黒炎の宝冠

ROSE

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4 運命の楽器

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 職人泣かせの魔力のせいで新しい楽器と巡り会えないままレイナは十三歳を迎えた。
 こちらの世界にもそれなりに慣れ、黒咲凛の知識と記憶とレイナ・アルシナシオンの知識と記憶、そして二人分の感情が徐々に融合し、全てレイナとして認識できるようになった。つまり黒咲凛はレイナ・アルシナシオンの一部として吸収されたのだ。
 元々レイナはあまり社交的ではない性格だったため、楽器の練習に熱中していれば誰も怪しまなかった。しかし、それだけではなにも情報が入ってこないので、婚約者のルイスを口実に少しだけ交流範囲を広げた。おかげでアルベルト・ミラゲロという合奏仲間ができた。
 アルベルト・ミラゲロは侯爵家の長男で『EVER』の攻略対象キャラクターの一人だ。呆れるほどのナルシストだが、それ以上に努力家であり、好感が持てる。特に、彼の年齢では演奏できる者がそう多くはない高度な技術が必要な譜面も初見であっさりと合奏に付き合える程度には実力がある。そこがレイナの気に入るポイントだった。たとえ黒咲凛の事前情報がなかったとしても彼と接触さえすれば、レイナ・アルシナシオンはアルベルト・ミラゲロに好感を抱いただろう。
 そう、彼は比較的無害なのだ。特に、現在の運命の楽器に出会えていないレイナにとっては。

「ルイスには内緒ですよ。あんまり婚約者のあなたと親しくしすぎるなって注意されているますから」
 アルベルトがこっそりと言いながら包みを渡してくる。
「まぁ、ルイスったらそんなことを? でしたらご自分が合奏に付き合ってくだされば良いのに」
「レイナ様の技術に彼じゃ追いつけませんよ」
 アルベルトは無駄にきらきらした笑みで言う。親しい振りをしつつ、彼は実はルイスが嫌いだろう。というのも家の力は勿論、魔力と楽器の条件が似すぎていて頻繁に比較されるのだ。純粋に魔術のみならばルイスが、楽器の技巧を含めた音楽魔法であればアルベルトが優れている。学力的には同程度の実力だろう。そして、二人とも性格に難あり。
 できることならばどちらも結婚相手には選びたくないというのがレイナの本音ではあるが、ルイスとの婚約は決まってしまったのだから仕方が無い。ルイスとアルベルトを天秤にかければほんの僅かにルイスの方がマシだろうと判断してしまう。それでもアリアがルイスを強奪してくれれば万々歳とは思うが、そうなると今度は命が危ないのだ。
 不可解な点がある。昨年七つになったはずのアリアが王城に迎えられた話を聞かない。レイナは未だアリアと接触していないのだ。さらに、病弱な次兄は存命だ。なにかがおかしい。
「私に妹か弟がいれば徹底的に楽器を教えて合奏仲間にするのに」
 わざとらしくアルベルトの前でそう口にする。もしアリアの噂があるのなら、彼ならば教えてくれるかもしれない。彼は話し好きで噂話にも敏感だ。会話の半分以上が自分の自慢話だとしても。
「お兄さんが二人とお姉さんが二人いるじゃないか。その上妹や弟までいてはそれこそ権力争いが恐ろしいことになりますよ」
 アルベルトは笑う。
「まさか、上のお兄様が立派に国を纏めてくださいますわ」
 口から出任せでそんなことを言ったが、長兄の名前が思い出せない。ジョージィだったかジョセフだったか。ジョナサンだったかもしれない。
 レイナ・アルシナシオンは本気で自分の家族に関心が無いのだ。そもそも上の兄は歳が離れすぎている。それに多忙だ。あまり接する機会は無いのに、少し顔を合わせれば小言が多い。レイナは彼を面倒だと思っていた。特に、専門分野に口出しされるのは嫌だ。兄は間違ってもチェロ奏者では無い。それどころか、弦楽器を演奏しない。彼はあの強面で、フルート奏者なのだ。そして、あんなにも厳しいのに音色がとても優しい。
「ジェイコブ殿下だと相当厳しい国政になりそうだなぁ」
 アルベルトは楽器ケースをテーブルに置きながら言う。
 ああ、長兄の名前はジェイコブだったか。ひとつもかすっていなかった。レイナは思わず笑いながら、アルベルトに貰った包みを開ける。
 少し重いなと思えば、中から出てきたのは譜面台だ。
「あら。丁度新しい椅子に合わせた素敵な譜面台が欲しいと思っていたのよ。アルベルト、ありがとう」
「僕って気が利くでしょう? なんて、その職人に丁度僕の譜面台も作って貰うところでしたので。僕は持ち運べるように折りたたみのものを……ほら、これですよ。楽器と一緒に入れられるように鞄も新しくして……」
 アルベルトはわざわざ自分の譜面台を広げて見せてくれる。
「ヴァイオリンはいいわね。どこでも演奏できるわ」
「チェロだってその気になれば……いや、流石にレイナ様が階段や地面に座るのはまずいか」
 アルベルトは真面目な顔で考え込む。
「常に椅子を持ち運ぶ使用人を雇うとか?」
「その人私の演奏中ずーっと待ってなきゃいけないってことよね。すっごく退屈そう」
 アルベルトのアイディアは極めて貴族的で無駄としか言いようがないが、それで雇用が生まれるのであれば意味はあるのかもしれない。実際、黒咲凛の情報が無ければレイナはそれを採用していただろう。
「レイナ様はなんというか、使用人に気を遣いすぎでは? 彼らは仕事として仕え、賃金を得ているのですからその役目に見合った賃金を支払えば問題ないかと思いますよ」
 わかってはいる。
 レイナが出かける時に椅子を持ち歩く仕事は毎日おおよそ六時間固定され、いつ使うか、いつ使い終わるかわからない椅子の持ち運びを命じられる彼、もしくは彼女を考えるとどうしてもその決断に踏み込めない。
「まだちゃんとした楽器も用意できてないし……今度考えるわ」
 レイナの運命の楽器は未だに得られない。もう既に分数サイズでは体に合わなくなったため、繋ぎで祖母が使っていたという楽器を譲り受けたがこれがまた厄介な癖のある楽器だ。
「おばあさまの楽器を譲り受けたのでしょう? そちらでは不満ですか?」
「楽器自体は素晴らしい物よ。たぶんね。でも、魔力とすっごく相性が悪いのか、響きにくいの。なんていうか、音が暗いというか少しくぐもった感じがするというか……」
 感覚的な物だ。練習に先生の予備を借りたときは無機質だとは感じたがあれほど響かないという感覚は無かった。
「最近以前ほど頻繁に合奏に誘わなくなったと思ったら、楽器の音が気に入らないとかそう言った話ですか?」
 アルベルトはからかうように言う。
「それもあるけど……アルベルトが初見でなんでもほいほい弾いちゃうからちょっと悔しいなと思って、絶対どこかで躓くように個性的なアドリブを考えておこうと思ったら中々思い浮かばなくて」
 レイナは基本的に負けず嫌いだ。特に音楽の面では。そして、厄介なことに黒咲凛もまた、上司にも噛みつくタイプの負けず嫌いだった。負けず嫌いが二人合わされば更に負けず嫌いになるだろう。
「こればかりは年季の差だと思っておくれ。僕の方が二つ上だ」
 彼は笑うが、これは努力の差だ。時間だけでは解決できない。彼は人に見せないところで練習を重ねてきたのだ。
「凄く良い先生に教わったのでしょう? 私にも紹介してくださらない? 上達の為ならヴァイオリンも習う覚悟よ」
 サプリエットの王族は伝統的に、三つになると楽器の沢山並んだ博物館のような部屋で自分の楽器を選ぶ。その部屋で最初に触れた楽器が生涯を共にするものになるのだ。そして、多くの貴族もまた同じように沢山の楽器から一つを選ぶ。レイナはチェロだった。それを知ったとき祖母がとても喜んだという話を聞く。
「僕は伯父に習ったんだ。でも、上達し始めたのは合奏をするようになってからかな。化け物みたいなやつがいてね」
 アルベルトは楽しそうに笑う。口調が砕けきってしまったことにも気付いていない様子だ。けれども不快感はない。むしろ数少ない友人として過ごしてくれることには感謝している。
「化け物みたいな方?」
「ホセ・エミリオ・コントラトって男。僕が七つの時かな。伯父の屋敷出会ってね。めちゃくちゃ巧かった。すっごく悔しくてあいつになんか負けたくないって思ったら伯父に合奏を勧められてね。あんなやつと嫌だと思ったはずなのに、いざ演奏してみると、いつもより気持ちよかったというか、すごく巧くなったような気分になったんだ」
 それはつまり、ホセがその時点から他人に寄り添う演奏ができていたということだろう。
「彼、教えるのもとても上手よね」
「ああ。レイナ様も上達したいなら、ホセと合奏するといいよ。欠点を的確に指摘してくれるし、気持ちよく演奏させるのが上手だ」
 つまり、ホセは合奏が好きなのだろう。彼はどこか他人と距離を置きたがる印象があったから少しだけ意外だ。
「僕が彼と出会った頃、彼はヴィオラ奏者だったんだよ」
 だから弦の扱いが巧いのかと納得する。彼は手入れもとても的確にアドバイスしてくれるし、レイナがそろそろ弦を張り替えたいと思うタイミングに現れて、弦を張り替えてくれたりする。
「そういえば、ホセ、いつも私の楽器の手入れと調節をしてくれるの」
「珍しい。レイナ様はそんなに楽器の扱いが雑というわけでもないのに」
 アルベルトは驚きを見せ、それから楽譜をレイナに差し出す。
「今日は僕が用意した曲でどう?」
「……初見は苦手。ちょっと待って」
 楽譜を受け取って目を通す。頭の中で演奏を考えるけれど、装飾音が多くて難易度が高そうだ。
「……一週間くらい練習したい曲だけど……」
「レイナ様の技術ならこれくらい弾けるでしょ」
 あっさりと言われてしまい驚く。アルベルトはかなりレイナの技術を評価してくれているらしい。しかし期待が大きすぎる。
「ここ、ちょっと指攣りそう」
 細かい音が連続している部分を指さして告げる。
「そう? この前練習してた曲にも似たような動きあったから平気でしょ」
 あれは部分練習を一ヶ月繰り返してようやく習得したのに。
 アルベルトは非常に努力家だけど、それと同じくらい才能にも恵まれていると思う。
「大丈夫。レイナ様はホセのお気に入りだし、発表会でもない。今日は僕とちょっと遊ぶくらいの気持ちでいいよ。まぁ、ミスは数えるけど」
 アルベルトはからかうように笑って自分の楽器の調節に入る。
 アルベルトのヴァイオリンは角度によっては透明にさえ見える白を基調とした風変わりな楽器だ。魔力を扱いやすいように特別な加工も加えられている上に、他人の魔力と共鳴させやすくなっている。
「いいなぁ。私も早く自分の楽器が欲しい……」
 アルベルトはあのヴァイオリンを【妻】と呼んでいる。曰く、死が二人を別つまでといった存在らしい。最初にその話を聞いたときは聞き流していたけれど、いざ、彼と合奏を重ねると、運命の楽器に出会えたという事実自体が既に羨ましい。
 しかもアルベルトの【妻】は見た目も非常に美しく、魔力を共鳴させ、合奏魔法をより強力にできる素晴らしい一品だ。
「私の運命の楽器はいつになったら現れるのかしら……」
 既に職人が片手の指程度失敗作を生み出してしまっている。曰く、レイナの魔力が特殊すぎて素材が耐えられないらしい。
「焦らなくても、運命の彼女に出会うまでレイナ様の技術を磨いておけばいいじゃないか」
 アルベルトは僕はいつでも始められるよと仕草で示しながら言う。
「アルベルトが奥さんとイチャイチャしてるのを見ると余計に羨ましくなっちゃうの」
 そう答え、祖母の楽器を抱きしめる。
 レイナ・アルシナシオンは演奏する前に楽器を抱きしめるのだ。黒咲凛には理解できない習慣だったが、なんとなく、これは楽器との信頼関係を築きたい感情のような物ではないかと思えた。
「でも、レイナ様、あまり楽器を選ばないで演奏できる方だと思うけどな。普通は他人の楽器でそこまで魔力を安定させられないから」
 アルベルトに言われ、首を傾げる。
「私はチェロを弾きたいだけで、特に魔法を使っているつもりもないのだけど」
「うん。でも、普通は演奏しているときに無意識でも魔力を込めてしまうからね。他人の楽器だと暴走しやすいんだ。たとえば僕がルイスの楽器を使ったらすぐに弦が切れちゃって弾けないと思うよ」
 そう言われ、ルイスの楽器を思い浮かべる。彼のヴァイオリンは暗めの色合いで艶やかな美しさを持っている。とても年代物で、側面に呪文が彫られており、魔力を安定して増幅させやすい品だ。
 同じ楽器、同じ魔力傾向のルイスとアルベルトだが使う楽器はかなり違う。ルイスは伝統的な古い品を手入れして、アルベルトは自分専用のものを職人に作らせた。
「ルイスの彼女は演奏補助の呪いが掛かっているからちょっと扱いにくいっていうか、僕の癖を無理矢理修正しようとしてくるところがまた酷いよ」
 アルベルトは不満そうに言う。
「借りたことあるの?」
「うん。去年の秋頃かな。ホセの部屋で会ったら珍しくルイスも楽器持ってきてたからちょっと交換してみたら悲惨だったよ。あいつ、魔力制御は巧いけど演奏技巧がちょっと残念だからね」
 確かに楽器の演奏よりは剣や魔術の練習をしていたい人だけど、それでも平均以上の演奏能力だ。
「あいつ、装飾音が連続するとすぐ躓くから」
「ルイスと合奏するときはなるべくゆったりした曲を選ぶようにしてるわ」
 彼は速弾きが苦手だ。なるべくゆったりとして、極力チェロの方でカバーできる編曲の譜面を選んでいる。
「僕としてもレイナ様くらいの奏者と合奏した方が気楽で良いけど」
「ルイスとの合奏は嫌い?」
「合奏自体は嫌いじゃ無いけど、選曲がすっごく悩む」
 アルベルトはそう言ってそろそろ始めようの合図をする。
 初めはチェロからだ。レイナのタイミングで始めて良いと彼は合図してくれた。
 少し、緊張する。けれど、この緊張は嫌いではない。
 レイナの演奏姿勢は頭と楽器の距離が近く、比較的首の動きが少ない。ホセ曰く、男性奏者に多い姿勢らしいが、その意味を理解できるほど沢山の奏者に出会ったわけではないのでなんとも言えない。しかし、アルベルトも最初にレイナの演奏を聴いた時は男性奏者だと思ったようだから、そういうものなのかもしれない。
 なるべくゆっくり弾いて連符で躓かないようにしようと思ったが、アルベルトがそれを許してはくれない。まるで競い合うように音が交差する。
 この譜面を書いたのはホセに違いない。確信する。この厄介な連符の連続は前に苦戦した記憶がある。ホセの用意してくれた練習曲に似たフレーズがあった。
 必死に楽譜を追いかけてしまう。リズムが崩れた。連続する連符は苦手だ。
 それでも演奏を続け、最後まで弾ききる。
「惜しかったね」
 きらきらした笑みを見せるアルベルトが憎らしい。
「この譜面、ホセのでしょ」
「うん。レイナ様と合奏するからちょっと複雑にしてって頼んでみたんだ」
 余計なことを。思わずそう思うが、これをきちんと練習すればまた腕が上がると言うことだ。
「この楽譜、貰って良い?」
「勿論。夜に猛特訓かい?」
「いいえ。今夜はルイスも招いて晩餐会なの。久しぶりにお父様の演奏が聴けるからそれは少し楽しみよ」
 父である国王はオーボエ奏者だ。そしてかなりの技巧派である。
「え? じゃあ、僕と合奏なんてしてる場合ではないんじゃ……」
 アルベルトが目を見開くと同時に扉が開く。
「レイナ」
 静かな声が呼ぶ。ホセだった。
 相変わらず無礼だが、不思議と不快には感じない。
「あら? 今日は約束していたかしら?」
「いや、でも、君に渡したい物があって」
 ホセは目を伏せる。
 この数年で、彼は更に背が高くなった。もしかしたらもう少し伸びるかもしれない。淡々とした話し方ではあるが、少し柔らかい声質のバリトンは心地良い。
「渡したい物?」
 訊ねると、ホセは大きなケースを差し出す。
 まさか。目を疑う。この大きさはチェロがそのまま入ってしまいそうだ。
「レイナの為に作った。だから、君の魔力と合うはず」
 驚いた。彼が音楽馬鹿なのは知っていたが、まさか楽器を自作できるなんて。
「え? ホセ、レイナ様の楽器作ったの?」
 アルベルトは自分の楽器を片付け、慌てたように駆け寄ってきた。
「うん。職人が苦戦してたし、レイナの癖は私の方が知っている」
 確かにホセはもう何年もレイナの楽器の手入れをしてくれていたけれど、だからといって楽器を作ってしまうなんて。
 驚きつつもケースを開く。黒く美しいボディ。表板には薔薇と茨の装飾が彫られ、側面にはルイスのものと同じように呪文が彫られている。
「これ……」
 『EVER』でレイナが持っていた楽器だ。
「とても良く響く。レイナの魔力をよく伝える楽器だ」
 ホセが言う。つまり、レイナの、洗脳の魔力を遠くまで届けられる楽器ということだ。
 しかし、実際に弾いてみないと合うかどうかなんてわからない。
「試奏していい?」
「勿論。レイナの楽器だ」
 取り出された楽器は、既にレイナが一番演奏しやすい高さに整えられていた。
 抱きしめると、今まで感じたことが無いほどの安心感に包まれる。
「もう、調節も済ませてあるよ」
 彼に言われるまま、弓を手に取り、昨夜練習していた曲を弾いてみる。
 よく響く楽器だ。音が少し甘くて、柔らかい。ちゃんと練習しないと、レイナの方が楽器に負けてしまいそうだ。
「素晴らしいけど、私にはまだ早いかもしれないわ」
「いや、大丈夫。レイナは努力家だから」
 ホセが柔らかく笑んだ。彼が笑むところを初めて見たかもしれない。
「凄いな。僕の楽器もホセに依頼すれば良かったかもしれないな。けど、この楽器面白いね。複数の魔力を扱える」
「レイナが複数の魔力を持っているから、普通の楽器だとレイナの魔力を活かしきれない」
 ホセは静かに答え、それから楽器の確認をする。
「うん。罅も入っていないしどこも歪んでない。そろそろ今の楽器も限界だと思って急いだけど、間に合った」
 ホセはそう言って、祖母の楽器を手に取る。
「これ、修理した方が良い」
 ホセは楽器を点検しながら言う。
「修理?」
「ここ、罅入ってる。それに、指板が反ってきてる」
 演奏前に確認した時点では気がつかなかったが、確かに指板が微かに反り始めている。
「レイナ、練習しすぎ」
 まさかそんな注意をされるとは思わなかった。
「少し体を休めないと、上達する前に壊れる」
 ホセは静かにそう言って、祖母の楽器を片付け始める。
「レイナ様、普段どのくらい練習してるの?」
「えっと、朝食の後に一時間、その後先生が来て一時間、座学の後に二時間、夕食後に一時間、就寝前に二時間くらいかな」
 黒咲凛と融合するまでは更にもう二時間くらい多かったはずだ。
「……練習しすぎ」
 ホセが溜息を吐く。
「好きだからずっと弾いてたいと思うのはダメ?」
「レイナはまだ体ができあがっていないから、無理をすると弾けなくなるよ」
 レイナ・アルシナシオンは全く練習が苦にならない。というより他に趣味が無いのだ。
「実技時間を減らして座学にするとか、それだけでも大分違う」
 そう口にしたホセに突然手を掴まれ驚く。
「指、攣りやすいって言ってた」
 確かに最近連符が苦手だと思うけれど、そこまで心配されることだろうか。
「演奏には骨格と筋肉が必要だから、使いすぎると支障が出る」
 淡々と説明されても、レイナは納得しない。しかし、黒咲凛の知識が呼び覚まされる。イラストを描くために学んだ人体構造がこんなところで役に立つとは。
「多分、鎖骨付近の筋肉も辛いと思う」
 ホセが触れようとした瞬間、アルベルトがその手を止める。
「ホセ、流石にそれはだめ。レイナ様はルイスの婚約者だからね。体に触れてはいけない」
「そう。レイナ、この辺り、自分で触ってみて。張っているようなら、ほぐした方が良い」
 ホセは自分の鎖骨付近に触れながら言う。
 本当に音楽のことしか考えていないのだろう。たぶん、彼はレイナを女性だと思っていない。
「ホセ、ちょっとレイナに入れ込み過ぎじゃない?」
「優秀な奏者を壊したくない」
「専門馬鹿」
 静かに言い合う二人に驚く。すごく親しそうだ。
「レイナ、練習時間、三時間くらい減らして」
「せめてあと一時間」
「だめ。体が出来上がるまではだめ」
 珍しくホセが強く言う。ということはつまり相当まずいのだろうか。
「まぁ、レイナ様、座ってばっかりいると腰にも負担掛かっちゃいますし、浮いた時間で散歩に行ったり美術鑑賞をしたりして感性を磨くのも演奏技能の向上に繋がるし、ルイスを誘ってデートなんてどうです? 結婚前に友好的な関係を築きたいって言っていたでしょ?」
 うん。言ったかもしれない。
 正確には、結婚はしたくないけど殺されない程度に友好的な関係を築きたい。だ。
「音楽のことだけ考えて生きていたいのに。王族って面倒ね」
 しかし、ルイスの好感度はある程度重要だ。
 そう思ったところで、違和感の正体に気付いたかもしれない。
 『EVER』のシナリオ上、本来はアルベルト・ミラゲロとレイナ・アルシナシオンは友好的な関係ではない。むしろ、レイナが女王にならなければ出会わないはずの存在だ。アルベルトはホセやアリアを通してしかレイナを知らないはずなのだから。
 風が吹けば桶屋が儲かるということだろう。おそらくはそれ以前にも何かが狂ってシナリオに影響が出ている。これが吉と出るか凶と出るかはまだわからない。
 だが、長兄の暗殺を回避できればそもそもレイナが女王になる必要も無いのだから、結果アリアと対立することも無く、命の危機は回避できるはずだ。
 レイナ・アルシナシオンとしての勝利は命が終わるその瞬間までチェロと共に生きることだろう。
 いや、それだと監禁や封印されない限り、レイナはあのエンディングでも満足できる?
 思わず、自問してしまう。
 黒咲凛の思考と融合しなければ、レイナ・アルシナシオンはあのエンディングの多くには満足してしまう。なぜなら、彼女は楽器と共に朽ちるか、自らの楽器により命を落とすから。
 全てのエンディングを回避しようとするのは不可能だろう。ならば最低限、レイナ・アルシナシオンとして避けたいエンディングを回避すれば良い。つまり、幽閉、封印、監禁の三つだ。となると、レイナがすべきことは、アリアがフラン、テオドラと接触すること妨害すれば良い。もっともベストなのはフランとテオドラをくっつけてしまうことだ。
 現在、テオドラは長姉の友人だ。そして、彼は同性愛者で、フランに惹かれているはず。
 はたして、それをどう利用するべきか。
「テオドラ・セージョにこっぴどく嫌われれば話は早いのに」
 彼の温情で幽閉されてそのまま餓死するのは避けたい。せめて楽器が一緒ならば……いや、レイナの魔力が強力すぎることを警戒して楽器は取り上げられてしまうのだ。
「テオドラ・セージョってあの気難しいデザイナー? レイナ様、全然外に出ないのによく名前を知っていたね。てっきりそういったことは興味が無いのだと思っていたよ」
「上のお姉様の友人なの」
 アルベルトは彼と接点があるのか。
「たぶんだけど、レイナ様は彼に凄く気に入られると思うよ」
「え?」
「お顔の作りが彼の好みだからね。それに細身で色白だから、彼の表現したい世界観とは良く合うと思うよ。ああ、ついでに彼はギター奏者だ」
 それは知っている。ついでに彼のデザインはレイナの好みだ。
「彼のデザインは凄く好きだけど、たぶんルイスの好みじゃないと思うの。だから、もっとルイスが好みそうなデザインをしてくれるデザイナーを探したいわ」
 これを理由にしてテオドラに憎んで貰うことはできないだろうか。婚約者のいる王女が口にする理由としてはそんなに不自然ではない。音楽一筋だった王女が年頃になり、婚約者を異性と意識するようになったとすれば流れとしてはそこまで不自然ではない。それに、丁度練習時間を減らせと命じられたばかりだ。空いた時間で婚約者のことを考えるというのは完璧な流れだろう。
「レイナ様、実は結構ルイスのこと気に入っているんだね」
 アルベルトは驚いたように口にする。
 どうやらこの言い訳は彼のお気に召したらしい。ならば問題なく活用しよう。


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