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12 抜山蓋世
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なぜかエリーゼがオオカミの真似をしてアタシを起こしてくれたので、どうやら風邪をひかずにすんだらしい。まったく、この娘は美人なだけじゃなくって性格も良いんだから困るよ。
うっかり寝ちまったのは、アタシのミスさ。昨日の晩はなぜだかよく眠れなかったからねえ。あくびをひとつすると、エリーゼが隣でうめき声をあげる。人前であくびだなんて、貴族令嬢としては、あんまり行儀がよくないからだろう。さすがエリーゼは公爵令嬢さ。
「ところで、あんた━━」
「あんたじゃありませんわ。私にはエリーゼという名前がありますのっ」
いやだって、昨日は名前を呼ぶなと言ってたじゃないか━━そんな反論を飲み込んで、アタシは咳払いをひとつする。
「え、エリ…」
なんだろうね、声がうまくでない。あらためてエリーゼの名前を声に出そうとすると、ひどく顔が熱くなる。だからアタシの声は、半病人のような小声になってしまった。
「…エリーゼ」
「あぁ━━ッ」
エリーゼが急に叫んだ。おまけに身体をくねらせて身悶えしている。なんていやらしい姿なんだ。女性的な魅力にあふれるエリーゼがくねくねしていると、妙な気分になっちまうんだよ。
アタシはもう1度咳払いをする。
「あらためて自己紹介させてもらうよ。アタシはハンナ・フォン・グレッツナー。伯爵家の娘さね。これまでの無礼は水に流してくれるとありがたい」
「無礼?」
「あんたの婚約者と仲良くやっちまった件だよ。まあ、実際はそれほど仲良くはないんだが…エリーゼは━━その、ディートハルトの婚約者なんだろ?」
するとふいにエリーゼをとりまく空気感が変わった。重く沈んだ表情で、彼女はうなずく。
「なんだい、あんた、ディートハルトとの婚約に乗り気じゃないのかい?」
「いえ、そういうわけでは、ないのですけれど…」
「ハッキリしないねえ。ははん、わかった。1度、婚約が破談になりかけたから、不安になっているんだろ」
「…どうしてそれを」
アタシが知っているのかってんだろ。知ってるさ。『裏影』がひと晩で調べてくれたからね。エリーゼがアタシのせいでディートハルトとの婚約を潰されかけて、アタシのおかげでもう1度ディートハルトの婚約者に戻ったってことをさ。
思えばラングハイム公が帝国最大の権力者になったのは、そのライバルだったバルシュミーデ公が失脚したからだ。バルシュミーデ公が失脚した原因は、バルシュミーデ家が独占していたウイスキー利権を、アタシがことごとく奪ったせいだ。
そもそもアタシがグレッツナー領でウイスキー事業を立ち上げなかったら、いまもまだバルシュミーデ家は健在で、ラングハイム公とライバルのままだったろうし、そうなればラングハイム公は、東方貴族の名家であるアードルング家に手出しはできなかっただろう。
だとしたら、アタシは1度、エリーゼの立場を奪いかけたってことになる。後悔なんざしちゃいないが、申し訳ないとは思ってるよ。
「だけど結局、ディートハルトの婚約者に戻れたんだろ?だったら━━」
「…私はディートハルトさまに愛されていないのです」
なんだって?
「あのとき━━ラングハイム公の魔の手が私に伸びようとしたとき、ディートハルトさまは私を守ろうとしてくださらなかったのですわ。あっさり婚約破棄に同意されたのです」
いや、そりゃディートハルトの意思が問題だったわけじゃないだろ。単純にラングハイム公の権力が帝家を上回っていたからだ。なにせあのときのラングハイム公は、御堂関白も真っ青なほどの権力を持っていたからねえ。皇子の婚約者を臣下が奪うだなんて、帝室のメンツが丸つぶれになるようなことを、平然とやれたわけだから。
だけど貴族令嬢に過ぎないエリーゼに、帝国の勢力図を説明したところで、どこまでわかってもらえるか。フーム。
「だったらアタシが、ディートハルトの気持ちを確かめてやろうじゃないか。あれは正直な男だから、うまくのせればペラペラさえずってくれるだろうよ」
「それは、確かに気になりますけど…」
「なんだい、まだなにかあるのかい?」
「はんっ、ハンナ、は…どうして見ず知らずの私に、こんなに良くしてくださいますの?私は昨日、あなたを襲わせた黒幕ですのに」
気まずそうに視線を落としたエリーゼに、アタシはあえて鼻で笑ってみせた。
「ふん、あんなのは襲われたうちにはいらないよ。このアタシを誰だと思ってるんだい」
「まあ、豪気ですのね」
そりゃあね。昨日アタシを取り囲んだ貴族令嬢なんて、家ごと潰すのに3日もかからないだろうからさ。あの程度のことにアタシがいちいち腹をたてていたら、帝国は1年足らずで歴史上から消滅するだろう。力を持つものは自制すべきだし、寛容であるべきだとアタシは思うのさ。
そんなことよりも問題は━━ディートハルトがエリーゼに見合うだけの男かどうかってことさ。そっちのほうが、よっぽど問題だよ。エリーゼの幸福には、国家の存亡をかけてもいいはずだ。
アタシはなおも不安げに見えるエリーゼを慰めてやったモンさ。
「エリーゼ、今日からアタシとあんたは友だちさ。友だちを助けるのは当然のことじゃないか、理由なんか必要ないんだよ」
もしもディートハルトが、エリーゼを気に食わないだなんて抜かしやがったら━━あの小僧には生きていることを後悔するだけの罰を与えてやる。皇帝ともどもエリーゼの前に引きずってきて、土下座をさせて詫びをいれさせてやるからね。
うっかり寝ちまったのは、アタシのミスさ。昨日の晩はなぜだかよく眠れなかったからねえ。あくびをひとつすると、エリーゼが隣でうめき声をあげる。人前であくびだなんて、貴族令嬢としては、あんまり行儀がよくないからだろう。さすがエリーゼは公爵令嬢さ。
「ところで、あんた━━」
「あんたじゃありませんわ。私にはエリーゼという名前がありますのっ」
いやだって、昨日は名前を呼ぶなと言ってたじゃないか━━そんな反論を飲み込んで、アタシは咳払いをひとつする。
「え、エリ…」
なんだろうね、声がうまくでない。あらためてエリーゼの名前を声に出そうとすると、ひどく顔が熱くなる。だからアタシの声は、半病人のような小声になってしまった。
「…エリーゼ」
「あぁ━━ッ」
エリーゼが急に叫んだ。おまけに身体をくねらせて身悶えしている。なんていやらしい姿なんだ。女性的な魅力にあふれるエリーゼがくねくねしていると、妙な気分になっちまうんだよ。
アタシはもう1度咳払いをする。
「あらためて自己紹介させてもらうよ。アタシはハンナ・フォン・グレッツナー。伯爵家の娘さね。これまでの無礼は水に流してくれるとありがたい」
「無礼?」
「あんたの婚約者と仲良くやっちまった件だよ。まあ、実際はそれほど仲良くはないんだが…エリーゼは━━その、ディートハルトの婚約者なんだろ?」
するとふいにエリーゼをとりまく空気感が変わった。重く沈んだ表情で、彼女はうなずく。
「なんだい、あんた、ディートハルトとの婚約に乗り気じゃないのかい?」
「いえ、そういうわけでは、ないのですけれど…」
「ハッキリしないねえ。ははん、わかった。1度、婚約が破談になりかけたから、不安になっているんだろ」
「…どうしてそれを」
アタシが知っているのかってんだろ。知ってるさ。『裏影』がひと晩で調べてくれたからね。エリーゼがアタシのせいでディートハルトとの婚約を潰されかけて、アタシのおかげでもう1度ディートハルトの婚約者に戻ったってことをさ。
思えばラングハイム公が帝国最大の権力者になったのは、そのライバルだったバルシュミーデ公が失脚したからだ。バルシュミーデ公が失脚した原因は、バルシュミーデ家が独占していたウイスキー利権を、アタシがことごとく奪ったせいだ。
そもそもアタシがグレッツナー領でウイスキー事業を立ち上げなかったら、いまもまだバルシュミーデ家は健在で、ラングハイム公とライバルのままだったろうし、そうなればラングハイム公は、東方貴族の名家であるアードルング家に手出しはできなかっただろう。
だとしたら、アタシは1度、エリーゼの立場を奪いかけたってことになる。後悔なんざしちゃいないが、申し訳ないとは思ってるよ。
「だけど結局、ディートハルトの婚約者に戻れたんだろ?だったら━━」
「…私はディートハルトさまに愛されていないのです」
なんだって?
「あのとき━━ラングハイム公の魔の手が私に伸びようとしたとき、ディートハルトさまは私を守ろうとしてくださらなかったのですわ。あっさり婚約破棄に同意されたのです」
いや、そりゃディートハルトの意思が問題だったわけじゃないだろ。単純にラングハイム公の権力が帝家を上回っていたからだ。なにせあのときのラングハイム公は、御堂関白も真っ青なほどの権力を持っていたからねえ。皇子の婚約者を臣下が奪うだなんて、帝室のメンツが丸つぶれになるようなことを、平然とやれたわけだから。
だけど貴族令嬢に過ぎないエリーゼに、帝国の勢力図を説明したところで、どこまでわかってもらえるか。フーム。
「だったらアタシが、ディートハルトの気持ちを確かめてやろうじゃないか。あれは正直な男だから、うまくのせればペラペラさえずってくれるだろうよ」
「それは、確かに気になりますけど…」
「なんだい、まだなにかあるのかい?」
「はんっ、ハンナ、は…どうして見ず知らずの私に、こんなに良くしてくださいますの?私は昨日、あなたを襲わせた黒幕ですのに」
気まずそうに視線を落としたエリーゼに、アタシはあえて鼻で笑ってみせた。
「ふん、あんなのは襲われたうちにはいらないよ。このアタシを誰だと思ってるんだい」
「まあ、豪気ですのね」
そりゃあね。昨日アタシを取り囲んだ貴族令嬢なんて、家ごと潰すのに3日もかからないだろうからさ。あの程度のことにアタシがいちいち腹をたてていたら、帝国は1年足らずで歴史上から消滅するだろう。力を持つものは自制すべきだし、寛容であるべきだとアタシは思うのさ。
そんなことよりも問題は━━ディートハルトがエリーゼに見合うだけの男かどうかってことさ。そっちのほうが、よっぽど問題だよ。エリーゼの幸福には、国家の存亡をかけてもいいはずだ。
アタシはなおも不安げに見えるエリーゼを慰めてやったモンさ。
「エリーゼ、今日からアタシとあんたは友だちさ。友だちを助けるのは当然のことじゃないか、理由なんか必要ないんだよ」
もしもディートハルトが、エリーゼを気に食わないだなんて抜かしやがったら━━あの小僧には生きていることを後悔するだけの罰を与えてやる。皇帝ともどもエリーゼの前に引きずってきて、土下座をさせて詫びをいれさせてやるからね。
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