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銀狐の章

第060話「神猫 ニャン ④」

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 モリアーティ教授は椅子にふんぞり返るとコホンと咳を一つ。

「さぁ、冗談はここまでにしておいて」

 今までの所業はすべて冗談でしたと言わんばかりの態度で話を切り替えやがった。
 おいおい、冗談の一言で済めば全世界に警察はいらないんだよプロフェッサー。

「今回の単位ちゃんとつけてあげるから♡」

「……うぐっ!し、仕方ないですね……」

 ――まあ、冗談だったなら仕方ない。オレも大人だ、こんな些細なことにいちいち目くじらを立てていても仕方ないだろう。

「さすがお主様、心が狭いのじゃ」

「単位って尊厳よりも大切な時ってあるよね」

「そんなどうでもいい権力に首を垂れるいお兄ちゃんも素敵♡」

 外野の評価はこの際気にしない。

「それで……この娘を家で預かればいいんですか?」

 しかし、それとこれとは話が別だ。ここはきっちりと大人な対応をしなければ。

「そうだよ。もちろんタダでとは言わない」

 モリアーティ教授はパッと電卓を叩いてオレに見せる。

「養育費としてこれだけ出そうじゃないか」

 提示された金額は多くはないがかなりの額だった。

「……で、でもですね……」
 
 教授の申し出は正直ありがたい……しかし、そうなるとオレの家に妖女二人と幼女と痴女が住むことになる……この際、狐女と猫女というべきか。

「お願いニャ!儂を助けると思って!」

 うるんだ瞳でオレを見つめすがりついてくるニャン。雨の日にダンボールで鳴く仔猫的なイメージがあった。

「騙されるでないぞ!その野良猫の言葉に耳を傾けるでない!」

「うるさいニャ!野良狐!」

 ニャンはそう言いながらオレの手にスリスリしてきた。

「お兄ちゃん、しっかりして!お兄ちゃんには私がいるじゃない!」

「モチにゃんの為なら何でもするニャ!」

 彼女の中でオレの名前は【モチにゃん】で決定らしい。

「な、何でも……」

「そうだニャ、言われればどこでも舐め舐めするのニャ」

「どこでも舐め舐め……イヤ、いかん!」

「それくらい私だってできるもん!」

 光が張り合う。
 いや、なんてことで張り合おうとしてんだよ。

「これも、研究をさらに発展させるために大切なことなんだよ」
 
 モリアーティ教授が耳元に囁く。
 【研究】【貢献】とオレの心をくすぐる単語が飛び出してきた。

「仕方ないですね」

「モチにゃん!」

「お主様!?」

「これは……また、モー君波乱だねぇ」

「お兄ちゃんとの恋路を邪魔する者が……また……」

 様々な声が聞こえたが、とりあえず無視。

「さすがモッチー!話が分かるねぇ!」

 教授は上機嫌になった。仕方あるまい。単位の為、研究の為だ。決して相手が可愛い猫耳の女の子だからだとか、これでバイトしなくて済むだとかそんな邪な理由からではない。
 そう断じて違う。
 僕は下心がないことを!正々堂々とここに誓います!
 よし、とりあえず宣言しておいた。

「ねぇ、ニャンちゃん」

 光がすすすっとニャンに近づく。
 さすが我が妹、さっそくコミュニケーションを取ろうというのか。

「ん?お前は誰ニャ?モチにゃんのコレか?」

 ニャンがピンと立てた小指。光はむんずとその指をつかみ取った。

「私は【モチにゃん】の妹の光っていいます」

 にこやかなすがすがしい笑顔。

「そうなのかニャ。まあ、これからよろしくなのニャ」

 ぞんざいにあしらおうとするニャン。興味なさげに顔をそむけたニャンの前に光がさっと移動する。

「ねえ、ニャンちゃん――さくら猫って知ってる?」

 オレからは光の後頭部しか見えていない。光がどんな表情をしているのかオレには分からなかった。

「……し、知らないのニャ」

 少し怯えたようにニャン。

「ふーん。そうなんだ。今度教えてあげようか?」

 優しい声音。きっとキラキラとしたいい笑顔をしているのだろう。

「そうなのか!なんだか知らないがいい響きなのニャ!お前いい奴なのニャ!」

 嬉しそうに言うニャン。

「うん。教えてあげるね♡」

 嬉しそうな光の声。
 よかった。ニャンにも早速友達ができそうだ。
 その後に聞こえた「ふふふ、さくら猫、身をもって知るがいい!」という身も凍るような低い声はいったい誰の声だったのだろう。


 □■□■□■□■用語解説□■□■□■□■ 

【さくら猫】
 「さくら猫(耳カット)」とは、不妊去勢手術済みである目印として、耳の先端をさくらの花びらのようにV字型にカットされた猫の事。笑顔で不妊去勢手術を勧める光……怖え!
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