夏の残香

宮浦透

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4.タクシー

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 「お願いします」
 駅のロータリーで、何の前触れもなく扉を開けたのはきっと大学生ほどの年齢の青年。日を跨いだ直後、きっと夜まで遊びすぎて終電を逃したのだろう。五人目にして、今日の勤務最後のお客様だ。
 「はい。どちらへ?」
 「さぁ?とりあえずここから真っ直ぐ行ってください」
 「さぁ…?」
 あまりの猛烈な一言にとてもじゃないが困惑は隠せたものじゃない。地名ではなく、真っ直ぐだ。方角でもなく、真っ直ぐだ。
 「では、ここから北東の方角へ向かいますね」
 咳払いを挟み、この車の向いている方角、北東へと車を進めた。
 「こんな遅い時間でもタクシーってやってるんですね」
 「終電を逃した方々がご利用されますからね」
 曇りの一切ない夜空には、都会からでも見えるほど大きな星が所々で台頭している。
 ぼんやりと車窓を眺める青年は、何を考えているのかイマイチ掴めなかった。しかし、ふざけた注文をするとは思えないほどの丁寧な言葉遣いで青年との会話は進んでいく。
 「最近、留年しちゃいそうなんです。何もかもが上手く行かなくなってきて」
 親の診療所を継ぐために入った医大。元々興味のなかった分野に加え、心労にて思い描く大学生活と乖離する毎日。何かに酔いたくてやけ酒。
 「もうこのまま、死んじゃおうとか考えたんです。でも今日のごはんは唐揚げって親からメールが来て」
 恐らくこの青年は、何かに縋りたいんだろう。子を思う親を裏切れないのだろう。
 「このタクシーをご利用いただきありがとうございます。待ってましたよ。今日貴方が乗車するのを」
 酒気を纏った青年は、まだ車窓をぼんやりと眺めている。
 「僕、覚えてます。昔、貴方のタクシーに乗ったことがあります。ここの傷、僕が付けた傷です」
 十数年前、焦った親と少し怒った少年が乗車したことがある。その時、少年が手に持っていた何かで座席を叩いた。まだタクシー運転手を初めて間もなくて、初めての車への傷に悲しみを覚えた。
 「あの時はすいませんでした。喘息気味で、少しのことでも親は心配しちゃって、大丈夫って言ってるに親は病院に連れて行こうと必死で。それに僕は怒っちゃったんです」
 都会に家があり、救急車を呼ぼうとした矢先にタクシーが見えたからそちらに判断を変えたらしい。
 「大丈夫でしたか?喘息は」
 「はい。もう今となっては元気にお酒なんて飲んじゃってますよ」
 時間の流れはどうにも早いらしい。
 「親に期待されて、結果が出て、今があるんじゃないですか。人生、生きてれば何とかなりますよ」
 車窓を眺める青年に、ルームミラー越しに言葉を送る。なんてことない、一言。
 「そうですかね…」
 「はい。また酒に酔ったら、このタクシーに傷でも付けに来てください。待ってますよ」
 今思えば、北東の方向は、昔少年たち家族を乗せた場所がある。
 「ここで。あとは歩いて帰ります」
 お客様が歩くと決めたら、運転手の仕事はここまでだ。財布を出そうとする青年に、投げかける。
 「お金、良いですよ」
 あまりの猛烈な一言に、青年は困惑を隠せていなかった。これで良い仕返しになった。
 「何も、お金を頂くだけが仕事じゃないんでね」
 「…ありがとうございます。じゃあ次は、良い知らせと倍の金額を払いに来ますね」
 なんともユーモア溢れる青年だ。きっと、これから良い大人になる。
 「はい。ご乗車、ありがとうございます」
 頭を下げてドアを閉める青年に少し笑って見せた。
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