かごの鳥と魔女の落とし子

ふじゆう

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第二章 雪幻の光路

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 とんでもない事を聞いてしまった。
 あまりにも現実離れした二人の大人の会話に、頭は混乱するばかりであった。机の下で震えていたホルンは悟っていた。ここにいる事がばれたら、確実に命が危ない。早く二人が部屋を出て行ってくれる事を祈るばかりであった。ホルンは不安と恐怖に圧し潰されそうになっていた。体温を奪われるように、全身を寒気が襲っていた。ホルンは、呼吸音が漏れないように、左手で口を押えていた。そして、右手で体を温めるように、足をさすっている。右手を大きく上下に動かしているが、摩擦熱は足に伝わってこなかった。すると、勢いが余って、右手が足を通過し、床に触れた。その時、右手に小さな違和感を覚えた。なにか、小さな突起が手に触れたように感じた。ホルンは、物音を立てないように、態勢を変え床を確認する。しばらく、床を触っていると、凹凸を感じ引っ張ってみると、取っ手が床から出てきた。ホルンは、息を飲んだ。
これが、隠し扉なのかもしれない。
ホルンは、イチかバチか、息を止めて、ゆっくりと取っ手を引っ張り上げた。すると、床が静かに持ち上がり、真下に伸びる梯子を発見した。音を立てないように、ゆっくりとゆっくりと、床を持ち上げ体を地下に滑り込ませた。梯子に足を乗せ、頭の上にある床を静かに閉じた。扉が床に着地した瞬間に、小さく音が鳴ってしまい心臓が飛び跳ねた。次の瞬間、頭上からリリーの叫び声が聞こえ、ホルンは慌てて梯子を下っていった。
 両足が地面に着地し、手探りでその場を離れ、上の様子を伺った。外のように寒い地下通路だが、汗が滴り落ちてくる。心臓はバクバクと脈を打ち、急かされる様に呼吸を繰り返している。しかし、頭上に存在するシーフの個室からは、何の物音もしない。何とかばれずに脱出できたのだと、ホルンは胸を撫で下ろした。しかし、ここにいてもなにも解決しない。
 まさか、あのシーフが国家転覆などという、史上類を見ない犯罪行為を目論んでいたなど、ホルンは夢にも思わなかった。信用していた分、裏切られた心の傷は計り知れない。そして、ビッシュもシーフの計画の一部として、利用されているのかもしれない。
 ホルンは乱暴に腕で顔をこすって、涙を拭った。壁に手を当て、先に進むしかない。狭い通路は、真っ暗で何も見えなかった。しばらく、壁に手を当てた状態で、歩を進めると、先の方が微かに明るくなっていた。急いで通路を歩くと、壁に明かりが灯っている。狭い通路は右に左にくねくねと伸びている。急がなければならない。先ほど聞いたシーフとリリーの会話を頭の中で整理したホルンは、ビッシュの身の危険を感じていた。
 冬山で遭難し、『シールド』に救助されたビッシュは、『魔女の落とし子』としての疑いをかけられた。そんなビッシュは、『雪幻の光路』という組織に勧誘された。シーフの部屋で勉強をすると言っていたビッシュが、入室を確認したにも関わらず部屋にいなかった。そして、地下の通路に繋がる隠し扉を発見した。現在地下で集会が行われており、『ソード』や『シールド』に密告した。
 きっと、ビッシュは地下で行われている集会に参加しているだろう。そして、そこに『シールド』が突入し、一斉に検挙される。その後は、もう想像すらしたくない。『ソード』と呼ばれている組織が存在している事も、当然ホルンは知らなかった。アカデミーの下にこんな地下通路があるだなんて、実際に歩いているにも関わらず、未だに信じられない。
 しばらく、狭い通路を歩いていると、右に左にと木製の扉が設置してあった。ホルンは、試しにドアノブを掴んで引いてみるが、鍵がかかっており扉は開かなかった。ぼんやりとした頼りない明かりを頼りに、ホルンが道なりに進んでいると、重々しい重厚な扉が出現した。この扉だけが、異様な雰囲気を醸し出している。扉に耳を当てて、向こう側の様子を伺っているが、何も聞こえてこない。不用意に開ける事を躊躇っているホルンは、扉の前で腕組みをする。円形の金具がついていて、扉の上部に横長の小窓がついている。あからさまに、他の扉とは違う。この奥にビッシュがいるのかもしれない。早く扉を開けて、中の人達に一大事である事を伝えなければならない。
 ホルンが、ドアノブを掴んだ。
「その扉は、開きませんよ。合言葉が必要です」
 突然、背後から声をかけられ、反射的に振り返ったホルンの顔が青ざめた。シーフが眼鏡を持ち上げながら、呆れた様子でホルンを見下している。ホルンは、腰が抜けたように、扉を背に崩れ落ちた。ホルンの唇が震えており、瞳孔が開いていた。
「やれやれ、君でしたか。嫌な予感というものは、当たってしまうものですね。念の為に覗きに来て正解でした。さて、ベイスホーム君。君に質問が二つあります」
 シーフは、冷たい視線をホルンに向け、歩み寄った。極寒の地で身包みを剥がされたように、ホルンは全身を震わせている。
「一つ目。君はここで何をしているのですか? 二つ目。君は、私の部屋での会話を聞きましたか? 簡潔に答えて下さい」
 ホルンは、小刻みに顔を左右に振った。暫く、無表情でホルンを見つめたシーフは、深い溜息を吐いた。
「そうですか。まあ、どちらでも構わないのですが。君がここで何をしていようと、君が私の部屋での会話を聞いていようが、聞いていまいが、どちらでも良いのです。結果は同じです。君の末路は決まっているのですから」
 シーフは、ロープを取り出し、ホルンの手足を縛り上げた。そして、ホルンが言葉を発せないように、ロープを噛ませ首の後ろで縛った。
「ンンンッ! ンンンンッ! ンンンッ!」
「何を言っているのか、分かりませんね。折角ですので、可愛い教え子に最後の授業をして差し上げましょうか。きっと、君も想像した事でしょう。正解です。君の想像通りです。ビッシュ=イングウェイ君は、この扉の奥にいます。しかし、残念ながら、君達は二度と会う事は叶いません。君は、ここで爆発に巻き込まれて死に、イングウェイ君は、『魔女の落とし子』という犯罪者の集団で結成された『雪幻の光路』という犯罪組織の一員として、『シールド』に逮捕され、『ソード』という処刑人の手によって殺害されます。私は、君に言いましたね? イングウェイ君とは、一定の距離感を保ちなさいと。大人の、しかも教師の助言は、素直に聞いておくべきでした。そして、最後の手向けとして、君にこの言葉を送ります。世の中には、知らない方が良い事もあるという事です。この事を肝に銘じて、来世ではどうか幸せになって下さい」
 シーフは、ホルンを肩に担ぎ、狭い通路を戻る。シーフの上で大声を上げ暴れるホルンであったが、シーフは眉一つ動かさず歩を進める。そして、シーフは土の壁に囲まれた扉の前で立ち止まり、ポケットに手を入れた。鍵を取り出したシーフは、扉を開きホルンを中に投げ捨てた。
 頭から地面に叩きつけらえたホルンは、意識が朦朧としているが、それでもシーフを睨みつけた。真っ暗な小部屋の中から、シーフを見上げると、逆光になって人型の影になっている。頭がズキズキと痛み、生温い感覚が頬を伝った。シーフは、扉の前から離れ、また戻ってきた。手には、大きな箱が持たれている。
「ベイスホーム君。これは、なんだと思いますか? 答えは、爆弾です。私のお手製ですが、なかなかの優れ物なんですよ? 手軽な割に、威力は絶大です。夏鉱石と冬鉱石を使用した物なんですがね、本来ならこの二つをぶつけても爆発はしません。これは授業で習いましたね? 覚えていますか? 肝心な事は、ぶつける威力です。人の力では、蒸気が発生するくらいなものです。そう、この装置は、威力を増幅させる装置なんです。船に設置する動力装置と同じです。それを私が改良し、さらに威力を上げました。ああ当然、違法ですから、この事は内緒ですよ?」
 気分が高揚しているせいか、シーフはいつにも増して、早口で軽口だ。まるで、宝物を自慢するかのように、意気揚々と話している。
「そして、この装置を扉の外、つまり通路の真ん中に置きます。なぜ、そんな事をするのかって? それは簡単です。この通路から、私の部屋への通路を塞ぐ為ですよ。君を殺害する為の代物ではありません。君は、ただ巻き込まれるだけです。さすがに、集会場と私の部屋が繋がっていたら、不味いですからね。念には念を入れる為の措置です」
 シーフは、爆破装置を薄暗い通路の真ん中に置いた。そして、扉をゆっくりと閉め始めた。狭くなっていく扉の隙間から、シーフは顔を覗かせる。
「それでは、ベイスホーム君。さようなら」
 シーフは、目を見開き、白い歯を見せた。
 ホルンは懸命に体を動かし、言葉にならない声を叫び続けていた。扉が閉まり、闇に包まれた。
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