ミリしら令嬢 ~乙女ゲームを1ミリも知らない俺が悪役令嬢に転生しました

yumekix

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第一章 幼年期

エレナの奔走

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 窓の外が騒がしくて、エレナは目を覚ました。慣れない寝具でなかなか寝つけなかったんだから、もう少し寝かせてほしいと思う。女子刑務所みたいな簡素な二段ベッドが両側の壁一面にぎっしり並んだ小さな部屋に他の侍女たちと一緒に押し込められての就寝。安眠できるわけがない。リディアお嬢様こと脇谷玲司わきやれいじくんはあの広々として柔らかい天蓋つきベッドでグースカ寝てやがると思うと怒りすら覚える。リディアに夜一人で寝られないと駄々をこねてもらえば、リディア付きのメイドであるエレナも一緒にあのベッドで添い寝させてもらえないだろうか。

(あーでもなー、あいつ見た目は幼女でも中身は男子高校生なんだよなー。変なトコ触って来たら……外ヅラが美少女ならギリ許容範囲? ……いやいややっぱキモいわ)

 益体やくたいもないことを考えながらエレナは寝返りを打ち、二度寝を決め込もうとする。
 昨晩メイド長を含む数人と当たり障りのない世間話をしながら、事故で記憶が混乱している風を装って、日々の仕事の進め方については確認してある。メイドを含めた使用人たちは基本的に、教会の朝一回目の鐘が鳴る時間に一斉に起き出すのだそうだ。それから身支度を整え、エレナの場合はリディアに朝食の準備ができていることを知らせに行く。その後のこまごまとした仕事も教えてもらったが、基本的にはリディアのそばに付き従っていればいいらしい。ただそばにはべっていればいいだけなら、前世でやっていたSEの仕事より遥かに楽そうだ。

(まだみんな寝てるし起きる時間じゃないよね)

 外では何人かのメイドの声が聞こえるけど、多くのメイドたちはまだ寝ているみたいだから、朝の鐘はまだ鳴っていないのだろう。寝つくのが遅かったぶん少しでも二度寝しておかないと、体力も持たないし美容にも悪い。

「お、お待ちください。お嬢様、リディアお嬢様ー!」

 がばっ。
 外から聞こえてきた声に思わず飛び起きて、エレナはベッドの上の段に頭をぶつけた。

「痛った!」

 額に手をやると少しこぶになっている。リディアのベッドくらい天蓋が高ければ頭をぶつけることもないのだが、エレナの天蓋は上に先輩メイドが寝ているぶんだけ低いのだ。

(あのバカ目立つなっつったのに……)

 瘤に構わず、エレナは大急ぎでメイド服に着替える。少年が何をやらかしたのか、確かめに行かねばならない。

 正面玄関から外へ出て声のする方へを駆けつけると、屋敷の前庭の植え込みの脇を、リディアが寝間着のまま走っていた。メイドたちはリディアの行動の理解不能な行動に怯え顔で、遠巻きにリディアに呼びかけている。

「あの、なにがあったのでしょう?」

 エレナは手近にいた少しふくよかなメイドに訊ねる。

「ああエレナ。お嬢様が、急に運動をしたいとおっしゃられて……」

 バカなの? と心の中でリディアに悪態をつきながら、エレナは全速力でリディアを追いかける。前世は野球少年だったか知らないが、九歳の女児に追いつくのは簡単なことだ。ヒールの低いメイド用の靴だからというのもあるが。

「少ね、じゃなくてリディア様! 何をしていらっしゃるのですか!?」

 首根っこを掴んで屋敷内に引きずり込みたいところを、理性で必死に我慢してリディアの正面にまわり、両手を広げて通せんぼをする。リディアはようやく立ち止まり、エレナに抗弁する。

「朝の走り込みをしてただけだよ。……ですわ。そんなに変なことじゃないだろ? ……でしょ?」

 だめだこいつ。

「と・に・か・く! リディア様は病み上がりでもありますしお部屋にお戻りください!」

 そう言って有無を言わさずリディアの手を取り、エレナは玄関へと戻った。周囲からは優しく手を引いているように見えるように気をつけているが、実際はかなりキツめにリディアの手首を握りしめている。

「ちょ、これダメなことだった……でしたか?」

 何かしきりに言ってるけど相手していられない。周囲で怪訝な顔をしているメイドや使用人たちに『なんでもないことなんですよ』という風に曖昧な愛想笑いを振りまくので忙しいのだ。お話は、部屋に戻ってからにしてもらう。

 *

 リディアの部屋に戻って他の人たちを遠ざけ、二人きりになったところで、エレナはようやくため込んでいたものを吐き出した。

「少年はバカなの? てかバカだよね? 由緒正しい公爵家のお嬢様が寝間着姿で早朝ランニングしてても変じゃないと思っちゃうぐらいの大バカだよね? 周囲に人が集まってきて怪訝な顔しながら制止してるのに走るのをやめようとしないほどの大バカくんだよねー玲司くんはー」
「……悪かったよ」

 さすがのリディアも、しょんぼりと俯く。こうしていれば、いとけない公爵令嬢に見えるのに。

「でも、身体を動かしてないと落ち着かないんだよ。玲司だった頃は練習が休みの日でも軽い走り込みくらいはやってたから」

 甲子園に出場するほどの選手なら、そういうものなのだろう。だからといって、寝間着のままなのはおかしいだろう。

「お嬢様の服ってどう着ればいいかよくわかんないし、動きにくそうだし……」

 自分でお着換えできないところだけ公爵令嬢っぽいなオイ。

「……とりあえず、着替えさせてあげるから待ってなさい」

 ため息をついて、エレナは部屋の隅にあるドレスルームのドアを開ける。

(んーと、どこになに用の服が入ってんだろコレ)

 型崩れしないよう一着ずつ衣桁めいたものに掛けられている服はどれも特別な日に着るものらしき豪奢なものだったので、たくさん置かれている木箱の蓋なんかを片っ端から開けながら、リディア用の服を物色する。

(インナーは私と大差ないものでいいんだよね)

 エレナが着替えるときはメイド一人ひとりに用意されたお仕着せの衣服一式があったので迷うことはなかった。シュミーズ的な肌着の上に薄いチュニックを一枚着て、ワンピースタイプの濃紺のドレスにフリル付きエプロン。膝までの靴下を革紐で留めて編み上げ靴を履いたら、髪をお団子にして帽子の中に納めて完成だ。リディアも、シュミーズやチュニック、靴下は同じようなものでいいだろう。

(あとは……これか)

 たしかファーティンゲールとかいう名前の、スカートの中につけてスカートを広がった形に固定するための木枠がいくつか置いてあった。身体の幅の倍以上に広がるものはやはり晴れ着用だろうと判断して、あまり広がっていないものを選ぶ。
 あとは青地に白いレース飾りがたくさんついたロングスカートと、フリル付きの白いブラウス的なものと、スカートと同じ色の上衣。これで、とりあえずおかしくない服装にはなるはず。

「ほら着せてあげるから脱いで」
「え? いやちょっと……」
「恥ずかしがんな!」

 起き抜けに早くもひと騒動あったことで若干イラついているエレナは、有無を言わさずリディアの寝間着を脱がしにかかる。「自分で脱ぐから!」とエレナを振り払って一人で服を脱いだリディアだったが、着方の方はやはりわからないらしく、素直にエレナにされるがままになる。

「よし! 『チェンジ☆リングス』に出てきた貴族令嬢たちってこんな服装だったから、まあこれでOKでしょ」

 着替えさせ終わったリディアを下から上まで眺め回して、独り言のようにエレナは言った。こんな地面に裾を擦りそうなロングスカートで中に木枠まで入ったものを着ていれば、この問題児も庭で走り込みなんかしないだろう。

「んでさ、運動のことだけど、どうしても身体を動かさないと落ち着かないっていうんなら明日までに何か対策を考えておくから、とりあえず今日のところは我慢しなさい」
「……わかった」

 少し恥じ入った風の表情でリディアが頷いたとき、ちょうど教会の朝一番の鐘が鳴った。本来ならば、この時間まで寝ていられたはずの時間だ。

「私は一旦退室します。朝食の用意ができたら呼びに来るから、部屋で大人しくしてなさいよ」

 リディアに堅く言い含めてから、エレナはメイドたちの詰め所へと向かう。

「おはようございますエレナ。リディア様は落ち着かれましたか?」

 詰め所に入るなり、メイド長が声をかけてきた。

「ええ、……その、昨日の馬車の事故のせいでまだ少し混乱してたみたいで、それで少しおかしな行動をなさったようですけど、落ち着いたらいつものリディア様に戻りましたわ」

 リディアが怪しまれると自分の身が危ないのでエレナは必死にフォローしようとするが、自分で言っていて苦しい言い訳だなと思う。頭を打ったのが昨日で一晩寝てもまだ混乱してるって、それ治らないやつじゃね? 取りかえ児チェンジリングだと思われなかったとしても頭がおかしくなって治る見込みがなかったらやっぱり碌な待遇を受けないんじゃね? と思う。

「いつものリディア様って……、リディア様はわりと常日頃からあれぐらい無軌道な行動をなさるでしょう? 走るなどという身体を使う運動は確かに珍しいですが」

 そうだった。エレナは斑賀李衣はんがりいとしての記憶を呼び起こす。リディアはいつも思いつきで急に突飛な行動をしては、エレナをはじめ周りの人々を振り回してばかりいる女の子だった。学園に入学するため、両親から外へ出しても恥ずかしくない令嬢になるようそれなりの教育を受けた後であろう十五歳時でもそういうキャラだったのに、九歳当時のリディアなんて問題行動が服を着て歩いているようなものだっただろう。

「むしろエレナこそ、リディア様にああまで毅然とした態度を取るなんて珍しいですね。あなたの方こそ人が変わったのかと思いましたよ」

 取りかえ児の疑念を抱かれないために必死でリディアを制止したのに、逆にそのことが周囲に違和感を与えてしまっていたなんて。本当に、あの子の世話は骨が折れる。

(お嬢様のそばに侍っているだけなんて楽な仕事、そんなふうに考えていた時期が私にもありました……)

 想像以上にハードな境遇に転生してしまった、エレナはこれからの日々を想像してげんなりした。
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