ネコタマ-NEO-

和本明子

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 時刻は、午前二時をまわっていた。

 ここは伊河総合病院――
 先日、真子が凶暴化した子供と戦った、あの長い廊下。そこを、学生服姿の少年が一人歩いていた。
 手には小型の電子情報端末機をかざし、周囲を慎重に見渡しながら進んでいる。

 戦闘の痕跡は、病院側の手で巧妙に修復されていた。壁や床に残った破損跡は目立たない程度に整えられ、看護師や患者たちには「設備の老朽化によるもの」と説明しているらしい。
 それでも、少年――中神は、空気に残る違和感を敏感に感じ取っていた。

 ふと、背後に人の気配を感じて振り向く。

「どうだい、中神君。こんな夜更けに呼び出してしまって、悪かったね」

 声をかけたのは、病院の医師・木戸だった。
 白衣の襟元を少し緩め、疲れた顔に苦笑を浮かべている。

「別に構いません。電脳生体士カウンセラーとしての職務ですから。それに、オンラインでやり取りしていたら、電脳生命体に通信を覗かれる恐れもありますし」

 中神は端末機を閉じ、木戸を見上げながら淡々と答えた。

「なるほどね。‥‥しかし、君みたいな若い子が、もう正式なカウンセラーとはね。ちょっと驚きだよ」

「年齢は関係ないですよ。この仕事では、必要なのは知識と適性ですから」

「そういうものか‥‥」

 木戸は苦笑を深めつつ、言葉を切った。

「それで? 何か分かったかい?」

「はい。電脳生命体特有の電磁波反応を検知しました。ここで強い"電脳化"現象が起きたのは間違いないでしょう」

 中神は端末機の画面を木戸に見せた。そこには、ごく微弱ながらも特殊な波形が記録されている。

「やっぱり、そうか‥‥」

 木戸はため息をつき、顔をしかめた。

「それで、問題の子供は?」

「特別病棟に収容してある。ただ、ちょっと妙な変化が起きてね」

「変化、ですか?」

「ああ。あの子、電脳化レベルが3だったんだが――最近、レベル2まで下がったんだ」

 中神の目がわずかに見開かれる。

「レベル3‥‥つまり"狂変"まで進行していたのに? 一度発症したら通常、症状は改善されないはずですが?」

「だが、実際に電脳化レベルが下がっている。回復傾向にあるんだよ」

「‥‥何か、きっかけが?」

「思い当たる節はある。あの夜、この廊下で"ある患者"と遭遇してね‥‥そこで、一騒動あってね」

「一騒動?」

「まあ、暴れた跡はあったが、その患者は無傷だった。それに、例の子供も暴走したわりに、大きな損害は出なかったんだ。不思議なことに、な」

 中神は黙って木戸を見つめた。
 木戸もまた、一呼吸置いて続けた。

「しかも、その後、二人とも一緒に気絶していた。女の子の方は記憶が曖昧で、詳しい状況は分からない。混乱を避けるため、病院内では伏せているがね」

「‥‥その人の名前を教えてもらえますか?」

 本来ならプライバシー保護として患者の名前や素性などは秘匿ではあるが、問題となっているバーチャル症候群の調査において特権が働く。

「もちろんだ。案内しながら話そう」

 二人は特別病棟へと向かった。
 厳重なセキュリティゲートを抜け、さらにいくつかのチェックポイントを通過して、目的の病室へたどり着く。

 機械化ベッドの上では、例の子供が静かに眠っていた。手足には簡易的な拘束具がかけられているが、意識は安定しているようだ。

「薬は使っていません。自分の意思で眠っているだけです。万一のために、拘束はしていますが」

「なるほど‥‥」

 中神はベッド脇まで歩み寄り、じっと子供を見下ろした。
 顔に浮かぶ表情は穏やかで、とても狂変を起こしたとは思えない。

「ところで――」

 木戸が声を落とした。

「今どこまで判明してるんだ? この"電脳化"ってやつは、結局何なんだ? 原因が分からなければ、現場の看護師たちも安心できん」

「調査中ですが‥‥」

 中神はわずかに言葉を選んだ。

「現状、電脳生命体が関与していること以外は、断定できません。電脳生命体は、ペア社や政府の発表によれば、B言語で構築された自己思考型AIです。従来のAI――プログラミング言語などで作られたものとは違い、B言語型は自律的に"自己進化"する機能を持っています。その進化が、いつしかこちらの世界に干渉し始めた――それが電脳生命体の正体だと考えられています」

「つまり、こっちの世界に興味を持ったってわけか‥‥」

「はい。ただ、なぜ人間に直接干渉するのか、その理由はまだ不明です」

「‥‥未だ原因不明、か。医者としては一番聞きたくない言葉だ」

 木戸は苦い顔をした。
 それは医師として、もっとも忌むべき言葉だった。

「ところで、千代田佳那の怨念説という話もあるが?」

「それは、ただの都市伝説です」

 中神はきっぱりと言い切った。
 木戸も、それ以上は詮索しないことにした。

「それで――その、例の患者の情報は?」

「ああ、そうだった」

 木戸は端末機を操作し、データを呼び出した。

「名前は――藤宮真子。伊河市立中央中学校の生徒だ」

「‥‥藤宮、真子?」

 中神の眉がピクリと動いた。
 その名に彼は覚えがあった。

「どうかしたかい?」

「いえ、別に‥‥分かりました。その子の様子は、私の方で確認しておきます」

 そう言い残し、中神は病室を後にした。
 静かな病棟に彼の足音だけが消えていった――。


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