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二章 雨が三日続くと夜は藍色に輝く
九話 強者なし 敗者なし 死人のみ(3)
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覚悟を決め直し、更なる籠城を続ける貞昌だが、籠城開始から二週間後に、異変が起きる。
食糧庫のある一帯の地面が、陥没した。
自然現象ではない。
亀姫の所為でもない。
武田の金堀衆(鉱山技術者部隊)が、地下を掘り進んで、外から長篠城内に入る地下道を完成させていた。
食糧庫が一気に地下に埋没し、火を点けられる。
(梅雨の雨音で、気付かなかった!)
(ムカデの旗を見かけなかったのは、不在じゃなくて仕事中だったからだ!)
(こんな落とし辛い城、金堀衆を使うに決まっているだろ? 何を慢心していた、俺は!)
掘り返す暇もなく。食糧が燃えていく。
梅雨なので炎上まではいかなかったが、食糧を台無しにするには充分だ。
食糧のサルベージを断念して、地下道の穴を埋めると、貞昌は残りの食糧を算出させる。
壁に塗り込んだ干瓢や里芋の蔓、塀や柱に重ねておいた松の皮、他の場所に埋めておいた梅干しと味噌、服部半蔵が台所に差し入れた兵糧丸。
「あと五日が限度だな」
(一ヶ月は保たせるつもりだったのに!)
この窮状を岡崎城に報せて、兵糧丸でもいいから差し入れをお願いしないと、長篠城は落ちる。
(誰かに、使い番をしてもらわないと)
誰に死にそうな任務を命じるべきかと思案していると、亀姫が鶏を抱えて台所に行こうとしている。
「亀姫」
「お待ちください、貞昌殿。まずは血抜きですわ。この状況では、鶏の生き血も貴重な栄養源。焼き鳥にするのは、その後!」
「何処で誰が、鶏を手に入れて来たのですか?!」
餌が確保出来ないので、籠城と同時に鶏は食べてしまっている。
「? 亀ではありません。侍女二号が」
鶏の血を受け止めようと徳利を用意していた侍女二号が、外壁の見張りに付いている中年武士・鳥居強右衛門を指差す。
「あの方が、今朝、仕入れて来ました」
貞昌は、直に外壁まで行って、確かめる。
「鳥居強右衛門。あの鶏は、何処で手に入れた?」
「夜中に城を抜けて、武田の足軽と物々交換をしました」
素直に答えてから、鳥居強右衛門は軍法会議にかけられるのではと思い至り、言い訳を必死に考える。
「金品と食糧を交換しただけで、武器とか情報は、一切渡しておりません」
これなら叱責だけで済むかなあと、恐る恐る、若い城主の顔色を伺う。
奥平貞昌は怒っていない。
むしろ、申し訳なさそうに、強右衛門を見詰めている。
鳶ヶ巣山砦では、織田・徳川連合軍との決戦方針を巡り、この段階でも首脳陣が揉めていた。
「この状況なら、数日で長篠城は決着する。織田との決戦前に、懸念材料は全て消える」
総大将である武田勝頼は、断言する。
側近たちが持て囃す中、故・信玄の側近経験者たちは、反論する。
「長篠城を落としても、武田は一万五千。織田・徳川は四万。勝負にならないから、早めに撤退を。今なら無傷で引き返せる」
馬場信春(不死身の名老将)は、常識的な戦力差を説いた。
「信長は、鉄砲三千丁を用意した。火力でも劣っているのに、設楽原(愛知県新城市大宮)で正面から戦うなど、不味い。今回は撤退して、仕切り直すべきだ」
山県昌景(赤備え指揮官)は、地形と火力も不利だと説いた。
「仮に作戦が全て武田に都合良く成功しても、武田の兵数は半数以下に激減します。織田に勝っても、武田は将来が無くなります。北条と上杉に喰われて終わるでしょう」
内藤昌秀(武田の副将)は、無謀な戦争は、国力を損なうだけだと説いた。
「ここで退いても、織田は攻めて来る。守りに入って国力を蓄えるのは、この決戦を済ませてからだ。今現在、織田を叩かずに、事態が好転するとは思うな。
織田信長を戦場で殺す。
武田の半身を削ろうとも、成し遂げる。
確かに武田は多くの兵を失い、北条や上杉に漬け込まれるだろう。
だが、甲斐本国まで攻め込み、武田を根絶やしにする決意を持つのは、織田信長のみ。
これを最優先に叩く。
我々の選択肢は、前に出て織田と斬り結んで死ぬか、引き返して甲斐本国で死ぬかだ」
武田勝頼(武田の総大将)は、織田信長の危険性を訴え、この決戦をキャンセルしない宣言をする。
「兄上が死んでも、帰国せずにそのまま織田を蹴散らして、上京するべきだったな。
あの好機を逃したツケを、俺たちは今、払っているのさ」
一条信龍(信玄の弟、勝頼の後見人)は、達観を披露する。
「なるほど。我々は、とっくに終わっておったか」
馬場信春は、清々したように、もはや反論をしなくなった。
諦観。
それが、武田首脳陣に蔓延する空気だった。
武田勝頼だけが、前に出て抗おうとしている。
迫る『敗戦』に向けて、ベテラン将官たちの間に、共通の課題が出来上がった。
『武田勝頼だけは、逃す』
その為には、長篠城を決戦前に落としておく必要性が、増した。
敗走する際、長篠城が徳川方のままだと、武田にとっては後退する速度が鈍ってしまう。
敵が目と鼻の先で『敗戦後』を真面目に考えているとは知らずに、奥平貞昌は緊急軍議を開いて、鳥居強右衛門に伝令を任せた事を周知させる。
「夜陰に乗じて城から出るから、背中から撃つな。数日後に戻ってくる可能性もあるので、鳥居強右衛門かどうか、確認してから撃つように」
と、周囲に注意しつつ、命令に訂正を加える。
「帰り道の方が危険かもしれぬ。長篠城の窮状を岡崎城に報せるだけでいい」
「分かりました。無理には戻りません」
鳥居強右衛門勝商、三十五歳。
この仕事で、彼の名は教科書に載るレベルにまで、高まる。
食糧庫のある一帯の地面が、陥没した。
自然現象ではない。
亀姫の所為でもない。
武田の金堀衆(鉱山技術者部隊)が、地下を掘り進んで、外から長篠城内に入る地下道を完成させていた。
食糧庫が一気に地下に埋没し、火を点けられる。
(梅雨の雨音で、気付かなかった!)
(ムカデの旗を見かけなかったのは、不在じゃなくて仕事中だったからだ!)
(こんな落とし辛い城、金堀衆を使うに決まっているだろ? 何を慢心していた、俺は!)
掘り返す暇もなく。食糧が燃えていく。
梅雨なので炎上まではいかなかったが、食糧を台無しにするには充分だ。
食糧のサルベージを断念して、地下道の穴を埋めると、貞昌は残りの食糧を算出させる。
壁に塗り込んだ干瓢や里芋の蔓、塀や柱に重ねておいた松の皮、他の場所に埋めておいた梅干しと味噌、服部半蔵が台所に差し入れた兵糧丸。
「あと五日が限度だな」
(一ヶ月は保たせるつもりだったのに!)
この窮状を岡崎城に報せて、兵糧丸でもいいから差し入れをお願いしないと、長篠城は落ちる。
(誰かに、使い番をしてもらわないと)
誰に死にそうな任務を命じるべきかと思案していると、亀姫が鶏を抱えて台所に行こうとしている。
「亀姫」
「お待ちください、貞昌殿。まずは血抜きですわ。この状況では、鶏の生き血も貴重な栄養源。焼き鳥にするのは、その後!」
「何処で誰が、鶏を手に入れて来たのですか?!」
餌が確保出来ないので、籠城と同時に鶏は食べてしまっている。
「? 亀ではありません。侍女二号が」
鶏の血を受け止めようと徳利を用意していた侍女二号が、外壁の見張りに付いている中年武士・鳥居強右衛門を指差す。
「あの方が、今朝、仕入れて来ました」
貞昌は、直に外壁まで行って、確かめる。
「鳥居強右衛門。あの鶏は、何処で手に入れた?」
「夜中に城を抜けて、武田の足軽と物々交換をしました」
素直に答えてから、鳥居強右衛門は軍法会議にかけられるのではと思い至り、言い訳を必死に考える。
「金品と食糧を交換しただけで、武器とか情報は、一切渡しておりません」
これなら叱責だけで済むかなあと、恐る恐る、若い城主の顔色を伺う。
奥平貞昌は怒っていない。
むしろ、申し訳なさそうに、強右衛門を見詰めている。
鳶ヶ巣山砦では、織田・徳川連合軍との決戦方針を巡り、この段階でも首脳陣が揉めていた。
「この状況なら、数日で長篠城は決着する。織田との決戦前に、懸念材料は全て消える」
総大将である武田勝頼は、断言する。
側近たちが持て囃す中、故・信玄の側近経験者たちは、反論する。
「長篠城を落としても、武田は一万五千。織田・徳川は四万。勝負にならないから、早めに撤退を。今なら無傷で引き返せる」
馬場信春(不死身の名老将)は、常識的な戦力差を説いた。
「信長は、鉄砲三千丁を用意した。火力でも劣っているのに、設楽原(愛知県新城市大宮)で正面から戦うなど、不味い。今回は撤退して、仕切り直すべきだ」
山県昌景(赤備え指揮官)は、地形と火力も不利だと説いた。
「仮に作戦が全て武田に都合良く成功しても、武田の兵数は半数以下に激減します。織田に勝っても、武田は将来が無くなります。北条と上杉に喰われて終わるでしょう」
内藤昌秀(武田の副将)は、無謀な戦争は、国力を損なうだけだと説いた。
「ここで退いても、織田は攻めて来る。守りに入って国力を蓄えるのは、この決戦を済ませてからだ。今現在、織田を叩かずに、事態が好転するとは思うな。
織田信長を戦場で殺す。
武田の半身を削ろうとも、成し遂げる。
確かに武田は多くの兵を失い、北条や上杉に漬け込まれるだろう。
だが、甲斐本国まで攻め込み、武田を根絶やしにする決意を持つのは、織田信長のみ。
これを最優先に叩く。
我々の選択肢は、前に出て織田と斬り結んで死ぬか、引き返して甲斐本国で死ぬかだ」
武田勝頼(武田の総大将)は、織田信長の危険性を訴え、この決戦をキャンセルしない宣言をする。
「兄上が死んでも、帰国せずにそのまま織田を蹴散らして、上京するべきだったな。
あの好機を逃したツケを、俺たちは今、払っているのさ」
一条信龍(信玄の弟、勝頼の後見人)は、達観を披露する。
「なるほど。我々は、とっくに終わっておったか」
馬場信春は、清々したように、もはや反論をしなくなった。
諦観。
それが、武田首脳陣に蔓延する空気だった。
武田勝頼だけが、前に出て抗おうとしている。
迫る『敗戦』に向けて、ベテラン将官たちの間に、共通の課題が出来上がった。
『武田勝頼だけは、逃す』
その為には、長篠城を決戦前に落としておく必要性が、増した。
敗走する際、長篠城が徳川方のままだと、武田にとっては後退する速度が鈍ってしまう。
敵が目と鼻の先で『敗戦後』を真面目に考えているとは知らずに、奥平貞昌は緊急軍議を開いて、鳥居強右衛門に伝令を任せた事を周知させる。
「夜陰に乗じて城から出るから、背中から撃つな。数日後に戻ってくる可能性もあるので、鳥居強右衛門かどうか、確認してから撃つように」
と、周囲に注意しつつ、命令に訂正を加える。
「帰り道の方が危険かもしれぬ。長篠城の窮状を岡崎城に報せるだけでいい」
「分かりました。無理には戻りません」
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