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アルジャン3 伝えられない1
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朝起きて、身支度を調える。
スノーグローブが目に入った。
囚われのピアニストは本当になにを基準として選ばれたのだろう。贈ったシシーさえ困惑していたのだから、未だに真意はわからない。
机の上でネジを回せば届かぬ恋の歌が響く。古典歌劇の曲で、他の女を愛する男へ届かぬ心を切なく歌う詞が添えられている。長く愛されている曲はそれだけ多く編曲もされてきた。
いつだったかシシーの前でこの曲を弾いたことがあったかもしれない。
まさか、この曲を好んでいると思ったのだろうか。
緊張した様子で差し出し、顔色を覗っていた彼女が浮かぶ。
シシーからの贈り物ならなんだって嬉しい。
しかし……この曲は、まるで俺の心がシシーに届かないとでも言われているようで複雑な気持ちになる。
オルゴールに耳を傾けながら日課の手紙を記す。
どうして文章でなら書ける彼女への気持ちを直接言葉で伝えられないのだろう。
昨日のシシーも美しかった。けれどもヴァネッサに虐められていないかと心配になる。
それ以前に、シシーが完全に悩乱してしまっている様子だったのが気がかりだ。
やはりあの譜面はやり過ぎだっただろう。それに……彼女を傷つける言葉を口にしてしまった。
愛と謝罪を綴った手紙に封をして、引き出しにしまい込む。
彼女と婚約してから一度も欠かしたことのない日課だ。そして、この手紙が彼女に届くことはない。この感情が全て彼女に筒抜けになってしまったら……なんとなく、拒絶されてしまうような気がする。なにより、夢中になりすぎているのは格好がつかない。そう、だらしない姿を見られるわけにはいかない。
新聞に軽く目を通し、オプスキュール伯爵家の屋敷へ向かう。
あわよくば、寝ぼけたシシーをひと目見たい。
そう思ったはずなのに、部屋を訪ねればひどい顔色のシシーがいた。
「……まさか、寝ていないのか?」
墓から蘇った死体の方が幾分マシなのではないかと言うほどひどい顔色をしていた。単純な寝不足だけではないだろう。心が追い詰められているようだった。
「ひどい顔だ……」
思わず彼女の肩を掴む。
くっきりと刻まれた隈は追い詰められた彼女をよく表している。
もう、我慢できない。
強引にシシーを抱きかかえた。
「リリー、セシリアは今日、欠席する。ついでに俺もだ」
練習の邪魔はしないと誓った。だが、こんな練習方法を続けていては才能どころか命すら危険だ。
シシーを寝台に寝かせながらメイドに命じれば、怯えながらも拒絶を見せられた。
「あ、あの、お言葉ですが……その判断は旦那様が……」
「オプスキュールの使用人はいつから俺に意見出来るようになった?」
リリーには悪いが、セシリアは俺の婚約者だ。父親であるオプスキュール伯爵よりも俺が優先されるべきだろう。
「セシリア、寝ろ。その状態では練習するだけ無駄だ」
どうしてもっと柔らかく伝えられないのだろうか。
この言い方ではシシーを傷つけてしまう。
しかし、こんな無茶な練習は効果がないだろう。むしろ体を壊して演奏家生命が終わってしまうかも知れない。
たとえ、楽器のことがなかったとしても、愛する女が苦しむところは見たくない。
意地でも寝かしつけてやる。
シシーの腰を抱きしめ、逃げられないように捕まえる。
昨日の服のままだが、シシーの匂いが広がる。
ずっとこのまま居られたらどんなにいいだろう。眠るときは毎回シシーが腕の中にいてくれればいい。
そう思うのに、シシーは同意してくれないらしい。
「あ、あの……アルジャン様……さ、さすがにこれは……」
未婚の男女の距離ではないと批難したいらしい。
無駄に世間体など気にして。
「黙ってさっさと寝ろ」
一睡もしていないのであればすぐに眠ってくれるだろうと思ったが、シシーは余計なことばかり考えてしまうらしい。
やはり音楽のことだけを考えさせておかないと危険かもしれない。
それに……痩せすぎだ。
「……抱き心地が悪い……もっと太れ」
シシーは食が細いし、いつもデザートを譲ってくれる。
けれどももっと食べさせなくては折れてしまうかもしれない。
壊さないように大切に抱きしめているつもりだ。なにより、俺の温もりで安心してくれたらと思う。
なのに。
結局シシーにはその心が伝わらない。
「……アルジャン様……その……指の動きに支障が出そうなのでこの体勢は……」
困ります。
明確な拒絶を感じた。
ああ、懐かしい。この生意気さ。音楽のことになると途端に発揮されるこれだ。
俺も配慮が足りなかっただろうか。寝る姿勢も演奏に影響を与えてしまうのかもしれない。
少しだけ反省はするが、それでも彼女を放す気はない。
「これで我慢しろ」
シシーを体の上に乗せ抱きしめる。
こうやって密着すると互いの鼓動が協奏曲のように感じられる。
シシーが緊張しているのが伝わる。たぶん俺の鼓動も彼女に伝わっている。
それでもいい。少しでもシシーが休めるなら。
子供の頃、ヴィンセントから聞いたことがあった。
妹はどんなに泣いていても背中をとんとんしてやればすぐに眠ってしまうと。
あいつが妹にそんなことをしていたのかと思うと少し苛立ったが、もしそれが今も効果があるのなら……シシーが少しでも眠れるといい。
とんとんと、背を叩く。
困惑しているような様子さえ愛らしい。
少しして、寝息が聞こえた。
本当に効果があったらしい。
ずっとこのままシシーの寝息を聞いていたい。
そう思うのに、無粋な邪魔者が乗り込んできた。
スノーグローブが目に入った。
囚われのピアニストは本当になにを基準として選ばれたのだろう。贈ったシシーさえ困惑していたのだから、未だに真意はわからない。
机の上でネジを回せば届かぬ恋の歌が響く。古典歌劇の曲で、他の女を愛する男へ届かぬ心を切なく歌う詞が添えられている。長く愛されている曲はそれだけ多く編曲もされてきた。
いつだったかシシーの前でこの曲を弾いたことがあったかもしれない。
まさか、この曲を好んでいると思ったのだろうか。
緊張した様子で差し出し、顔色を覗っていた彼女が浮かぶ。
シシーからの贈り物ならなんだって嬉しい。
しかし……この曲は、まるで俺の心がシシーに届かないとでも言われているようで複雑な気持ちになる。
オルゴールに耳を傾けながら日課の手紙を記す。
どうして文章でなら書ける彼女への気持ちを直接言葉で伝えられないのだろう。
昨日のシシーも美しかった。けれどもヴァネッサに虐められていないかと心配になる。
それ以前に、シシーが完全に悩乱してしまっている様子だったのが気がかりだ。
やはりあの譜面はやり過ぎだっただろう。それに……彼女を傷つける言葉を口にしてしまった。
愛と謝罪を綴った手紙に封をして、引き出しにしまい込む。
彼女と婚約してから一度も欠かしたことのない日課だ。そして、この手紙が彼女に届くことはない。この感情が全て彼女に筒抜けになってしまったら……なんとなく、拒絶されてしまうような気がする。なにより、夢中になりすぎているのは格好がつかない。そう、だらしない姿を見られるわけにはいかない。
新聞に軽く目を通し、オプスキュール伯爵家の屋敷へ向かう。
あわよくば、寝ぼけたシシーをひと目見たい。
そう思ったはずなのに、部屋を訪ねればひどい顔色のシシーがいた。
「……まさか、寝ていないのか?」
墓から蘇った死体の方が幾分マシなのではないかと言うほどひどい顔色をしていた。単純な寝不足だけではないだろう。心が追い詰められているようだった。
「ひどい顔だ……」
思わず彼女の肩を掴む。
くっきりと刻まれた隈は追い詰められた彼女をよく表している。
もう、我慢できない。
強引にシシーを抱きかかえた。
「リリー、セシリアは今日、欠席する。ついでに俺もだ」
練習の邪魔はしないと誓った。だが、こんな練習方法を続けていては才能どころか命すら危険だ。
シシーを寝台に寝かせながらメイドに命じれば、怯えながらも拒絶を見せられた。
「あ、あの、お言葉ですが……その判断は旦那様が……」
「オプスキュールの使用人はいつから俺に意見出来るようになった?」
リリーには悪いが、セシリアは俺の婚約者だ。父親であるオプスキュール伯爵よりも俺が優先されるべきだろう。
「セシリア、寝ろ。その状態では練習するだけ無駄だ」
どうしてもっと柔らかく伝えられないのだろうか。
この言い方ではシシーを傷つけてしまう。
しかし、こんな無茶な練習は効果がないだろう。むしろ体を壊して演奏家生命が終わってしまうかも知れない。
たとえ、楽器のことがなかったとしても、愛する女が苦しむところは見たくない。
意地でも寝かしつけてやる。
シシーの腰を抱きしめ、逃げられないように捕まえる。
昨日の服のままだが、シシーの匂いが広がる。
ずっとこのまま居られたらどんなにいいだろう。眠るときは毎回シシーが腕の中にいてくれればいい。
そう思うのに、シシーは同意してくれないらしい。
「あ、あの……アルジャン様……さ、さすがにこれは……」
未婚の男女の距離ではないと批難したいらしい。
無駄に世間体など気にして。
「黙ってさっさと寝ろ」
一睡もしていないのであればすぐに眠ってくれるだろうと思ったが、シシーは余計なことばかり考えてしまうらしい。
やはり音楽のことだけを考えさせておかないと危険かもしれない。
それに……痩せすぎだ。
「……抱き心地が悪い……もっと太れ」
シシーは食が細いし、いつもデザートを譲ってくれる。
けれどももっと食べさせなくては折れてしまうかもしれない。
壊さないように大切に抱きしめているつもりだ。なにより、俺の温もりで安心してくれたらと思う。
なのに。
結局シシーにはその心が伝わらない。
「……アルジャン様……その……指の動きに支障が出そうなのでこの体勢は……」
困ります。
明確な拒絶を感じた。
ああ、懐かしい。この生意気さ。音楽のことになると途端に発揮されるこれだ。
俺も配慮が足りなかっただろうか。寝る姿勢も演奏に影響を与えてしまうのかもしれない。
少しだけ反省はするが、それでも彼女を放す気はない。
「これで我慢しろ」
シシーを体の上に乗せ抱きしめる。
こうやって密着すると互いの鼓動が協奏曲のように感じられる。
シシーが緊張しているのが伝わる。たぶん俺の鼓動も彼女に伝わっている。
それでもいい。少しでもシシーが休めるなら。
子供の頃、ヴィンセントから聞いたことがあった。
妹はどんなに泣いていても背中をとんとんしてやればすぐに眠ってしまうと。
あいつが妹にそんなことをしていたのかと思うと少し苛立ったが、もしそれが今も効果があるのなら……シシーが少しでも眠れるといい。
とんとんと、背を叩く。
困惑しているような様子さえ愛らしい。
少しして、寝息が聞こえた。
本当に効果があったらしい。
ずっとこのままシシーの寝息を聞いていたい。
そう思うのに、無粋な邪魔者が乗り込んできた。
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