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五年後
44 もどかしさ
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邪教徒に関する情報が思うように集まらないまま建国記念日が訪れた。
リリアンヌと初めて公の場に出ることになる。
ただでさえ美しい彼女が着飾った姿を他者に見せたくないという独占欲と素晴らしい婚約者を自慢したいという気持ちがせめぎあう。
短く切られたリリアンヌの髪はようやく肩に触れるほどの長さになった。
現在帝国貴族の流行は大きく開いた胸元に大きな宝石を飾ることだ。しかし、リリアンヌにはそのようなものは必要ない。
彼女に誂えたものは余白の美とでもいうのだろうか。極限まで色数を減らしたと言うべきか。
華美な装飾は一切無い。
上質な生地、体型に沿った形。裾に個性があるが、肌の露出は顔のみと徹底されている。
淡い菫色はリリアンヌ自身が選んだ色で、彼女の銀の癖毛に色が映え、神秘的な雰囲気を醸し出す。
支度を済ませて姿を現したリリアンヌに、ラファーガは息を呑む。
あの時とはなにもかも変わってしまったというのに、生死を彷徨った曖昧な意識の中目にした彼女の神聖さを感じる。
女神。
そのような言葉で表現してはきっと怒らせてしまうだろう。
しかし、全ての神が祝福し、それと同時に嫉妬するのではないかと思えるほど浮世離れした美が存在した。
「あ、あの……やはり……変でしょうか?」
落ち着かないという様子で不安そうな声を発するリリアンヌはどこか小動物を連想させる。
「いや、そんなことはない! あまりの美しさに見惚れてしまっていただけだ。その……初めてあなたを見た時から思ってはいたが……あなたという存在は、言葉では表しきれないほど美しい。私は、あなたの美を正確に讃えられないことがもどかしいのだ」
リリアンヌは少しだけ遅れ、赤面する。
「ラ、ラファーガ……ほ、褒めるにしても……大袈裟すぎます」
俯いてしまう姿さえ絵画にも残せない美しさ。
「私は今葛藤しているのだ。私の素晴らしい婚約者を皆に自慢したい気持ちと、あなたの晴れ姿を独占したいという気持ちがせめぎあい、心がざわついている。私は……自分が思っていた以上に嫉妬深い面があるらしい。あなたのことになると……冷静さを見失いそうになる」
愛だとか恋だとかそういったもので人生を狂わせるような人間を軽蔑していた時期もあった。しかし、どうだろう。今ならばその気持ちがわかってしまうような気がする。
リリアンヌに害意を向けられるだけで怒りを隠せなくなってしまう。
もともと感情を隠すことが得意ではないラファーガだが、このままでは完全に貴族失格となってしまうだろう。
「馬車は……苦手だと言っていただろう? 屋根のない馬車なら問題ないだろうか?」
他の貴族からは馬鹿にされてしまいそうだが、これもまた流行らせればいいだけの話だ。
リリアンヌの手を引けば、少しだけ手が震えていることに気がつく。
「は、はい……がんばります……」
馬車に乗り込むまでの間、リリアンヌには随分覚悟が必要だったようだが、それでも馬車に乗ってしまえばそれほど恐ろしいことはなかったらしい。
目的地までの道のり、目に入るもの全てが珍しいとでも言うようにあれこれ訪ねる姿は少女のようだった。
今、リリアンヌは少女期を取り戻そうとしているのだろうか。
腰に腕を回し抱き寄せても拒まれない。
あのおぞましい祈りの声も響かなかった。
会場に入ると、やはりリリアンヌは注目の的だった。
煌びやかなシャンデリアに気を取られたリリアンヌに、会場の視線が一斉に向く。
その多くは好奇の目、いくつかは侮蔑と敵意が込められていた。
リリアンヌはそのどれも気にすることはなく、ただシャンデリアを見上げている。
そして、そのまま立ち止まった。
いや、『神の声』を聞いているときの仕草だった。
リリアンヌは立ち止まり、耳を澄ませている。
それから、古代言語でなにかを短く唱えた。
唱えたのではない。あれは、返事をしたのだ。
古代言語の内容はわからずとも、彼女が言葉を発する感覚でなんとなく理解出来てしまう。
彼女は今『神』と会話しているのだ。
会場の視線が、不気味なものを見るような目に変わる。
「ラファーガ、随分と変わった女性を連れているな」
そう、声を掛けてきたのは同級生のユリウスだった。相変わらず自分の外観に自身を持ち、華美に飾り立てることを好む男で今日は舞台役者よりも派手な化粧を施している。
「そうか? 彼女は私の婚約者でリリアンヌというのだ。あとで紹介しよう」
そうは言ったが、リリアンヌの会話が止む気配はない。
「不気味な声でなにかと会話しているみたいだが?」
他人には聞こえない声が聞こえるなんて精神的な病気かなにかなのだろうと馬鹿にするような気配を感じる。
ラファーガ自身、奇跡を経験しなければそんなことを考えてしまった可能性もある。
しかし、ラファーガは確かに奇跡を見たのだ。
ユリウスに反論しようとした。
その時だ。
リリアンヌがラファーガを見た。
「ラファーガ、伏せなさい」
普段のリリアンヌとは違う、緊張感のある声だった。
そして、次の瞬間、ラファーガの体が後方に飛ぶ。
会場内で多くの悲鳴が響き合う。
一体、何事だ。
大きな衝撃があった気がする。
そして、ラファーガは壁に叩きつけられた。
目の前に、リリアンヌ。
そして、その後ろには落ちたシャンデリアと、下敷きになってしまったユリウスが見えた気がした。
リリアンヌと初めて公の場に出ることになる。
ただでさえ美しい彼女が着飾った姿を他者に見せたくないという独占欲と素晴らしい婚約者を自慢したいという気持ちがせめぎあう。
短く切られたリリアンヌの髪はようやく肩に触れるほどの長さになった。
現在帝国貴族の流行は大きく開いた胸元に大きな宝石を飾ることだ。しかし、リリアンヌにはそのようなものは必要ない。
彼女に誂えたものは余白の美とでもいうのだろうか。極限まで色数を減らしたと言うべきか。
華美な装飾は一切無い。
上質な生地、体型に沿った形。裾に個性があるが、肌の露出は顔のみと徹底されている。
淡い菫色はリリアンヌ自身が選んだ色で、彼女の銀の癖毛に色が映え、神秘的な雰囲気を醸し出す。
支度を済ませて姿を現したリリアンヌに、ラファーガは息を呑む。
あの時とはなにもかも変わってしまったというのに、生死を彷徨った曖昧な意識の中目にした彼女の神聖さを感じる。
女神。
そのような言葉で表現してはきっと怒らせてしまうだろう。
しかし、全ての神が祝福し、それと同時に嫉妬するのではないかと思えるほど浮世離れした美が存在した。
「あ、あの……やはり……変でしょうか?」
落ち着かないという様子で不安そうな声を発するリリアンヌはどこか小動物を連想させる。
「いや、そんなことはない! あまりの美しさに見惚れてしまっていただけだ。その……初めてあなたを見た時から思ってはいたが……あなたという存在は、言葉では表しきれないほど美しい。私は、あなたの美を正確に讃えられないことがもどかしいのだ」
リリアンヌは少しだけ遅れ、赤面する。
「ラ、ラファーガ……ほ、褒めるにしても……大袈裟すぎます」
俯いてしまう姿さえ絵画にも残せない美しさ。
「私は今葛藤しているのだ。私の素晴らしい婚約者を皆に自慢したい気持ちと、あなたの晴れ姿を独占したいという気持ちがせめぎあい、心がざわついている。私は……自分が思っていた以上に嫉妬深い面があるらしい。あなたのことになると……冷静さを見失いそうになる」
愛だとか恋だとかそういったもので人生を狂わせるような人間を軽蔑していた時期もあった。しかし、どうだろう。今ならばその気持ちがわかってしまうような気がする。
リリアンヌに害意を向けられるだけで怒りを隠せなくなってしまう。
もともと感情を隠すことが得意ではないラファーガだが、このままでは完全に貴族失格となってしまうだろう。
「馬車は……苦手だと言っていただろう? 屋根のない馬車なら問題ないだろうか?」
他の貴族からは馬鹿にされてしまいそうだが、これもまた流行らせればいいだけの話だ。
リリアンヌの手を引けば、少しだけ手が震えていることに気がつく。
「は、はい……がんばります……」
馬車に乗り込むまでの間、リリアンヌには随分覚悟が必要だったようだが、それでも馬車に乗ってしまえばそれほど恐ろしいことはなかったらしい。
目的地までの道のり、目に入るもの全てが珍しいとでも言うようにあれこれ訪ねる姿は少女のようだった。
今、リリアンヌは少女期を取り戻そうとしているのだろうか。
腰に腕を回し抱き寄せても拒まれない。
あのおぞましい祈りの声も響かなかった。
会場に入ると、やはりリリアンヌは注目の的だった。
煌びやかなシャンデリアに気を取られたリリアンヌに、会場の視線が一斉に向く。
その多くは好奇の目、いくつかは侮蔑と敵意が込められていた。
リリアンヌはそのどれも気にすることはなく、ただシャンデリアを見上げている。
そして、そのまま立ち止まった。
いや、『神の声』を聞いているときの仕草だった。
リリアンヌは立ち止まり、耳を澄ませている。
それから、古代言語でなにかを短く唱えた。
唱えたのではない。あれは、返事をしたのだ。
古代言語の内容はわからずとも、彼女が言葉を発する感覚でなんとなく理解出来てしまう。
彼女は今『神』と会話しているのだ。
会場の視線が、不気味なものを見るような目に変わる。
「ラファーガ、随分と変わった女性を連れているな」
そう、声を掛けてきたのは同級生のユリウスだった。相変わらず自分の外観に自身を持ち、華美に飾り立てることを好む男で今日は舞台役者よりも派手な化粧を施している。
「そうか? 彼女は私の婚約者でリリアンヌというのだ。あとで紹介しよう」
そうは言ったが、リリアンヌの会話が止む気配はない。
「不気味な声でなにかと会話しているみたいだが?」
他人には聞こえない声が聞こえるなんて精神的な病気かなにかなのだろうと馬鹿にするような気配を感じる。
ラファーガ自身、奇跡を経験しなければそんなことを考えてしまった可能性もある。
しかし、ラファーガは確かに奇跡を見たのだ。
ユリウスに反論しようとした。
その時だ。
リリアンヌがラファーガを見た。
「ラファーガ、伏せなさい」
普段のリリアンヌとは違う、緊張感のある声だった。
そして、次の瞬間、ラファーガの体が後方に飛ぶ。
会場内で多くの悲鳴が響き合う。
一体、何事だ。
大きな衝撃があった気がする。
そして、ラファーガは壁に叩きつけられた。
目の前に、リリアンヌ。
そして、その後ろには落ちたシャンデリアと、下敷きになってしまったユリウスが見えた気がした。
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