この事件はどうでもいい。この恋を解決させてくれ。

ROSE

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演奏家の正体は重要ではない。それよりもゆかりさんの好みのお茶はどれだ?

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 例の学生を呼び出した時間に、図々しくも鷹史が研究室で寛いでいた。
「鷹史、ここはお前の休憩室ではないと何度言ったらわかる」
「えー、だって寝転がるのに丁度いいソファーあるし」
「体がはみ出ているくせに気にならないのか? これから面談があるんだ。邪魔だよ」
 開け放たれた扉の付近に人の気配がした。どうやら中に他の人間が居るので遠慮しているようだ。
「兄さんとお昼食べたかったなー」
「学内では鷲尾先生と呼べと言っているだろう。ったく……」
 鷲一はハノンで鷹史の頭を叩く。
「いたーい」
「早く出ろ。面談の邪魔だ」
 鷹史を睨み扉の方へ近づけば、来客が思わずという空気で姿勢を正した。
 丁度ノックをしようとしたところでタイミングが合ってしまったらしい。
「あ、滝川さん。早いですね」
 てっきり予定時刻きっかりに到着するかと思えば時間前行動を出来る人間らしい。今日は楽器ケースを持たずにコーンフレークの宣伝キャラクターが描かれた大きなトートバッグだけを持っている。
「ほら、鷲尾くん、面談の邪魔だから出て行ってください」
「……はーい」
 研究室のソファーでだらしなく寝転んでいた鷹史はしぶしぶという様子で立ち上がると滝川遙を見て微笑む。
「あ、遙さん、今度ゆっくりお話ししようね」
 ゆったり手を振って歩く。動物園の象みたいにゆったりとした動きに呆れてしまうが、あれは本人が高すぎる身長で威圧感を与えすぎてしまわないようにと気を使っている結果なのだと知っている身としては強く注意が出来ない。
「友達ですか?」
 明らかに違いそうだが訊ねる。どうせ鷹史が付き纏っているだけだろう。他人との距離感がわからずにいつも迷惑をかけている。
「あ、いえ……なぜか距離が近くて……」
 教員の手前友達だと言うべきだっただろうか。そんな悩みを感じ取れてしまうほど、視線が動いた。
「すみません。少し距離感のおかしい子で。体ばかりが大きくなった五歳児だと思って接してやってください」
 鷹史は二メートル近い長身で、平均よりも背丈があるはずの鷲一ですら見上げなければいけない程だ。平均よりもやや低いであろう滝川を怯えさせてしまう可能性もある。
「はあ……えっと、面談になるって……そんなに酷い成績だったんですか?」
 話題を変えたいと言うよりもさっさと用事を終わらせたいという様子で、それでも視線は全く合わないまま訊ねられた。
「いや、そうではなく……まあ、座ってください」
 革張りのソファーに座らせれば落ち着かないと片隅で縮こまってしまっている。
 これはよくない。
「紅茶でいいですか? 最近いろいろ取り寄せていて……パッケージがお洒落で女性に人気だとか」
 味の参考意見くらいにはなるだろう。ゆかりさんとは好みが違うかもしれないが。
「あ、いえ、結構です」
「感想が聞きたいので」
 遠慮する滝川の前に鷲一はカップを置いた。
「研究室に来る学生全員に出しているので気にしないでください。人気のものをまた取り寄せようかと」
 ゆかりさんの好みに合うかはわからないが、女性が好みそうな花柄のティーセットを取り寄せている。
 常に数種類用意はしているが、普段からこういった物を出しているという事実を作っておけばゆかりさんも遠慮せずに済むだろう。
 今日のお茶はリラックス効果のあるというハーブティーを選んだつもりだが、目の前の滝川には全く効果がなさそうだ。
「さて、まずは試験結果ですね。おめでとうございます。今期唯一の満点です。少し意地悪な問題も出題したつもりでしたが、素晴らしい」
 答案用紙を返却する。この程度の問題で落第すれすれの学生も存在する事実に驚きはしたがそれでも満点を取れるだけしっかり理解している学生も珍しい。
 滝川はほっと胸をなで下ろした。
 しかし、今度はなぜ呼ばれたのかと疑問を抱いたようだ。
「なぜ呼ばれたのか不思議そうですね」
 他人の思考にさほど興味がないが、滝川は考えが読みやすい人間のようだ。
「本日呼び出した理由は、あなたを私のゼミに勧誘するためです」
「へ?」
 ゆかりさんが心配している学生を引き受ける。たったそれだけの為に随分と回りくどいことをしていると言う自覚もある。しかしゆかりさんの悩みを解決することは最優先事項だ。
「実は教員の間でよく話題に上がる学生がいましてね、座学の成績は非常に優れているのに、実技になると全く実力が発揮出来ないあがり症の子で、このままピアノ専攻では卒業できないのではないかと心配されている……ええ、滝川さん、あなたです」
 今の調子のままでは後期落第で留年の可能性も高い。一年のこの時期だからこそまだ軌道修正が可能だということは滝川自身も理解しているはずだ。
「実は、ゆかりさ……いえ、非常勤講師の三波先生から相談されまして。とても努力家で熱心に練習しているのに本番で緊張しすぎてしまう学生がいると。それに、編曲課題の譜面の出来が大変よいとも」
 実際ゆかりさんが滝川を指導したのは数回だった。他に四名ほど非常勤講師が指導しており、滝川は担当教授が受け持っていた学生だったがあまりにあがり症が酷すぎて非常勤講師達と相性を見るために全員のレッスンを試し、一番相性がいいと判断されたのがゆかりさんだったのだ。
 ゆかりさん自身は生徒の為であれば時間外のオンラインレッスンさえ提案しているが、それでは永久にあがり症改善にならない。むしろ滝川の問題点は演奏の腕ではなく精神面なのだ。逆に言えばあがり症さえ改善されれば学内の指導者程度では必要ない程の腕を持っている。というのがゆかりさんの見立てだ。
「勝手に課題の譜面を見せて貰ったのだけど、本当に出来がいいなと思ってね。うちのゼミ、未だに楽譜が読めない三年もいるから……正直これだけ楽譜の読み書きも出来て編曲もそこそこ出来るならぴったりだと思うんだ。ってことで、後期から作曲専攻に転向しませんか? 勿論、二年まではピアノも必修だけれど、ピアノ実技が減って、発表会も生演奏しなくていいのは君にとっても大きなメリットだと思いますよ?」
 だいたいゆかりさんと二人きりのオンラインレッスンなどさせて堪るか。私怨が含まれていることは理解した上で断るなと威圧する。
「えっと……なんでまた……」
DAWディーエーダブリュー、えっと……音楽作成ソフトの使い方は知っているかな?」
「まあ、趣味で少し……弄ったりはしますけど……」
 これは……期待以上だ。やる気と才能がある学生であればゆかりさんの相談がなくても歓迎する。
 このタイプの学生が趣味で少しと表現する倍は大抵中級以上は使いこなせている。
「それは素晴らしい。打ち込み? レコーディング? それともサンプルを切り貼りするタイプかな?」
「ぜんぶやります」
 鷲一の勢いに驚いたと言わんばかりに滝川は少し後ろに下がった。
「えっと、課題に提出する楽譜は、自分で楽譜ソフトを使って作りました」
「だと思った。DAW付属の楽譜機能で提出してくれる学生もいるけどやっぱり専用ソフトの方が見た目が綺麗なんだよね。あ、ゼミ室には私の私物で学生達が自由に使えるパソコンも揃えてあるよ」
 才能ある学生を逃がしはしない。学生の功績は担当者の功績に繋がる。つまり、ゆかりさんからの評価に繋がる。
「人数分ソフトウェアを揃えようとしたら上から許可が下りなかったんだ。予算がないと」
 鷲一が私費で用意できる範囲の予算すらつけられない事実に呆れたが、滝川は本気で驚愕している。
「あれ? もしかして、音楽専攻の学生なのに、私を知らないと?」
「す、すみません……初回の教員自己紹介は聞いていたはずなんですが……」
 本気で知らないと言う態度に、鷲一は僅かばかり傷ついた。
「これでも作曲家としてそこそこ知名度があるつもりだったのだけどな」
 はい、とプリントの束を渡す。これまでの功績だ。
 有名映画、アイドル、舞台、歌手、ご当地ヒーロー。
 様々な相手に様々な曲を提供している。つまり、天才作曲家なのだ。この束程度では作品全てを紹介しきれないが、ある程度の知名度がある作品を並べておけば一曲くらい知っている作品があるだろう。
「光栄に思ってくれて構いませんよ。天が万物を与えたこの私が直々に勧誘しているのですから」
「えっと、一応……少し考えさせてください……」
 ここまで好条件を示しているというのに、滝川は躊躇っている様子を見せる。
「断る理由がありますか? ゆかりさ……いや、三波先生のお願いをこの私が叶えない訳にはいきませんから、君に断られるのは非常に不本意です」
 滝川の反応を見る限り、鷲一を「変人」と認識し躊躇っているのだろうと理解する。
 大変不名誉だが天才は常人に理解されないものだ。
 弱味に当たりがある。
 今の段階では予測だが、物的証拠を揃えて滝川を捕らえよう。
 才能ある若者の問題とゆかりさんの悩みの両方が解決する。
「じゃあ、一晩差し上げます。明日の朝までに作品を一つメールに添付してください」
「え? 明日、ですか?」
「趣味で弄ったことがあるということは作曲、したことがあるのでしょう?」
 どうやら制作済みの作品を晒すことにも抵抗があるらしい。
「メロディしかない状態で送ってくる学生もいますから、大作を送らなくてはいけないなんて物怖じする必要はありませんよ」
 鷲一は名刺を差し出した。名前と肩書き、メールアドレスと仕事用携帯電話の番号に加えSNSのアカウントも並べてある。
「今から新しく、は難しいと思うので、帰ってから探してみます」
「はい。よろしくお願いします。あ、そのお茶、口に合いましたか?」
 これが一番大切な情報だ。
「え? あー、飲みやすい温度でした。あまり飲んだことがないのでよくわかりません」
 なんて使えない。
 弦楽器奏者であるならばある程度の家で育ち舌も肥えているだろうと予測したのに全くの外れだった。
 鷲一は心の中で舌打ちをする。しかしそれが相手に伝わることはなかっただろう。

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