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出会い
7 五年後の誓い
しおりを挟むリノは一刻も早く国へ帰ろうと、ラファーガに準備を急かしたが、ラファーガはどうしても成さねばならないことがあると、一晩先送りにした。
「シスター、少しいいかな?」
国へ帰るからといって所持品もない。あるのは彼女や村の人たちが分け与えてくれた着替えくらいだ。
一日滞在を延ばしたのは、心の整理をつけるためだ。
つまり、彼女と話す時間を確保したかった。
彼女はラファーガが声をかければいつもと同じような少し困り眉の笑みを見せ、頷く。
「聞かれたくない話でしたら外で話しましょうか?」
リノの存在を気遣っているのだろう。深刻な話なのだろうと察して針道具を箱に戻した。
「いや、構わないよ。むしろ私はリノにも聞いていて欲しい」
一大決心には証人が必要だ。貴族たるもの従者の前で無様な姿は晒せない。
ラファーガは深く息を吸った。
「長く世話になったと言うのに、あなたに名乗りすらしていなかった。私はラファーガ・デ・グラーシア。既に気づかれているとは思うが、帝国貴族の次男だ。兄を亡くしたので家を継がなくてはならない」
柄にもなく緊張する。兄が居た頃は家名が誇りだった。名乗る度に一族の歴史と栄誉を轟かせるような気分だった。
それなのに。彼女を前にすれば生まれたままの姿の無力な自分を晒しているような気分になる。
彼女の前ではグラーシア家の歴史も栄誉も、偉大な兄でさえも無意味なものになってしまう。
「シスター、あなたの名を教えて貰えないだろうか?」
たとえ彼女と永遠に離れることになったとしても、恩人の名はグラーシア家の歴史に刻むべきだ。
いや、そんなものは建前だ。
ただ、ラファーガは愛した人の名を知りたい。せめてその名だけでも己の中に刻みたかった。
彼女は少しだけ戸惑う様子を見せ、それから困ったような笑みを見せる。
「……リリアンヌと申します……その、村では皆シスターと呼ぶので……名前を呼ばれることに慣れていません」
視線が、合わない。
偽名を名乗ろうとして、それすらも思い浮かばずに渋々名乗ったようにも感じられる様子だった。
彼女にとっては暴かれたくない過去に繋がる名なのかもしれない。
「リリアンヌ、良い名だ」
王国に多い名だ。特に彼女の年代に多い。田舎へ行けば美女はみんなその名と言われてしまうほど、ありふれた名だ。
「家名は教えて貰えないのだな」
「ありません。ただの……ただのリリアンヌです。私は、貴族ではありませんので」
困ったような笑みには不快感や怒りは感じない。ただ、戸惑いの色を濃くしている。
そんな彼女の手を取れば、驚かせてしまったようで、ふらりと後ろに揺らぐ。
「リリアンヌ、あなたが言いたくないのであればあなたの過去は詮索しないと誓おう。あなたがどこのだれであったとしても、私の人生にはあなたが必要だ」
逃げようとしたようにさえ思えたその手をしっかりと握る。そして、足下に跪いた。
「リリアンヌ、どうか私の生涯の伴侶となってくれ」
地位も財産も問題ない。こんな田舎で畑仕事をせずとも好きなように生活できる環境を用意できる。
家という付加価値は、ラファーガを悪くない求婚者として飾り立ててくれるはずだった。
けれども実際のところ、彼女の前では全く価値がないのだ。
彼女は戸惑い、深く息を吐いて自分を落ち着かせようとしているようだった。
「あー……ラファーガ? あなたは……つまり……」
「リリアンヌ、私の妻になって欲しい」
表現が悪かったのだろうかと言い替えたところで、彼女は首を横に振る。
「……あなたは私に拾われたから……つまり、恩を感じているのでしょう。その……一時の気の迷いというものです」
判断を間違えるなと忠告しているのだろう。
そう感じられる程度には彼女から強い拒絶の意思というものは感じられない。
「確かにあなたは私の恩人だ。だからこそ、私の人生にあなたが必要だ。リリアンヌ……貴族の令嬢は恋人が死にかけても介護などしない」
恩を感じたから恋に落ちた。それではいけないのだろうか。
ただ手当てや介護を受けただけではない。彼女はいつだってラファーガを支えてくれた。
「あなたの些細な言葉ひとつにしろ、私にとっては大きな支えになってくれた。この先も、私にはあなたが必要だ」
しっかりと彼女の右手を握りしめれば、空いている左手で額を押さえ、深いため息を吐く。
「……ラファーガ……ああ……今のあなたにはどんな言葉で表現しても伝わらないでしょう……」
困惑と呆れ。それに僅かばかり怯えが混ざっているように思える。
「……わかりました。あなたの気持ちが気の迷いでないというのであれば」
彼女はそこで言葉を句切る。
少しだけ思考を纏めるように呼吸を整え、再び口を開いた。
「五年、あなたは私に会いに来てはいけません。手紙も受け取りません。受け取ったとしても返事も書きません。あなたはひとりで元の暮らしに戻るための努力をしなくてはいけません。しかし、五年後……ええ。五年、あなたが耐え抜き、それでも気持ちが変わらないのであれば……迎えに来て下さい」
ラファーガは彼女の言葉を何度も脳内で反芻した。
「それは……つまり……私を受け入れてくれる、ということだな? リノ! 聞いたか! つまり、リリアンヌは私と婚約してくれるということだ! ああ……ああ、必ず果たしてみせる! 五年後、必ずあなたを迎えに来ると誓う。なんとしてでも生き抜き、あなたによい暮らしをさせられるよう環境も整えておく。だから……リリアンヌ、私が居ない間に他の男の妻になるようなことはないと誓っておくれ」
心のどこかで、駄々を捏ねて居座るかもしれないラファーガを追い出すための嘘なのだと理解している。だとしても、その約束に縋ることで救われるような気がした。
「……はい、約束します」
彼女は変わらず困ったような笑みを見せ、リノでさえ困り果てた表情を浮かべている。
「ラファーガ様、婚姻となれば独断で決めるわけには……」
「必ず両親と殿下、いや、陛下を説得してみせる。私の人生には彼女が必要なのだ」
たとえ、彼女が優しさのために紡いだ嘘だとしても、それを現実のものにしたい。
約束だと指を絡めれば、思い出したかのようにポケットからなにかを取りだし、それをラファーガに握らせた。
「答えは常にあなたの中にあります」
「リリアンヌ?」
「人生、遠回りもあるものです。あなたは必ず乗り越えられます」
手の中に硬いなにかがある。けれどもそれを確認する前に彼女の両手がラファーガの手を包み込んだ。
細い見た目からは想像も出来ない強い力で。
「リノ、誰がなんと言おうと、私はラファーガに会いません。手紙も受け取りません。決して誓いを破らないよう、あなたもラファーガを支えて下さい」
「……はぁ……勘弁して下さいよ。ラファーガ様の泣き言を聞く身にもなってください。貴族は人前で泣かないとは言っていますが、この人、出来るようになるまでものすごい泣き言を言いながら努力しますから」
「リノ!」
恥ずかしい秘密を暴露され、少しばかり居心地が悪くなる。
そもそも彼女には一番恥ずかしい姿を見られているのだから今更恥じらいもないとは思うが、やはり他人の口から語られる秘密というのは別の気恥ずかしさがある。
「ふふっ、素晴らしい従者がいますもの。大丈夫。ラファーガは立派に勤めを果たせます。忘れないでください。あなたは常に愛されています。お兄様と比較して傷つく必要もありません。あなたはあなたなのですから」
優しく手を握られたかと思うと、すぐに離れてしまう。
その手を恋しく思いながらも未婚の女性と長く手を繋いでしまうというのも貴族らしからぬ行為だと姿勢を正した。
「私を信じてくれるのはあなたとリノくらいだと思うが……それでも、その言葉を支えに生き抜こう。ありがとう、リリアンヌ。神などあまり信じてはいなかったが、あなたと出会わせてくれた……あなたの神に感謝しよう」
もう少し共に過ごしたいという欲求はある。けれどもこれ以上留まれば離れがたい気持ちに押し負けてしまいそうだった。
ラファーガはその場で深く礼をとり、もう一度だけ再会を約束する。
五年。
その約束だけを支えに、国境の小さな村を後にした。
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