空と傷

Kyrie

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第10話

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たっぷり食べ、ぐっすり眠れるためか、ルーポはすっきりとした朝を迎える。
もともと寒さと朝日によって早く起きていた。
ふらつくこともなく、しっかりとした足取りでベッドから下り立ち上がると、身支度をした。
枕の下から、昨夜の皮袋を取り出し、下着のウエストのところにある紐にくくりつけ、ズボンをはいた。
程なくしてドアがノックされ、使用人が洗顔用の湯や布を持ってきた。
それを使い終わる頃、アルベルトがやってきた。

「おはようございます、ルーポ様」

この挨拶で、すでにレッスンが始まっているとルーポは悟る。

「おはようございます、アルベルトさん」

ルーポも丁寧に挨拶を返す。

「では、参りましょうか」

「はい」

少し緊張した面持ちで、ルーポはアルベルトの後についていった。




予想していたとおり、アルベルトは大食堂にルーポを案内した。
中に入ると、すでにカヤが待っていた。

「おう、おはよう、ルーポ。
よく眠れたか?」

これまでのように気軽な挨拶をするカヤに対し、アルベルトが咳払いをする。
カヤは素知らぬふりをするが、ルーポはこれまでに習ったようにまた丁寧に挨拶をし、席についた。

今朝は最初から、カヤの席のそばに食器がセットしてあった。
胃腸が落ち着いているようなので、量の差はあれど、料理はカヤと同じものが用意されていた。

「ルーポ」

「はい」

カヤの呼びかけにルーポは素直に答えた。

「もし食事中にマナーがわからなくなったら、自分の近くのよさそうな奴の真似をしろ」

「坊ちゃま」

アルベルトは少し語気を荒げたが、カヤは気にせずに続ける。

「テーブルを見回し、おまえが『こいつだ!』と思う奴の真似をして食べればいい」

「はい」

「だから、安心しろ」

「はい」

カヤはルーポに笑いかけると、給仕係に直接手で合図した。
すると熱々のスープや温めてあるパンなどが運ばれた。
カヤが目で合図したのにルーポは気づいた。
カヤが皿の上の布を膝に広げる。
ルーポも布を広げる。
カヤが目でうなずくと、ルーポもうなずき返す。
カヤがスープをすする。ルーポもすする。
カヤがパンに手を伸ばす。ルーポも伸ばす。

ルーポはカヤを見続けた。
カトラリーの扱いにぎこちなさが見られたが、アルベルトから注意されたことをしっかり思い出し、ルーポは懸命に食べた。
ふわふわの卵焼きを口にしたとき、甘い香りと絶妙な塩味にルーポの頬が緩み、「おいしい」と心の中でつぶやいた。
それを見てカヤがうなずいた。
嬉しくなってルーポは微笑んだ。
それを見たカヤは満足だった。

こうして、適度な時間をかけ、朝食を終えることができた。


席を立つ前に、カヤがルーポを呼んだ。

「おまえにつきあうと言っていたが、今日も難しそうだ」

「他にご予定があるんですね」

「ああ、まぁ。
だが、昼と夜の食事は一緒に取ろう」

「はい」

眩しいほどの笑みでルーポは答えた。

「なぁ、おまえ、なにかあったのか?」

「?」

ルーポが小首をかしげる。
長めの前髪がふわりと揺れる。

「と、特別には思い当たりません」

「そうか」

カヤは立ち上がりルーポに近づくと、うなじから後頭部をなで上げ「じゃあ、また昼にな」と言うと、大食堂から去っていった。
ルーポがそれを見送っていると、アルベルトの声がした。

「では、こちらもレッスンを始めましょうか、ルーポ」

「はいっ」

程よい緊張感のある声でルーポが答えた。






朝、目が覚めたルーポは起き出す前にベッドの中でいろいろと考えていた。
とにかく目の前にあることに対処していたが、ようやく時間をかけて思いを巡らすことができた。

今回の受勲のことだ。
いやいやながらの受勲だったが、昨日と一昨日の出来事を思い出し、つらつらと考えを並べていく。

受勲したことで、ルーポの「見習い」から「薬師」への時間が縮まるかもしれない。
多少の賞金が出るというのもアルベルトから聞いた。
そうすれば、自分の研究をもっと深めることも可能になってくる。


カヤに連れられて街で出会った人たちは、身体と心の痛みに苦しんでいた。
自分の父親もそうだ。
今は貴族や騎士などの一部の人にだけ自分の薬やリハビリが受けられるようになっているが、もっと多くの人たちに、もっと有効なものを届けたい。

そして、これはささやかな願いだが、あの廃墟のそばにある元薬草園を整備して、小さくてもいいので自分の薬草園を持ちたい、と考えた。

そこまで考えると嬉しくなってきた。
森が近くにない王都では、薬草は全て街で買わなくてはならない。
生のものが使いたくても、乾燥したものしか手に入らないこともある。
栽培が簡単なものなら身近に置いておきたい。
どの薬草を植えるかを考えるのは楽しいことだった。
元薬草園に残っているものもあるのでそれを移植したいし、効能ではなく花がかわいらしくて気に入っているものもある。
故郷ではよく目にしたものも少し植えてみたい。

こうして満たされた気分になって、ルーポは今朝、ベッドから出た。
それはカヤもアルベルトも気がつくほどの変化となって表れた。

なので、朝食後、そのまま大食堂に残され、昨日と同じようにフォークとナイフの使い方のレッスンは格段に違っていた。
時折自信なさげにすることもあるが、アルベルトが目でうなずくと自分で呼吸を整え、ルーポは魚の骨を外し、肉を切り、トマトをフォークで刺した。

少しずつ余裕が出てきたせいか、ルーポは食器の柄に目が行くようになった。
揃いの食器には白地に金と緑で細かくツタが描かれていた。



昼前に一旦レッスンは終わった。

「カヤ様を呼んでまいります。
そのあとお迎えに参ります」

アルベルトはそういうと出ていった。
一人、大食堂に残されたルーポはまた自分の薬草園に植える植物のことを考え始めた。
しかし、カヤが部屋に入ってくるとすっと意識を変え、今回は音も立てずに椅子から立ち上がり、カヤが座るタイミングを見て、自分も席についた。

「なにかいいことがあったのか、ルーポ?」

カヤが尋ねると、ルーポは薄っすらと頬を染め、空色の瞳を煌めかせて「はい」と答えた。

「なんだ?」

「あ、あの……、夢のようなことを考えていました」

「そうか」

今度はルーポが顔をもっと赤くし、それ以上語ろうとしなかったので、「希望を持つことはいいことだ」とだけカヤは言った。

昼食も和やかに時間が過ぎた。
ルーポはカヤを見ながら、食事をした。
言葉に出さなかったが、全身で「おいしい」と言っているのは給仕係にもわかった。
あとでそっと料理人たちに給仕係がルーポの様子を伝えた。
カヤの実家の屋敷の使用人たちもルーポのことは気がかりだった。
ひどい格好と臭いで現れたやせ細った少年がどうなっていくのかをじっと見守っていた。
少量しか食べないことに心配し、アルベルトに厳しく指導されているのを心を痛めながら見ていた。

給仕された最後の果物まで食べきり、ルーポが穏やかな笑みを浮かべたのをカヤ、アルベルト、そして給仕係はほっとしながら見守っていた。




食後カヤはまたどこかへ行き、ルーポは客室での短い休憩を挟んでアルベルトに屋敷内の図書室に連れていかれた。
壁は全て作り付けの棚になっており、ぎっしりと貴重な本が詰まっていた。
薬局やくきょくにも図書室はあったが、もちろん薬草の本ばかりだったので、森羅万象についての本が集まった図書室を見るのはルーポは初めてだった。
てっきり大食堂に戻されると思っていたので、驚きは倍増した。

室内にある大きな机に座らせると、アルベルトはそこに一枚の地図を広げた。
大国メリニャが中央に描かれている最新の地図だった。
アルベルトの意図がわからず、ルーポは彼を見た。
柔らかく光る目でアルベルトはルーポを見返した。

「ルーポの食事のマナーや身のこなしは格段によくなっています。
カヤ様も驚いていらっしゃいました。
午後はもう食事のレッスンはいいでしょう。
せっかくなので、メリニャの歴史と地理について少しお話します」

「それはどういう…?」

「受勲式が終われば、あなたはまた一人になる。
食事マナーはもちろん、もろもろの知識を得ることはない」

今日一日すっかり楽しくなり浮かれていたルーポは、この生活がずっと続けばいいと勝手に思っているのに気づいた。
研究のことも薬草園のことも、なぜかカヤやアルベルトのそばにいながら実現できると考えていた。
終わりは案外間近に迫っていた。

「ルーポ、あなたはここがどこだか知っていますか?」

言われてみれば、カヤが元騎士であること以外、知っていることはなかった。
ルーポは首を振った。

「ここは財務大臣のダ・カン様のお屋敷です」

「財務大臣のダ・カン様……」

「カヤ様はそのご子息。
弟君のルカナ様は近々、ダ・カン様の後を継いで財務大臣になるであろうと言われています」

屋敷の大きさ、生活水準の高さ、使用人の質の高さ、全てが納得できるものだった。

「わたくしはカヤ様、ルカナ様の元世話係で、現在は執事長のアルベルトです」

「は、はい……」

いろいろなものに気圧され、ルーポは委縮する。

「ご事情があり、この屋敷を出られたカヤ様があなたを伴って帰って来られたのは、大きな驚きであり、まずはあなたを疑いました。
ダ・カン様のご家族はその職務によって敵が多いので。
しかしあなたは無害だと判断しましたので、受勲式まで滞在していただくことにしました」

ルーポは呆けたようにアルベルトの話を聞いている。

「カヤ様はいろいろとお考えです。
申し訳ないが、あなたは薬師としての知識とセンスはおありのようですが、教養やマナーはあまりお持ちではない。
ですから、カヤ様はせっかくの機会なので、この屋敷に滞在している間に、これからのあなたに必要そうなこともお教えするように言われました。
あなたが見習いではなく、立派な薬師様になったとき、身分の高い人間や異国の者と交渉することもあるでしょう。
そのときに役に立つことを少しでも身に着けることをカヤ様はお望みです」

「はい……」

「薬草の買い付けのこともあるでしょうし、あなたが研究されていることは誰もが大きな関心を示し、善人も悪人もその技を狙うかもしれません」

「そんな」

「それほど重要なことを成し遂げたからこその受勲なのですよ」

ルーポが朝、ふわふわと思い描いた受勲後のことが壊れてしまいそうだった。

「ですから、賢くいなさい、ルーポ。
そのために簡単ですが、歴史と地理についてお話しようと思います。
いいですか?」

アルベルトが琥珀の瞳でじっとルーポを見た。
本気だった。

「ぼ、僕はここまでしていただいていいのでしょうか」

「もちろんですとも。
わたくしはあなたに感謝していますよ、ルーポ」

「感謝……?」

「何度説得してもお戻りになられなかったカヤ様がどんな理由であれ、帰ってこられた。
それも何日も滞在され、わたくしたちを頼ってくださる。
この屋敷でこれほどの喜びはございません」

アルベルトは静かに話していたが、喜びが隠しきれない様子だった。

「そのきっかけがあなたなのです。
あなたをなんとかしてやってほしい、とカヤ様はお戻りになられました」

「あの、僕は。僕は」

ルーポは急に胸が苦しくなった。

「カヤ様にご負担をおかけしているのでしょうか。
僕が頼ってしまったばっかりに苦しくなっていらっしゃるのでしょうか」

「まぁ、多少は苦しいこともあるかもしれませんが、あなたもご覧になったでしょう、先ほどの食事の時のカヤ様を。
あんなに楽しそうに召し上がるカヤ様を見るのは子どもの時以来です」

お互いに目で合図をしながらにこやかに昼食を共にした。
その時のカヤは少しも苦しそうではなかった。

「カヤ様が与えてくださった機会です。
今しか得られないものを手に入れなさい、ルーポ。
そろそろ歴史のことをお話してもいいですか?」

「はい」

「まず始まりの森のことは知っていますか?
メリニャ創生の伝説が生まれた森のことを」

最初はぼーっとしていたルーポだったが、アルベルトが熱を込めて歴史や地理について話を始めると、とても面白くなりぐいぐいと集中して聞き始めた。
アルベルトもまた、語る熱が高まっていった。

















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