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1:まず、ここ。場所。どこの国?

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 そこにいた人々はみんな驚いた様子で、目を思い切り見開いていた。そしてたぶん、わたしも同じくらいに目をかっぴらいていたはずだ。だって本当にびっくりしたから。

「おおっ、これこそまさしく聖なる光より出でましし聖女様!」
「麗しの乙女、聖なる乙女!」

 ぱっと見た感じ前期高齢者の男女がそれぞれ大きな声を出した。古代のトーガっぽいずるっとした衣装を着ていて、頭には金色の葉っぱの冠、手には長い杖を持っていた。杖も金色だ。ひょっとしたら、どっちも本物の金製品かもしれない。
 わたしは、ポカンとしてしまっていたけれども、立ち直った。どんな時でも冷静であれっていう歌もあったし、ビークールは座右の銘だし。意味不明の状況でやるべき最善のこと、それは観察だ。

 まず、ここ。場所。どこの国?
 なんとなく神殿ぽいと感じるのは天井がドーム状になっていて、周辺に柱が並んでいたからだろう。コリント式にもヒケを取らない装飾列柱がずらっとそびえて、その先に数段重なった天井があって、小さめのドームがいくつも繋がっている構造だ。

 わたしがいるのはそのほぼ中央、一番大きなドームの下の広間みたいなところだ。その真ん中にぽつんと座り込んでいるわたし。わたしを見守るというか、見物というか、とにかく取り囲んで二十人くらいの人がいる。みんな、ずるっとしたトーガだ。金の装飾は最初の前期高齢者男女だけで、葉冠の色が赤とか青とか、そういう感じで塗り分けされている。全体的に年齢は高い気がする。

「成功したのか……!」

 唐突に響き渡った声は若い男性のものだった。わたしははっとして声の方を振り返った。

 わたしが座り込んでいる広間っぽいところを抜けた列柱の先、一段高くなったところに若い男の人が立っていた。金髪に白い肌、サファイヤみたいな青い瞳。北欧系の俳優みたいにキラキラのハンサムは白いシャツとウエストコート、ボトムはブリーチとロングブーツで、上から濃い赤のコートを着ている。コートはいわゆる外套のことではなくて、前が短くて後ろが長くなってるクラシカルなやつだ。襟元には綺麗に結ばれたクラバットもある。
 資料で見たことがあったけど、本当に着ている人を見たのは初めてだ。

 うわぁ、足、ながーい……と、ぼんやり見ていると、キラキラのイケメンが靴をカツカツ鳴らして三段しかない階段を降り、近づいてきた。よくみると腰には剣が吊るされている。

「私はレガリア王国王太子テオドリクス」

 イケメンがわたしを見下ろして言った。
 近くで見てもすごい綺麗なひとだけど、目の下のクマがそれ以上に印象的ですごい。クマの王子だ。

「あなたが我が聖女か」

 テオドリクス王子はわたしの返事も待たずに重ねてきた。
 質問したら答えを待つっていうのはコミュニケーションの基本だと思うんだけれども、どうなんだ。
 初対面の相手で、しかもわたしは床に座り込んでいるんだぞ。
 多分、そういう不愉快が顔に出たんだろうと思う。
 クマ王子は咳払いをひとつして、わたしの前に膝をついた。

「本物の聖女であるかどうかはすぐにわかることだ」
「……聖女って、わたしのこと?」
「光たる女神の御使ならば我が求めに応じ、聖剣を示せ」

 こちらが訊いたことに答えろよ。
 腹が立ってきたので睨みつけてやった。
 でもクマ王子は気に留めた様子もなく、わたしに手を伸ばしてきた。腕を掴まれて引っ張られて、あっという間に腕の中だ。あまりのことに声も出せない。

『女神よ、光たる女神。我は聖王の系譜に連なるもの。
 あなたの加護を受けるべきもの』

 それまでとは違う響きの言葉は、古語か呪文語というやつだろう。とにかくぶつぶつ唱えた王子の手がわたしの胸にふれてきた。

 冗談じゃない!
 満員電車の痴漢だってここまで正面切って胸を触ってくるやつはいなかったぞ!

 叫んで突き飛ばしてやりたいのに、体が動かなかった。金縛りみたいな状態だ。呪文語の効果かもしれない。どうしようどうしよう。
 わたしが混乱している間に、胸にクマ王子の手がふれてきた。
 ふくらんでる部分じゃなくて、その間、心臓の真上あたりだ。

 そこで初めて気がついた。
 わたし、今、何着てる?
 パジャマ? ノースリーブのネグリジェ?
 とりあえず、胸のあたりの開放感からしてノーブラだけは間違いない。
 失礼かつクママックス王子でも男性だ。ナマで触られるなんてとんでもない。とんでもないことだよ!

 なのに、わたしの喉はひきつるばかりで悲鳴を上げることもできない。精一杯の抵抗は全身に力を入れることくらいだ。もちろん無駄だったけど。

『真なる力を示し、聖なる剣を与えられよ!』

 王子の声が響き渡った。
 腹から出てる声っていうのか、とりあえず舞台俳優みたいな美声ではある。神殿なんかでドーム型の天井が好まれるのは、反響がよくなるからだという説がある。なるほど、ここの構造ならよく響くのもわかる。

 あーこれ、パニックが行きすぎて冷静になってきたってやつだ。

 そう思った瞬間、わたしは自分の知覚が鋭く、時間の流れが遅くなったように感じた。おかげで周りの様子やら、王子のことやらがよく観察できてしまう。
 今際の際に走馬灯を見るのは、人間の生存本能によるものらしい。これまでの経験に、生き残る術がないかどうかを臨時検索するのだそうだ。現在のわたしの場合、過去に似た場面は絶対にないから排除して、代わりに周囲を観察できるようになったということかもしれない。

 すごいな、わたし。

 とにかく、王子は鬼みたいな顔をしていた。ちゃんとしてたらキラキラ王子様なんだろうなと思う程度にはハンサムだからものすごく怖い。般若だって美女だからあんなに凶悪な顔になるのだ。本気でこわい。
 歯を食いしばり、目を血走らせ、鼻の穴まで膨らんでいる。
 その王子の手がわたしの胸に入ってきた。

 そう。入ってきた。
 つぷつぷ。
 エッチなまんがの効果音みたいな感触でわたしの胸を破った指が、胸の中を掻き回すみたいにぐるぐる動き回っている。

 声を出せたとしても、たぶん、ぎぇええとか、ごあああ、とか、そういうどうしようもないかんじだっただろう。それでも叫べるのと叫べないのとでは心のダメージが違う。
 ほら、声を出したほうがラクだよっていう決まり文句もあるし。

 混乱を極めていた時、わたしの中の何かが掴まれたのを感じた。
 え。
 まさか、心臓? それとも王子がさっき口走った聖剣が? わたしの中に?
 え? わたしの中から剣が出てくるの? なんかの花嫁みたいに?

「……あ」

 途端、クマ王子の目に光が宿った。
 王子は目を見開いたまま、わたしの胸から手を引き抜いた。

 ぬぽん。

 間抜けな音が響き渡った。
 強張っていたわたしの体からも力が抜けた。

「……なんだ、これは?」

 王子が自分の手を見て、呆然として言った。
 たった今までわたしの中を荒らしていた王子の右手には白っぽい粘液の塊がある。
 わたしはまず、王子の掴んだものが血まみれの心臓ではないことにホッとして、それから粘液の塊を見た。

 状況からして、わたしの胸から取り出されたもので間違いない粘液、というか、べたっとした物体。ゼリーのような透明感はなく、柔らかそうだ。とろっとしたテクスチャはクリームとも言えるかも。
 その時だ。


 タッタラタッタターン
 『はじめての産出! 奇跡レベルが1になりました!』


 唐突に鳴り響いたファンファーレはレトロゲーム機みたいな軽い音で、一緒に聞こえたメッセージアナウンスは呪文語だった。

 意味がわからない。
 わからないが、王子にも、王子とわたしを取り囲んでいるひとたちにも聞こえなかったらしいのはわかった。誰も無反応だからだ。さすがに『奇跡レベル』なんて単語は聞き逃せないだろうし。

 大体、『産出』ってなんだと思って、目に入るのは王子の手の中の塊だ。
 わたしはそれに手を伸ばした。
 指先でちょっと掬ったものはアレにしか見えない。ちょっと酸っぱい匂いもするし。
 わたしは指先の白いものをほんのすこし舐めてみた。

「やっぱり……マヨネーズだ……」
「何?」
「これ、マヨネーズです」

 どういうことかさっぱりわからないが、わたしが『産出』したらしいモノはマヨネーズで間違いない。
 は?
 つまり胸からマヨネーズが出てきたの?
 ……ちょっと、冷静になりきれないので後で考えることにしよう。

「やはり偽物ではないかっ!」

 クママックス王子はヒステリックに叫んで、わたしをその場に投げ出した。
 
 結構無防備に抱き寄せられたままになっていたからなす術もない。わたしは床にぶつかった。大理石っぽい床は冷たいし、硬い。
 今度は悲鳴もあげられた。
 
 わたしのことをさっぱり無視したクママックス王子はマヨネーズの塊を床に叩きつけ、汚れた手を真横に突き出した。控えていた侍従っぽい人が大慌てで飛んできて、手を拭き上げていく。

 どんなにイケメンでも癇癪持ちはみっともないなぁと思いつつ、わたしはなんとか立ち上がった。
 よく見たらわたしも白い膝下丈のワンピースを着ているだけで、石床の冷たさが身に染みてきたからだ。ノーブラどころか下のもないみたいで、心細いことこの上ない。

「貴殿らはこの状況をわかっているのかっ! 勇者が失われ、聖剣もないのだぞ。この国難を救う気も力もないものなど去れっ!」

 王子はさらに声を荒くした。

「お言葉ではございますが、我らは秘術の限りを尽くしましてございます」
「黙れ! 神官長といえども許さん! 偽物では役に立たぬのだぞ!」

 自分のおじいちゃん・おばあちゃんみたいな高齢者に向かって怒鳴りつけるのはやっぱりみっともない。いや、高齢者相手でなくてもカッコ悪い。どうみても、この場で一番偉いのはこのクマまみれの王子だろうから、純然たるパワハラだ。

 まさか心の声が聞こえたわけではないだろうけど、王子はわたしも睨みつけてきた。

「この目障りな女は捨ててこい! 不要なものを置いておく余裕など我が国にはないのだ!」

 王子の命令一発。
 あっという間に甲冑と剣できっちり武装した集団に取り囲まれたわたしは頭からすっぽり袋をかぶせられ、縄で縛られてしまった。話に聞いた簀巻き状態だ。
 わー、体験できるなんて思わなかったー、なんて喜ぶところじゃない!

 王子ひとりを振り払えなかった非力なわたしが、複数人の屈強メンズに囲まれて抵抗できるはずなどない。このまま海か川に放り投げられて、溺死する運命しか思い浮かばない。

 どうしようどうしようと呻く間に、体が持ち上がったのを感じた。完全に荷物扱いで、運び出されていくのがわかる。
 本気のピンチだ。

「この辺りでいいんじゃないか」

 誰かが言ったのは、しばらく運ばれてからのことだ。
 このあたりってどのあたり?
 水? 崖? 何かもっとすごいところかも。

 喚いても誰も応えてくれないまま。
 ぽいっと。
 ざらざらの袋ごと、わたしは空中に放り出された。


 ……うそでしょ?


 その時、わたしの走馬灯が選んできたのは、CAさんによる航空機内での落下姿勢や救命胴衣の説明場面だった。頭から袋を被されて縛られ、放り投げられた時にどうしたらいいのかなんてわからなかった。
 
 一瞬の浮遊のあとの落下。
 ああ、これが重力の井戸の底なのか。

 思考がそうまとまった瞬間の衝撃で呼吸が飛んで、ついでに意識もブラックアウトした。

 無防備に地面に激突したら、そりゃあそうなるよ。
 あーあ。



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