悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

文字の大きさ
30 / 49

29 良い警官(ディートハルト視点)

しおりを挟む
 草を編んだマットの上に、じかに座らされて、陛下は沈黙したままカーマクゥラの御前を待っている。その様子はあたかも、判決を待つ罪人のようだ。こんな立場に陛下を追い込んだのは、実の息子である俺なのだ…。

 それでも陛下は、俺を責めることはしない。滅びを回避する努力を続け、帝国始まって以来の危機を乗り越えるために、指導力を発揮している。たとえ泥にまみれようとも、その姿は間違いなく、俺の尊敬する皇帝陛下だ。ならば俺は、俺のなすべきことをやるだけだ。

 こんなときになって、ハンナの言葉を思い出す。

━━成しうる者が為すべきを為す。

 ああ、俺はもっと真剣に、あらゆる言葉に耳を傾けるべきだったのだ。あのセリフはクライドに向けられていたようで、実はあの場にいた全員が真摯に受け止めるべき言葉だったのだ。

 草のマットがこすれるような音がして、紙と木でできたドアが横にスライドして開いた。入ってきたのは間違いなくハンナだ。前開きの斬新なドレスを着たハンナが、1段高い上座に置かれた四角いクッションに座った。陛下が頭を下げた。もう少し深く頭をさげれば、土下座の姿勢になる格好だ。俺もそれに倣って頭を下げる。

「よく来てくれたねえ、ヴィルヘルム。さあさ、遠慮するこたあない、頭を上げて、足を崩しな」

 ハンナは━━やはり間違いなくカーマクゥラの御前だった。皇帝を名前で呼ぶことができる貴族令嬢などいるはずがないのだから。陛下は頭だけ上げたが、足を崩さない。御前の正体が少女であることを、いま初めて知ったはずだが、態度に出すこともしない。そして陛下はふたたび頭を下げた。

「このたびは前例なき不祥事にて、エリーゼ嬢に心痛を与えたこと、御前さまにご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます」

 こわばった陛下の声にくらべ、ハンナの応答は柔かい。

「ああ、皇帝ともあろう立場の人間が、そんなに簡単に頭をさげるモンじゃないよ。さあ、いま茶を運ばせるから、少し気を休ませるがいい。あんた、顔色がまともじゃないよ。ずいぶん大変だったろうからね」

 なんだ━━この状況は。なにかの罠なのだろうか。陛下の態度に、わずかな動揺がみられた。当たり前だろう、どれほどの叱責をうけるかと想像して、いざ対面してみると、なんとも話しやすい。寛大といおうか、なるほど、15歳にして人類の頂点に君臨しただけのことはある。彼女からは王者の気風がただよっているかに思われた。俺はもう、この状況に飲まれている。彼女を気安くハンナなどと呼ぶことはできない。

 御前にすすめられて、グリーンティーを口に運ぶと、芳醇な香りが心身を和らげた。

「さて今後のことだけどね」

「はっ、そのことにつきましては、いかようにもご処分くださいますよう。我が子ディートハルトの身命をも迷わず差し出す覚悟にて」

 陛下は最大の譲歩をした。俺の━━皇子の命を差し出す。これが皇帝にとって、ゆずれるところまでゆずった結論だったろう。帝国の命脈を保つことがかなえば、俺の命など安いものだ。ほかならぬ俺自身がそう考えている。

 だが御前は首を横に振った。

「それは言っちゃならないよ、ヴィルヘルム。皇帝にとって民草は我が子も同様さ。我が子を守れない者に、なんで民を守ることができようかね」

「その民草の安寧を願えばこそ、ディートハルトを許すことはできませぬ」

「さあさ、そこさね。許すわけにはいかぬ道理、まったくもってもっともさ。だからといって、なにも殺すこたあない」

「すると…」

「平民に落として王都から追放する。ここらあたりが、まず落としどころだろう」

 御前は紙と木でできた扇をたたんで、草のマットをコツコツと叩く。

「皇帝だからといって冷血になっちゃいけないよ。人間味をみせてこそ、家臣がついてくるだろうさ。断ち切りがたい親子の情、命ばかりは救ってやるのが、皇帝らしい判断じゃないかねぇ」

 この言葉には、ふたつの許しが含まれている。ひとつには俺の命を許す。そしてふたつには、今後もヴァイデンライヒ帝家が帝国を統治することを許す。そう言っているのだ。そのことを悟った陛下が、涙を流して御前を仰ぎ見る。

「ご、御前さまは、帝家をご赦免くださると…」

「アタシが許すんじゃないよ、諸侯が許すから帝国は保たれるのさ。アタシが骨を折って、貴族たちを説得してやろう」

「ははーっ」

 陛下が頭を下げるのに合わせて、俺も深く頭を下げた。なんとも慈愛に満ちた裁きだ━━いつでも帝国を終わらせるだけの力量をもちながら、かくも寛い心をもつ。真に人類を統治するということは、すなわちこの人格なのだ。みずからの命運をこの人物にあずけてもよいと思わせるだけの器量。これがカーマクゥラの御前なのだ。

「さて、帝都から追放するとなれば、箱入り息子のディートハルトには辛いものがあるだろう。そこも考えてやらないとね」

「御前さまはそこまで…」

「当たり前だろう。ほかならぬヴィルヘルムのセガレのことだ。多少の金銀はもたせるとして、あとは従者も必要だ。ほれ、エリーゼに婚約破棄を突きつけたとき、ディートハルトのそばに侍っていたやつがいただろう、たしか、ケヴィン・バルツァーといったか」

 まさかケヴィンにまで処分がおよぶのか━━緊張が走った俺に、御前は微笑みを向けた。

の罪を問わないわけにゃいかない。ケヴィンも平民に落として、ディートハルトとともに追放する。ふたりの若者が、、帝国は関知しないということにしたらどうだい」

 ケヴィンと俺の暮らし…。

 あっと気づいた俺は、滂沱の涙を流して草のマットに頭をこすりつけた。強要されてではない、媚びたわけでもない。心の底から、御前さまに感謝し、敬っているからこそ、自然に頭がさがったのだ。

 御前さまはケヴィンと俺の関係を知っていて、あえて平民に落とすことで、添い遂げさせてくれると言っているのだ。貴族のまま、皇族のままだったら、俺とケヴィンはコソコソ隠れて密会するしかなかったはずだ。だが平民になることで、俺はケヴィンと生涯をともに暮らすことができる。

 エリーゼを傷つけた俺にまで、御前さまの慈悲は及んでいた。これを聖者の徳といわずして、なんと表現できるだろう。

「だけど、すべてはエリーゼに許されてからの話さ」

 御前さまは言った。

「いまからエリーゼをこの場に呼ぶ。帝国を保つも、ディートハルトの命を許すも、すべてはエリーゼから許されてはじめて実現することだ」

 全力で謝罪しよう。それは己の欲のためでなく、帝国のためでもない。俺ごときのために、ここまで骨を折ってくれた御前さまのために、俺はエリーゼに頭を下げる。かつて我利我利亡者だった俺が、傷つけてしまったひとりの少女に。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました

もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~

紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。 「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。 だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。 誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。 愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

処理中です...