夜のお散歩

橘月鈴呉

文字の大きさ
上 下
1 / 1

夜のお散歩

しおりを挟む
 夜の帳が張り巡らされた路地の石畳を、跳ねる様な軽い足音が響く。
 闇に浮かび上がる綿毛の様な白い髪をふわふわさせて、一人の男の子が歩いている。
 その頭には一羽の鳥が留っていた。ムクドリの様だが、色が違う。その羽毛は一見白く見えるが、角度を変えると色をプリズムに変化させた。
 男の子は歌を口ずさみながら、夜の街を歩いていく。
 横道を見付けては覗き込み、少し考えてはその先に進んだり進まなかったりする姿は、目的地に向かっているというより探検だ。
 実際、彼がやっているのは散歩である。幼い子どもにとって、散歩とは小さな冒険なのだ。
 空は真っ黒な闇の中に星々がピカピカと輝き、その真ん中の一番高い所でまあるい月が皓々と光っていた。
 夜が深まった街を七・八歳くらいの男の子が、鳥だけをお供に歩いている。しかし、それに疑問を感じる者はいない。彼が進んでいる道はもちろん、前を通り過ぎたり、覗き込んだりしている家々にも、人気(ひとけ)は全く無かった。
 男の子が歩いていると、家と家の間に小さな横道が現れた。男の子が覗き込む、細い道がしばらく奥まで続いている様だ。
「ここ行ってみる?」
 男の子が頭上の鳥に問いかけると、是を示す様に鳥が一声鳴く。
「よし、じゃあ行こう!」
 男の子は足取り軽く、横道に入って行く。
 建物に挟まれた細い道には月光は届かず一段と暗かったが、真上を見上げれば満天の星が煌めいていた。男の子はそれを見上げて、星と同じくらい目を輝かせた。
「キレー」
 見上げた空の美しさに男の子は夢中になり、見上げたまま歩き出す。
 体に合わせて動いて行く建物と、その向こうの動かない星空が面白くて、思わず足を速める。空を見上げながら速足で進んでいると石畳に蹴躓き、ばたんと転んでしまった。
 鳥が転がったままの男の子を、気遣わしげに覗き込む。すると、男の子は目をぱちくりとしていた。
「あー、びっくりした」
 男の子はそう言うと、続けてくすくすと笑い出す。そのままごろりと仰向けになると、建物の額縁に切り取られた空が良く見えた。
「キレーだね」
 男の子がそう言うと、同意する様に鳥が一声鳴いた。
 星空をぼぉっと眺めていると、男の子の意識はどんどんと吸い込まれて行って、まるで星空の中に体一つで放り出されたかの様な気持ちになった。
 ふと、星空を見上げる目の端に屋根が映り、男の子の意識は地面に寝転がる体へと引き戻される。
 男の子が何気なく横を向くと、木製の扉の下の隙間から所狭しと草花が顔を出していた。男の子は四つん這いになると、扉の方へ近付く。
 大人の膝くらいの高さまである扉下の隙間は、頑張れば潜り込めそうだ。男の子は興味津々の様子で、その隙間に潜り込む。草を掻き分け扉を潜ると、開けた場所に出た。
 塀にかこまれたそこは、荒れ果てた庭の様だった。
 花壇に植えられていただろう花は雑草に取って代わられ、アーチには枯れた蔦が絡まるというより引っかかっており、煉瓦造りの道は草花に押し上げられていた。
 男の子が庭の様子をキョロキョロ見ていると、扉を上から飛び越して来た鳥が、男の子の頭に留まる。
 ぽんっと、遊歩道の他より浮き上がった煉瓦に跳び移る。それを幾度か繰り返し、遊歩道を進んで行く。
 次に近い煉瓦を確認する為に男の子が前を向くと、次の浮き上がった煉瓦が少し距離の空いた所にあった。
「よしっ!」
 気合いを入れた男の子は、腕だけでなく全身を使って勢いをつける。何度か繰り返して勢いを強めてジャンプした、がジャンプに勢いが乗るタイミングとズレて跳んだ為大きくはジャンプ出来ず、浮き上がった煉瓦には遠く届かずに着地してしまった。
「あれ?」
 地面に着いた足を不思議そうに見つめると、白い髪をふわふわと揺らしながら、くすくすと笑う。
「失敗しちゃった」
 男の子を元気付ける様に、鳥が一声鳴く。
 そのまま遊歩道の上をトコトコ歩くと、建物が見えた。男の子は、庭に面したガラス張りの戸から中を覗く。
 庭に繋がるサンルームも、その奥に続く居間も灯りは無く、生活の温もりも感じられない。
 男の子はそんな家の中を見ながら、つーっとガラス戸に手を滑らせて建物沿いに歩く。そのまま建物の側面に出て、ガラス戸が壁に変わっても、手を当ててザラザラと擦れる感触を楽しみながら表へ回る。そして門の蝶番をギイィッと軋ませながら開けると、道へと出た。
 キョロキョロと左右を見回す、そうしてしばらく首を振った後、右へと歩き出した。
 歩いて行くと、少し幅の広い道に出た。男の子はどちらに行こうかと左右を見回す、右には高い塔が見える、その反対へと足を向けた。
 道の両側に建つ家々は、道に面した部屋が外からでも見える様に大きなガラス窓が配されていた、どうやらお店の様だ。
 男の子は道の左側に連なるお店を覗きながら歩いて行く。
 お店の中の雰囲気はそれぞれ違うが、大体店の中が一望出来る様な広々とした造りをしている。
 そんなお店をいくつか通り過ぎると、それまでのお店とは違って所狭しと物が置かれているお店があった。外から覗いただけでは、奥まで見ることは出来ない。それで男の子は興味を惹かれる。
 両手でドアノブをしっかり握って回し、ドアを開ける。
 古めかしい調度品が沢山置かれている店内は、まるで迷路の様に見えた。
 所々棚に置かれたランプが光り、ぼんやりと店内を照らしている。
 商品なのか陳列用なのか分からない棚は、そのほとんどが男の子の背よりもずっと高く、天井に届く程にも見える棚を、口を開けながら見上げる。
 少し行くと、ふと右側の棚が視界から消えた。
 視線を真上から右へ向けると、高さが丁度男の子の目の高さくらいの棚に変わっていた。
 棚の上を覗き込む様に眺めながら、奥へ進む。ランプの足や置時計の「六」の辺りなど、置かれている物の下の部分が、男の子の動きに合わせて左から右へと流れて行く。それらを見るとなしに見ていた男の子の視界に、突然一切の感情が無い目が現れ、ビックリして体を震わせた。
 恐る恐る背伸びをして、棚の上を改めてよく見てみる。そこにはこてんと倒れた人形があり、ガラス玉の瞳で男の子のことを見ていた。
「びっくりしたぁ、お人形さんかあ」
 男の子は胸を撫で下ろすと、短い腕を精一杯伸ばして人形を起こすと、改めて座らせる。
「よしっ!」
 座り直した人形を、男の子が満足そうに見上げる、心なしか人形も嬉しそうに見えた。
 カチコチと、一際大きな時計の音が聞こえて来た。
 男の子はその音のする方へと棚の林を抜ける。開けたそこにはおそらく店主が座るであろうカウンター、その横に男の子二人分よりも大きいかもしてない程大きな古時計がコチコチと時を刻んでいた。
 首が痛くなるくらいに上を見上げて、時計の文字盤を見つめる。長い方の針が「一」の前を、左へゆっくりコチンッと横切った。
 男の子が口を閉じながら視線を下してくると、大きな時計の大きな振り子がゆっくりゆっくり揺れている。
 振り子に歪に映る自身を見つめながら、男の子は振り子に合わせて、右に左に顔を動かす。
 歪んだ己の顔を映して右に左に揺れる振り子に合わせて首を振る男の子の頭の上で、一緒に鳥も首を振る。しかし、鳥はしばらくすると飽きてしまったのか、首を他の方向へとキョロキョロ動かす。一方、男の子は変わらぬ真剣さで、じぃっと振り子を見つめる。
 しばらく男の子がそうやって首をふりふり見ていると、長い針がカチリとまた一つ動く。それが引き鉄だったかの様に、時計がボーンボーンと鳴り始めた。男の子が見上げると、長い針が「ゼロ」を指している。
「そろそろ出ようか」
 男の子は頭上の鳥にそう言うと、その店を出て行く。



 彼ら以外の気配が無かった路地に、コツコツと足音が響く。音と一緒に光がゆっくりと動き、その中に影が差す。
 そしてその影がランタンを持った一人の少女になった時、男の子はとても目を輝かせて彼女に飛びついた。
「迎えに来たわ」
「ありがとう」
 嬉しそうに少女の首に頭をぐりぐり擦りつける男の子の背を、ぽんぽんっと叩きながら、少女が訊く。
「お散歩、楽しかった?」
「うん!」
 元気の良い返事に、少女もにっこりと笑う。優しく細められた少女の左目には、オニキスの様な石が嵌まっていた。
「それじゃあ帰ろうか」
 男の子が頷くと、少女は自身に抱きつく男の子がランタンで火傷しない様に気を付けながら下して手を繋ぐと、街の中央に聳える塔を見上げる。ここからだと結構距離がある。
 少女はキョロキョロ周りを見回し、一軒の家の扉に近付く。そして扉に手を当てて、呟く様に何かを唱える。
「帰ったらお茶にしましょうか」
 少女の問いに男の子が元気に「うん」と返事をすると、少女は笑みを深くする。そして男の子の手を優しく引いて促すと、扉を開けて中に入った。
 こじんまりとした二階建ての家の扉を通ったはずが、その先には吹き抜けをぐるりととぐろを巻くように取り囲み、高く高く昇って行く螺旋階段。どう見ても、石造りの塔の中だった。
 とはいえ、塔の中は暖かく、慕わしい我が家といった空気に包まれている。
 男の子と少女は手を繋いだまま、階段とは反対側の扉へと入る。そこには、そう大きくないキッチンダイニングがあった。
「座って待っててね」
 少女に言われて男の子は、少し大きめの二人掛けの机の片方に置いてある椅子によじ登る。頭の上の鳥は、トッと慣れた様に机の上に降りた。
 男の子は机に頬杖をついて、お茶を準備している少女を見つめる。準備している彼女の様子がよく見える扉に近い方の椅子は、すっかり彼の特等席だ。
 少女は竈の火を大きくすると、小さなお鍋にミルクをたっぷり入れ、茶葉をスプーンで掬うと、ミルクの入ったお鍋にさらさらと振り入れた。そのままお鍋を火にかけ煮出している間に、お盆やカップ、ポットなどを棚から取り出す。そしてお茶請けのクッキーを瓶からお皿にいくらか並べる。
 今日のメインディッシュは、男の子がお散歩している間に少女が焼いたケーキ。ほこりを被らない様に被せておいた布巾を取ると、ドライフルーツがたっぷり入った、きつね色に艶めくケーキが現れる。少女はそれにナイフを入れると、大き過ぎず小さ過ぎない大きさに切り分けてお皿に乗せる。最後の仕上げにと蜂蜜を少し垂らしている所を、男の子はわくわくしながら食い入る様に見ている。
 少女は鍋のミルクがふつふつと煮立ったのを見てミトンをはめると、零れない様に慎重にポットに移して行く、その時空気を含ませる様に、少し高い位置から流し込む。煮出したお茶によって薄く茶色に染まったミルクが、ポットの中へ吸い込まれる。
 少女は準備が出来たポットやお茶請けをお盆に乗せると、わくわくしている男の子の待つダイニングテーブルへと運んだ。そして、目を輝かせている男の子と自分の席の前にケーキを置き、中央にクッキーの皿を置く。
 楽しそうに準備を見つめる男の子にチラリと視線を投げると、少し得意げに笑みを深くして自身の前にカップを置くと、右手にポットを左手に茶漉しを持つ。そして狙いを定めて、高い位置から中身を注ぐ。薄茶色に染まったミルクが、滑らかにカップに吸い込まれていく様子は、男の子の目を釘付けにした。その上先程とは違い間近で注がれている為に、花の様な香りがふんわりと広がる。男の子はそれに気付くと、くんくんとしきりに鼻を動かした。
 ミルクをたっぷり注いだら、瓶から蜂蜜を一掬いカップに回し入れ、ティースプーンでくるくると数回かき混ぜる。そして、その湯気の立つカップを男の子の前に出す。
 目の前の物を、期待に満ちた目でキラキラと見つめている男の子をあまり待たせない様にと、少女は自分の分を手早く注ぐと、男の子の正面の席に着く。
「お待たせ。さぁどうぞ」
「うん!」
 男の子はフォークでケーキを切り分け、ぱくりと口に入れる。途端、顔がぱぁっと輝く。その様子に、カップを傾けていた少女の頬が思わず緩む。
「おいし?」
 少女の問いに、男の子は首を何度も縦に振る。
「まだまだ沢山あるから、慌てなくても良いよ」
 少女が言うと、男の子は力強く頷く。
 そのままケーキを飲み込んで、カップを両手で大切そうに持つと、こくりとミルクティーを一口飲む。ぽかぽかとした甘いミルクティーがするりと胸へ落ちて行き、男の子はへにゃりと顔を緩める。
 幸せそうな様子を見て、同じく幸せそうな笑みを浮かべて、少女は中央の皿から数枚のクッキーを取って、男の子の皿に乗せる。
「今日のお散歩はどうだった?」
 少女が問うと、男の子は顔をキラキラさせて、
「楽しかったっ!」
 そう答えて、少女が皿に乗せたクッキーの一枚を頬張り、もくもくと食べて飲み込むと、ミルクティーをもう一口飲む。そうしてすっかり口の中の物を片付けると、再び口を開いた。
「あのね、あのね、お星さまがキレーでね、見上げて歩いてたの。周りのお家はどんどん変わるのに、お空のお星さまはずっと同じお星さまがついてくるのね。それがおもしろくて、上見て歩いてたら、転んじゃった」
 えへへへと照れた様に笑う男の子。
「でもね、寝転がって見たお空が一番キレーだったなぁ」
 少女は手を伸ばして、彼の頭を撫でながら、「怪我はない?」と優しく問う。
「ケガ?」
 キョトンとしている男の子に、少女はハッとするが刹那で表情を取り繕うと、
「ううん、何でもない。
 それより、ケーキがまだあるけど、おかわりする?」
「するっ!」
 ぱっと顔を綻ばせた男の子は、まず皿に残っているケーキに手をつける。
「慌てなくても、おかわりは逃げないよ」
 いつもよりも咀嚼の速い男の子に、少女はゆっくり食べる様に促す。男の子は頷きながら咀嚼の速さを落とすも、まだいつもよりは速い。とはいえ、急いで食べていても食べカスもほとんど出さずに、綺麗に食べている。
「咽喉に詰まらせない様に気を付けてね」
 少女がそう言うと、男の子は頷いてカップに残っていたミルクティーを飲み干す。そして、いつもの速さで残りのケーキを食べた。
 男の子が残りのケーキを食べている間に、ポットからもう一杯ミルクティーを注ぐ。
 お茶のおかわりを置くと、クッキーの皿を男の子に近付け、空になったケーキの皿を取って、ケーキを乗せる。
 男の子は新しいミルクティーを一口。
「お茶冷めてない? 大丈夫?」
 ケーキに蜂蜜をかけながら少女が問うと、男の子はにこにこと笑って、
「大丈夫、あったかいよ」
 その答えに、少女が表情を和らげる。そして、新しいケーキを乗せた皿を「どうぞ」と言いながら置く。
 新しいケーキに目を輝かせる男の子の頭を、優しく撫でながら言う。
「これは君だけの為の物で、誰も取ったりなんかしないから、ゆっくり食べてね」
「うん!」
 男の子の元気の良い返事に頷くと、自身の席に戻ってケーキにフォークを入れる。素朴な味ながら甘くて美味しい、上出来だ。
 ケーキを嚥下し、ミルクティーを一口飲んでケーキに吸われた口の中の水分を補給すると、少女は口を開く。
「そういえば、さっきはお話途中になっちゃったね。
 お散歩、他にはどんなことがあったの?」
 美味しそうにケーキを頬張っていた男の子はそう言われて、ぱぁっと目を輝かせるて、むぐむぐごくんとケーキを食べると、ミルクティーを飲んで、堪らないとばかりに今日のお散歩の続きを話始める。
「草ボーボーの所があったの、え~と、お庭?
 それでね、レンガが上に出てるところ以外はガケなの、落ちたらダメなの。でもね、途中までうまくいってたんだけどね、とどかなかったや」
 照れた様に笑う男の子に、少女は微笑みながら、「そっか」と相槌を打つ。
「お庭ね、今日のも楽しっかったけど、お花が咲いてたりしたら、もっとステキだっただろうなぁ」
 そう言って、男の子はまた一口ミルクティーを飲む。
「お花が咲いてる、綺麗なお庭の方が良い?」
「うーん……。キレーなお庭も見たいかな」
 カップの中身を見つめながら、男の子が言う。
「そっか。それなら今度気が向いた時にでも、もう一度行ってごらん。きっとお花が咲く、綺麗なお庭になってるよ」
「本当っ?」
 少女の言葉を聞いた男の子は、とても嬉しそうだ。
「もちろん。ここはそういう場所だから」
 少女が断言すると、男の子は「やったーっ!」と笑う。
「じゃあ、こんどまた行こうっと」
 そしてまたカップのミルクティーを一口。ふと、何かを思い出した顔になる。
「そうだ、あそこもまた行こう」
「他にもまた行きたい所があるの?」
 その問いに頷く。
「あのね、お庭のあとに行ったお店にね、お人形さんがいたの。
 一人でいるのはさみしいかなって思うから、また会いに行こうかなって」
 机に置いたカップを両手で握り、足をプラプラさせながら言う。
「お人形、持って来ても良かったのよ」
 ここには彼らだけだ、窃盗を訴える者など存在しない。
 その言葉に、男の子は眉根を寄せて難しい顔になる。
「でも、あの子のお家はあそこでしょ? お家からつれ出されるのはさ、イヤじゃない」
 囁く様に言われた言葉に、少女は思わず泣きそうに歪んだ顔を笑顔に押し込める。
「そっか、優しいね」
 少し震えてしまった声は、頭を撫でられてご満悦の男の子には気付かれずに済んだ。



 男の子が二切れ目のケーキを平らげた頃、カップを抱えた男の子の目は、眠気で潤んでいた。それに気付いた少女は、そっとお皿を男の子から遠ざけ、カップを優しく受け取りながら問う。
「今日、お風呂入る?」
 男の子の首がカクンッと前に倒れる。頷いたのか、眠気による現象か判断がつかない。このままお風呂に入れるのは良くないなと、少女はこのまま寝かせることにする、どうせこの空間の物が男の子を汚すことは無いし、本当は男の子も少女自身も既にお風呂に入る必要性は無く、ただの嗜好なのだ。
「お部屋まで行ける?」
 難しいだろうなぁと思いながら問う。男の子は少女に両手を突き出すことで返答した。
「はいはい」
 表情は嬉しさを滲ませながらも口ではそう返した少女が、男の子を抱き上げる。
 キッチンダイニングを出ると、暗い塔の吹き抜けに出る。両手が塞がりランタンを持てない少女は、脳裏に魔法式を思い浮かべながら指先から魔法を放つ。すると、指先から出た魔力が光の球となって少女の目の前に浮かんだ。
 その光の球を灯りとして、少女は吹き抜けの階段を昇って行く。
「まだお着換えがあるんだから、寝ないでね」
「ねてないもん」
 ぐずぐずと少女の肩に頭を擦り付けながら言うが、その声は睡魔に支配されているのが解かる声だった。
「そうですねぇ」
 眠気で過敏になっている男の子の精神を刺激しない様に、少女は肯定する。そして、そのまま眠りに引きずられない様にと、男の子に話しかけ続ける。
「今度お菓子、何作ろうか迷ってるんだけど、何が食べたい?」
「……パン」
「パン?」
 お菓子じゃないことを不思議に思い、少女が訊き返す。
「パンと……スープが、良いなぁ」
「ずっとお茶とお菓子ばっかりだったからね。
 うん解かった、パンとスープ作るよ」
「ほんと? やったぁ」
「お菓子は飽きちゃった?」
「ううん、おかしもおいしいけど、ひさしぶりにパンとスープが食べたいなぁって」
「そっか、なら腕によりをかけて作らないとね!」
「ふふふ、たのしみ」
 そんな話をしていると、塔の一番上にある男の子の部屋に着いた。
 少女は男の子を椅子に下して服を用意すると、気を抜くと船を漕ぎそうな男の子をなだめて着替えさせ、髪の毛を軽く梳かす。
「よし、お待たせ。ゆっくりおやすみ」
 頭を撫でながら少女が言うと、男の子は「おやすみぃ」と返してベッドに潜り込む。そして男の子が寝息を立て始めたのを確認すると、脱がせた服を持って部屋を出て行く。



 キッチンの片付けなどを終わらせた少女は、ランタンを持って再び男の子の部屋へと様子を見に来た。
 男の子を起こさない様に静かに扉を開け、ランタンで部屋を照らす。その光に照らし出されたのは、四・五歳くらいの男の子。寝る前にはピッタリだった寝巻の袖が、大分と余ってしまっている。
 それに少女の目が軽く見開かれる。そして瞬きすると、悲しみと慈しみの混じった瞳になる。
 しばらく男の子を見つめた後、打って変わって殺意に満ちた目を、男の子の枕元で少女を見つめる鳥に向けると、静かに扉をぱたんと閉めた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...