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しおりを挟む最高だった。
宝来軒のラーメン。
基本は骨ベースのスープだが、何の骨でダシを取っているのかは謎だった。
おそらく豚、鶏、いや、もっと特別な何かが混ざっているのかもしれない。
バランスよくまとめられたスープは、すっきりしているのに奥深く、ひと口すすると止まらなくなる。
箸は止まらず、麺はどんどん胃に吸い込まれ、スープも気がつけば最後の一滴まで飲み干してしまう。
どんな豪華なご馳走より、真子にとってはこのラーメンこそが至高だった。
心まで晴れ晴れとする‥‥はずだった。
だが、真子の隣には、相変わらず銀色の毛並みのギンがちょこんと座っていた。
それを思い出した瞬間、胃袋の幸福感は一気に曇天模様へと変わってしまう。
(‥‥やっぱり、ラーメンだけじゃどうにもならないか)
もやもやした気持ちを抱えたまま、重い足取りで、久しぶりの我が家へと帰り着いた。
家は六階建てのマンション。設備も新しく、快適な空間だ。
玄関ドアを開けた瞬間、待ちかねたように一匹の犬が飛びかかってきた。
「チクワちゃん、いい子にしてた? 真子ちゃん、帰ってきたわよ!」
母・美由が笑顔で迎える中、犬種はキャバリア・キングチャールズ・スパニエル。名前はその見た目から“チクワ”と名付けられた愛犬が嬉しそうに尻尾を振っている。
だが、チクワは真子を一目見るなり、「ワンワン!」と鋭く吠え立てた。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、チクワ!」
美由が慌てて宥めても、チクワは真子を睨むようにして吠え続ける。
『多分、わしのせいじゃろうな』
ギンがぼそりとつぶやいた。
(え? アンタのことが見えてるの?)
『いや、見えているかは分からん。ただ、獣たちは敏感だ。わしの気配を感じ取ったのだろう』
人間には見えない何かを動物は感じることがある。
真子はそれを頭では理解しつつも、目の前の状況にひたすら困惑するしかなかった。
『‥‥この犬、いつから飼っているのだ?』
(え? 私が四歳の時だから、もう十歳になるけど‥‥)
『十歳か。歳の割に、随分元気な吠えっぷりだのう』
チクワはなおも吠え続けていた。
煩わしそうにギンがため息をつく。
『――どれ、わしの威厳を見せてやろうか』
ギンが鋭くチクワを睨んだ瞬間――。
「きゃんっ!」
チク ワは何かに怯えたように吠えるのをやめ、尻尾を巻いて居間のソファの下へ逃げ込んだ。
『ふん、他愛もない』
勝ち誇ったように鼻を鳴らすギン。
だが真子は、そんなギンの頭を思い切り「バシッ!」と叩いた。
『な、なにをする!』
(何をするじゃないわよ!)
真子は怒りに任せてギンの首根っこをつかみ、グリグリと締め上げた。
(ウチの可愛いチクワを脅すんじゃないの!!)
『ぎゃ、ぎゃあああっ、や、やめろぉ‥‥!』
そんな真子とギンの格闘(?)を、奇妙そうに見つめる母・美由。
「一体どうしたの? それに真子、やっぱり変よ?」
「な、何でもないからっ!」
慌ててギンを手放し、作り笑いを浮かべる真子。
「とにかく、今日はゆっくり休みなさい」
「う、うん、そうする!」
部屋に向かおうとする真子を、再び母が呼び止めた。
「あ、真子。明日の学校、どうする? 念のため休む?」
今日は日曜日。
倒れたのは水曜日だから、すでに二日間休んでいる。
普通なら、もう少し休んだほうがいい。だが、これ以上心配をかけたくなかった。
「大丈夫、大丈夫! 平気平気! ちゃんと行くから!」
口癖のように「大丈夫」を繰り返して、真子は部屋へ駆け込んだ。
ベッドに倒れ込むと、やっぱり自分のベッドが一番だとしみじみ感じる。
病院のベッドは、清潔だったけど‥‥あまりに堅かった。
ホッと一息ついて、隣を見る。
「で、あんた、結局何なのよ」
『だから言ったろう、電脳生命体だと』
「電脳生命体、ねぇ‥‥。‥‥あれ?」
ふと、頭の片隅で何かが引っかかった。
(私、なんで"電脳生命体"って言葉、どこかで聞いたような気がするんだろ?)
思いつくままに机の上の電子情報端末機を手に取る。
舌の根も乾かない内に母や医師の言付けを破るかのように電源を入れようとボタンを押すが――
「‥‥あれ? 起動しない?」
何度押しても、うんともすんとも言わない。
充電ケーブルを差しても、状況は変わらなかった。
「壊れたている? なんで‥‥」
不安になりながら、真子はじっと端末機を見つめた。
――そして、ふと思い出した。
自分が倒れた、あの日のことを――。
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