悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

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29 良い警官(ディートハルト視点)

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 草を編んだマットの上に、じかに座らされて、陛下は沈黙したままカーマクゥラの御前を待っている。その様子はあたかも、判決を待つ罪人のようだ。こんな立場に陛下を追い込んだのは、実の息子である俺なのだ…。

 それでも陛下は、俺を責めることはしない。滅びを回避する努力を続け、帝国始まって以来の危機を乗り越えるために、指導力を発揮している。たとえ泥にまみれようとも、その姿は間違いなく、俺の尊敬する皇帝陛下だ。ならば俺は、俺のなすべきことをやるだけだ。

 こんなときになって、ハンナの言葉を思い出す。

━━成しうる者が為すべきを為す。

 ああ、俺はもっと真剣に、あらゆる言葉に耳を傾けるべきだったのだ。あのセリフはクライドに向けられていたようで、実はあの場にいた全員が真摯に受け止めるべき言葉だったのだ。

 草のマットがこすれるような音がして、紙と木でできたドアが横にスライドして開いた。入ってきたのは間違いなくハンナだ。前開きの斬新なドレスを着たハンナが、1段高い上座に置かれた四角いクッションに座った。陛下が頭を下げた。もう少し深く頭をさげれば、土下座の姿勢になる格好だ。俺もそれに倣って頭を下げる。

「よく来てくれたねえ、ヴィルヘルム。さあさ、遠慮するこたあない、頭を上げて、足を崩しな」

 ハンナは━━やはり間違いなくカーマクゥラの御前だった。皇帝を名前で呼ぶことができる貴族令嬢などいるはずがないのだから。陛下は頭だけ上げたが、足を崩さない。御前の正体が少女であることを、いま初めて知ったはずだが、態度に出すこともしない。そして陛下はふたたび頭を下げた。

「このたびは前例なき不祥事にて、エリーゼ嬢に心痛を与えたこと、御前さまにご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます」

 こわばった陛下の声にくらべ、ハンナの応答は柔かい。

「ああ、皇帝ともあろう立場の人間が、そんなに簡単に頭をさげるモンじゃないよ。さあ、いま茶を運ばせるから、少し気を休ませるがいい。あんた、顔色がまともじゃないよ。ずいぶん大変だったろうからね」

 なんだ━━この状況は。なにかの罠なのだろうか。陛下の態度に、わずかな動揺がみられた。当たり前だろう、どれほどの叱責をうけるかと想像して、いざ対面してみると、なんとも話しやすい。寛大といおうか、なるほど、15歳にして人類の頂点に君臨しただけのことはある。彼女からは王者の気風がただよっているかに思われた。俺はもう、この状況に飲まれている。彼女を気安くハンナなどと呼ぶことはできない。

 御前にすすめられて、グリーンティーを口に運ぶと、芳醇な香りが心身を和らげた。

「さて今後のことだけどね」

「はっ、そのことにつきましては、いかようにもご処分くださいますよう。我が子ディートハルトの身命をも迷わず差し出す覚悟にて」

 陛下は最大の譲歩をした。俺の━━皇子の命を差し出す。これが皇帝にとって、ゆずれるところまでゆずった結論だったろう。帝国の命脈を保つことがかなえば、俺の命など安いものだ。ほかならぬ俺自身がそう考えている。

 だが御前は首を横に振った。

「それは言っちゃならないよ、ヴィルヘルム。皇帝にとって民草は我が子も同様さ。我が子を守れない者に、なんで民を守ることができようかね」

「その民草の安寧を願えばこそ、ディートハルトを許すことはできませぬ」

「さあさ、そこさね。許すわけにはいかぬ道理、まったくもってもっともさ。だからといって、なにも殺すこたあない」

「すると…」

「平民に落として王都から追放する。ここらあたりが、まず落としどころだろう」

 御前は紙と木でできた扇をたたんで、草のマットをコツコツと叩く。

「皇帝だからといって冷血になっちゃいけないよ。人間味をみせてこそ、家臣がついてくるだろうさ。断ち切りがたい親子の情、命ばかりは救ってやるのが、皇帝らしい判断じゃないかねぇ」

 この言葉には、ふたつの許しが含まれている。ひとつには俺の命を許す。そしてふたつには、今後もヴァイデンライヒ帝家が帝国を統治することを許す。そう言っているのだ。そのことを悟った陛下が、涙を流して御前を仰ぎ見る。

「ご、御前さまは、帝家をご赦免くださると…」

「アタシが許すんじゃないよ、諸侯が許すから帝国は保たれるのさ。アタシが骨を折って、貴族たちを説得してやろう」

「ははーっ」

 陛下が頭を下げるのに合わせて、俺も深く頭を下げた。なんとも慈愛に満ちた裁きだ━━いつでも帝国を終わらせるだけの力量をもちながら、かくも寛い心をもつ。真に人類を統治するということは、すなわちこの人格なのだ。みずからの命運をこの人物にあずけてもよいと思わせるだけの器量。これがカーマクゥラの御前なのだ。

「さて、帝都から追放するとなれば、箱入り息子のディートハルトには辛いものがあるだろう。そこも考えてやらないとね」

「御前さまはそこまで…」

「当たり前だろう。ほかならぬヴィルヘルムのセガレのことだ。多少の金銀はもたせるとして、あとは従者も必要だ。ほれ、エリーゼに婚約破棄を突きつけたとき、ディートハルトのそばに侍っていたやつがいただろう、たしか、ケヴィン・バルツァーといったか」

 まさかケヴィンにまで処分がおよぶのか━━緊張が走った俺に、御前は微笑みを向けた。

の罪を問わないわけにゃいかない。ケヴィンも平民に落として、ディートハルトとともに追放する。ふたりの若者が、、帝国は関知しないということにしたらどうだい」

 ケヴィンと俺の暮らし…。

 あっと気づいた俺は、滂沱の涙を流して草のマットに頭をこすりつけた。強要されてではない、媚びたわけでもない。心の底から、御前さまに感謝し、敬っているからこそ、自然に頭がさがったのだ。

 御前さまはケヴィンと俺の関係を知っていて、あえて平民に落とすことで、添い遂げさせてくれると言っているのだ。貴族のまま、皇族のままだったら、俺とケヴィンはコソコソ隠れて密会するしかなかったはずだ。だが平民になることで、俺はケヴィンと生涯をともに暮らすことができる。

 エリーゼを傷つけた俺にまで、御前さまの慈悲は及んでいた。これを聖者の徳といわずして、なんと表現できるだろう。

「だけど、すべてはエリーゼに許されてからの話さ」

 御前さまは言った。

「いまからエリーゼをこの場に呼ぶ。帝国を保つも、ディートハルトの命を許すも、すべてはエリーゼから許されてはじめて実現することだ」

 全力で謝罪しよう。それは己の欲のためでなく、帝国のためでもない。俺ごときのために、ここまで骨を折ってくれた御前さまのために、俺はエリーゼに頭を下げる。かつて我利我利亡者だった俺が、傷つけてしまったひとりの少女に。
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