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2章 第三王子に婚約破棄されて不幸のどん底に叩き落され没落してしまった令嬢は行く宛もなく
第7話
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それから、どれほどの時が流れただろうか。
空はどんよりと灰色に曇り、風は冷たく、乾いた大地を這うようにして吹きすさぶ。旅路の果てに人影はなく、ただ荒涼たる風景が果てしなく広がるばかりだった。
出来る限り人と会わない、人が居ない場所へと向かっていたからなのか、知らず知らず、いつの間にか隣国の辺境へと辿り着いていた。
そこは国境を越えた荒野――かつて戦火に焼かれ、今では魔獣どもの棲み処となった地。黒ずんだ地肌の荒れ果てた大地が、過ぎ去った戦の記憶を今も語り継ぐように並んでいる。風の唸りは低く、砂塵が容赦なく頬を叩いた。生者の気配が消えた世界で、彼女の孤独だけが現実の輪郭を保っていた。
何もかもを失った女――それが今のセリカリーナであった。
しかし、すべてを奪われた心の奥底では、なおも一つの焔が消えずに燻っていた。あの夜、灰燼と化した屋敷に最後まで燃え残っていた火のように。
――父の仇を討つ。
――すべてを奪った者たちを、地の底へ引きずり落とす。
――復讐したる。
そのためには、どんな絶望の中でも、生きねばならない。
たとえこの身がどれほど汚れようとも、息をしている限り、剣を握る限り。
だが、運命は常に残酷であった。
森の影が不自然に揺らめいた瞬間、セリカリーナはようやく異変に気づいた。
濃い瘴気が風に乗って押し寄せ、空気がどろりと淀む。
闇の奥から這い出してきたのは、牙を剥き、唸り声を漏らす狼のような魔獣。
赤い瞳が、まるで人間の絶望を嗅ぎ分けるようにギラリと光った。
「……っ……!」
馬はすでに疲れ切っており、逃げる余力はない。
セリカリーナは素早く馬から飛び降り、帯剣を抜いた。幼き日に父の知己であった剣聖から教わった剣術――そのお陰で学院での剣術の成績は優秀であった。
戦うしかない。ここで死ぬわけにはいかない。
剣を構え、荒い呼吸を抑え込む。
魔獣が唸りを深くし、涎が泡立つ。死の気配が、吐く息のひとつひとつに混じり始めていた。
「こんなところで……私は……死ねないのよ!」
渾身の力で剣を振り下ろす。しかし刃は、魔獣の針金のように硬い体毛に阻まれ、浅くしか通らない。
次の瞬間、魔獣は唸り声と共に飛びかかり、セリカリーナの体を地面に押し倒した。
「きゃっ!?」
喉元に鋭い牙の影が迫る。恐怖と悔しさが胸の奥で入り混じり、呼吸が凍る。
――その瞬間。
地面が低く震え、空気が重く揺らいだ。
木々の向こうから、地を踏み砕くような重い足音が響き――巨大な影が姿を現した。
岩の巨人――ロックゴーレムである。
ロックゴーレムはその巨腕を振り払い、魔獣を一撃で薙ぎ払った。
轟音と共に吹き飛ばされた魔獣は木々をなぎ倒して転がり、立ち上がりはしたがフラフラであり、そのまま茂みの奥へと逃げ去っていった。
セリカリーナはただ、その光景を呆然と見つめていた。
理解よりも先に、頬を伝うものがあった。涙だった。
それが安堵の涙なのか、それともあまりの無力さに流れたものなのか、自分でもわからない。
やがて、視界の端にひとりの男の姿が映る。
その男は、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「おい、無事か?」
低く落ち着いた声――その男は、アルトだった。
その言葉を最後に、セリカリーナの体から緊張の糸がぷつりと切れた。疲労と安堵が一度に押し寄せ、彼女の意識は静かな闇へと溶けていった。
そして、倒れ込んだ彼女の唇から、かすかな寝息だけが零れ落ちた。
空はどんよりと灰色に曇り、風は冷たく、乾いた大地を這うようにして吹きすさぶ。旅路の果てに人影はなく、ただ荒涼たる風景が果てしなく広がるばかりだった。
出来る限り人と会わない、人が居ない場所へと向かっていたからなのか、知らず知らず、いつの間にか隣国の辺境へと辿り着いていた。
そこは国境を越えた荒野――かつて戦火に焼かれ、今では魔獣どもの棲み処となった地。黒ずんだ地肌の荒れ果てた大地が、過ぎ去った戦の記憶を今も語り継ぐように並んでいる。風の唸りは低く、砂塵が容赦なく頬を叩いた。生者の気配が消えた世界で、彼女の孤独だけが現実の輪郭を保っていた。
何もかもを失った女――それが今のセリカリーナであった。
しかし、すべてを奪われた心の奥底では、なおも一つの焔が消えずに燻っていた。あの夜、灰燼と化した屋敷に最後まで燃え残っていた火のように。
――父の仇を討つ。
――すべてを奪った者たちを、地の底へ引きずり落とす。
――復讐したる。
そのためには、どんな絶望の中でも、生きねばならない。
たとえこの身がどれほど汚れようとも、息をしている限り、剣を握る限り。
だが、運命は常に残酷であった。
森の影が不自然に揺らめいた瞬間、セリカリーナはようやく異変に気づいた。
濃い瘴気が風に乗って押し寄せ、空気がどろりと淀む。
闇の奥から這い出してきたのは、牙を剥き、唸り声を漏らす狼のような魔獣。
赤い瞳が、まるで人間の絶望を嗅ぎ分けるようにギラリと光った。
「……っ……!」
馬はすでに疲れ切っており、逃げる余力はない。
セリカリーナは素早く馬から飛び降り、帯剣を抜いた。幼き日に父の知己であった剣聖から教わった剣術――そのお陰で学院での剣術の成績は優秀であった。
戦うしかない。ここで死ぬわけにはいかない。
剣を構え、荒い呼吸を抑え込む。
魔獣が唸りを深くし、涎が泡立つ。死の気配が、吐く息のひとつひとつに混じり始めていた。
「こんなところで……私は……死ねないのよ!」
渾身の力で剣を振り下ろす。しかし刃は、魔獣の針金のように硬い体毛に阻まれ、浅くしか通らない。
次の瞬間、魔獣は唸り声と共に飛びかかり、セリカリーナの体を地面に押し倒した。
「きゃっ!?」
喉元に鋭い牙の影が迫る。恐怖と悔しさが胸の奥で入り混じり、呼吸が凍る。
――その瞬間。
地面が低く震え、空気が重く揺らいだ。
木々の向こうから、地を踏み砕くような重い足音が響き――巨大な影が姿を現した。
岩の巨人――ロックゴーレムである。
ロックゴーレムはその巨腕を振り払い、魔獣を一撃で薙ぎ払った。
轟音と共に吹き飛ばされた魔獣は木々をなぎ倒して転がり、立ち上がりはしたがフラフラであり、そのまま茂みの奥へと逃げ去っていった。
セリカリーナはただ、その光景を呆然と見つめていた。
理解よりも先に、頬を伝うものがあった。涙だった。
それが安堵の涙なのか、それともあまりの無力さに流れたものなのか、自分でもわからない。
やがて、視界の端にひとりの男の姿が映る。
その男は、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「おい、無事か?」
低く落ち着いた声――その男は、アルトだった。
その言葉を最後に、セリカリーナの体から緊張の糸がぷつりと切れた。疲労と安堵が一度に押し寄せ、彼女の意識は静かな闇へと溶けていった。
そして、倒れ込んだ彼女の唇から、かすかな寝息だけが零れ落ちた。
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