたときの顔だよ。
食べ終わってようやく立ち去っていったディートハルトを、そのままの表情で見送ったケヴィンは、アタシに語りかけてくる。
「きのう貴女が言ったことだが━━」
寂しげな表情のまま、ケヴィンは言う。
「━━私が殿下と仲良くするのは、もうなんの問題もない。私は家を継がないと公言しているのだから」
「初耳です」
「身内だけが知っていることだよ。弟が家督を継ぎ、私はディートハルト殿下の護衛騎士になる。3年前、そう誓ったんだ」
騎士の誓い━━仕えるべき主君を選ぶ儀式さ。近衛騎士だろうと、そこは変わらないらしい。騎士には命をかける相手を選ぶ権利がある。
「それはまた、険しい道を選ばれましたね」
「どういう意味だ?」
驚くケヴィンの目の前で、アタシはティースプーンでカップを鳴らす。
「それはあなた自身がよくわかっていることじゃありませんか」
「貴女はいったい━━」
言いかけて、ふいにケヴィンは顔を赤くした。それから声を震わせて訊いてくる。
「私は、そんなにわかりやすい…だろうか」
「私には人の心が読めるんですよ。だから大丈夫、私が口をつぐんでいれば、誰にも知られずに済みます」
「そうか、では、頼む」
美形が顔を赤らめているってのは、なかなかオツなものさ。だけどおせっかいな婆さんとしちゃ、ケヴィンの行く末を案じないではいられないねえ。
もしケヴィンに女性を愛せる可能性が残っているのなら、『学園』で良縁に恵まれてほしいもんさ。それなら表向きは、女に縁遠い堅物騎士の恋物語ってシナリオで落ち着くんじゃないか。
この世界はまだ同性愛に理解がないからねえ。よっぽどの権力がなきゃ、周りの雑音を消すことは出来ないだろ。残念だけど、相思相愛でもないかぎり、アタシがケヴィンの背中を押してやることはできないね。
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