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8 悪役令嬢
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『学園』だなんて大げさなことをいったって、貴族のボンボンやらお嬢さんばっかりが通うわけだからね。ここはずいぶん緩いんだよ。登校時間は午前10時で午後4時には下校時間なんだからね。休憩時間を抜いたら、正味4時間ばかりしか授業してないよ。
もちろん、門閥貴族に必要な教育は、それぞれ家庭教師に教わったりもするんだろうけどさ。だから『学園』の生徒は、よけい学問に身が入らないのさ。学問と関係ないことばっかり考えてる。
ようするに、色恋や社交さね。
それが悪いってんじゃないんだよ。むしろ貴族としては本来のあり方という気さえする。ここでつちかった同世代のつながりが、そのまま大人になったときの貴族社会での人脈になる。それを考えたら━━アタシの兄のコンラートなんかは、だいぶ社交をサボってたんじゃないかね。当代のグレッツナー家は貴族社会とのつながりが薄すぎる。
だからといって、アタシが兄の代わりに社交に精を出すなんてこたぁない。帝国を裏面から支配する組織『鎌倉』のあるかぎり、グレッツナー家は安泰なんだから。むしろ『鎌倉』は、兄コンラートを守るための組織といっていい。
だからアタシとしては、せいぜい波風がたたないように、静かに3年間をやり過ごそうとしていたわけなんだが。
「このっ泥棒猫ッ!」
アタシの頬をビンタしながら叫んだ小娘は、侯爵家の令嬢だった。校舎裏に呼び出されたと思ったらコレだよ。ほかにも公侯爵って大貴族の娘が3人ばかり、アタシを取り囲んでいる。アタシは影の中にいる護衛を抑え込むのに必死になったねえ。
影の中からアタシにしか聞こえない声がする。
「御前さま、ご許可を願います。この小娘どもをぶち殺してやる!」
「フリッツ、子どもの喧嘩にしゃしゃり出てくるんじゃないよ。やり返すのなら、アタシが自分でやる。そんなことより、あんたは誰もここに近づかないように見張ってな。白馬に乗った王子様になんか、登場してほしくないからね」
だいたい、こんな小娘のビンタがなんだっていうんだい。蚊にさされたようなモンだ。
「なにをひとりでブツブツ言ってるのよ、気持ちが悪い」
先頭に立っている背の高い娘が吐き捨てた。なるほどビンタしてくるだけあって、それなりに体格がすぐれているかもね。だけどあとはだめだ。太り過ぎやら痩せぎすやら、この状況にビクビクしてるやつもいる。アタシひとりでも1分あれば制圧できるだろ。
だけど一応、警告しておく。
「あなた方は野蛮人のように暴力での解決をお望みですか?それとも、文明人らしく話し合いをしますか?」
すると小娘たちは黙り込んだ。呆気にとられているって感じさ。ビンタひとつで優勢に持ち込めると思ってたんだろうが、あいにくとアタシゃ暴力沙汰には慣れきっている。この程度でビビらせようってのは大間違いさね。
「…泥棒猫、とおっしゃいましたね。なんのことですか?」
「あ、あなたが、ディートハルト殿下やケヴィンさまを誘惑している件です」
ノッポの令嬢が言うと、ほかの3人も追随する。
「それにエルマー先輩と話しているところを見たわ」
「あげくにクライドくんを保健室に連れ込んだのよっ」
「まあ、なんていやらしい」
援護をえたノッポが余裕を取り戻して、アタシを見下しせせら笑う。
「この女は娼婦の娘よ。男性を誘惑するのなんてお手の物でしょう」
すると周りの娘たちも、調子を合わせてクスクス笑う。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「…たしかに私の母は娼婦でしたが、少なくとも生きていましたよ。あなた方のような死人にはさぞうらやましいことでしょうね」
「死人ですって…!」
今度はアタシがせせら笑う番だった。
「そう、自分ではビタ一文稼いだことがなく、親に飼われて生かされている籠の鳥。死人も同然の愛玩動物…。そのことに気づきもしない愚か者」
ノッポの顔が真っ赤になった。ほとんど衝動的な感じで、手を振りあげる。だけどビンタをくらわせようとしたその手を、アタシは距離を詰めてつかむ。
「また暴力ですか。やはりあなた方は、動物に近い生き物なんですね」
人を愚弄する言葉は、アタシの中から淀みなく紡ぎ出される。人間だって動物さ。この娘の行動は、とても人間らしい。だけど、たいていの人間は動物よばわりされると不快に感じるモンだ。
「離しなさいよっ、伯爵家の庶子の分際で、侯爵令嬢の私に逆らうだなんて、許されないわ!」
「許されなかったら、どうだって言うんです?」
「お父様に言いつけて、ええと、グレッツナー家を困らせてやるんだからっ」
「では、そうなさってください。やれるものなら」
グレッツナー家に対する宣戦布告は、すなわち貴族としての死を意味する。影の中からアタシにしか聞こえない声でフリッツがつぶやく。
「神罰を恐れぬ獣には、痛みをもって教訓を与えるよりほかありません。獣たちが死の淵にたったそのとき、かれらは初めて神の存在を知ることになるでしょう」
「神ってのはアタシのことかい」
「ほかの何者がその尊称にふさわしいといえましょうや」
フリッツがいい感じに狂いはじめてる。被差別対象の獣人は、『鎌倉』に重用されて、ようやく人間らしい生活を得るにいたった経緯がある。だから獣人族のあいだでは、アタシを神と仰ぐオリジナル宗教が生まれつつあるのさ。こりゃたまんないね。とんでもない邪教だよ。
「またブツブツと…。あなた、狂っているわ!」
そのひとことを合図に、小娘たちはそそくさと退散した。ああ、ノッポをひっぱたくのを忘れていたよ。こりゃビンタひとつぶん、貸しだね。
あいつらの動機は、たぶん恋愛感情だろう。アタシが美形の男と仲良くやってる(ように見えた)ことを非難がましく言ってたからね。まったく、人間ってのは恋愛が絡むととたんに馬鹿になる。アタシにはちっともわかんない感情さ。
アタシは前世でも今生でも、恋愛ってやつを経験したことがない。戦争で死んだ夫は立派な人だったし、尊敬もしていたけど、見合いで結ばれただけで恋愛感情はなかった。べつにそれで問題ないはずなんだけど、どうしてだか人間の脳には理性を狂わせる恋愛装置がそなわってる。いつ爆発するかもわからない、時限爆弾ってわけだ。ぞっとしない話さ。
さて、騒動も一段落したことだし、そろそろ問題の根本にケリをつけようかねえ。アタシは、校舎の物陰に向かって話しかけた。
「…そろそろ大将が出てきたらどうですか。ご自分の手を汚さないやり口は見事でしたが、あなたの手下では私の相手は役者不足です」
もめ事の最中、小娘たちがチラチラ物陰を気にしてたから、間違いなくそこには誰かいるはずさ。この騒動を裏で操っている存在が。なんだかアタシと気が合いそうだね。
自分から出てこないようなら、フリッツにひっばり出させようかと思ってたんだが、その女は案外素直に姿をあらわした。
ディートハルトの婚約者、エリーゼ・フォン・アードルングさ。
もちろん、門閥貴族に必要な教育は、それぞれ家庭教師に教わったりもするんだろうけどさ。だから『学園』の生徒は、よけい学問に身が入らないのさ。学問と関係ないことばっかり考えてる。
ようするに、色恋や社交さね。
それが悪いってんじゃないんだよ。むしろ貴族としては本来のあり方という気さえする。ここでつちかった同世代のつながりが、そのまま大人になったときの貴族社会での人脈になる。それを考えたら━━アタシの兄のコンラートなんかは、だいぶ社交をサボってたんじゃないかね。当代のグレッツナー家は貴族社会とのつながりが薄すぎる。
だからといって、アタシが兄の代わりに社交に精を出すなんてこたぁない。帝国を裏面から支配する組織『鎌倉』のあるかぎり、グレッツナー家は安泰なんだから。むしろ『鎌倉』は、兄コンラートを守るための組織といっていい。
だからアタシとしては、せいぜい波風がたたないように、静かに3年間をやり過ごそうとしていたわけなんだが。
「このっ泥棒猫ッ!」
アタシの頬をビンタしながら叫んだ小娘は、侯爵家の令嬢だった。校舎裏に呼び出されたと思ったらコレだよ。ほかにも公侯爵って大貴族の娘が3人ばかり、アタシを取り囲んでいる。アタシは影の中にいる護衛を抑え込むのに必死になったねえ。
影の中からアタシにしか聞こえない声がする。
「御前さま、ご許可を願います。この小娘どもをぶち殺してやる!」
「フリッツ、子どもの喧嘩にしゃしゃり出てくるんじゃないよ。やり返すのなら、アタシが自分でやる。そんなことより、あんたは誰もここに近づかないように見張ってな。白馬に乗った王子様になんか、登場してほしくないからね」
だいたい、こんな小娘のビンタがなんだっていうんだい。蚊にさされたようなモンだ。
「なにをひとりでブツブツ言ってるのよ、気持ちが悪い」
先頭に立っている背の高い娘が吐き捨てた。なるほどビンタしてくるだけあって、それなりに体格がすぐれているかもね。だけどあとはだめだ。太り過ぎやら痩せぎすやら、この状況にビクビクしてるやつもいる。アタシひとりでも1分あれば制圧できるだろ。
だけど一応、警告しておく。
「あなた方は野蛮人のように暴力での解決をお望みですか?それとも、文明人らしく話し合いをしますか?」
すると小娘たちは黙り込んだ。呆気にとられているって感じさ。ビンタひとつで優勢に持ち込めると思ってたんだろうが、あいにくとアタシゃ暴力沙汰には慣れきっている。この程度でビビらせようってのは大間違いさね。
「…泥棒猫、とおっしゃいましたね。なんのことですか?」
「あ、あなたが、ディートハルト殿下やケヴィンさまを誘惑している件です」
ノッポの令嬢が言うと、ほかの3人も追随する。
「それにエルマー先輩と話しているところを見たわ」
「あげくにクライドくんを保健室に連れ込んだのよっ」
「まあ、なんていやらしい」
援護をえたノッポが余裕を取り戻して、アタシを見下しせせら笑う。
「この女は娼婦の娘よ。男性を誘惑するのなんてお手の物でしょう」
すると周りの娘たちも、調子を合わせてクスクス笑う。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「…たしかに私の母は娼婦でしたが、少なくとも生きていましたよ。あなた方のような死人にはさぞうらやましいことでしょうね」
「死人ですって…!」
今度はアタシがせせら笑う番だった。
「そう、自分ではビタ一文稼いだことがなく、親に飼われて生かされている籠の鳥。死人も同然の愛玩動物…。そのことに気づきもしない愚か者」
ノッポの顔が真っ赤になった。ほとんど衝動的な感じで、手を振りあげる。だけどビンタをくらわせようとしたその手を、アタシは距離を詰めてつかむ。
「また暴力ですか。やはりあなた方は、動物に近い生き物なんですね」
人を愚弄する言葉は、アタシの中から淀みなく紡ぎ出される。人間だって動物さ。この娘の行動は、とても人間らしい。だけど、たいていの人間は動物よばわりされると不快に感じるモンだ。
「離しなさいよっ、伯爵家の庶子の分際で、侯爵令嬢の私に逆らうだなんて、許されないわ!」
「許されなかったら、どうだって言うんです?」
「お父様に言いつけて、ええと、グレッツナー家を困らせてやるんだからっ」
「では、そうなさってください。やれるものなら」
グレッツナー家に対する宣戦布告は、すなわち貴族としての死を意味する。影の中からアタシにしか聞こえない声でフリッツがつぶやく。
「神罰を恐れぬ獣には、痛みをもって教訓を与えるよりほかありません。獣たちが死の淵にたったそのとき、かれらは初めて神の存在を知ることになるでしょう」
「神ってのはアタシのことかい」
「ほかの何者がその尊称にふさわしいといえましょうや」
フリッツがいい感じに狂いはじめてる。被差別対象の獣人は、『鎌倉』に重用されて、ようやく人間らしい生活を得るにいたった経緯がある。だから獣人族のあいだでは、アタシを神と仰ぐオリジナル宗教が生まれつつあるのさ。こりゃたまんないね。とんでもない邪教だよ。
「またブツブツと…。あなた、狂っているわ!」
そのひとことを合図に、小娘たちはそそくさと退散した。ああ、ノッポをひっぱたくのを忘れていたよ。こりゃビンタひとつぶん、貸しだね。
あいつらの動機は、たぶん恋愛感情だろう。アタシが美形の男と仲良くやってる(ように見えた)ことを非難がましく言ってたからね。まったく、人間ってのは恋愛が絡むととたんに馬鹿になる。アタシにはちっともわかんない感情さ。
アタシは前世でも今生でも、恋愛ってやつを経験したことがない。戦争で死んだ夫は立派な人だったし、尊敬もしていたけど、見合いで結ばれただけで恋愛感情はなかった。べつにそれで問題ないはずなんだけど、どうしてだか人間の脳には理性を狂わせる恋愛装置がそなわってる。いつ爆発するかもわからない、時限爆弾ってわけだ。ぞっとしない話さ。
さて、騒動も一段落したことだし、そろそろ問題の根本にケリをつけようかねえ。アタシは、校舎の物陰に向かって話しかけた。
「…そろそろ大将が出てきたらどうですか。ご自分の手を汚さないやり口は見事でしたが、あなたの手下では私の相手は役者不足です」
もめ事の最中、小娘たちがチラチラ物陰を気にしてたから、間違いなくそこには誰かいるはずさ。この騒動を裏で操っている存在が。なんだかアタシと気が合いそうだね。
自分から出てこないようなら、フリッツにひっばり出させようかと思ってたんだが、その女は案外素直に姿をあらわした。
ディートハルトの婚約者、エリーゼ・フォン・アードルングさ。
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