ミスティー・ナイツ

空川億里

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第16話 雲村博士と、その助手と

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「残念ながら、逃げられました」

 海夢は渋柿でも食ったような顔をした。

「ずらかった刺客は美山さん達のいたビルから道路をはさんで、南側の公園にいたんです。ぼくはビルの西の建物にいて、いつどこから襲撃されても反撃できるようライフルを持って待機してました」

 海夢はマシンガンを撃ってきた刺客の腕をライフルで狙撃した。刺客はマシンガンを落として逃げたのだ。公園の脇の道路に刺客の仲間らしい運転手の乗った車が待機しており、それに乗りこんで去った。

 海夢はライフルで車を狙って撃ったが、残念ながら取り逃がす。逃がした理由の1つは下手をすると、近くにいる無関係の通行人を巻きぞえにする危険もあったからだ。無理に追わなかったのは賢明な判断だと、美山は海夢を慰めた。

「お前の判断は正しかった。とりあえずみんな生きてるし、結果オーライだ。おれも乙成も両手両足の指どころか、髪の毛の数を足しても数えきれない連中から命を狙われてるから、相手が誰だかわからんな」

 美山はしゃべりながら笑ったが、背中の痛みが激しいために、途中で思わず呻いてしまった。

「大丈夫ですか」

 海夢が美山に声をかけた。

「大丈夫だ」

 そうは言ってみたが、美山は自分でも全身から脂汗が出てくるのを感じていた。結局2人は、一旦知りあいの医者の所へ海夢の運転で、車で向かう。普通に座ると背中が痛いので、美山は横座りに腰かけた。

 一般の病院で診察してもらうわけにもいかないので、犯罪者でも治療する顔見知りの闇医者の元を訪れたのだ。そのドクターは、穴見(あなみ)という名前であった。厳密に言うと、彼は現在医師ではない。

 過去の医療ミスと私生活のスキャンダルが原因で、免許を剥奪されたのだ。穴見の家は2階建ての大きな一軒家だがあまり手入れしてないらしく、みすぼらしい外観だった。外壁のところどころがはがれおち、庭の雑草は伸び放題である。

 知らない者が見れば、空き家だと勘違いするだろう。外壁は元々白かったろうが、今は黄色とも茶色ともクリーム色ともドドメ色とも言えそうな、汚らしいカラーにしあがっていた。

 車を路上に停め、美山と海夢は玄関に向かう。海夢が呼び鈴を押すと、しばらくして白髪をボサボサにした、70代ぐらいの男が現れた。吐く息が酒臭く、片手にウィスキーの入ったフラスコを持っている。

「なんだ美山か。久しぶりだな。またヘマでもやらかしたか」

 穴見はニヤリと笑いながら、黄ばんだ乱杭歯を見せた。

「ま、そんなとこだ。穴見のじいさんも元気そうで何よりだ」

「もう、いい歳だ。元気ってほどでもねえよ」

 闇医者は、ぶっきらぼうに返事をした。3人は、穴見家の手術室に向かった。麻酔を打たれ、弾丸がかすめた傷を治療してもらう。

「助かったぜじいさん。料金はいつもみたいに銀行振り込みで支払うわ」

 ベッドに横たわりながら、美山は穴見に向かって話した。

「しばらく安静が必要だが……そうもいかんのだろうな」

 最初から期待してない口調で、元医師がつぶやいた。

「さすがじいさん。話が早いぜ」

「美山さんは心配せずに、しばらく眠っていてください。後は、ぼくらに任せてください」

 海夢が頼もしい笑顔と一緒に言葉を投げた。

                   *

 療養中はあまりに暇なので、美山はテレビばかり観ていた。ニュース番組は、彼と乙成が襲われた事件のあらましを放送していた。刺客が鶴本の手先なら、捕まる可能性は薄いだろう。

 鶴本は裏の世界とも、警察とも太いパイプがある。警察に圧力をかけて犯人を逮捕させない、もしくは捜査させないという芸当は、彼のような大物議員にとって、お茶の子さいさいに違いない。

 型通りの捜査はするが、結局捕まらなかったという終わりにされる可能性はある。仮に犯人が捕まっても、トカゲの尻尾切りのように狙撃手だけがムショにぶちこまれ、背後にいる人物にまで捜査の手は伸びないだろう。

 『天網恢恢疎にして漏らさず』なんて老子の言葉は実際には、ありえぬ理想論だった。だからこそ、美山も逮捕されず済んでるわけだが。彼がそんな考えをめぐらせてる間も、テレビモニターに映ってるニュースキャスターは眉根を寄せて、今度の事件を伝えていた。

 たまたまそばを通りかかった一般人がスマホで撮影した銃撃シーンの動画が、何度も画面で繰り返される。お茶の間やネットでも、しばらくは話題になるだろう。平和な日本で白昼堂々マシンガンが撃たれるなんて、そうそうあるものじゃない。

 が、どうせそのうち世間を騒がす別の事件がマスコミを通じて報道されるに違いない。それは凶悪犯罪やテロだったり、台風や地震等の災害だったり、政治家の失言だったり、芸能人のスキャンダルだったり様々だろうが、死傷者が出たわけでもない今度のケースは、人々の脳裏から消え去る速度も速いはずだ。

 それも無理はないだろう。人間誰しも、自分の生活があるのだから。己の人生や、家族や恋人との暮らしを何とかするのが精一杯という者が大半だろう。結局美山は3日程療養しただけで、復帰した。まだ背中は痛むがしかたない。

 とりあえず2週間分の鎮痛剤を穴見にもらった。海夢が闇医者の家まで車で迎えに来たのでそれに乗り、一緒に羽田空港へ向かった。車はやがて目的の空港に到着する。元々最初から乙成の取材に応じた後で、ここへ来る予定だったのだ。

 空港では、20代ぐらいの若い女が1人で美山達を待っていた。身長は150センチぐらいだろうか。丸顔でメガネをかけている。彼女の名前は達下恋花(たつした れんか)。雲村博士の助手だった。

 会うのは美山も初めてだ。学界では若き天才科学者として、彼女の名前も知られてるそうだ。もっとも見た目はどこにでもいそうな若い女で、そういったエクスキューズがなければ、そんな才能があるようには見えない。

 さてその恋花だが子供のような小さい手には、彼女のサイズに似あわない、どでかい旅行用のキャリーバッグを引きずっていた。バッグを引いてるというよりも、バッグが彼女を引きずってるようだ。

「はじめまして。美山さんと富口さんですか。あたし、達下恋花です。よろしくお願いします」

 恋花はやたらとテンションの高い声であいさつしてきた。目はまるでビー玉のように澄みきって、裏表がなさそうである。裏表がありまくりの黒社会の末席を汚していると、何だか彼女みたいな存在は、まぶしくて近寄れない気になってしまう。後光がさしてるんじゃないかと感じるほどだ。

「話は聞いてる」

 美山は答えた。

「何でも今度の計画に必要な機材を持ってきてくれたそうだな。しかしまあ、あの偏屈じいさんに、助手がいるとは知らなかったぜ。てっきり頑固な人間嫌いだと思ってたんでな」

「雲村博士は、決して人間嫌いじゃありません」

 恋花はアニメキャラのようにかん高い声で主張した。

「博士があまりに天才で、周囲の人がついてけないだけです。100年後には世界中の人々に、理解されてるはずです」

「確かに博士は天才だ。大学を追放されて、本当に気の毒だった。出る杭は打たれるとは、よくいったもんだ……いつかどこかの大学に復帰できるといいんだけどな」

「きっと、そうなります。この広い世界には、博士の理解者が必ず現れると信じてます。日本じゃ無理かもしれないけど、アメリカだったらもしかして……」

 自己紹介が終わった後で、3人は旅客機に乗り、南美島へ出発した。もちろん変装してだ。南美島に着いた美山達は、おそらく鶴本の手の者と思われる連中に深夜襲撃されたアジトとは別のねぐらに向かった。

 ネットのニュースでも、美山と乙成が九死に一生を得た東京でのマシンガン襲撃事件は、大きく報道されていた。当然ながら約束通り美山の名前は出ず、乙成一人が狙われたように報道されている。

 テレビ番組のインタビューに出ていた乙成は、今度の件の詳細は、次号の月刊カオスに書くと表明して、ちゃっかり雑誌の宣伝をしていた。広告料は一切かからないから、内心は笑いが止まらないだろう。

 表面上は神妙にしているので、美山は思わず笑ってしまった。やがて旅客機は、南美島の上空に接近する。青い海に浮かんだ島は緑豊かで美しく、まるで宝石のようだ。やがて飛行機は飛行場に着陸した。

 旅客機を降りた三人はタクシーに乗り、爆破して引き払ったのとは別のアジトまで走らせる。今度のアジトも豪邸だ。常夏のまばゆい陽光を浴びて、白い外壁が目にまぶしい。タクシーを降りて門の前にあるインターホンのボタンを押す。

「今、開ける」

 スピーカーから愛梨の声が流れ出て、門のロックが外れる音がした。美山は手でそれを開けようとしたが、背中に激痛が走った。撃たれた傷が癒えていないのだ。

「ぼくが、やります」

 横から口をはさみながら、海夢が代わりにゲートを開けた。三人が中に入って門を閉めると、オートロックで錠が閉まる。それから美山達は玄関に向かって歩いた。広い庭には南国らしく、椰子やバナナの木も生えてる。玄関のそばまで行くとドアが開いて、雲村博士が現れた。

「よく来たな。疲れたろう」

 雲村博士は助手の恋花を見ると、みっともないぐらいに相好を崩す。いつもの博士とは別人のようだ。

「博士に会えて嬉しいです」

 恋花は黄色い声をあげると、まるで小さな子供のように、雲村にしっかと抱きついた。

「今日は博士に頼まれた物、持ってきました」

 恋花はバッグからキャロッティを取りだした。

「おいおい。こんなロボット、役に立つのかよ」

 美山は呆れて突っこんだ。

「ばかニスルナ。きゃろってぃ、優秀ナろぼっと。必ズ役立ツ」

 ニンジン型のロボットは、丸くてでかい両目を美山の方に向けると四角い口を模したスピーカーから流れでる人工音声で反論した。

「それからあたしも東京で面接に受かったから、今日から鉄道会社の社員です」

 恋花が身分証を見せた。さすがに名前は偽名になってる。

「ちょっといい加減にしろ。そんな話聞いてないぜ。下手に素人が参加したら、とんでもない展開になりかねん」

 美山は呆れて言葉を飛ばす。

「え~っ。いいじゃないですか。あたしも絶対役に立ちます。いいでしょう博士」

 なぜか恋花は博士を向いて頼みこんだ。

「ちょっと待てよ。リーダーはおれだ。勝手な真似されちゃ困る」

 美山は恋花にダメ出しした。

「それに危ない。雲村博士の大切な助手を、危機にさらすわけにはいかない。万が一おれ達の工作が発覚したら、全員豚箱行きだ。警察に捕まるならまだいいが、鶴本の手先に捕まったら、どんなひどい目にあうかわかったもんじゃねえ。悪いけど、君を計画に参加させるわけにはいかない」

 恋花は突然泣きだした。

「そんなの嫌」

 そして突然、走り去ってしまった。

「後で、わしからよく話しとくから」

 表情を曇らせながら、雲村が発言した。

「お願いします。素人に来てもらっちゃ、足手まといだ。博士だってわかるでしょう」

 美山は博士の方を見る。口調が憮然としてるのが、自分でもわかった。彼女は泥棒稼業に巻きこんでいい人ではない。真面目な研究を続け、日本の科学を進歩させるべきだ。

「騒がしいと思ったら、いつのまにか帰ってきたか」

 声がして振りむくと、釘谷の姿があった。

「あの後偽のファックスを送ったんで、消火器の件はばれてない」

「大したもんだ。実行が速い」

「あたりまえよ」

 釘谷が自慢した。

「何十年革命家やってると思っとるんだ」

「大きく出たね。後はいつ、本当のレボリューションを起こせるかだな」

 美山は自称革命家を笑いとばした。

「まじめな話、一緒にやる気はないか。国会議事堂を占拠して、おれ達が新しい理想の国家を作るんだ。大統領はおれがやるけど、首相や書記長は美山に譲ってもいいから」

 釘谷は真顔で誘ってきた。
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