シスターリリアンヌの秘密

ROSE

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出会い

1 献身的な彼女

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 ラファーガ・デ・グラーシアは帝国が誇る由緒正しいグラーシア侯爵家の次男として生を受けた。
 家は兄が継ぐからと、気楽に騎士を目指したところまではいい。ここ十数年平和が続いていたものだからお飾りの騎士になるのだと思っていた。
 学業の成績は優れていた。それに稽古事としての剣術も悪くない。見栄えのいい騎士の制服を着ることが出来れば兄も喜んでくれるだろう。その程度の軽い考えだった。
 正直なところ暴力は嫌いだ。上官に情けないと何度も罵られたことがあるし、同僚にも向いていないと馬鹿にされていた。
 それでも、生まれ持った地位と座学の成績でそれなりの地位を手に入れられた。
 前戦には出ないで済む、はずだった。

 奇襲だった。
 本来では安全なはずだった拠点に民間人に紛れた敵兵が攻め込んできた。
 とっさに槍を手に、震える手で戦った。
 初めは人を傷つけるのが怖かった。しかし、相手も必死だ。
 戦わなくては生き残れないのだと知ると、そこからは死に物狂いで戦った。
 目の前で部下を何人も失った。
 兄が前戦に出たと知らされた。
 兄はなんでも出来る凄い人だった。ラファーガの憧れで、いつまでもかっこいい英雄でいてくれると思っていた。
 今回だって、出来の悪い弟を守る為に戦場に出たのだと聞く。
 けれども、兄が戦場に出てすぐ彼の戦死を知らされた。
 そこから先はよく覚えていない。
 ただ必死に槍を手に、ひとりでも多く敵を倒した。
 戦況もよくわからないままとにかく生き残ることだけを考えていたのだと思う。
 兄と過ごした故郷を守りたいだとかそんなものは後付けの理由で、単純に死ぬことが恐ろしかっただけだった。
 戦って、逃げて、戦って逃げる。
 傷ひとつなかった女人と見紛う肌は傷だらけになり、軟弱と馬鹿にされた肉体はそこそこ鍛えられてきた。そんな頃だ。
 ついにラファーガはひとりになってしまった。
 仲間とははぐれただけなのか。彼らも命を落としてしまったのか。
 己が生き残ることに必死過ぎて覚えていない。
 ただ、どこかに味方がいないかと必死に歩き続けていた。
 そんな中だ。
 農民に見えた。
 男はラファーガに怯えていたのかもしれない。けれども、ラファーガもまた怯えていたのだ。
 必死だった。既に全てが敵に見えてしまっていた。
 恐ろしくて、彼を殺そうとした。
 たぶんその罰なのだろう。
 男の槍がラファーガの脇腹を刺した。それも深く。
 あと少し深ければ。または場所が悪ければ完全なる致命傷だっただろう。
 ラファーガの槍は男の首元をなぞるようにして喉を切ったが、それ以上は届かなかった。
 逃げる。
 ラファーガの選択はそれだった。
 なんとしても生き延びる。
 ふらつく足で必死に歩いた先で灯りを見つけた。
 そして、人影を目にし、そこで力尽きてしまったのだ。



 どれほどの時間、彼女の世話になったのだろう。
 美しい修道女は名乗りもせずに、またラファーガの名を訊ねることもなかった。
 彼女はラファーガの体を清め、手当し、食事の介助までしてくれた。
 それだけではない。眠れないと言えば手を握って側に居てくれる。
 会話をしなくても、彼女はただ寄り添ってくれる。
 なにか話さなくてはと焦ることもあったが、彼女はなにも言わなくていいと優しく微笑むだけだった。
 彼女に甘えたい気持ちがある一方で申し訳なさは日に日に膨れ上がっていく。
 どう見ても彼女はラファーガよりも年下の娘さんだというのに、寝たきりになっているラファーガの下の世話までしてくれる。
 深い傷跡も丁寧に手当をしてくれるし、自身の食事もそっちのけでラファーガの食事を手伝う。
 献身的。
 そんな言葉では済まされない。
 なにか裏があるのではないかと疑いたくなってしまうほど彼女はラファーガに尽くしてくれた。
「シスター、あなたは私にばかり構っていて大丈夫なのですか?」
 修道女にだって勤めがあるだろうと問えば、彼女は微笑む。
「大丈夫ですよ。お勤めもこなしています」
 そう言う彼女は、ラファーガの隣で刺繍を刺している。
 とても慣れた手つきだ。
 どんな図案を刺しているのか、ラファーガの位置からは見えない。
 けれどもそんな彼女を眺めている時間はどこか満たされるものだった。

 ラファーガは彼女について殆ど知らない。
 異国風の訛りがあるようにも思えるが、ここが国境付近の村であるとすれば不自然ではない。
 修道女にしてはやけに美しい所作。貴族の教育を受けていたと言われても驚きはしない。
 本当に貴族なのかもしれないとも思ったが、貴族令嬢がこんなにも粗末な建物で怪我人の世話をするとは考えられない。
 ラファーガは未だに寝たきりで、彼女に全ての世話をされている。だからここがどこなのか、どんな建物なのかは正確に把握出来ていない。が、そう広くはない部屋の中に、硬い寝台、木の椅子、机、暖炉。それといくつかの棚があるだけの質素な部屋だ。
 家具はどれも年季が入っていて、平民が使う物と同じだ。けれども棚の中には平民が持つには高価すぎる書物がいくつも紛れ込んでいる上に、異国の文字で書かれた物も多々存在した。
 彼女はラファーガの側で刺繍をするか、本を読んでいることが多い。
 毎日ラファーガの世話をして、部屋の掃除をして、洗濯をして、料理をする。
 その他に日課なのだろう祈りや本を広げてなにかの勉強をしているような様子も目に入った。
 けれどもそれだけなのだ。
 時々客人が来る以外、この建物には人が居ないらしい。つまりラファーガが拾われる前はこの修道女ひとりで生活していたということだ。
 若い、美しい修道女ひとりで危険はないのだろうかと心配になってしまう。
 動けるようになれば絶対に彼女に恩返しをしようと心に誓う。
 
 その日も客人が訪れた。
 客人と呼ぶには切羽詰まっていたように思う。
「シスター! 助けて! 父ちゃんが鹿にやられた!」
 子供の声が響く。
 彼女はゆったりとした動きで、棚からいくつかの瓶を手に取り鞄に押し込んだ。
「出掛けてきます。好きに過ごして構いませんが無理に立たないでくださいね」
 彼女はラファーガにそう告げ、扉の外に出る。
 鹿? 熊ではなく?
 そんな疑問を抱いたが、それ以前になぜ彼女が呼ばれるのだろう。修道女ひとりが行ったところで……。
 そこまで考えたところで、自分の体を思い出す。
 彼女は槍傷で倒れていたラファーガを拾い手当てしてくれた。
 その後も非常に献身的な介護と治療をしてくれている。
 つまり、彼女はただの修道女ではない。医者を兼任しているのだろう。
 彼女に手当てされた脇腹に触れてみる。
 押すとやや痛む。しかし刺された傷にしては随分と痛みが少ない。
 かなり深手だったらしくまだ自力で起き上がるのも大儀だが、それでも痛みのあまり冷や汗が止まらないなどということにはならない。
 そういえば、彼女は変わった塗り薬を塗って、傷口を布で塞いでいた。あの薬が痛み止めの役割をしているのだろうか?
 そんなことを考えていると、時間はあっという間に過ぎる。

「ありがとう、シスター。父ちゃん、もう痛くないって」
「よかった。でも、無理はしないように見張っていてくださいね」
 彼女の笑い声が聞こえる。
 子供の前でもラファーガと過ごすときと変わらない態度のようだ。
 やはり彼女は村の医者を兼任しているらしい。
 だとしても、彼女が他の男にも同じように献身的な治療をするのだと思うと胸の奥がひどくざわついた。
「シスター、困ったことがあれば俺、いつでも力になるよ!」
 少年の明るい声が響く。
「ありがとう。では、おつかいをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「任せて!」
 彼女が頼みごとをするとなると少年は心底誇らしげだ。
 少しして扉が開く。
「お加減はいかがですか?」
「痛みは感じないのだが、体に力が入らなくてね。起き上がれないのだ」
 ラファーガはこのままでは二度と自分の足で歩くことができないのではないかと不安になっていた。
 しかし彼女は優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。ゆっくり、少しずつ元の生活に戻っていきましょう。夕があり朝が来ます。明けない夜はないのです」
 ぎゅっと握られる手から伝わる彼女の温もりが、なににも代えられない希望のように感じられる。
「シスター……ありがとう。私は必ずや成し遂げてみせよう」
 これまで献身的に世話をしてくれた彼女の為にも、ラファーガは決して心を折るわけにはいかないのだ。
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