悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

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11 妖精の午睡(エリーゼ視点)

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 眠らずに朝が来てふらつきながら登校したあと、私は体調が悪いと訴えて保健室でしばらく眠った。どうせ寝ているだけなら、休めばそれでよかったのだけれど、昨日のことをどうしても確かめたかった。

 保健室で私が目覚めたのは、ちょうど昼休憩がはじまる鐘がなった直後だ。とりあえず教室に向かおうと、渡り廊下を歩いていたとき、私は望みどおり、自分の運命と2度目の邂逅かいこうを果たした。

 彼女━━ハンナ・フォン・グレッツナーは、中庭のベンチに腰かけて、うつむき加減に揺れていた。こっくり、こっくり。船を漕ぐように。ゆったりとした動きは、まるで老婆のそれだった。

 その微睡まどろみを邪魔しないように、私はそっと彼女の隣に腰かける。一瞬、ベンチの影に人の気配を感じたような気がしたが、私の精神状態はすぐにそれどころじゃなくなる。

 ハンナが私の隣で寝息をたてている。それだけで苦しいほどの愛しさがあふれだすのだ。

 私が今日、確かたかったことはこれだ。

 やはり昨日の出来事は、間違いでもなければ勘違いでもなかった。ハンナは私の運命だった━━ただし、はじまった瞬間に悲劇で終わることが決定づけられた運命。

 私は自分のこの想いを、口に出すことはないだろう。

 想いが叶うことは決してないだろう。

 それは同性に対して抱くべきじゃない感情をかかえているという意味でもそうだけれど、同時に、結局私は貴族の娘だということだ。

 私は私自身の人生を自由にすることができない。

 そんな中で、もっとも望ましい選択が、ディートハルトさまと結婚することなのだ。私は知っている。ディートハルトさまが、少なくとも異常な人間ではないことを。彼は権力をふりかざして我がままに振舞う人ではないし、倫理観が壊れた人間でもない。

 そしてなによりも、皇族であるディートハルトさまと結ばれれば、たいていの不幸を防ぐことがかなうだろう。たとえばそれは、ラングハイム公のような壊れた権力者からも、身を守れるということだ。

 ディートハルトさまから愛されることができれば。

 あと3年━━3年間、私はディートハルトさまの婚約者としての地位を守らなければならない。そして『学園』を卒業すれば、すぐにディートハルトさまと結婚する。それで私の人生は平穏を保証される。だから私は━━ハンナへの想いをいまこの場で断ち切らなければならない。

 そんなふうに考えてベンチから立ち上がろうとした私は、理性とは裏腹に、自分の身体が思い通りにならないことを知る。動かないのだ。まったく、少しも、指1本すらも。

 全身の細胞が叫んでいた。

 ハンナから離れたくないと。

 そよ風のいたずらが、妖精の香りを鼻孔に届ける━━なんとかぐわしき薫香だろうか。花の蜜のような甘い匂いが、隣の少女から漂ってくる。頭の中が怪しい薬におかされたように陶然となる。周りに誰もいないのが救いだった。きっと私の表情は、いまトロけて崩れきっているだろうから。

 やはりハンナは人間ではないのだ。

 人間の身体から、こんな妖しい香りがするはずがない。あたかも淫らな香料でも嗅いでいるような気分にさせられる。

 そして決定的な事件がおこる。

 こっくり、こっくり揺れていたハンナが、ふとした拍子にバランスを崩し、私の肩にもたれかかってきたのだ!

 肩ごしに伝わる聖女のぬくもりに、私の心臓は爆発した。通常の10倍強く、100倍速く、鼓動が暴れだす。私の身体はおこりのように震えはじめる。だめだ、このままでは鼓動の音か、身体の震えか、どちらかでハンナを起こしてしまう。それだけは避けねばならなかった。そんな罰当たりなことをしたら、私は神罰を受けてこの地上から消滅するだろう。

 ハンナの眠りを妨げるということは、それだけの重罪なのだ。

 ああ神よ、いたらぬこの身に奇跡をさずけたまえ。私は祈った。この私に、世界でいちばんの演技力をおさずけになりますよう。

 いまこの瞬間から、私の身体は柔らかなソファだ。人間ではない。生き物ですらない。ソファなのだ。ハンナの安らかな眠りをたすけるための、上質な家具だ。家具は鼓動を鳴らしたりしない。家具は身体を震わせたりしない。ただそこにあるだけの無機物だ。

 実際そうだったら、どれほど良かっただろう。もし私が、ハンナ専用のソファとして人生を終えられるのだとしたら、私は人間であることなどやめてしまってかまわない。それはきっと、人としての生などよりも、はるかに崇高で幸福な在り方なのだ…。

 くだらない妄想に身を委ねたおかげで、いつしか身体の震えはとまっていた。鼓動も少しずつ常態を取り戻しつつあった。けれどそれこそが最大の罠だった。

 油断した私は、ふとハンナの寝顔を横目でとらえてしまったのだ。

 至近でとらえたハンナの顔は、柔性となめらかさの両立を、一瞬にして理解させるのに充分だった。なによりもその完璧な造形は、こと愛らしさという一点において、すべての生物の頂点にたつ資格を有していた。おまけになにもかもが小さいのだ。眼も鼻も耳も唇も、すべてが人形のように小さい。まるでミニチュアだ。

「ああぁあぁあ━━━ッ」

 どこか遠くで咆哮が聞こえる。ハッと我に返ると、それは気が遠くなりかけた私の叫び声に他ならなかった。どうかしている。私はハンナの耳元で、ケダモノのように雄叫びをあげたのだ。ハンナの身体がビクンと反応して、寝ぼけまなこをパチパチとしばたいている。

「んえっ?」

「あ、あなたが悪いんですのよ!」

 私はあらぬことを口走った。

「このような野外で無防備に寝ているからっ。私がオオカミの真似をして、教訓を与えてさしあげたのです。感謝なさいっ」

「…それは、どうも、ありがとう?」

「ぐっ!」

 まだ半分寝ぼけた顔で、小首を傾げるハンナの仕草に、私は頭を抱えてうつむくしかなかった。
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