空と傷

Kyrie

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第31話

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マグリカ王自らの手で勲章を胸元につけられたあの日。
ルーポは初めて訪れる王宮と受勲式の雰囲気に飲み込まれそうになりながら、カヤ、アルベルト、ロダたちが教えてくれたことの全てを使いその場にいた。
全ての受勲者の胸に勲章が輝き、贅を凝らした料理が並んだ会食も済み、全員は食堂から広間に移った。
音楽が奏でられる中、歓談する者、踊り出す者、論議を戦わす者、それぞれがもう二度と一堂に会さないかもしれない人物と時間を過ごしていた。

今年は特に遊学から戻ってきた医局と薬局やくきょくの者たちがいたので、人数がぐんと多かった。

小さなルーポはその人の多さに紛れそうになっていたが、王宮仕えの衣服を着た誠実そうなひげの男に声をかけられた。
男は言葉少なに自分について来るようにルーポに告げ、すっと歩き出した。
突然のことにルーポは驚いたが、このままでは見失ってしまう。
足早にその男の後についていった。
濃い緑の重いカーテンの隙間で男を見失った。
焦って立ち止まると、ぐっと腕を引かれた。
あっと思う間もなく、ルーポの姿も広間から消えてしまった。





狭く小さな部屋だった。
ルーポは王宮にあるという小さな隠し部屋のことを思い出した。
と、そこにはすでに人が何人かいた。

「ルーポ」

聞き慣れた声がした。
見ると、遊学から戻ってきた薬局長のイリヤが山繭の薬師の服に身を包んでいた。
その不思議な緑を帯びた鈍い金色はイリヤの貫禄を上品に表している。

「ああ、こんなにやつれてしまって」

イリヤはすっとルーポに近づくと頬に手を添えた。
節くれ立ち、ちょっとしみが浮きしわの多い手がルーポの頬を優しくなでる。

「私の留守中、すまなかったね。
まさかウスタスがあそこまで落ちるとは想定外だった。
おまえのことをよくよく頼んでいったのに、こんなにかわいそうなことになっていて」

イリヤはルーポを引き寄せ、胸に抱きしめた。

「イリヤ様……」

一介の見習い薬師が薬局長と関わることは少なかったが、イリヤはルーポに目をかけていた。
それをイリヤが遊学で留守の間、薬局長代理を務めたウスタスには前から面白くなかったのかもしれない。


ルーポがイリヤの胸の中で息を吸い込むと異国の薬草の匂いがたくさんした。
ルーポはなんだか泣きそうになった。

「その件については私も謝らねばならぬ。
すまなかったな、ルーポ」

イリヤを引き離すように割って入ってきたのは、なんと先ほど自分の胸に勲章をつけてくれたマグリカ王その人であった。

「マ、マグリカ王様……!!」

ルーポは後ずさり、アルベルトに教わったお辞儀をしようとしたが、あまりの急なことに身体がかちこちに縮こまってしまい、ぴょこんと頭を下げるだけになってしまった。


前王ピニャータの悪政時代に甘い思いを知った者たちは、当然のことながらあちこちに残っていた。
もちろん薬局にもそれは存在し、時折不穏な動きを見せていたが、イリヤが目を光らせていたので大事には至らなかった。
しかし、ピニャータのやり方をことごとく改めていく現王マグリカに対して、面白く思うはずもなく、マグリカ寄りのイリヤに対しても隙あらば権力を奪おうとしていた。

「イリヤが留守をすれば、薬局にいるヘビがあぶり出せると安易に考えていたが、根が思ったより深かった」


薬局長代理のウスタスも最初は真面目にその隠された任務もこなしていた。
しかし若い薬師見習いのキースたちも取り込んでいった輩に、ウスタスも次第に取り込まれていってしまった。


「私がルーポのことを知ったのは、すでにカヤに保護されてしばらく経ってからだった。
一時期は命も危うかったと聞いている。
どう償っていいのかわからないが、まずは謝らせてくれ。
ルーポ、本当にすまなかった」

「お、王様、おやめくださいっ。
ぼ、僕は、今元気にしています。
カヤ様たちが僕を助けてくれました」

マグリカ王はルーポの両手を取り、真剣な眼差しで見つめてくるのでルーポは逃げることもできずに固まっていた。

「この償いは必ずする。
約束するぞ」

「お、王様、僕はもう大丈夫ですから」

上ずる声に「では許してくれるか」とマグリカ王がルーポを抱きしめた。
ルーポは目をぐるぐる回して、ふらついた。

「マグリカ様、イリヤ様、もうそれくらいにしていただけますか。
ルーポの護衛を任されている身としては、これ以上は困ります」

マグリカの腕の中からルーポを助け出したのは、第三騎士団団長のクラディウスだった。

「それにルーポをここに呼んだもう一つの目的を思い出してください」

「ああ、そうだったな」

マグリカ王は平然と答え、イリヤの隣にいた柔和な顔をした白銀の髪の男を見た。
ルーポもその男には見覚えがあった。
受勲式の後の医局薬局の報告会のときにメリニャを視察に来たと紹介された海狼かいろうの一族だった。

「ダイロス、どうだ。
おまえが言っていたのはこの子のことだろう?」

「左様でございます」

ダイロスはマグリカ王の言葉に恭しく頭を下げて返事をした。

「わたくし自ら話をしても?」

「許す」

「ありがとうございます」

ダイロスはルーポの前に立った。
思わずルーポが見上げると、ダイロスの左右の目が違う色に光った。
片方は深い泉の青。
もう片方は深い森の緑。
ルーポがそれに気づき、声に出さずに驚いているのに気がつくとダイロスがにっこりと笑って、ルーポの手を取り挨拶をした。

「初めまして。
わたくしはダイロスと申します。
このたびはイリヤ様に頼み込んでメリニャを見るためにここまで連れてきていただきました」

「は、初めまして。
ルーポと申します」

ルーポの空色の瞳の色が急に濃くなった。
ダイロスの手を通じて熱いものが流れ込んでくる。
内側からぽかぽかして汗ばむほどになった。
自分の変化に戸惑い、手を離そうとしたがダイロスがそうはさせなかった。

「どうだ、ダイロス」

「はい、やはり思った通りでしたよ、マグリカ様」

「ではそろそろ手を離してやってくれませんか」

マグリカ王とダイロスが意味ありげな会話をしていると、間にクラディウスが入りルーポはダイロスから開放された。
ルーポがほっと一息ついたのも束の間、マグリカ王が口を開いた。

「ルーポ、よく聞け」

「はい」

「実はダイロスは海狼の者ではない。
エトコリアの者だ」

「?」

「知らなくても仕方ない。
この世界ではないことになっているからな。
エトコリアは花と魔法の国だ。
そしてダイロスはエトコリアの大魔術師である。
学者の好奇心は周囲を顧みることをしない。
よく似たイリヤと意気投合して、こんなところにまでやってきた」

「ま、ほう?」

「そうだ」

魔法、とはかつてあったという話もあるが、すべてはおとぎ話の中のことであり、この世にそんなものはない、とされている。

「とんでもない昔、この世界もエトコリアと通じていてこの場所にも魔術師がいたこともあるらしいが、詳しいことはわかっていない。
夢物語、となっているが、魔法は実在する」

あまりに唐突なことで、ルーポは混乱した。

「ダイロスが受勲式でルーポを見るとすぐに、あれには魔法があるから会わせてほしい、と言い出した」

「ええ、そうです。
ルーポ、あなたは魔法の力があります。
そんなに強くもなく洗練されていないので、小さなものですが」

魔法?
僕が魔法?

「ルーポ、おまえが調合した薬の効きがいいと言われたことはないか?」

イリヤの言葉に幾つも思い当たる節があった。

「おまえの研究熱心さと調合のセンスは素晴らしい。
ただ、それだけではないほどの高い効力をおまえの薬は持っていた。
私も何度かおまえが残した数値で同じように調合してみた。
確かに従来のものよりかは効果は高いが、おまえが調合したものよりかは遥かに劣る。
私はそのわけが知りたかった。
今回、やっとそれがわかった」

「ルーポの魔法は癒しに特化した白魔法です。
薬を調合するときに知らず知らずのうちに魔法がかけられていたのでしょう。
あなたが集中してふれるだけで効力が現れたこともあるはずです」

ルーポの頭の中にはすぐに黒髪の傷ついた騎士の姿が浮かんだ。

「ルーポ、私と一緒にエトコリアに来ませんか」

「え」

ダイロスは楽しそうに言う。

「あなたの魔法はもっと純度を上げ、もっと強くすることができます。
ほら、私が少し魔法を流しただけで力が強くなっているんですよ」

「ルーポ、今回の遊学で我々の技術がとても遅れていることを知った。
それでも技術は進み、いつかは魔法に追いつくことがあると私は信じている」

イリヤが鋭い眼光でルーポを突き刺し、話す。

「ただそれには膨大な時間が必要だ。
おまえなら、技術が追いつく前に到達できる。
痛みや症状を和らげることがもっとできるようになる」

「………そ、それは……」

ルーポの心がぐらりと揺らいだ。
唾液を飲み込む音が大きく響く。

「それは、過去に受けた傷を完全に治すことができる、ということでしょうか」

「その傷の場所や程度にもよりますが、可能性は高いです」

ルーポが大きく息を飲む。
思い浮かべるのは、ただ一人。

今の自分の力では、今以上のことはあまり期待できない。
将来、もっと有効な調合方法が見つかるかもしれないが、見つかる保証もないし、時間もかかりすぎる。

どうしよう、治したい。





大きな空色の瞳に荒れ狂う炎が灯るのをその場にいた全員が見ていた。
ダイロスが静かに言った。

「この世界とエトコリアは今、つながっていません。
私はたまたまこの世界の端でつながっている海狼の女王のところにいたので、メリニャに来ることができました。
普段は行き来できません。
ですが、私は帰らなくてはなりません。
一瞬だけ道を繋ぎます。
そのときにあなたを一緒にエトコリアに連れていくことができます」


次に道を繋げることができるのは2~3年後になることもダイロスは告げた。

「決心するのは大変だと思いますが、私は明日の早朝、ここを離れます。
あなたがいる屋敷に迎えにいきましょう。
もし心が決まったら、屋敷の外に出てきてください。
もし迷ってしまったのなら、そのままで。
私は黙って立ち去ります」


どうしよう。
どうしよう。

ルーポは迷った。

「時間をあまりあげられなくて、すみません」

ダイロスは申し訳なさそうに言った。
ルーポは小さく首を振った。


こうして小部屋での密会が終わった。


再び人知れず広間に戻ったルーポだったが、心はそこにはなかった。









その夜、ルーポは予告通り、カヤに抱かれた。
抱かれることで心が残ってしまうことを恐れた。
しかし、抱かれずにいても後悔してしまいそうだった。

もうこれが最後かもしれない。
そう思うと、身体は貪欲にカヤを求めた。
そのときにはすでに、カヤにとろとろに溶かされていた。

2回目以降はカヤが放った液で滑りがよくなり、知らず知らずのうちに自分も腰をふったので、液は泡立ち孔の淵で白く輪を描いた。
胸に秘めた熱がルーポを解放し、より大胆に、より気持ちよくしていった。
カヤは激しく求めてきたが、もしかしたら自分のほうが熱くなっているかもしれない。
そんなことを思いながら、カヤが自分の中で果てるのを感じた。
たぷんたぷんとカヤが自分の中に溜まっていった。




火花が消えるように、ルーポの力が尽きた。
意識はあるが身体が動かない。
カヤが優しく風呂に入れ、きれいにしてくれるのを夢見心地で感じていた。

清潔なベッドに寝かされると目を閉じるのが怖かった。


でも、もう後戻りはできない。








「迎えにきたことはすぐにわかる」とダイロスが言った。
まだ空が白々とするかどうかの早朝、ルーポはその時が来たのを知った。
むくりと起き上がったが、身体がぎしぎしと痛んだ。
隣で眠っているカヤはぴくりとも動かなかった。

次に会うときには、カヤはアルベルトの願い通り誰かと結婚しているかもしれない、もしかしたら子どももいるかもしれない、とルーポは思った。

それでも。
そばにいるのが自分でなくても、カヤの足の痛みを取り去りたい、と強く願った。

ルーポはカヤに口づけをした。
少し時間をかけ、ねっとりと。
昨日、カヤが自分にしてくれたように。


そしてベッドから抜け出す。
裸身だったが時間がないのがわかったのでそのままカヤの部屋を出た。

途中誰ともすれ違わなかった。
屋敷の中は音がしなかった。
ルーポは自分が使っていた客室へ急いだ。

中に入ると、昨日のうちに決めていた服を着、上皿天秤と薬袋を持ち、名前入りの干し草色の外套に身を包んだ。
カヤが自分を抱きしめてくれているように感じた。



ルーポは駆け出した。
その足音を不審がる者は1人も現れなかった。

屋敷の中の時が止まっていた。

玄関の扉の鍵は念入りにかかっており、そばに扉の番をしている男がいたがひどく眠りこけていた。
鍵がかかったままなのに、ルーポが扉に近づくと自然に開いた。
ルーポが走って外にでると扉はなにごともなかったように閉じられた。

外には一角獣が2頭立てられた銀の馬車が待っていた。
小さな扉が開くとルーポがすっと身体を滑り込ませる。

御者もいないのに、すぐに一角獣は馬車を引き、「はじまりの森」へ向けて走り出した。






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