上 下
4 / 6

過去との対峙

しおりを挟む
「お隣の娘さんが昨日結納だったらしい。」
ぽつりと、口をついで出たのは羨ましさからだろうか?
「結納?ゆい…?」

日本の滞在期間が長くはなってきたものの、まだ知らない言葉
もエスカデはある。

説明するのはいいのだが、気を悪くしないだろうか?

やはり、エスカデも私も籍を入れられないということを内心
気にかけている。

なるべくそういう会話の内容は避けてきたけれど。
女性としての気持ちが日々強くなっていく中で、やはり
結婚というものにカタチだけだが、こだわってしまう。

「私も…人間になれたなら、ちゃんとエスカデと結婚してもらい
たかった。」

今日は、やけに気持ちがすらすらと表に出てしまう。
それは夕食のときに頂き物のワインをエスカデと飲んでしまった
からだろう。

深みのある上等な赤ワインだった。
口当たりもよくて、珍しく酒が進んでしまった。

頬が紅くほんのり染まる頃、寝室へとエスカデに連れて行かれて
くんくんとエスカデの首もとの匂いを嗅いでいるだけで、
本当に幸せで。

すぐにあっちの世界に行きそうになる。
いっぱいいつものように、あちこちに触れられて口付けも何度
したのかわからないくらい。
けど、私は…今日の私はなんとなく寂しかった。

エスカデが、ずっと私の傍にいられる訳が無い。
エスカデの寿命も考えてしまう。
私は、エスカデの思っている以上にエスカデが…愛しい。 

共依存しているという自覚はある。
何かで繋がっていたい。
結は、こちらの世界には居ないし。
人間が羨ましい。

私も、普通の家庭とか…持ってみたかった。
大好きなエスカデの顔…。
そっと唇を寄せてみる。

一緒に居るけれど、少し切なくて苦しい。
「人間と、変わらないよ。葵どうしたの?困ったこととか、悩みが
あったらいつでも相談に乗るよ。私がなんとかできることならいいけど。」

温かな手のひらでエスカデが私の頬を包み込む。
エスカデの澄んだ瞳に映る私は、不安そうだ。
こんなに立派なエスカデといつも一緒にいられているのに。

「結婚したいよね、私もしたいです。というか、むしろ毎日がそんな
生活をしていると思っていますよ?葵は私の妻ですし。伴侶です。
子供もいますし、順風満帆なんです。私は、葵のおかげでとても
幸せです。葵とだから、そう感じているのだと思います。」

「………。」
エスカデは、ずっと変わらずに謙虚で優しい。
仕事に誇りを持っていて、いつも本当に頑張っている。

少しだけだが、近くで仕事ぶりを見ていて改めてエスカデと
いう人間を愛した理由がなんとなくわかった。

いつも真摯に向き合っている。
あと、惚気では無いが…、こんなにも自分の事を想ってくれているのが
すごく嬉しい。私も気持ちに応えたくなる。

けど、それができていない気がして時々こんな風に不安になる。

「…葵、もしかして白無垢とかウエディングドレスに憧れてる?」

「えっ…!それ、は…。」

思いがけない質問に不意をつかれて赤面してしまう。
心の中を読まれたみたいで、なんとも恥ずかしい。

単純に思われただろうか?
「…?」
「ちょ、っと…だけ」

恥ずかしすぎて視線を逸らすと、エスカデの目が細められる。

「そうですよね、葵は女の子だからやっぱり憧れますよね?
実は、あまり興味が無いのかな、と思っていたので…。」

「そんな事は、無い。人知れず憧れてはいた。でも、気持ち次第では
男にもなってしまう私が着たいだなんて…おかしいだろう。」

はたはたと手のひらで顔を扇いでまた、エスカデに視線を戻す。

「えー、そんなのは関係ないですよ。私もむしろ見てみたいんです。
ウエディングドレスのまま美味しくいただくのがベストかと。」

「…;早速そっちの事を考えていたのか?全く…あれは神聖な衣装
だというのに。」

えいっ、とエスカデの頬をゆるく両手でつまむ。
こんな事をしていてもエスカデは無駄にハンサムで困る。
この助平なトコさえ押えられたなら、本当に完璧な人間だ。

「葵が大好きだからですよ。葵~。可愛いです。」

ぺ、と手を解いて葵を抱きすくめる。
「本当に、中毒みたいだな。」

「葵も私の事…」
「ん?あぁ…今更恥ずかしいけど、一番大切だ。」

「ふふっ、嬉しいですね。幸せですよ。あぁ~日本ではまとまった
休みが取りづらいのでなかなか国に帰れません。」

「えっ!?アメリカに帰るのか?」
また、私は留守番だろうか?

「いいえ。葵と…せめて写真だけでも撮りたいと思って。
ドレス着せてあげたいです。」

「写真かぁ。…なんだか出会うきっかけになった写真を思い出す。」
「あ、彼にお願いしてみてはどうですか?」

懐かしいな。
もう、あれから何年が経っただろう。
何気ない気持ちで撮ってもらった写真が、まさかこのエスカデの
目にとまって一緒に生活するようになるなんて。

「連絡、こちらから時々していたんだよ。実は。」
「そうなのかい?もしかして、私の事ももう相手に伝わっているんですか?」

「うん。伝えてある。すごく大切な人になった、と。そしたら、彼も驚いていた。
まさか、あの時の医学生がそんな事をするなんて…って。」

「私も若かったんですね。でもね、この人に現実で会ってみたいって思ったのは
初めてだったよ。しかも私は男の人だって事もすっかり忘れていた。一目惚れです。」

エスカデの行動力は、今でも私をドキドキさせる。
すごく見ていてどうなるのかと思うけれど、いつもいい方向に物事が進んでいくから。
天性のものだと思う。

「私、男色では無いから。」
「知っています。けど、一時期そういう噂が軍部で流れていましたよね?」

「…!?何で知っている。」
「まぁ、葵は有名だったのですよ。隠しているみたいでしたけど。」

「でも、今は無関係だ。…一応これでも妻はいたんだがな。」
「!?」
「ん?」

「聞いたこと無かったけど!?その事。」
「いや、話したはずだ。」
「嘘だー!!」

エスカデが乱心し始めている。
余計なこと、言っただろうか?

「あの…でも、無理やり婿入りさせられただけだし。夫婦生活も全く無かったし。
すぐに離縁したんだ。」

あの頃の生活を思い出すと胸の奥が鈍く痛くなる。
時代も悪かったし、ピリピリしていたし。

私も軍での仕事が生活の全てといって良いほどだったので、思い出すのが辛い。

「私の葵が…。ショックです。…。」
「その、敗戦前に相手は部下と一緒になったものだから。私の中ではもう無かったことに
なっていて。身体も女性になっていく中でそっちに気がいっていてエスカデにはちゃんと
話せていなかったな。申し訳ない。」

エスカデの血の気が少し引いている。
そんなにも私はひどい事をしたと言うことだ。

「葵は、神様だから。私と一緒にいてくれるだけでも有難い事なんですよね?」

それでも、めげないエスカデの瞳がすごく意地らしくて。
この人間をここまでさせる自分に、罪の意識さえ芽生えそうになる。

「神様だというのは、言わないで欲しい。私は日元 葵という一人の人間の
つもりだから。神様になんかなりたくなかった。」

「えー、でも葵って本当にらしいと思いますよ。お酒好きだし、お餅好きだし。本当に
神様なんだなーって思います。」

「お酒は滅多に飲まないだろう?でも、嫌いでは無いな。昔はかなり飲んでいたかも。」

「今日も美味しそうにワイン戴いてましたし。…可愛いなーって思いながら見てました。」

「そ、…そんなに見なくていいから。…あの、先ほどの件だけども私でも本当に良い?
エスカデに出会ってからずっと変わらない気持ちでいたかった。正直、後悔している。」

ぎゅっ、とエスカデの背中に両腕をまわして目を閉じる。

「どんなことになっても、私の葵が一番ですよ。私とずーっと一緒に居てください。
私も、葵の傍にずっといたいです。」

エスカデ…。
自然と涙がこみ上げてきた。

「もちろん。エスカデ…私を思ってくれてありがとう。これからも、色々と迷惑かけるかも
しれないけれど…どうか一緒にいてください。」
静かに額に口付けて笑みをこぼすと、

「…あれ?」
「ん?」
「さっきから、気になっていたんだけど…今日の葵ちょっといつもと匂いが違う気が
します。なんなんだろう?」

匂いって…、
そんなに毎日嗅がれていたのか。

「どんな?」
「甘ったるい匂い…どこからかな?」

すんすんとエスカデが葵の体の匂いを嗅ぐ。

「あ…。」
とある箇所まできて、エスカデが嗅ぐのをやめた。

「!そっ、そこは…違うだろう?」
「じゃあ、他にどこが考えられるっていうの?」
この男は…。

「産婦人科の沖先生に見られちゃったもんなぁ…。ちょっとショックだったなー。」

「でも、妊娠していたのだから。あの時は。」

頭を優しく撫で撫ですると、エスカデの表情も和らぐ。

「まぁね。お腹ぽこっとしてて、けど可愛かった。」

「…そうか?」
「うん。すごーく、可愛いよ。…はぁ。」

「エスカデ…。きっと、私も同じ気持ちだと思う。」

「解るのかい?」
「そりゃまぁ。…なんとなく。」

気持ちを理解できる。
だって、私もエスカデと…。

「この匂いで、エスカデを誘っているのかな?」

「動物みたい。でも、こんなあからさまにいい匂いがして
何もしないオスは駄目だよね。」

いつもの、含みのある夜のエスカデの笑顔。
しおりを挟む

処理中です...