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少しの変化
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田中邸。
結局田中さんは自分の家によく似た私のばしょで過ごすことになった。そりゃあ自宅と同じ使い勝手ならその方が過ごしやすいだろう。
それに、この世界にしては珍しく家電が使えるのだ。快適に決まっている。
私はたいやきさんのばしょで過ごす時間が長いけれど、お風呂だけは田中邸で過ごす。だってお湯が使える。
たいやきさんは見様見真似で人間らしい生活をさせてくれようとしていた。猫草や水風呂、にぼし出汁で。
おちゃややさいには慣れたけれどおふろだけはどうしても……。ずっと夏だから耐えられたとは思うけれど。
田中邸で『人形の夢と目覚め』を聴く度に神と文明に感謝する。
が、この頃頻繁に石像の女神の声が聞こえる気がする。
「ぷりん」
供物の要求だ。
あれは人間の世界に戻らなくては用意できない。どうしたものか。
悩んでいると、田中さんの書斎が目に入る。
「あの、田中さん、料理の本なんて持ってませんよね?」
たぶん仕事中だっただろう彼に声をかけるのは申し訳なく思うけれど、プリンを捧げなくては悪いことが起きるのではないかと不安になる。
実際、田中さんの周りには原稿用紙が山積みになっているし、たいやきさんよりも個性的な文字で解読が難しい。
「料理? あることはあるが……書庫は隣と、二つ隣の部屋だ。あとは蔵にもいくつか……いつの時代の何の料理だ?」
田中さんは大きく欠伸をして、それから伸びをしながら立ち上がる。
結構長い時間仕事をしていたらしい。
ん? 仕事?
「田中さん、こっちでもお仕事しているんですか?」
「そりゃあ、締切はいつだってやってくるだろう」
「いや、こっちで仕事終わらせても原稿は持って行けませんよ?」
そうだ。田中さんは手書き派なのだから。人間の世界でやらないと意味がない。
まさか気がつかなかったのだろうか。
田中さんの顔がどんどん青ざめていく。
「……つまり……私が書いたこの血生臭いホラー原稿と探偵小説は無駄だったと?」
またこれを書き直せと言うのかと叫びながら頭を抱える田中さんはかっこつけのくせに少し抜けているんだよなぁ。
「あー、たくやさんはすこしうっかりさんだからね……」
様子を見に来たらしい探偵猫が困ったように笑う。
「あ、こんにちは。探偵さん」
「こんにちは。さきちゃん。ごはんにさそおうとおもったけれど、めいわくかな?」
あのやりとりから数日、せっせと食べ物を運んでくることはなくなったけれど、少し遠慮がちに食事に誘ってくれることが増えた。
「いいですね。ごはん食べてから本を探します」
「ほん?」
「お菓子作りの本を探そうかと。こっちでプリンが手に入らないので自作してみようかなと」
正直、料理はあまり得意ではないし、下手くそだったら女神様になにこそ言われるかわからない。
だけど、プリンを渡さない方がもっと怖い気がする。
「わたしもさきちゃんのてりょうりがたべたいな」
「あはは……上手に作れたら探偵さんにも食べて貰いますね」
供物にする前の味見係は多い方がいい。
まあ、プリンくらいならなんとかなるだろう。それでだめなら……「かふぇ」で相談してみようかな。
まだ取り乱している田中さんを置き去りにして、探偵猫とふたりで食事に出かけた。
出かけた先は大将猫のお店。猫には評判がいいけれど、探偵猫はもう少しお洒落なお店の方が好きらしい。
それでも、握らない握り飯はやみつきなのだ。
「おかかー!」
おいしい。
ものすごく美味しい。
もう、がつがつと、たいやきさんといい勝負な食べっぷりを披露すれば、探偵猫が硬直する。
「……そんなに、おなか、すいてたの?」
お上品な探偵猫に、下品な人間だと思われたかもしれない。
そう言えば田中さんも食べ方とか歩き方がお上品なんだよなぁ。
「いやぁ、お米が久しぶりで……それに、大将さんのおかかおにぎりおいしいんですよ。あ、原稿で絶望してる田中さんにも持って帰りましょうか」
あの調子だと今日は一日鯉に餌をやって過ごしそうだ。
「……さきちゃん、たくやさんにはしんせつだよね」
あ、拗ねさせちゃった?
「一応雇い主ですし……なんだか田中さんの家に居候させて貰ってる感があるばしょになっちゃいましたし……」
私の場所は田中邸をほぼ完璧に再現しているらしい。違うのは門を出た先と窓から見える風景だけだと言う。
そう言えば、探偵猫の場所にはまだ行ったことがないな。
「探偵さんのばしょってどんなばしょなんですか?」
私の場所は夏の終わり、秋のはじまりみたいな季節で過ごしやすい温度だし、田中邸の庭で果物や栗が採れる。
そう。栗が採れる。
一緒に栗拾いでもして気を紛らわせるべきだろうか。そう考えてしまう程度には田中さんは取り乱していたと思う。
「わたしのばしょは……ふゆのはじまりかな? ときどきゆきがふるけれど、つもるほどではないよ」
「へぇ……だからいつもたいやきさんのばしょに来ていたんですか?」
「うん? ああ、あそこはいいね。いつもなつだから、らむねをのむのにいいんだよ」
今はラムネを禁止されてしまったけれどと探偵猫は笑う。
探偵猫の食べている「めざしていしょく」は支払いに使っためざしがそのまま出されているのではないかと疑いたくもなってしまうが、小鉢汁物が付くから大将猫が損していそうだ。
にぼしていしょくだとにぼしが出てくるのだろうか?
好奇心は刺激されているがまだ注文したことはない。
「探偵さんはお肉よりもお魚派ですか?」
「え? うーん、あまりかんがえたことがなかったな。なんでもおいしくたべるよ。うん」
お上品にめざしをはむはむするけれど、やっぱり食べ方は猫だ。
「でも、たしかにさかなはすきかもしれないな」
そう言えばいつもなにかしら魚を捕っている。釣りが得意みたいだし。
「嫌いな食べ物はないんですか?」
なんでも美味しく食べるということはたいやきさんが喜びそうなものは探偵猫も好きということだろうか?
そう、思ったが、探偵猫は少し考え込んで、どうしても食べられないものがあったと言う。
「ひとつだけ……というよりも、このしゅるいがにがてというものは……あるかな?」
「ふむふむ」
辛いものだとか酸っぱいものだとかそういうことだろうか?
探偵猫が口を開くのを待つ。
「さきちゃん、できればきみもおなじであってほしいのだけど……」
どうしてか、深刻そうな表情をされてしまった。
つまり、私がそれを好きと言っても、彼はそれを用意できないだとか?
蛇や鰐なら私だって食べない。
「……わたしはね……その……むしがにがてなんだ……」
「前にあまり好きではないって言ってましたね」
「……すきではないというか……できればぜつめつしてほしい……」
なんて過激な表現なんだ。そこまで虫が苦手だとは。
「安心してください。頼まれても食べません」
そう答えると安心したように息を吐く。
本当に嫌いなんだな。
あれ? 田中さんも虫が苦手だったような……。
「田中さんのお家で虫が出たときってどうしていたんですか?」
「ああ、それは……きょうこさんがすりっぱでほろぼしてくれていたよ」
押しかけ助手さん……すごい。やっぱり彼女を追い出したら田中さんが困るんじゃ……。
「京子さんがいないと田中さんが困るんじゃないですか?」
「あー……いや……」
探偵猫の目が泳ぐ。
「その……かのじょはちょっとつよすぎて……たくやさん、あれでけっこうせんさいだから……」
探偵猫は田中さんを気遣っているようだ。
それに、押しかけ助手さんは探偵猫の言葉を理解出来ない。
「たくやさんは、わたしのこえをきけないきょうこさんをせいしきにさいようするきはないみたいなんだ」
「それって……猫の言葉を理解出来る人は相当レアだと思いますよ?」
田中さんはそのレアな人に含まれてしまう。
あ、そうか。
自分を理解出来る人を側に置きたいんだ。
なんとなく、わかる気がする。
「田中さん、探偵さん以外に友達いないみたいですしね」
「ふふっ、たくやさんはあれでひとみしりだからね。それに、すなおじゃないところがあるから」
とってもやさしいこなんだよと言う探偵猫の気持ちもわかる。
心配性で優しい人だ。
「探偵さんは本当に田中さんを大事に思っているんですね」
「うん。そうだね。かれをきょうだいのようにおもっているよ」
そんなことを言ったら、きっとお互い自分の方を兄だと思っているのだろうなと思う。
なんだか、少しだけ羨ましく思えた。
お土産に握り飯をよっつ買って田中邸に戻ると、いじけているらしい田中さんが鯉に餌をやりながら話しかけている。
「おはぎのやつ……私よりも早希ちゃん早希ちゃんと……おはぎが居なければだれが私の話を聞いてくれるというのだ……」
完全に拗ねていじけている。
「……すまないね。さきちゃん、たくやさんもわるぎはないんだよ」
「大丈夫です。いじけてるのすぐわかるので」
面倒くさい系雇い主だ。
「田中さーん、おにぎり買ってきましたよ? 握ってないけど意外と美味しいですよ?」
「さ、早希ちゃん……いつの間に」
急に姿勢を正し、咳払いをする田中さんが面白い。
年下の前でかっこつけたいというのがすぐに見てわかってしまう。
田中さんは絶対に政治家には向かないなと思い、いつでも有権者向けの外面を維持している大志は意外と凄いやつなのかもと見直した。
「田中さんよっつも食べます? 食べきれないならひとつはたいやきさんに持っていこうかと」
「あ、ああ……ふたつもらおう。いくらだ?」
財布を取ってくると言うが、ちょっと待て。ここで田中さんの財布から出てくるのはなんなんだろう?
日本円なのかにぼしなのか。
にぼしが入る財布?
全く想像が纏まらない。
考えながら田中さんが置いて行った鯉の餌入れを手に取る。
「探偵さん、餌やりしますか?」
「いや、やめておくよ。ここのこいたちはわたしをけいかいしているから」
そういえば、池の鯉を供物にしていたっけ。
あれ?
「今思ったんですけど、猫や兎や犬の言葉はわかるのに、魚の言葉がわからないのはどうしてでしょうか?」
「うーん? しょくようだから?」
あまり聞きたくはない答えだった。
じゃあ、羊や鹿や牛はどうなんだろう。あまり考えたくはないな。
もどってきた田中さんは西陣織の長財布を手に持っている。
え?
日本円で支払う気?
そう思ったのに。
「……生臭くなって嫌なのだが……めざし、だったか?」
「いや、その財布にめざし入れるのおかしいでしょ……」
思わず素の声が出てしまう。
「仕方がないだろう。通貨が魚なんだから」
探偵猫もお洒落ながま口使ってたっけ。
「いいですよ。私のおごりです。たまにはそういう気分の日もあるので」
高級財布から出てきためざしは受け取りたくない。
そう考えたことが田中さんに伝わってしまったかどうかはわからないけれど、おにぎりをふたつ渡して、残りをたいやきさんに持っていくことにした。
当然のように探偵猫がついてくる。
彼はなんというか、過保護だ。
かわいいと言えばかわいいのだが、無言でじっと見つめられるのは苦手だ。
「こんにちは」
探偵猫が声をかけると、たいやきさんが嬉しそうな様子を見せる。
「あ、たんていさん、いらっしゃい! さきちゃんもおかえりー」
美味しそうな匂いがわかるのか、鼻をひくひく動かして、こっちを見るたいやきさんに幸せな気分になる。
たくさん食べてころころのもちもちになって欲しい。
「大将さんのにぎりめしです!」
ついつい得意気な顔をして渡してしまうのは、おかかおにぎりがあまりにも美味しいからだろう。
うん。
「わぁ、ありがとー。あ、ふたりともあがってあがって。おちゃいれるね」
出汁が来ると思ったのに、ちゃんと麦茶を用意されて少しだけがっかりする。
なんというか、お茶と思い込まれた出汁を期待してしまっていた。
「あー、これおいしい……ちょっといいお茶になってる……」
「あ? わかる? こないだね、したてやさんがもってきてくれたんだ」
「へ? いつの間に……」
私の知らない間にたいやきさんが……どう見ても浅草な自称パリのうさぎと?
え? たいやきさん、猫じゃなくてうさぎが好み?
「……えっと、さきちゃん? だいじょうぶ?」
探偵猫が遠慮がちに私の手を突く。
「あ、えっと……はい」
「たぶんさきちゃんのそうぞうとはちがうとおもうよ?」
店長さんは基本食べることしか考えていないからと若干失礼なことを言われてしまう。
まあ、たしかに食べることばかり考えているような……。
「あ、そうだ。さきちゃん、こんどね、いちばいこう? りょうしさんがね、すっごいまぐろはいるっていってたんだ」
「まぐろ、ですか?」
そう言えば探偵さんが時々切り身を買っていくような……。
でも、わざわざ「すっごい」が付くってことは相当凄いまぐろ?
「おおっ、それはきたいできそうだね」
探偵猫の目が輝く。
あ、好きなんだな。
「すっごいまぐろはふつうのまぐろとどう違うんですか?」
二匹がよだれを垂らしそうな勢いなので訊ねてみる。
「えっとね、おにくみたいなの!」
「へ、へぇ……」
脂がのってるってことかな?
そう言えば……政治家の方の祖父に連れて行かれたお店で食べたお刺身……どう見たって生肉にしか見えないまぐろがあった気がする……。
猫もああいうのが好きなのか。
よし、探偵猫の分も確保出来るように多めのどんぐりを持って荷車を借りられるようにしておこう。
それからしばらく二匹に市場の話を聞いたり、楽しい時間を過ごしていた。
はずだった。
「ぷりん」
また声が響く。
目の前にノイズが走った。
あ、供物を要求されている。
女神様、プリンくらい自分で確保できませんか?
ほんのちょっぴり文句を言いたくなったけれど、私が抵抗できるはずがない。
目を覚ましたとき、気の強そうな女性が目に入った。
結局田中さんは自分の家によく似た私のばしょで過ごすことになった。そりゃあ自宅と同じ使い勝手ならその方が過ごしやすいだろう。
それに、この世界にしては珍しく家電が使えるのだ。快適に決まっている。
私はたいやきさんのばしょで過ごす時間が長いけれど、お風呂だけは田中邸で過ごす。だってお湯が使える。
たいやきさんは見様見真似で人間らしい生活をさせてくれようとしていた。猫草や水風呂、にぼし出汁で。
おちゃややさいには慣れたけれどおふろだけはどうしても……。ずっと夏だから耐えられたとは思うけれど。
田中邸で『人形の夢と目覚め』を聴く度に神と文明に感謝する。
が、この頃頻繁に石像の女神の声が聞こえる気がする。
「ぷりん」
供物の要求だ。
あれは人間の世界に戻らなくては用意できない。どうしたものか。
悩んでいると、田中さんの書斎が目に入る。
「あの、田中さん、料理の本なんて持ってませんよね?」
たぶん仕事中だっただろう彼に声をかけるのは申し訳なく思うけれど、プリンを捧げなくては悪いことが起きるのではないかと不安になる。
実際、田中さんの周りには原稿用紙が山積みになっているし、たいやきさんよりも個性的な文字で解読が難しい。
「料理? あることはあるが……書庫は隣と、二つ隣の部屋だ。あとは蔵にもいくつか……いつの時代の何の料理だ?」
田中さんは大きく欠伸をして、それから伸びをしながら立ち上がる。
結構長い時間仕事をしていたらしい。
ん? 仕事?
「田中さん、こっちでもお仕事しているんですか?」
「そりゃあ、締切はいつだってやってくるだろう」
「いや、こっちで仕事終わらせても原稿は持って行けませんよ?」
そうだ。田中さんは手書き派なのだから。人間の世界でやらないと意味がない。
まさか気がつかなかったのだろうか。
田中さんの顔がどんどん青ざめていく。
「……つまり……私が書いたこの血生臭いホラー原稿と探偵小説は無駄だったと?」
またこれを書き直せと言うのかと叫びながら頭を抱える田中さんはかっこつけのくせに少し抜けているんだよなぁ。
「あー、たくやさんはすこしうっかりさんだからね……」
様子を見に来たらしい探偵猫が困ったように笑う。
「あ、こんにちは。探偵さん」
「こんにちは。さきちゃん。ごはんにさそおうとおもったけれど、めいわくかな?」
あのやりとりから数日、せっせと食べ物を運んでくることはなくなったけれど、少し遠慮がちに食事に誘ってくれることが増えた。
「いいですね。ごはん食べてから本を探します」
「ほん?」
「お菓子作りの本を探そうかと。こっちでプリンが手に入らないので自作してみようかなと」
正直、料理はあまり得意ではないし、下手くそだったら女神様になにこそ言われるかわからない。
だけど、プリンを渡さない方がもっと怖い気がする。
「わたしもさきちゃんのてりょうりがたべたいな」
「あはは……上手に作れたら探偵さんにも食べて貰いますね」
供物にする前の味見係は多い方がいい。
まあ、プリンくらいならなんとかなるだろう。それでだめなら……「かふぇ」で相談してみようかな。
まだ取り乱している田中さんを置き去りにして、探偵猫とふたりで食事に出かけた。
出かけた先は大将猫のお店。猫には評判がいいけれど、探偵猫はもう少しお洒落なお店の方が好きらしい。
それでも、握らない握り飯はやみつきなのだ。
「おかかー!」
おいしい。
ものすごく美味しい。
もう、がつがつと、たいやきさんといい勝負な食べっぷりを披露すれば、探偵猫が硬直する。
「……そんなに、おなか、すいてたの?」
お上品な探偵猫に、下品な人間だと思われたかもしれない。
そう言えば田中さんも食べ方とか歩き方がお上品なんだよなぁ。
「いやぁ、お米が久しぶりで……それに、大将さんのおかかおにぎりおいしいんですよ。あ、原稿で絶望してる田中さんにも持って帰りましょうか」
あの調子だと今日は一日鯉に餌をやって過ごしそうだ。
「……さきちゃん、たくやさんにはしんせつだよね」
あ、拗ねさせちゃった?
「一応雇い主ですし……なんだか田中さんの家に居候させて貰ってる感があるばしょになっちゃいましたし……」
私の場所は田中邸をほぼ完璧に再現しているらしい。違うのは門を出た先と窓から見える風景だけだと言う。
そう言えば、探偵猫の場所にはまだ行ったことがないな。
「探偵さんのばしょってどんなばしょなんですか?」
私の場所は夏の終わり、秋のはじまりみたいな季節で過ごしやすい温度だし、田中邸の庭で果物や栗が採れる。
そう。栗が採れる。
一緒に栗拾いでもして気を紛らわせるべきだろうか。そう考えてしまう程度には田中さんは取り乱していたと思う。
「わたしのばしょは……ふゆのはじまりかな? ときどきゆきがふるけれど、つもるほどではないよ」
「へぇ……だからいつもたいやきさんのばしょに来ていたんですか?」
「うん? ああ、あそこはいいね。いつもなつだから、らむねをのむのにいいんだよ」
今はラムネを禁止されてしまったけれどと探偵猫は笑う。
探偵猫の食べている「めざしていしょく」は支払いに使っためざしがそのまま出されているのではないかと疑いたくもなってしまうが、小鉢汁物が付くから大将猫が損していそうだ。
にぼしていしょくだとにぼしが出てくるのだろうか?
好奇心は刺激されているがまだ注文したことはない。
「探偵さんはお肉よりもお魚派ですか?」
「え? うーん、あまりかんがえたことがなかったな。なんでもおいしくたべるよ。うん」
お上品にめざしをはむはむするけれど、やっぱり食べ方は猫だ。
「でも、たしかにさかなはすきかもしれないな」
そう言えばいつもなにかしら魚を捕っている。釣りが得意みたいだし。
「嫌いな食べ物はないんですか?」
なんでも美味しく食べるということはたいやきさんが喜びそうなものは探偵猫も好きということだろうか?
そう、思ったが、探偵猫は少し考え込んで、どうしても食べられないものがあったと言う。
「ひとつだけ……というよりも、このしゅるいがにがてというものは……あるかな?」
「ふむふむ」
辛いものだとか酸っぱいものだとかそういうことだろうか?
探偵猫が口を開くのを待つ。
「さきちゃん、できればきみもおなじであってほしいのだけど……」
どうしてか、深刻そうな表情をされてしまった。
つまり、私がそれを好きと言っても、彼はそれを用意できないだとか?
蛇や鰐なら私だって食べない。
「……わたしはね……その……むしがにがてなんだ……」
「前にあまり好きではないって言ってましたね」
「……すきではないというか……できればぜつめつしてほしい……」
なんて過激な表現なんだ。そこまで虫が苦手だとは。
「安心してください。頼まれても食べません」
そう答えると安心したように息を吐く。
本当に嫌いなんだな。
あれ? 田中さんも虫が苦手だったような……。
「田中さんのお家で虫が出たときってどうしていたんですか?」
「ああ、それは……きょうこさんがすりっぱでほろぼしてくれていたよ」
押しかけ助手さん……すごい。やっぱり彼女を追い出したら田中さんが困るんじゃ……。
「京子さんがいないと田中さんが困るんじゃないですか?」
「あー……いや……」
探偵猫の目が泳ぐ。
「その……かのじょはちょっとつよすぎて……たくやさん、あれでけっこうせんさいだから……」
探偵猫は田中さんを気遣っているようだ。
それに、押しかけ助手さんは探偵猫の言葉を理解出来ない。
「たくやさんは、わたしのこえをきけないきょうこさんをせいしきにさいようするきはないみたいなんだ」
「それって……猫の言葉を理解出来る人は相当レアだと思いますよ?」
田中さんはそのレアな人に含まれてしまう。
あ、そうか。
自分を理解出来る人を側に置きたいんだ。
なんとなく、わかる気がする。
「田中さん、探偵さん以外に友達いないみたいですしね」
「ふふっ、たくやさんはあれでひとみしりだからね。それに、すなおじゃないところがあるから」
とってもやさしいこなんだよと言う探偵猫の気持ちもわかる。
心配性で優しい人だ。
「探偵さんは本当に田中さんを大事に思っているんですね」
「うん。そうだね。かれをきょうだいのようにおもっているよ」
そんなことを言ったら、きっとお互い自分の方を兄だと思っているのだろうなと思う。
なんだか、少しだけ羨ましく思えた。
お土産に握り飯をよっつ買って田中邸に戻ると、いじけているらしい田中さんが鯉に餌をやりながら話しかけている。
「おはぎのやつ……私よりも早希ちゃん早希ちゃんと……おはぎが居なければだれが私の話を聞いてくれるというのだ……」
完全に拗ねていじけている。
「……すまないね。さきちゃん、たくやさんもわるぎはないんだよ」
「大丈夫です。いじけてるのすぐわかるので」
面倒くさい系雇い主だ。
「田中さーん、おにぎり買ってきましたよ? 握ってないけど意外と美味しいですよ?」
「さ、早希ちゃん……いつの間に」
急に姿勢を正し、咳払いをする田中さんが面白い。
年下の前でかっこつけたいというのがすぐに見てわかってしまう。
田中さんは絶対に政治家には向かないなと思い、いつでも有権者向けの外面を維持している大志は意外と凄いやつなのかもと見直した。
「田中さんよっつも食べます? 食べきれないならひとつはたいやきさんに持っていこうかと」
「あ、ああ……ふたつもらおう。いくらだ?」
財布を取ってくると言うが、ちょっと待て。ここで田中さんの財布から出てくるのはなんなんだろう?
日本円なのかにぼしなのか。
にぼしが入る財布?
全く想像が纏まらない。
考えながら田中さんが置いて行った鯉の餌入れを手に取る。
「探偵さん、餌やりしますか?」
「いや、やめておくよ。ここのこいたちはわたしをけいかいしているから」
そういえば、池の鯉を供物にしていたっけ。
あれ?
「今思ったんですけど、猫や兎や犬の言葉はわかるのに、魚の言葉がわからないのはどうしてでしょうか?」
「うーん? しょくようだから?」
あまり聞きたくはない答えだった。
じゃあ、羊や鹿や牛はどうなんだろう。あまり考えたくはないな。
もどってきた田中さんは西陣織の長財布を手に持っている。
え?
日本円で支払う気?
そう思ったのに。
「……生臭くなって嫌なのだが……めざし、だったか?」
「いや、その財布にめざし入れるのおかしいでしょ……」
思わず素の声が出てしまう。
「仕方がないだろう。通貨が魚なんだから」
探偵猫もお洒落ながま口使ってたっけ。
「いいですよ。私のおごりです。たまにはそういう気分の日もあるので」
高級財布から出てきためざしは受け取りたくない。
そう考えたことが田中さんに伝わってしまったかどうかはわからないけれど、おにぎりをふたつ渡して、残りをたいやきさんに持っていくことにした。
当然のように探偵猫がついてくる。
彼はなんというか、過保護だ。
かわいいと言えばかわいいのだが、無言でじっと見つめられるのは苦手だ。
「こんにちは」
探偵猫が声をかけると、たいやきさんが嬉しそうな様子を見せる。
「あ、たんていさん、いらっしゃい! さきちゃんもおかえりー」
美味しそうな匂いがわかるのか、鼻をひくひく動かして、こっちを見るたいやきさんに幸せな気分になる。
たくさん食べてころころのもちもちになって欲しい。
「大将さんのにぎりめしです!」
ついつい得意気な顔をして渡してしまうのは、おかかおにぎりがあまりにも美味しいからだろう。
うん。
「わぁ、ありがとー。あ、ふたりともあがってあがって。おちゃいれるね」
出汁が来ると思ったのに、ちゃんと麦茶を用意されて少しだけがっかりする。
なんというか、お茶と思い込まれた出汁を期待してしまっていた。
「あー、これおいしい……ちょっといいお茶になってる……」
「あ? わかる? こないだね、したてやさんがもってきてくれたんだ」
「へ? いつの間に……」
私の知らない間にたいやきさんが……どう見ても浅草な自称パリのうさぎと?
え? たいやきさん、猫じゃなくてうさぎが好み?
「……えっと、さきちゃん? だいじょうぶ?」
探偵猫が遠慮がちに私の手を突く。
「あ、えっと……はい」
「たぶんさきちゃんのそうぞうとはちがうとおもうよ?」
店長さんは基本食べることしか考えていないからと若干失礼なことを言われてしまう。
まあ、たしかに食べることばかり考えているような……。
「あ、そうだ。さきちゃん、こんどね、いちばいこう? りょうしさんがね、すっごいまぐろはいるっていってたんだ」
「まぐろ、ですか?」
そう言えば探偵さんが時々切り身を買っていくような……。
でも、わざわざ「すっごい」が付くってことは相当凄いまぐろ?
「おおっ、それはきたいできそうだね」
探偵猫の目が輝く。
あ、好きなんだな。
「すっごいまぐろはふつうのまぐろとどう違うんですか?」
二匹がよだれを垂らしそうな勢いなので訊ねてみる。
「えっとね、おにくみたいなの!」
「へ、へぇ……」
脂がのってるってことかな?
そう言えば……政治家の方の祖父に連れて行かれたお店で食べたお刺身……どう見たって生肉にしか見えないまぐろがあった気がする……。
猫もああいうのが好きなのか。
よし、探偵猫の分も確保出来るように多めのどんぐりを持って荷車を借りられるようにしておこう。
それからしばらく二匹に市場の話を聞いたり、楽しい時間を過ごしていた。
はずだった。
「ぷりん」
また声が響く。
目の前にノイズが走った。
あ、供物を要求されている。
女神様、プリンくらい自分で確保できませんか?
ほんのちょっぴり文句を言いたくなったけれど、私が抵抗できるはずがない。
目を覚ましたとき、気の強そうな女性が目に入った。
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