騎士が花嫁

Kyrie

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番外編 騎士が花嫁こぼれ話

45. 些細なこと - ジュリアス

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今日の最後の報告をロバートに済ませると退勤の時間だ。
いつもならさっさと身支度をして、王宮の第三騎士団の詰所から出るのに、知らず知らずのうちに動きが鈍くなっていた。

「どうしたんです?
いつもならもういないのに」

気軽に話しかけてきたのはジャスティだった。

「あ、いや」

不意なことだったので、曖昧に答える。
ジャスティは意味ありげにこちらを見る。
ふむ、そんなにこちらに関心があるなら付き合わせるか。

「ジャスティ、これからなにかあるか?
一杯付き合え」

「おや、珍しい。
いいですよ、最初の一杯はジュリアスのおごりで」

「わかった」

ジャスティは喜び、二人で部屋を出た。



向かったのはジャスティのなじみの山猫亭だった。
二階に数室の宿がある食堂で、味もよくボリュームもあるので人気が高い。
まだ夕方の早い時間のせいか、俺たちはカウンター席の隅に座ることができた。
テーブルにしなかったのはジャスティがカウンターにこだわったせいだった。
注文した麦酒が運ばれると、静かに乾杯をして飲む。
麦酒もメリニャに来て飲むようになった。
スラークでは麦酒は作られていなかった。
喉の奥に麦の香ばしい香りと濃い旨味が広がり、炭酸が弾ける。
何度飲んでも面白い。

看板娘がジャスティが適当に頼んだつまみを運んできた。
俺はオリーブのオイル漬けを口に放り込む。

「で、リノとなにがあったんです?」

相変わらずだな。

「いつもはさっさと帰るジュリアスがぐずぐずしているなんて、リノと何かあったとしか考えられない」

「まあな」

ジャスティはとても細かいことにも気がつく。
それがクラディウスが欲している情報収集に役立っているし、人をからかうネタにもしている。
かといって、言いふらすのでもない。
どっちみちバレているのなら下手に隠しても仕方ない。

「え、本当に?
じゃあ、こんなところにいてもいいんですか?」

「もう少し付き合え」

「まあ、付き合うのは構いませんけどね、リノに嫌われるのは勘弁してほしいなあ。
俺、こう見えても結構リノとインティアには好かれたいんです」

ジャスティはにやりと笑うとビールを飲み、具沢山の卵焼きを食べた。

「些細なことだよ」

そう、きっかけは些細なことなんだ、多分。

「喧嘩の理由ですか?」

「まあ、そんなところだ」

ジャスティはまだにやにやしている。

「自分が悪かったらさっさと謝ったほうがいいらしいですよ。
下手に意地を張ると余計にこじれるのはよく見ます」

「なぁ、そんなジャスティ大先生に聞こうじゃないか」

「え、なに、怖いなぁ」

「相手に全部話さなくてもいいこと、ってあるよな?」

「はあ?!」

ジャスティは噴き出して笑い、ビールをぐびぐび飲むと口を手の甲で拭うと、椅子を俺のほうに近づけて辺りに聞こえにくくしてから言った。

「なにコドモのレンアイごっこみたいなことを言ってるんですか。
ジュリアスってあまりしゃべらないから落ち着いた大人に見せかけているけれど、実は普通の人で、恋愛に関しては素人ですよね」

「玄人になった覚えはないな」

「ああ、かわいくない。
そんなふうにしてるとリノに嫌われますよ」

「恋愛経験が少ないのは確かだな。
そんなことより剣やメイスの稽古か兵法の勉強が面白かった」

「こんな堅物、よくリノは落としたなぁ…」

ジャスティは前髪をかき上げながら、呆れたように言った。
結構言うな、相変わらず。

「俺もそんなに恋愛経験はありませんけどね、相談にはよく乗らされていましたよ。
で、さっきの質問の答えですけど、そんなの恋人だろが夫婦だろうが、自分が話したくないことは話しませんよ。
あの、くっそ意地の悪い上官の命令ならわかりませんがね」

ふむ、この卵焼きうまいな。
ジャスティは麦酒をあおりながら、話し続ける。

「なんです?
リノに『隠し事なんてせずに全部話して!』とでも言われたんですか?
そんなことはできない、と断ればいいんですよ。
それで離婚になったら、俺がリノをクラディウス様の屋敷に連れて行って保護してもらうから安心してください」

「そうか。
ふむ、……そうだな」

ジャスティは串に刺さった肉団子を食べている。

「納得したんですか?」

「まあな」

「なんだ、呆気ない」

唇を少し尖らしたが、ジャスティはすぐに表情を緩めると麦酒を飲んだ。
そして、

「やっぱりやめた。
ここの一杯は、俺が払います。
その代わり、一度ジュリアスの料理を食べさせてくださいよ」

「俺の?」

変なことを言い出すんだな。

「まだ第三では誰も食べていませんからね。
自慢するんです」

「素っ気ない料理だぞ」

「いいんですいいんです。
よし、決まり!
さ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないんですか?
リノが心配しますよ」

……そうだな。
俺たちは少なくなった麦酒とつまみを食べ切り、支払いを済ますと山猫亭を出た。




***

少し遅くなったかな。
一応はお互いの予定を知らせているものの、騎士である自分はその通りにならないことは、リノは知っている。
しかし、昨日の今日だ。
心配をかけているかもしれない。

家の玄関のドアノブに手をかけ引いたときだった。
中からリノが転がり出てきて、飛び跳ねて俺に抱きついてきた。

「ジュ、ジュリさ…っ。
か、帰ってきた……」

リノは泣いていた。
ああ、すまない、リノ。

「ただいま帰りました、リノ」

リノは腕と足を俺に絡めて抱きついているので、俺はそのままリノを抱っこして家に入った。

「も……帰ってこなかったら…どうしよう…って思って…
よよかった…
ほんとに、も、よかっ……」

こんなに泣きじゃくるリノを見たのは初めてだった。
俺はリノを膝に抱っこしたまま長椅子に座ると、改めてリノの髪に顔を埋めて謝罪した。

「すみません、遅くなって」

より一層リノは泣き出す。
俺は右手でリノの背中を撫でながら、左手は落ちないようにリノの腰をぎゅっと抱いた。

「不安にさせてごめんなさい」

リノの嗚咽だけが響く。

あの些細なことが、こんなにもリノを泣かしてしまうだなんて。
そう、些細なこと。




昨日、街の巡回中の雑踏の中で北の訛りを聞いた。
誰がなにを話していたのかすらわからない。
それくらい一瞬のことだったのに、俺の中で何かが渦巻くには十分だった。
それほど久しぶりに懐かしい北の訛りだった。

自分のいた北のスラークは破れ、前王ピニャータに捕虜として連れられ南のメリニャに来た。
嫌がらせでリノの花嫁になった。
隙を見て、ここから逃れようと考えていた。
しかし、そうはしなかった。

俺はリノに救われた。
その一方で、スラークのことを忘れたわけではない。
国はもちろん、自分が副団長を務めていた騎士団はどうなったのか、ましてや両親がどうなったのかも知る術はない。

その気になればいくらでも調べられるのだろう。
しかし、新王により俺の身柄はクラディウス預かりになっている。
クラディウスはピニャータ前王とは違う。
周りに気がつかれないようにしながら、俺の動向はすべて監視されている。
以前のピニャータのような緩い監視体制とは比べ物にならない。
たとえ、俺がいくら反逆するつもりはないと誓約をしたところでまだあの大きな戦いから日が経っていない。
クラディウスは基本、人をあまり信用していない。
俺も例外ではない。
少しでもスラークのことを知りろうと俺が動けば、すぐにこの身を拘束される。

そうなれば、リノはどうなる?
罪人つみびとの伴侶として、どう扱われるかわからない。
この愛しい人をそんな目に遭わせることなんて、できない。
俺はこの人を生涯をかけて護ると誓った。
俺が敵国でのうのうと生きようと決めたのは、この人のためだ。
一瞬でも、この人は自分が死んでもいいから俺を逃そうとした人だ。

だから私は生き延びようと決めた。
それが祖国を捨てるようなことになっても、この人に生きてほしいと願った。
この人が命を懸けて俺を守ることがあってはならない。


だから…
あんな些細なことで、俺は心を揺らしてはいけなかったのに。
懐かしくて。
忘れたようなつもりで、いつも忘れてはいないスラークを。
できるなら、いつかこの人にも見せてあげたかった。
厳しい冬の中、神が見せたとした思えない美しい雪景色と怖ろしい厳しさの両方を。
暖かい暖炉の炎と肩を寄せ合う人が傍にいる意味を。


昨日、帰宅してからリノはすぐに俺の様子がいつもと違うことに気がついた。
リノは心配して理由を聞きたがった。
なんとかできるのなら解決したい。
そうでないのなら、俺が抱えるものを少しでも軽くしたい、と言った。

しかし、俺は断った。
話せるはずがない。
こんな危険なこと。

王宮という場所で、王を守る親衛隊隊長か軍を動かす大将にならないかと新王から打診を受けているクラディウスの最も近い場所にいながら、俺の耳には決してスラークの情報は入ってこない。
それだけ管理されているのに、俺がもし「スラーク」のスでも話せば、それがたとえただの望郷の思いであっても、今のこの生活を崩してしまうかもしれない。


最近、背も伸び大人になってきたとはいえ、リノはまだ少年っぽさの残る男だ。
一途で純粋で、そして嘘がつけない。
俺のことを思っていってくれているその言葉に答えるわけにはいかない。


すまない……リノ……



インティアがここに逃げ込んできたとき、言った言葉は本当だ。
人を好きになるのは怖い。
いつでも思う。
もし、リノが俺ではなく別のかわいらしい女性と結婚をしていたらどうなっていたのだろう。
まだ二十歳にもならない。
自分がここにいてもいいのか、それとも離縁してリノを自由にしたほうがいいのか、未だに思い悩む。

今回のことに関してもそうだ。
俺ではなかったら、こんなふうに心配をかけることがなかったかもしれない。





「行かないで、ジュリさん。
行かずに戻ってきて。
黙って急にいなくならないで。
怒っていてもいいから、帰ってきて。
お願いだから、帰ってきて。
俺、もう大事な人が目の前からいなくなるのは耐えられない…」

リノは泣き叫び、ぎゅうぎゅうと力を込めて俺に抱きついた。

ああ、そうだ。
聞いたことはないが、リノは両親を目の前で失っているかもしれない。

こんな愛しい人を残して、どこかに行くことはできない。
それが祖国への思いを封じることになったとしても。

帰るのはスラークではない。
あのときと同じ、俺が帰る場所はリノが示してくれたリノの腕の中。

「ごめんなさい、リノ。
遅くなりましたが、帰ってきました。
昨日は辛く当たってしまって、すみません」

俺もリノをぎゅっと抱きしめる。
ここだ、この腕の中。

今日はユエ先生と薬草を扱ったのかな。
その匂いがする。

「ジュリさ…」

リノは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で俺を見上げた。

「お、俺もごめんな…さい…
誰にでも言いたくないことがあるのに、むむ無理に聞こうとして…
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
ジュリさん、行かないで」

「どこに行くんですか、あるじの貴方を置いて。
騎士の役目は主を護ることですよ。
私の誓いを受けてくださったでしょう」

俺はリノの左手を取り、甲に口づけをした。
スラークの忠誠の誓いと同じ、主の心臓に一番近い手に。

「リノ、私を見て」

リノが涙で濡れた黒い瞳で俺を見た。

「昨日はすみませんでした。
どうやっても貴方にお話できませんでした。
今もできません。
かと言って、貴方への忠誠と愛が変わることはありません。
リノ、私を許してください」

「ジュリアス様…、ゆゆゆゆ許しますとも!
あああああの、俺もっ、俺のことも許してください」

「はい、もちろんです」

「うわあああああああああ、ジュリさあああああああん」

リノがすっぽり俺の胸の中に入り込んで抱きしめてきた。

「リノ…」

俺もリノを抱きしめた。





「さ、リノ。
そろそろ下りてください」

「やだ」

リノはまだ腕と足を俺に絡めて離さずにいてしばらく抱きしめ合っていたが、そろそろだ。
俺はジャスティと少しつまんできたが、リノは何も食べていないはずだ。

「顔をきれいにして、俺におかえりのキスをしてください」

「え」

リノが真っ赤になった。
耳まで赤い。

「……わわわわかりました」

リノはすとんと俺の膝の上から下りると顔を洗ってきた。
そして長椅子に座る俺の前に立ち、俺の顎に手をかけ優しい顔で言った。

「おかえりなさい、ジュリさん」

「ただいま、リノ」

リノがゆっくりとやわらかなキスをくれる。
毎日のように、帰ってくると唇を重ねるのにいつになっても嬉しい。
リノのところに帰ってきた、と実感できるから。

リノが唇を離した。

「さ、晩ごはんにしましょうか」

「あっ、俺、なんの準備もしてないっ。
ジュリさん、お腹空いたでしょ」

俺は立ち上がって台所に行く。
リノもついてくる。

「すまない。
俺はちょっとジャスティとつまんできたから、大丈夫だ」

「え、なになに?
ジャスティ様と何か食べたの?」

「はい。
具沢山の卵焼きがうまかったから、それを作ってみようと思う」

「わあ、いいね!
俺、ちょっとパンをトーストしようかなぁ。
ジュリさんはどうする?」

「俺のもお願いします」

「はーい」

火種をつつこうとして動き出したリノの腰に腕を回し、引き寄せるとキスをした。

「なななななに突然?!」

「ジャスティと飲んできたこと、怒ってないか?」

「なんで?
ジュリさんだって付き合いは大切にしろ、って俺に言うじゃん。
それにね」

リノは両手で俺の頬を包んだ。

「俺のところに帰ってきてくれたんだ。
怒ることはなくて嬉しいよ」

小さく音を立てて俺の鼻の頭にキスをすると、リノは離れていった。
俺は自分が少し赤くなったのがわかった。






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