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予感。

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「講義長引いたな…」

隣には、裕乃が居て外はもう日が暮れていた。

俺は、最近変化のあった裕乃の事に関して話題に出しても良いのか

モヤモヤしていた。


『あの講師の先生は、自分語りしだすと長いからね。今、何時?』

ふと、距離が縮まって俺の時計を見るのが何となくの

癖となっている裕乃に、不思議なくすぐったさを覚えた。


今時、スマホがあれば時計はいらないって人も多いんだろうけど。

俺は、少しアナログを感じさせる事が好きで。

中学の時から愛用している時計を裕乃に、見える様にかざした。


「来る?何かしら食べるものは作れるけど。」

『…でも、雨降りそうじゃない?』


心配性な、らしい言葉で雲の流れを見つめていた。

「その時は、その時でまた考えればいいよ。」

楽観主義者な俺と、心配性な裕乃はバランスが取れているように思える。

『じゃ、お邪魔させてもらおうかな。』


気軽な関係で良いと思っていても、相手がそうは思っていない事もある。

探り探りではあるけれど、俺は裕乃と仲良くここまでやって来た自負がある。

俺が暮らしてるアパートは、遅刻防止のために両親が勝手に

大学の真ん前の部屋に決めてしまった。


今でこそ楽で仕方ないけれど、入学当初はなんとなく嫌だった。

でも、友人が出来てからは考えも変わって

快適な生活を送っている。


夜の7時を回っている、部屋に戻ってから裕乃も

リビングに来て両親に連絡を取っていた。

『…ちょっと、言うの遅かったみたい。母さんに、悪い事しちゃったかな。』

俺は、鞄を片付け終えるとキッチンで手を洗いつつ、

耳だけは裕乃の言葉に聞き入った。


「一応、謝ったんだろ?」

『うん。多分、寂しいのかな…こんな風に俺が、あ…ほら。ウチ、結構過保護だからさ。

いい加減、お互いに親離れ子離れしてかないとね。』


裕乃は、一人っ子だから親が過保護になってしまうのは

何と言うか、仕方ない気もする。

『未来は?お母さん寂しがってない?』

「ウチは、下に妹が居るからな。まだ高校生だし。」


俺のすぐ後ろに来て、裕乃は

『何作るの?俺もやってみたい。』

少し幼げに覗き込んで来た。

「そーんな、大したものじゃないけど…。ガパオライス。」

『ぇ…!?そんなの作れるの?ああいうのって、お店で食べる感覚かと思ってた。』


あんまり期待されたんじゃ、ハードルが上がるって。

俺は、裕乃の言葉に笑いながら冷蔵庫を開けた。

「裕乃、包丁…トントン出来るか?」


一瞬、キョトンとした顔をして裕乃は

『いいよ?未来だったら。馬鹿にしても…。』

にこりと笑って見せた。

俺は、何となく言葉にあやがあったかと、焦ったけれど

『なんてね、冗談だよ。…何切るの?』

何事も無かった表情でまな板の上の包丁を手にする前に

手を洗った。


「パプリカ、食べやすい大きさに切って。後はバジルの葉を摘んどいて。」

裕乃の隣でフライパンを温めていると

『はい。久しぶりだから…手際悪いよ?』

確かにぎこちない手つきではあるけれど、微笑ましく見守りながら

ひき肉を炒めた。


「お待たせ、タイ料理はワインが合うらしいけど…さすがに買ってないから。

紅茶でいいか?」

フローリングのラグの上に座って、裕乃は頷く。

『紅茶なら、何でも。』

お湯を沸かしていると、

『ここ、3階なんだよね?』

と聞いてきた。


2つのカップにお湯を注ぎ、紅茶がフィルターの中で色を出し始める。

「そう、これより上は無い。最上階って事になる。」

『今日さ、月が出てるよ。』

裕乃は、時々ふっと不思議な事を言う。

「でも、雨になるんだろう?この後」


ベランダが見える窓際に、いつの間にか移動していて

やっぱり空を見上げていた。

『おかしいよね、月がこんなにちゃんと見えてるのに、雨が降ってるんだもん。』

俺の心を惹くのが上手いなぁ、と感じさせる。

だから、ついつい裕乃を構いたくなってしまう。

「多分、小雨だからじゃないのか…?」


俺が裕乃の後ろから遮光カーテンを開いて空を見上げると

確かに月は夜を照らしながら、少しだけ雲に隠されそうになりつつ

小雨が降っている。

『これも天気雨って言うのかな?』


好奇心に満ちた、爛々とした裕乃の瞳がまっすぐに

俺を見つめていた。

簡単に言葉は出てきてなどくれなくて、

俺は思い出したかのように、遮光カーテンを閉めた。


と、同時に言葉よりも早いものを裕乃へと

伝える事にした。

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