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五年後
26 彼女の願い
しおりを挟む書類仕事があまり進まないまま庭に出ると、リノとの話が終わったらしいリリアンヌが花を観察しているところだった。
「気に入った花はあるかな?」
そう声をかけるとリリアンヌは驚いた様に背筋を震わせた。
「すまない……驚かせるつもりはなかったのだが……」
「い、いえ……その……この薬草は傷薬によいので……ですが、勝手に摘んでしまうわけにはいかないと悩んでいたところで……け、けっして窃盗しようとしたわけでは……」
リリアンヌのあまりの慌てように思わず笑ってしまう。
「ははっ、構わないよ。この庭も全てあなたのものだ。好きなだけ摘み取ってくれ。植えたいものがあれば庭師に用意させるよ」
そう答えればリリアンヌは頬を染める。あまり見られたくない現場に遭遇してしまったらしい。
「ところで、リノはあなたにどんな用があったのだろうか」
さり気なく訊ねようと思ったはずなのに、なんとも情けない訊ね方になってしまった。
これでは嫉妬しているようだと恥じらったが、リリアンヌは気にしていないように見える。
「お客様がいらっしゃるときは修道服を控えて欲しいと。それと……兵士の訓練には口出しをしないで欲しいと釘を刺されました。あとは、無断外出は禁止と。図書室は好きに利用していいとの事でしたが……他にも注意事項がたくさんあるのでしょうか?」
本来であればベルタが告げなくてはいけないような内容をリノが説明していたらしい。
だが、本当にそれだけだろうか。リリアンヌの表情が僅かに翳っているように見えた。
「屋敷の中では好きに過ごして構わない。修道服の件も……なるべくあなたの希望通りになるように……その……あなたは気にしなくていいとは言ってくれたが、やはり使用人を少し入れ替えることにしたのだ」
そう告げると、リリアンヌは居心地の悪そうな様子を見せる。
「あの……私のせいで彼女たちが職を失うようなことがあっては……」
「いや、そうではない。リリアンヌ、私が相応しくないと判断した人間を解雇するだけだ。どうやら私が留守の間に羽目を外しすぎた使用人が多いらしい」
まるで誤魔化すようだが、リリアンヌへの差別意識がなかったとしても主の婚姻にまで口を出すような使用人を雇い入れておくことはできない。これはラファーガが自分の意志で判断したことだ。リリアンヌが気に病むことではない。
「そう、ですか……。あの、私はここでなにをすればよいのでしょう? リノは学ぶことがたくさんあるとおっしゃっていましたがなにから手をつけるべきかはラファーガが判断すべき事だと」
少しばかり有能すぎる側近を恨む。
確かにグラーシア家の嫁として迎える以上はリリアンヌにも学んで貰わなければならないことが数多くある。しかし、それはもう少し屋敷に慣れてからゆっくりと進めればいいことのはずだ。
「まずは屋敷に慣れて欲しい。それから帝国の歴史や文化、グラーシア家の歴史を少しずつ学ぶ程度で問題ないよ。確かに、あなたは貴族社会で重要視される流行や装いに興味を持たないかもしれないが、基本的な振る舞い自体は問題ない。ただ、王国訛りを疎む人間も存在する。訛りを隠せるようになればあなたに向けられる害意も軽減されるはずだ」
勿論、王国訛りがあるからと言って彼女を軽んじるような人間の存在が問題なのだが、他人の意識の方を変えるのは困難だ。こればかりは自己防衛だと思ってリリアンヌに努力して欲しい。
「ラファーガはすぐに私を甘やかそうとするのでラファーガの言葉は話半分に聞くようにと注意されたばかりですよ」
ここでようやくリリアンヌが笑みを見せた。どうやらリノの発言通り甘やかしていると感じ取られたらしい。
「妻となる相手を甘やかしたいと思うのは本能のようなものだ。リリアンヌ、あなたはこれから思う存分私に甘やかされてくれ」
それはラファーガの自尊心を護る行為にも繋がる。
彼女との感情の差を少しでも埋められれば、わかりやすい愛情表現を感じられればきっと傷つく心も忘れられるだろう。
「ラファーガ……あなたには理解出来ないことかもしれません。ですが……私は……満たされると不安になるのです」
「え?」
リリアンヌは困ったような表情を見せる。
「物が溢れていると恐ろしいのです。煌びやかな空間で不安を感じるのです。それに……時々あなたが恐ろしく感じられます。真っ直ぐすぎる好意が恐ろしいのです」
勇気を振り絞ったとでも言うように、リリアンヌはまるで作ったかのような「本心」を語る。
これはラファーガが不安を抱えているからあえて口にしたのではないだろうか。
そう感じてしまう程度には突拍子もないことのように感じられる内容だった。
「ラファーガ、お願いです。私に与えすぎないで下さい」
その響きはどこか切実なものだった。
リリアンヌは過去を明かしたがらない。まるで自らの過去を抹消したいように。
「あなたはなにに怯えているのだ? 私はあなたを幸せにしたいと願っているのに空回りばかりしてしまっているようだ」
修道服への拘りは、単なる憧れだけではなく彼女の過去と関わりがあるのではないだろうか。
実際、修道服を着たときの方が彼女は落ち着いているように見える。まるで彼女の中心に一本の柱が立ったような印象を受けるのだ。
「あなたの過去を詮索しない。だが、抱えているものを分けて欲しいと思っているよ」
隣に立ち、手を伸ばす。
まだ逃げない。
ゆっくり、反応を観察しながら抱き寄せてみたが、拒むことはなかった。
「……ラファーガは酷い人です」
「ん?」
「私の逃げ道を塞いで……塞いで……どんどん道を一本に絞っていこうとしているようです」
ぽつりとそうこぼすくせに、細い腕を背に回してくる。
リリアンヌの心が見えない。
そもそも他人の心を見ようなどと考えること自体が愚かしいことなのだと理解しているはずなのに、彼女に内側を晒して欲しいと願ってしまう。
「私は……あなたと私の未来が一本に交わってくれるならそれほど幸せなことはないと思っているよ」
その言葉がどんな風に伝わったのだろう。
リリアンヌの腕はただぎゅっとラファーガを抱きしめた。
そして、どのくらいの時間その沈黙を過ごしただろう。
彼女の祈りの時刻まで、ラファーガはただ大人しく彼女に抱きしめられていた。
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