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第三章 王子の秘密
薔薇に棘あり
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薔薇園の最奥部。大会を間近に控えて、エルネスト王子はエリオと剣を交えていた。そこにやって来た一人の少女の姿を見て、彼は剣を止めた。
「今日も来たのか」
苦々しげな台詞を意に介した風もなく、少女は王子たちの近くで歩みを止めると、どうぞこちらに構わず練習してくださいな、とばかりに、黙って静かにそちらを見つめていた。
「帰ってくれないか。君のような目立つ人に足繁く通われたら、私がここで練習していることが女子たちにバレてしまう」
そう言われた少女――王子の許嫁のローゼは、「ご心配なく」と静かな口調で応じた。
「お友達の皆様に、わたくしと殿下がよく連れ立って薔薇園に行っているという噂を流していただきました。婚約者同士の逢引を邪魔する女子など、学園にはおりませんわ。――ただ」
少しだけ意地悪な笑みを作って、ローゼは続ける。
「殿下が毎日薔薇園に来ておられることは知られてしまいましたね。今わたくしが女子寮に帰ると、寮でわたくしを見つけた女子たちは、王子が一人で薔薇園にいらっしゃると気づくことになりますが、帰った方がよろしいでしょうか」
「……そこにいて良い」
諦めの表情を浮かべて、エルネストは練習を再開した。ローゼは微笑んだまま、しばらく彼の姿を見つめていたが、三十分もすると飽きてきたのか、周囲の花などに視線を移しはじめた。
(見られているのも気が散るが、近くで他のことをされるのが一番わずらわしい……)
エリオと剣を交えながらも、どうしてもローゼが気になって身が入らない。どうしたものか、と対処に困っていると、ローゼがふいに何かに目を止め、薔薇の植え込みの中に分け入りはじめた。
「! ? 危ないぞ!」
棘で怪我でもしたら大変だ。エルネストは剣を放りだしてローゼへ駆け寄る。しかしローゼは平気な様子で、構わず茂みの中へと歩いて行く。
「ここに、なにか光るものが落ちていましたの。どなたかのイヤリングかなにかでしたら、拾って差し上げなくては」
そう言ってローゼは、薔薇園の突き当りにあたる場所に植えられた野いばらの枝の下に手を伸ばし、何かを拾い上げた。
「イヤリングや指輪では……ありませんわね」
つまみ上げたそれをエルネストに見せるように掲げながら、ローゼがそうつぶやく。
それは、真鍮製の小さな鍵だった。かなり古いものらしく、隠すように地面に埋められていたのが、なんらかの理由で地上に露出したものらしい。
「どこの鍵でしょうか……」
そう言って周囲を見回すローゼ。この鍵の鍵穴がこの周辺にあるとは限らないと思いながらも、エルネストもあたりを見渡してみる。
二人の視線は、同じ一箇所で止まった。野いばらのすぐそばの、学園の中と外とを隔てる外壁。その外壁に一箇所、扉のようなものがあって、そこに錠前のついた閂が設置されていた。
繁茂するたくさんの薔薇の影になる部分で気付きにくかったのだが、その扉は異様だった。学園設備の保守管理作業員のための出入口だとしても、あまりにも人が立ち入りにくい場所にある。棘に気をつけながら薔薇の枝をよけて植え込み内を歩かねばたどり着けない場所に扉を設けなくても、もう少し利用しやすい場所に作ればいいはずだ。それに、学園の外壁にはこの他に扉など見たことがない。
そもそも扉の見た目自体が変だ。壁も扉も木製だが、色も木目もまるで揃っていない。明らかに最初からここを扉にするつもりで作られたものではなく、後から急遽作られたものだ。こんな場所から学園の外に出る扉が、なぜ急に必要になったのだろうか。
エルネストはローゼが持っている鍵と、錠前の鍵穴とを見比べる。大きさは合っているように思える。
ローゼは少しためらいがちに、ゆっくりと鍵を鍵穴に近づけていく。止めるべきだ。とエルネストは思うが、不思議と止めようという気にならない。なにか、自分とローゼの運命にとってとても大事なものがこの扉の奥に隠されているような予感があって、そのなにかを見てみたいような気持ちで、ローゼが錠前を開けようとするのを、ただ見守っていた。
ローゼは鍵を鍵穴の直前まで持ってきた後で、問うように婚約者の方を見た。まだこの鍵がこの扉のものという確証はないが、外形としてはぴったり嵌まる。開けられる可能性が高まって来たことで、急に開けてよいか不安になってきたのだろう。
エルネストは開けろともやめろとも言わず、沈黙を続けた。ローゼが意を決して鍵を挿しこもうとしたその時、急に別の女性の声が響いた。
「ヴィルデローゼ殿下! その扉に近づいてはいけません!」
声の主はローゼの乳母のルイーゼだった。彼女は薔薇の棘にも構わず強引に植え込みに分けいって、ローゼを止めに入った。エルネストはローゼがルイーゼに気づかれぬよう、素早く鍵を服の中に隠すのを見たが、何も言わなかった。
「女子寮で、ヴィルデローゼ殿下がエルネスト殿下と一緒に薔薇園におられると聞き及びまして、様子を見に参りましたが、エルネスト殿下、あなたがいながらなぜお止め下さらなかったのですか」
「……すまない。これからは止めるようにする」
なぜ止めなかったのか、エルネストは自分でも分からなかった。ただ、この扉の向こうにあるものを知らなければならない。そんな気がしたのだった。
「とにかく、こんなところにいてはなりません。寮へお戻り下さい」
ルイーゼはローゼの手を引いて、棘がローゼの肌を傷つけぬように慎重に枝を取り除けながら植え込みの中から出ると、そのまま薔薇園をあとにした。
「……我々も今日は帰ろう。他の女子たちが来てしまうかも知れない」
エルネストはそうエリオに声をかけて、男子寮へと歩きだした。道すがら、あることについて考えていた。
あの扉は、今までエルネストも気づかなかったように、植え込みの外からでは影になっていて見えない。なのにルイーゼは、どうして『その扉に』近づいてはいけないなどと言ったのか。
「今日も来たのか」
苦々しげな台詞を意に介した風もなく、少女は王子たちの近くで歩みを止めると、どうぞこちらに構わず練習してくださいな、とばかりに、黙って静かにそちらを見つめていた。
「帰ってくれないか。君のような目立つ人に足繁く通われたら、私がここで練習していることが女子たちにバレてしまう」
そう言われた少女――王子の許嫁のローゼは、「ご心配なく」と静かな口調で応じた。
「お友達の皆様に、わたくしと殿下がよく連れ立って薔薇園に行っているという噂を流していただきました。婚約者同士の逢引を邪魔する女子など、学園にはおりませんわ。――ただ」
少しだけ意地悪な笑みを作って、ローゼは続ける。
「殿下が毎日薔薇園に来ておられることは知られてしまいましたね。今わたくしが女子寮に帰ると、寮でわたくしを見つけた女子たちは、王子が一人で薔薇園にいらっしゃると気づくことになりますが、帰った方がよろしいでしょうか」
「……そこにいて良い」
諦めの表情を浮かべて、エルネストは練習を再開した。ローゼは微笑んだまま、しばらく彼の姿を見つめていたが、三十分もすると飽きてきたのか、周囲の花などに視線を移しはじめた。
(見られているのも気が散るが、近くで他のことをされるのが一番わずらわしい……)
エリオと剣を交えながらも、どうしてもローゼが気になって身が入らない。どうしたものか、と対処に困っていると、ローゼがふいに何かに目を止め、薔薇の植え込みの中に分け入りはじめた。
「! ? 危ないぞ!」
棘で怪我でもしたら大変だ。エルネストは剣を放りだしてローゼへ駆け寄る。しかしローゼは平気な様子で、構わず茂みの中へと歩いて行く。
「ここに、なにか光るものが落ちていましたの。どなたかのイヤリングかなにかでしたら、拾って差し上げなくては」
そう言ってローゼは、薔薇園の突き当りにあたる場所に植えられた野いばらの枝の下に手を伸ばし、何かを拾い上げた。
「イヤリングや指輪では……ありませんわね」
つまみ上げたそれをエルネストに見せるように掲げながら、ローゼがそうつぶやく。
それは、真鍮製の小さな鍵だった。かなり古いものらしく、隠すように地面に埋められていたのが、なんらかの理由で地上に露出したものらしい。
「どこの鍵でしょうか……」
そう言って周囲を見回すローゼ。この鍵の鍵穴がこの周辺にあるとは限らないと思いながらも、エルネストもあたりを見渡してみる。
二人の視線は、同じ一箇所で止まった。野いばらのすぐそばの、学園の中と外とを隔てる外壁。その外壁に一箇所、扉のようなものがあって、そこに錠前のついた閂が設置されていた。
繁茂するたくさんの薔薇の影になる部分で気付きにくかったのだが、その扉は異様だった。学園設備の保守管理作業員のための出入口だとしても、あまりにも人が立ち入りにくい場所にある。棘に気をつけながら薔薇の枝をよけて植え込み内を歩かねばたどり着けない場所に扉を設けなくても、もう少し利用しやすい場所に作ればいいはずだ。それに、学園の外壁にはこの他に扉など見たことがない。
そもそも扉の見た目自体が変だ。壁も扉も木製だが、色も木目もまるで揃っていない。明らかに最初からここを扉にするつもりで作られたものではなく、後から急遽作られたものだ。こんな場所から学園の外に出る扉が、なぜ急に必要になったのだろうか。
エルネストはローゼが持っている鍵と、錠前の鍵穴とを見比べる。大きさは合っているように思える。
ローゼは少しためらいがちに、ゆっくりと鍵を鍵穴に近づけていく。止めるべきだ。とエルネストは思うが、不思議と止めようという気にならない。なにか、自分とローゼの運命にとってとても大事なものがこの扉の奥に隠されているような予感があって、そのなにかを見てみたいような気持ちで、ローゼが錠前を開けようとするのを、ただ見守っていた。
ローゼは鍵を鍵穴の直前まで持ってきた後で、問うように婚約者の方を見た。まだこの鍵がこの扉のものという確証はないが、外形としてはぴったり嵌まる。開けられる可能性が高まって来たことで、急に開けてよいか不安になってきたのだろう。
エルネストは開けろともやめろとも言わず、沈黙を続けた。ローゼが意を決して鍵を挿しこもうとしたその時、急に別の女性の声が響いた。
「ヴィルデローゼ殿下! その扉に近づいてはいけません!」
声の主はローゼの乳母のルイーゼだった。彼女は薔薇の棘にも構わず強引に植え込みに分けいって、ローゼを止めに入った。エルネストはローゼがルイーゼに気づかれぬよう、素早く鍵を服の中に隠すのを見たが、何も言わなかった。
「女子寮で、ヴィルデローゼ殿下がエルネスト殿下と一緒に薔薇園におられると聞き及びまして、様子を見に参りましたが、エルネスト殿下、あなたがいながらなぜお止め下さらなかったのですか」
「……すまない。これからは止めるようにする」
なぜ止めなかったのか、エルネストは自分でも分からなかった。ただ、この扉の向こうにあるものを知らなければならない。そんな気がしたのだった。
「とにかく、こんなところにいてはなりません。寮へお戻り下さい」
ルイーゼはローゼの手を引いて、棘がローゼの肌を傷つけぬように慎重に枝を取り除けながら植え込みの中から出ると、そのまま薔薇園をあとにした。
「……我々も今日は帰ろう。他の女子たちが来てしまうかも知れない」
エルネストはそうエリオに声をかけて、男子寮へと歩きだした。道すがら、あることについて考えていた。
あの扉は、今までエルネストも気づかなかったように、植え込みの外からでは影になっていて見えない。なのにルイーゼは、どうして『その扉に』近づいてはいけないなどと言ったのか。
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