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11:黒の病って何なんだろう。

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 黒の病って何なんだろう。

 マイケルに聞いたら、「ビョーキ。元気ナイ、ナル」という安定のゴブリン認識を教えてくれた。それ、知ってたヨー。

 とにかく、情報。少しでもわかることを集めるのがいいと思う。わたしのマヨネーズが役に立つかもしれない。

 なにしろゴブリンたちを元気にした実績があるのだ。
 産出量も増えたし、浄化レベルも上がったらしいから、効き目がある症状だったら勝てるかもしれない。

 わたしは窓に取り縋った。
「お話を聞かせてください、お家の中に入れていただけませんか?」
 とは言ったものの、突然やってきた旅人を迎え入れてくれるわけもない。盗賊かもしれないもん。怖いよね。
 もし入れてくれるとしたら、相当に強いか、ヤケッパチかのどっちかだ。

「……勝手に、しな……っ」
 窓の向こうの人はそう言って咳き込んだ。

 これ、後者だ。ヤケッパチだ。
 わたしは大慌てで玄関に戻り、ドアを開けた。鍵はかかっていなかった。本格的にヤケになってるぞ。

 入ったところは石床の部屋だった。よくわからない農具とか網とか、そういうものが立てかけられている。やっぱり農家で間違いなさそうだ。失礼だけれども、そう裕福な感じはしない。

 人の気配はない。さっきの人しかいないのかもしれない。家の中は荒んだ雰囲気だ。掃除が行き届いていない以前の問題として、人が動き回った気配が遠い。

 家はそれほど大きくはなく、土間の先のドアを開けるとベッドが二台あった。さっきの窓の部屋だ。石床の上に敷物が重ねてあるのが居住区という感じがする。

「こんにちは、突然お邪魔します」
 声をかけると、咳が聞こえた。さっきの人だ。
 わたしは足早に窓際のベッドに近づいた。

 女の人、だと思う。
 表情がよくわからないくらい肌が黒く変色していて、眼窩が落ち窪み頬がこけている。骸骨みたいな有様だ。掛布の上に投げ出されている腕も真っ黒で、骨だけに見える。
 素人が見てもわかる。……この人の命は長くはもたない。

 わたしは心の中でだけ息を飲み、ベッドの側に膝をついた。視線を合わせるためだ。

「わたしは、」
 なんて名乗ろう。
 すっかり忘れていたけど、わたし、自分の名前を思い出せないんだった。冒険者たちを追い払う時はそれっぽく、『聖女マヨネーズ』なんて名乗ってしまった。
 マヨネーズって。
 青い鳥のユーザー名じゃあるまいし。

 あんまりだけど、他にこれっていう名前を思いつかないのも事実。『日本花子』とか『ジェーン・ドゥ』とか名乗るかっていうと、それも、ちょっと……。

 女の人が苦しそうにしながら目を開けた。目は赤い。充血しているという意味ではなくて、マイケルと同じだ。眼球全体が炎みたいな赤になっている。
 言葉を途中で切ってしまったから、さすがに不審に思ったのかもしれない。いけない。病人に余計な気遣いをさせてしまっている。

「わたしはマヨネーズといいます。色々あって迷子になってしまって、ようやくここに辿り着いたんですが、これは一体どういう状況なんでしょうか」

 わたしは腹を括った。
 この世界にマヨネーズはなさそうだし、マヨルカ島もメルノカ島も絶対ないからきっと意味不明な音に違いない。違いないよね?

「……黒の、病だよ。アタシが、一番、マシだったけど、もう、ダメだね」
 苦しそうにしながら、女の人は笑った。たぶんだけど。

 そしてマヨネーズという名前はスルーされた。
 やったぜ、わたしの勝ち!

「知って、んだろ、黒、の病で死んだ、ら、魔物になっちまう。アンタ、はやく逃げな。でなきゃ、ははっ、アタシが、くっちまう、よ」

 人間が魔物になるなんてあり得ない、と言いたいけど。

 赤い炎みたいな目は魔物の証なのかもしれない。魔グリズリーもそうだったし、最初に見た時のマイケルもこの女の人と似た感じだった。
 いや、マイケルは頬の肉が爛れて落ちていたから、このひとの方がまだマシ、かな?

 それにしても。
 本当にゾンビスライムウイルスによるバイオハザード絶賛発動中なんじゃないの、この国。
 こんなとんでもない病気が蔓延してるのを放っておいて、あのクママックス王子、あんなに偉そうにしてたのか。聖剣がどうとか言ってたし、まさか、戦争をしようっていうんだろうか。
 なんかムカつくな。

 いや、待て。まだ情報は少ない。
 あの王子には捨てられた恨みはあるけど、目の前のことからやろう。

「他にも、病気の方がいるんですか?」
「い、たけど、もう、死んだかもね」
 女の人はまた笑った。
 いけない、これはあかんやつや。でもまだ話ができている。意識がある。

 わたしは立ち上がった。
「お皿、借りますね」
「食う、もんなんか、ないよ」
 苦しい息で言われた。
 もちろん、この家に食べ物を期待してはいない。そもそもこんな状態では食べても消化できない。食べたら最悪、そのまま死んでしまうかもしれない。

 わたしは最初の部屋に戻った。土間兼台所というのかな。竈があって、側の棚には木製の皿や壺がいくつかあった。
 椅子は四つある。たぶん、彼女には家族がいた。今はいない。何が起きたのか聞くのが怖い。
 いや、違うちがう。
 できることをやる。どうせどうやったって、できることしかできないんだからね!

 よし。
 わたしは一度、外に出た。
 荷物を持ち、ケウケゲンを頭に載せたマイケルは待っていてと言った場所から動かずにいてくれた。

「マイケル、村の中に生きているひとがいるか、見てきてくれる? 家の中も確認して欲しい」
「ひと、イエ、ナカ」
 マイケルは何度か確認して、「ワカタ」といつもの返事をくれた。
 本当にデキる子だ。

 おじいさんは杖に縋って立ったまま、じっとしている。わたしを見ているというか、監視しているのかもしれない。
 わからないけど、好かれてないのは肌で感じるものなのだった。忖度民族の空気読みスキルを舐めてもらっては困るのだよ。

「休んでいてください。病人がいたので、手当をしてきます。ごはんはその後でなんとかしますね」
 わたしはおじいさんにそう言って、また女の人の家に戻った。

 適当に借りた壺にマヨネーズを満たして、木皿と木匙を見つけた。
 本当は温かいほうがいいんだろうけど、竈タイプのキッチンなんて初見で使えるものじゃない。わたしには無理。
 なので、マヨネーズリゾットは諦めた。

「失礼します」
 ドアをノックして、寝室に入った。苦しそうな息遣いが微かに聞こえた。大丈夫、まだ生きてる。
 わたしは室内に入り、まず、戸板の窓を開けた。淀みきった空気は体によくない。換気第一。

「これを、食べてみてください」
「……アンタ、まだ、いたの……」
 皿にちょっと盛ったマヨネーズを匙で掬って、彼女の口元に近づけた。
 黒い肌はカサカサだ。ひび割れた唇は歯に張り付いている。ひとりで何日、寝ていたのかわからないけど、水もろくに飲めてなかったんじゃないだろうか。

 そうだ、水も必要だ。
 沸かして、冷ましたやつのほうがいいかもしれない。とにかく、マイケルが戻ってきたら焚き火を作ってもらうことにしよう。

「どうぞ」
 今度は匙を唇に押し付けた。
 食べる、というか、舐めてくれればそれでいい。おじいさんにも効き目があったんだから、きっと、この人にも効果はあるはずだ。
 一見、ただの全卵マヨネーズだけど、正体はわたしから出てきた謎物体だ。あれ? 謎物体を正体って言っていいのかな。まあいいや。
 とにかく、異世界チートの可能性の塊なのは間違いないんだから。

 どうか、効きますように。

 願いを込めて見つめる先、干からびた舌先が唇についたマヨネーズをちらりと舐めた。

「もっとどうぞ」
 唇に追加のせしてみると、もうひと舐めしてくれた。

「いいですね、その調子です、もっと舐めてください、もっと!」
「これ、……なに?」
「マヨネーズです」
「……アンタの、名前?」
「あ」

 自分の名前が大好きで強調している人か、料理に自分の名前をつけている人みたいになってしまった。

「つまり! わたしはマヨネーズ島のマヨネーズで、これはマヨネーズ島の特産品のマヨネーズなんです! どうぞ!」
 堂々と言い切って、相手の口に匙を突っ込んでやった。
 
 弱っているひと相手になんてこと、と、我ながら思わないでもなかったが、羞恥心による瞬発力は侮れない。

 落ち窪んだ目を見開いて驚いていてが、口に入ったものをゆっくり飲み込んでくれたからいい。
「……どうですか?」
「やわら、かいね」
「飲み込めましたもんね」
 ほっとして笑いかけると、その人は小さく頷いた。

「何日、ぶり、か、わかんないねぇ……。水、じゃないものをのみ、こんだの」
「もっと食べてください」
 わたしはマヨネーズを匙に掬って、また口元に持っていった。今度はちゃんと口を開けてくれたので、口蓋にくっつけるように置いた。
 頬の皮が動く。

 ほんとに何なんだろう、黒の病。ゴブリンたちが罹っていたのと同じものな気はする。マヨネーズが効いて、この人が元気になったら確定だ。

 ん?
 ひょっとして、聖女って、この黒の病を浄化するために呼び出されたんじゃないのか? 奇跡とか浄化とか、そういうことなのでは?

 ない線じゃない。心に留めておこう。
 そんなことを考えながら、瀕死の病人の口にマヨネーズを運び続けた。
 と、窓からマイケルがピョイっと顔を出した。

「セイジョサマ! ひと、イタ。元気ナイ。クロ、ビョーキ」
 一生懸命に報告してくれた。
 そのマイケルの頭の上にいたケウケゲンは横スクアクション張りの多段ジャンプでわたしの肩に跳んできた。

「オーケー、マイケル。順番にそのひとたちのところに回るから、ちょっと待ってて」
「ワカタ」
 この数日の間、たくさん話をしたおかげで、マイケルのヒト語への理解は本当に高くなっている。すごいことだ。

「アンタ、盗人小鬼を使ってん、のかい?」
 マヨネーズを飲み込んだ女の人が言った。批難というか、驚きというか、信じられないものを見たというニュアンスな気がする。

「友達なんです」
「……ゴブリン、と?」
「とてもいい子です。頭もいいし」
「アンタ、魔物には、見えないけど……」
「魔物じゃないですよ」
 
 ゆっくり会話をしながら、木匙三杯分くらいのマヨネーズを食べたところで女の人は深々と息を吐いた。お腹いっぱいになったのかな。

「眠ってください。目が覚めたら、また何か持ってきますから」
「……ありがと、よ」
 さっきよりは呼吸が随分楽そうな気がする。
 効いた、と思いたい。
 ゾンビだったマイケルは割とすぐに元の姿に戻ったけど、木匙三杯では少ないのかもしれない。それとも、ヒトとゴブリンの差か。
 どっちにしろ、回復するのに睡眠は大切だからね。

 とりあえずその家を出て、わたしは外のマイケルと合流した。
 壺に入れたマヨネーズを抱えていると、マイケルが持つと両手を伸ばしてくれた。
 もちろん任せる。
 ドアを開けたり、様子を見たり、手は空いているほうがいいからね。

「何人いた?」
「イチ、ニ、サン……もっと」
 三つまでは数えられるのか、ヒト語の三までしか知らないのか。どっちにしろ、三人以上生きているということはわかった。
 元々の人口は知らないけど、生き残りがいるのはいいことだ。

 慌てない。焦らない。
 わたしにできることをやろう!



 
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