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第26話【お祖父様】
しおりを挟む重厚な鉄製の門扉が静かに開くと、車はゆっくりと西園寺邸の敷地内へと進んでいった。
月明かりを反射する長い石畳の道が、ゆるやかに邸宅へと続いている。
両脇には整然と並んだ並木が影を落とし、庭園の奥では控えめなライトが植栽を淡く照らしていた。
門から玄関までの道を進む間、幸は窓の外に目を向け、思わず息を呑む。
車窓の向こうに広がっていたのは、ドラマや映画でしか見たことのない――“特別な世界”。
やがて車はゆるやかに減速し、重厚な玄関前で静かに停まった。
扉の前には、すでにメイドが文の到着を待ち、静かに佇んでいる。
運転手が素早く後部ドアを開けると、文が先に車を降り、その後に幸が続いた。
降り立った瞬間、ひやりとした夜風が頬をかすめ、幸の胸に期待と緊張が走る。
玄関へ足を踏み入れると、磨き上げられた御影石の床が淡く光を返し、メイドが恭しくスリッパを差し出した。
文と幸はヒールを脱ぎ、用意されたスリッパに履き替える。
廊下には、一目で高価とわかる絵画や壺が整然と飾られ、邸全体に凛とした品格を添えていた。
奥へと進むと、重厚な扉があり、その前には執事の姿。
文と幸を確認すると、執事は静かに一礼し、扉を開ける。
扉の先には、落ち着いた雰囲気の応接間が広がり、文に続いて幸もその部屋へと足を踏み入れた。
革張りのソファには、西園寺勝造がゆったりと腰を下ろしている。
長年、財閥を率いてきた者だけがまとう、揺るぎない威厳と品格がその姿には宿っていた。
背もたれに身を預けたまま、勝造は幸を見つめる。
その眼差しは驚くほど穏やかで優しく、幸が思い描いていた祖父の姿とは、まるで異なっていた。
文と綾乃の会話を耳にしていた幸は、
“厳しくて怖い人に違いない”――そう思い込んでいたのだ。
だが、実際に目にした祖父の印象は、その想像とはかけ離れている。
――厳しさの奥に、深い理解と温かさを秘めている、そんな印象だ。
幸の中で描かれていた祖父のイメージは、その瞬間に塗り替えられた。
「よく来たね、幸」
低く響く声が、応接間の静寂にやわらかく溶け込む。
それでも、初めて会う祖父を前に、緊張は隠せない。
「は、はい……お祖父様」
返す声は、わずかに震え、緊張の色がにじんでいた。
その緊張をほどくように、
「さぁさぁ、座りましょう」
文の柔らかな声が響く。
そして文は幸の腕を取り、勝造の向かいのソファへと共に腰を下ろした。
その間も、勝造は穏やかな表情で幸を見つめている。
――写真では見ていたが、綾乃に似て幸も美しい。
――それに、俊一と同じで、幸の目も澄んでいる。
勝造は、孫の幸を見つめながら、終始にこやかな表情を崩さなかった。
その勝造の姿を見て、文も自然と穏やかな笑みを浮かべる。
「ところで幸。どうして西園寺家に入ろうと思ったんだ?」
勝造が穏やかな口調で問いかけた。
その問いに対しては、文と綾乃で前もって答えを決めていた。
だが、いざ祖父を前にすると、
「そ、それは……」幸の喉は強張り、声が出てこない。
その様子を見て、文が口を開いた。
「綾乃が、幸ちゃんに勧めたんですよ」
「綾乃が勧めた……?」
勝造の眉間に、わずかに皺が寄る。
その変化を見逃さず、文は慌てて言葉を続けた。
「幸ちゃんてね、あなたから見てもなかなかの美人でしょう? でもね、綾乃が言うには、言い寄ってくる男性にあまり良い人がいないみたいなの。変な相手に付きまとわれたら困るじゃない? だから、いっそのこと西園寺家に託した方がいいんじゃないかって話になったのよ」
「……ストーカーに遭っているのか?」
勝造の目が、鋭く光る。
「いえ、今はそういうことはありません。ただ、今後そうなるかもしれないと綾乃が心配していて……それに、幸ちゃんもそろそろお年頃ですから。
ですので、あなたが誰か良い方を見つけてくださればと思いまして。
――あっ、もちろん、幸ちゃんが“生理的に無理”と思うお相手はお断りする、という条件付きですけどね」
文は、冗談めかした口調で勝造に説明した。
その話を聞いた勝造の表情が、たちまちほころぶ。
「そういうことなら、早めに話を進めた方がよさそうだな。幸、いい相手がいるのだが、会ってみないか?」
「えっ?!……あ、あのっ……」
幸が返事をする前に、文が口を開いた。
「そうですね。早めにお会いしてみてもいいかもしれませんね。今週末あたり、どうですか?」
文の判断で話が進み、相手方にも連絡が入る。
幸を置き去りにして、物事はトントン拍子に進んでいく。
そして、文の言った通り、週末に会うことが正式に決まった。
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