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嵐の後の月。

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報われない恋をする事は、愚かだろうか?
傍から見れば滑稽なのかもしれない。
僕は、遠いと思い込んでいた雷に、一度ならず二度も打たれた気分だった。
激しい雷鳴が轟くと、店の電気が落ちた。

最悪の状況が、一つまた一つと用意されていく。
僕は、彼の言葉を思い出していた。
当時の彼が、目の前に幻影として現れたという感覚でも無くて
なぜか彼は、篠原くんに宿っているかの様に見えた。

「…停電、大丈夫、すぐに回復するはずだから。」
僕は、焦りもしなかったけど。店に予備の電源などあるはずもない事に
むしろ開き直っていた。
時間が解決する事を悩む必要はない。
僕は、事務所の引き出しに入れてある小さなランタンのスイッチを入れて机の上に置いた。
暗闇の中に浮かぶ2人分の影。

『ついてないですね…。外も、真っ暗。』
「警備システムが回復するまで、出られないけど。篠原くん、平気?」
何が、と自分でも問い返したくなるような聞き方だけれど。
僕は、責任者として残らなければいけないが
夜も遅いこんな時間に、付き合わせてしまう罪悪感が拭えなかった。

『暗所も、閉所も…俺は平気なんですよ。』
「すぐに復旧する事もあるけど、一概には言えないから。申し訳ないなぁ…。僕が引き留めたばっかりに。」
『店長のせいに、したいなんて微塵も思ってませんから。そんなに自分を責めないで下さい。』
篠原くんは、事務所の椅子に座ってランタンの明かりを見つめていた。
「さっきの、ピアノの話だけど、」
『…ぇ、あぁ…曲終わっちゃいましたね。今流れてるのは、そっか。色んな曲が録音されてます?』
「音楽の父に、交響曲の父、彼の好みは僕とは全然違うんだけどね。」
『店長の友人、いつかピアノの演奏を聴いてみたいです。』

僕は、何て答えたらいいのか探りながら
「彼も、きっと喜ぶと思う。篠原くんにきっと興味を持ったことだろうなぁ。」
『…なんだか、店長の言い方だと、過去形みたいに聞こえますよ。まだ、店長と同い年でしょう?』
いつかは、誰かに、彼の話をする時が来るかもしれない。と、覚悟はしていた。

「それがね、哀しいけど…過去の事みたいに言ってしまうんだよ。もう、この世には…」
『店長…。謝るのも、何だか違う気がして、俺…何て言ったら良いのか分からないけど。店長が嫌じゃなかったら、
どんな人だったのか、俺に聞かせてもらえませんか。』
僕の心の奥底を、のぞき込もうとする者を今までは排除してきた。
なのに、篠原くんになら…聞いてもらいたいと思えたんだ。

彼と、篠原くんを僕が重ねてしまったのだろか?分からない。
でも、こんなにも素晴らしい人が居た事を誰かに伝えたいと、初めて思った。
「彼は、僕の初恋の相手なんだ。中学に入ってすぐに仲良くなった。親友だよ。たった3年間を
僕と彼は本当に楽しく、日々を過ごしていた。絶対、誰にも話す事なく、僕はこのまま一人で生きていくんだと
思っていたから。篠原くんに、聞いて貰える事がすごく嬉しいんだ。」

18年前を振り返る。怖くて、同じ場所からずっと動けずにいた僕は
今まで多くの人の背中を見送るばかりだった。
共に歩みたい存在が、側にはもう無くて。
『俺が生まれた年は、店長にとっては…』
「う、ん…そうかもしれない。数年は重い悲しみだけに心が潰れそうになっているんだけどね。ある日を境に
彼の存在が本当に尊い…何て言えばいいのかな?神格化された気がするんだよ。そして、思い出す記憶の彼が
本当に、綺麗で美しくて、いわゆる美化されていく。この頃になると心は少しだけ浮上する。僕の場合だけどね。
そして何よりも、自分の生について考え出すものだった。年月が、心の傷を癒すのは本当かもしれない。でも、満たす事は
また、自分の別として考えるものだと思い知ったよ。」

饒舌そうに思われるかもしれないけど、日頃僕が話さなかった言葉は全て
凝縮されて吐き出された事だろう。
『店長は、人に期待もしてませんよね。あんまりハナから信頼してない。』
「自分ができてれば、いいや。って思う。」
『だから、バイトがすぐ辞めるんですよ。』
痛い所を突かれて、僕は苦笑いする。
「うん。人事の人にも言われた事があるね。店長がいなくても、回る店でないと、って。」
『優しさで、成長する機会を減らしちゃってる。』

篠原くんの観察眼の鋭さに、驚きながら僕はチラッと盗み見る。
『目も全然、合わせてくれないですし。アイコンタクトって、大事なの…店長なら解ってますよね?』
「ハイ…。」
『嫌われてるのかな?って、勘違いされますよ。』
「え、誰に…?」
『俺にですよ。』
篠原くんは、あどけない年相応の笑顔を浮かべた。
「嫌われてるのかな?って、そんな事思うの、篠原くん。へぇ…」
危うく、考え過ぎじゃない?と
無神経な事を言いそうになって留まった。

『思いますね。店長の事…好きなので。』
「本当に?僕も、篠原くんと話してると久しぶりに楽しくてさ。」
『……それだけ!?』
「ごめん。僕、あんまり人付き合いってして来なかったから。どうしたらいいのか分からなくてさ。」
『プライベートでまで、バイトの人間と付き合うのがイヤなら、遠慮なく言って下さいね。』
どうなんだろう?まだまだ、篠原くんと言う存在を知らない以上
見えない事が多すぎる。

「あの、…篠原くん。僕の名前知ってる?」
『はい。知ってますよ。幸来。ですよね。変わった読み方なんで、すぐ覚えました。』
「…!ちょ、っと…、いきなり下の名前で呼ぶ?」
『え、店長が名前を知ってるかって、聞いたから。苗字は苗字で、別でしょ。』
「ぁ、うん。そうなんだけどさ…。久しぶりに下の名前で呼ばれた。」
『ふーん…。彼には、たくさん呼ばれてたんでしょ?じゃ、俺も呼んでいいですかね。』
篠原くんは、僕をうかがう様に首を傾いでいる。

「店に居る時は、絶対ダメ。」
『…今は?』
「い、ま…は、良いんじゃないかな。」
『家に着くまでが、…じゃないんだ?』
「篠原くん!僕を、からかうのは…本当にやめてくれるかな?僕もまだね、確かに彼の事を引きずって生きてるから。」
『良いですよ。俺は、今の店長が好きなんで。忘れられない事が悪いだなんて思いません。その人と居て、店長が幸せだった
事実も、辛い思いもひっくるめて今の店長が在る。そう、思います。』

篠原くんと僕は、数時間語らった。
草木も眠る時間に、ようやく電力は復旧し
警備システムも正常に戻ったのを確認してから
すっかり雨の止んだ外に出て、施錠をした。
『…良かった。月が顔出してますよ。帰りますね、お疲れ様です店長。』
「寿杏くん…。長い時間、拘束させちゃってゴメン。ありがとう、お疲れさま。気を付けて帰るんだよ。」
『!ハイ。』
篠原くんを見送ってから、僕は家路につく。
遠地点の月をながめながら、
頭の中には、月の光。が流れていた。

僕の揺れる心とリンクする。
触れられない、美しい月は彼の存在そのものと似ている。
希望を見出す事に恐れをなして、
虚像を胸に抱き燃焼するものさえも無くなった事に
気が付かない。

月は、人を惑わせる。
どこに居ても僕を照らしてしまう。
かと思えば、姿を潜めて僕の心を不安にさせる。

篠原くんの告白に、僕は上手く応えられなかったけれど
彼と何となく似てる篠原くんが、日々心の中で大きく
なっていっている事は、確かだった。

僕は、敗れた恋だけで生きて来た人間だから。
叶う恋も知らないし、ましてや
愛にもまだ触れた事が無い。

月に触れたいという心と、愛に触れたいという
心理は、どこか同じ気がしていた。

家に戻れば、いつもの僕を迎えてくれる
自分だけの空間がある。
眠りに就けば、優しい悪夢が僕を今夜も誘う事だろう。

助けなんていらない。
終わらない夢を、願う日々だから。
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