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溶けだす想い、溢れる心(後編)

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「それって?」
『あっ、もぉ…自分で取るからいいよ。』

焦れたような声で言われて、何が欲しかったのか?と光が手を伸ばす先を見た。

「それ…」
『リップクリーム。』
「女の子みたいだ。」
へぇ~、と感心しながら居心地が悪そうにする光が
『ジロジロ見られたら、使いにくいんだけど。』

蓋を開けたままで、躊躇っている。
あの、塗る仕草を見られたくないのか?
まぁ、確かに…。
光がしても不自然さは
無いと思うけど。

『考えてる事、当ててあげようか?兄様。どーせ、女の子みたいにコレを塗る仕草想像してたんだろ?残念ながら、リップクリームは縦に塗るのが効果的なんだよ。』

くすっ、と笑って
躊躇いも無く自信ありげにしている様子が
何だか無性に可愛い。

「に、兄様って…いくつで言ってるんだよ。」
『え?別に…。ただ、なんとなく。』

きゅ、と唇を食み
薄く開く。
こんな何気ない動作一つにさえ光には意識してしまうのは、俺も焼きがまわったものだ。

昔から、大切に大切に育てられて来た光は
手指や、つま先まで
隙が無く白くて綺麗だ。
着物を着ても様になり
洋服は勿論。

自分の在り方や、見せ方を
心得てる気がした。
よく、冷たい印象を
持たれる事に悩んでいた
光だが、人見知りなだけだ。
知ってる人としか、極力話さないらしく…
それでは、いけないと
なるべく多くの人の話を聞きなさい、そう言い聞かせてきた。
光は、京都に対して強い憧れがあるらしく
楓と引き合わせた時のこと…。

「楓、今日は弟(光)を連れてきたんだ。楓に憧れてるみたいで、話してやって貰えないか?」

県会議が終わった後の
夕食会で楓を捕まえて
恥ずかしがる光を、楓の前に出させた。

『いらんこと、せんで!楓、困っとるし…』
真っ赤になって怒る光をなだめて、楓の傍に居たタローを手招く。
『大地~、と…珍しいね?俺に用?ね、ね、大地は売薬さんなんやろ?紙風船ちょうだい、ちょうだい!』

元気いっぱいのタローが
愛くるしくて、思わず目元がほころぶ。

まさに、光とは正反対のタロー。
「タロー、しばらく楓、貸してやって欲しい。光はな…楓に憧れてるんだ。」

オレンジジュースを飲みながら、タローが光と楓を遠目に見てる。

『うん、いいよ?でもあげないけどね。楓がいなくなると…俺はすご~く困るから。』
柔らかな橙色のタローの
髪を撫でる。

「俺も、光がいないと…すご~く困るよ。それにしてもタロー可愛いな、抱っこしたくなるわ。」

タローといると、弟みたいに思えてきて可愛がりたくなる。
『ぶはっ、抱っこ?楓にからかわれちゃうよ。え、なになに~?大地もショタなの』
「なんだそれ?」
『…わかんないなら、大丈夫。けどさ、大地が本当に抱っこしたいのは多分俺じゃなくて…光だよね。』

優しげな瞳で微笑まれ、
タローに全てを見透かされたような気がした。
楓と長年いたタローは、
もう充分に
そういう感情を、熟知していた。

「おませさんだな。」
『千年近く生きてりゃ、見透かすくらいワケないよ。』
そうだ、この煮詰まらない気持ちも、いつかは
時間が解決するのだろうか?

選び続ける毎日の
細かな選択肢がたどり着く先は…。

『ハッキリさせたかったら、手伝うよ?俺と大地が抱っこしてイチャイチャするのを光が見て、どうするかって話でしょ』

光なら…
だれでもいいんだ、へ~。
もう、近寄らないでね。

とか平気で言うと思います。
光は、二人きりの時しか
そういう顔を決して見せない。
ごく、短い間に
いかに本心を引き出すかが大事。
その前から、あらゆる
しがらみとか、罪悪感を
解放してらやないといけない。
それは、えらく難しい。



『大地、大地…光、戻ってきたよ?』
ほんのり頬がまだ赤い。
緊張していたんだろう。
でも、目は穏やかだった。

「楽しかったみたいだな。良かった…」

手を伸ばせば届く距離で
『楓さん、かっこよ過ぎる!いいな、タロー…』

ぼそっ、と言われた言葉が
耳は捉えていた。
「…光。」
『ちょっと、大地傷付けるのは見てらんないよ~。光は、いけずだよね。』

黙って居られないタローが光を一瞥する。
「タロー、大丈夫だから…光を怒らすな。」

『いけず…?それは大地の事じゃない、緊張するから嫌だって言ったのに。こんなトコでタローと二人でコソコソして!』

なんか、大いに誤解されてしまってる。
どうしよう。とりあえず、
タローを楓の元に帰そう。
こんな時だからこそ、冷静に。

『コソコソなんてしてない、光を心配してるんだよ…大地は。そんな事も言わなきゃわかんないの?』

タローが珍しく、くってかかる。
楓、気付け…今すぐ…

まぁ、楓なら一人になれば
自動的にタローを探しに来るだろ。

『タローに言ってないから、話してるのは大地だし。』
だんだん、空気に不純物が
混じってくるような
嫌な感覚がする。

『こら、大声で騒ぐな。みっともない。』

案の定、手持ち無沙汰になった楓がタローを回収にやって来た。

「楓、遅い。この仔犬二匹が喧嘩しかかってた。」

…そうなの?
と、でも言いたげに楓は
光と、タローを交互に見た。
『だって、光ってば素直じゃないから…聞いててイライラする。ひねくれちゃってんだよ。』

光は、光で精いっぱいなんだけどな。多分伝わりにくいんだ。
光の瞳に生気が無い。
こんな所から早く抜け出したいんだろう。

『誰にでも尻尾振るような趣味は無いんだよ。誰かさんみたいにね…。』
……、キツイ。
ツライ。

「こら、止めなさい。タロー、悪いな。光は本気で言ってないから許してやってくれ。」
光の両肩を掴んで
なだめる。
『大地の事、好きなくせに…大地を傷つけるな!アホ』

これ以上は、と
楓がタローの口を片手で塞いで、廊下へと連れ出す。
「仲良く出来ないなら、帰るしかないだろ。行くぞ、光。」

事態を聞きつけて、葵が
やって来た。

『残念な様、見せてくれたな。貴様ら…何のための夕食会だと思ってる?お前ら今日は帰れ。少し頭を冷やすんだな。楓も、そうするだろう。』

やれやれと、苦笑を浮かべている葵に深々と礼をした。

「申し訳ありません。見苦しい所をお見せしてしまいまして…では、失礼致します。」

光と共に、会議場を後にした。

『……』
ふと、光の方を見やると
目に涙をいっぱい溜めた
状態で、震えていた。
「大丈夫か?」

まさか、あんな場で
この光が大声出したりするなんて。

『ごめんなさい…。ただ、人にどうこう言われたく無かった、大地との事は。』

正直な気持ちだと思う。
光だって、迷いがある。
俺にも迷いがあるように…
タローは正しい。
が、光とは考えが違う。

『タローの事、嫌いとかじゃないんだ。皆が皆あんな風になれる訳じゃ無いから。それを押し付けられたみたいで、ちょっと嫌だった。』

部屋を出てすぐの
展望室に入る。
少し窓が開いてて、風が
静かに吹き抜けてる。

備え付けの自販機で
珈琲を買って、外を見ながら頭を冷やす。

「もう、夕方は寒いな。」
『…。』
「光、きっと俺も同じ事を悩んでる。だからかな?今は、誰かの意見を素直に鵜呑みにできないんだ。結局答えは、自分が出すって頭では分かり切ってるから。」
うん、うん…
と、素直に光がこちらを
見ながら頷く。
二人でいる時の光は
実に素直だ。

『びっくりした…。こんな事は初めてかも。みんなの前で言い合ったり叱られて、その場を去るとか。』
光は、優等生だったから。

「譲れないものが無くちゃ、あんなに熱くはなれないよ。」
艶の映える綺麗な黒髮を
優しく撫でる。

『そっかぁ…。じゃあ、タローには感謝しなくちゃ。一瞬だけね、スッキリしたんだよ。あんな本音ぶつけたのも、珍しいから。』

可哀想に、タロー…。
ちょっとした被害者じゃないのか?

『俺ね、大地が…好きとか嫌いとかは論じたくないんだ。そんなのは、意味がない。不毛だよ。』

持ってたカップを
落としかけた。

「…そ、そうか。やっぱりき『だって、無条件で好きだよ。じゃなきゃ…傍になんかいたくない。』」

夕景に、なびく光の髪が
飾らない笑顔が
あまりに鮮明で、
この一瞬をずっと記憶できたら、と感じずには
いられなかった。

「やっぱり、光は俺の一番だな。周りに、いい顔出来なくてもいい。ちょっと、とっつきにくそうでも構わない。そうやって笑ってくれるだけで…全部が報われた気がする。」

『俺、あんまり上手く何でかわかんないけど、伝えられないって諦めてるとこあるんだ。知ってると思うけど…そういうのは、辛いなって思い続けてきた。俺が一番怖いのは…また、大地が離れちゃう事だよ。』

一緒にいるはずの相手が
いなくなった。
それを知った時の気持ちは、光にしか分からない。

「…これ以上離れたりはしないよ。光が俺を避けたり嫌ったりしなければ。」

『朝、起きて…隣に大地が居てくれるのが本当の世界だったはずなのに。どこで間違って、大地がいなくなったのかって。そうしたら、もう朝からずっと心に雨が降るような気持ちになるんだ。』

依存。
そんな簡単な単語じゃ
光の心の闇は例えきれない。
「朝から?だから遊びに行ってもだいたい横になってるのか?」
『これでも、大地が来てくれる日は体調がいいんだけどな。』

光は、元々体が弱く
蒼白したような肌の色は
それを表しているようで
定期的に、家から滋養強壮の薬用酒などを持って行ってた。

「気の持ち方も、少しは影響されるから。そうだな、くよくよしない!とか?」

くすくす隣で手摺りに腕を掛けて笑っている光。

『それで、元気になれたら本当に良いんだけどね。でも大地が居てくれると、楽しいかも。それこそ、くよくよしなさそう。』

最後の瞬間を
俺と光は一緒に迎えた、
あの日。

憎悪で満たされていた
はずの最悪な関係から、想い合うに至るまで…


《貴方の良心が、引き起こした結果が…二人の終わり。》

「さっきは、変な気をつかって悪かった。余計な事だったよな。」
『?あ、楓さんの…?そうだなぁ、余計と言うかね。無理しなくていいのに、とは思ったよ。』

俺だって、楓の事を憧れてる光は…何だか悔しいと言うか。
そうなるよなぁ、と何も言えない。
そういう小さな嫉妬とかは、惨めだと思って
何とかそれを振り払いたくて苦肉の策が、アレだった。

「意識して無いと言えばウソになるか。」

『それでいいんじゃないの?俺、別に…大地に楓さんみたいなのは求めてないんだから。』

何とも…喜べもしない。

「そう…だよな。」

『うん。あんな緊張する人いないよ、だから…大地には今のままで居て欲しいな。一緒に布団でダラダラするのも、悪くないよ。』

「そろそろ、布団から出てたまには二人で外に出たいけど…どうだ?」

『もう、秋だよね。寒くなるよね、来年の春はイイよ。』

…過去に帰って、沢山外で遊んでやるんだった。

「なるべく、逢いに行く。」
きゅ、と手を握る。
冷たい指先の光の手。
『…ん。どこにも行かないで待ってるよ。』

すっかり肩が冷えてきて、廊下に戻ると
楓とタローと鉢合わせる。

「あっ、さっきは申し訳ない…。」
『タロー、ごめん。』

気まずい雰囲気で謝ると
タローは
『俺ね、幸せになって貰いたいよ。特に…光と大地には。だから、ああ言った。自分らで、掴み取らなきゃ!せっかくまた一緒に生きてるんだから。』

楓は、タローを静観している。
「そうか、ありがとう。タロー。」
『…大地は、俺の光なんだ。だから、失いたくない。それだけはこの先もずっと変わらずに思ってる。』

光の言葉に、タローが微笑む。
『大丈夫だよ、光は、いつだってそこにあるんだから。』
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