ミリしら令嬢 ~乙女ゲームを1ミリも知らない俺が悪役令嬢に転生しました

yumekix

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第三章 王子の秘密

治癒魔法

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「では、リディア様はまずフェルナンド様の第一試合の会場へと向かってくださいませ。ミリアムの担当するラエルテス様とテオバルド様はともにシード選手ですので、はじめのうちは彼女が同行いたします」

 新聞部の部室で部長からそう説明を受け、リディアたちはフェルナンドの試合が行なわれるCブロックの会場へと向う。エレナはそれに同行しながら、いろいろなことを目まぐるしく考えていた。

(キコの指輪がアルボス家の令嬢のものになったら、ハーレムルート狙いはもう無理なのかな。いや個別ルートなら攻略成功すれば指輪をもらって婚約だけど、ハーレムルートなら全員と婚約するわけにいかないから指輪は必須じゃないのか? それと、エルネスト王子がローゼ公女の父親に似てる理由って何? ハーレムルートの条件の一つの『王子の秘密』と関係あるの? ……ああ、もうなんもわからん!)

 思考をめぐらしつつ、前を歩くリディアを見るとはなしに見る。

(あちこちややこしい事になってるのは、だいたい全部こいつが悪い!)

 キコがアルボス家と揉めたのもリディアのせいだし、そういった諸々のことを考える時間がないのも彼女のせいだ。何しろこれからエルネストとフェルナンドの全試合を見なければいけないだけでもスケジュールがきついのに、エレナはさらにリディアが書いた観戦記事を新聞部に届けなければいけないのだ。考えごとをしている暇などあるわけがない。そんな状況を招いた原因も、やはりリディアだ。
 そのリディアは、歩きながらミリアムからレクチャーを受けていた。

「初戦ですので、試合前に選手にインタビューをお願いしに行きます。二回戦以降でも重要な対戦カードの時にはインタビューをしたいですわね。でも試合前で集中なさりたいかもしれませんから、断られたら無理に食い下がっては駄目ですわ」
「了解しましたわ」

 そうこうするうちに一行はCブロックの試合会場へと着いた。ピストと呼ばれる細長いコートの上では、フェルナンドの出る試合の一つ前の試合がちょうどはじまったところだった。それを真剣に見つめるフェルナンドを見つけ、ミリアムが控えめに声をかける。

「あのうフェルナンド様、わたくし新聞部なのですけれど、今大会の注目選手を取材させていただいておりますの。少しお話を聞かせていただいても構わないでしょうか?」
「試合を見ながらで良いのなら。ですが手短に頼みます」

 ピストから目を離さずにフェルナンドは答えた。今戦っている二人のうち勝ったほうが、フェルナンドの第二試合の対戦相手となるので、しっかりと観察して剣技の特徴を見極めておきたいのだろう。

「ありがとうございます。ではまず、大会にあたっての意気込みを教えてください」
「……とにかく一生懸命やるだけです」
「では次に、他に注目していらっしゃる選手などはいますか?」
「――今この瞬間に限って言うなら、そこで試合しているお二人に注目しています」

 会場の掲示によると、試合中の二人は三年のディエゴ選手と二年のヘラルド選手だった。素人のエレナから見ても、大して実力があるようには見えない。
 観戦に集中したいのか、フェルナンドの応対はややぶっきらぼうだった。しかしミリアムはあらかじめ用意していた質問を淡々とぶつけていく。リディアはメモを手に、その答えを書き留めていた。

「質問は以上です。お時間を割いていただいてありがとうございました。試合、頑張ってください」

 質問を終えてミリアムが頭を下げる。リディアとクロエも、ミリアムにならって「ありがとうございました」と一礼する。

「おや、クロエ君もいたのか」

 今まで試合から目を離さなかったフェルナンドがクロエの声に反応してそちらを向く。旧知のリディアを無視してクロエだけに反応した彼を見て、リディアの眉がピクリと吊り上がる。だけどここは仕方がないんだよ。エレナはリディアに心の中でそう語りかける。だって、シナリオ上そういうイベントなんだもの。
 ゲームシナリオ上はクロエが新聞部と行動を共にしている描写はないが、新聞部の取材を受けているフェルナンドが、ふとクロエが近くにいるのに気づくところからイベントが始まる。大会中に起きるイベントはすべて選択肢が存在せず、適切な場所に移動してイベントを発生させさえすれば好感度が上がる。

「クロエ君が応援してくれるなら、勝てそうな気がします。君は知らないだろうけれど、実は私、クロエ君のおかげでラエルテス先輩との試合に勝ったことがあるんですよ」

 フェルナンドはにこやかに、入学してすぐの頃のラエルテスとの試合のことを話す。試合中に外からクロエの声が聞こえ、それに気を取られたラエルテスのすきを突いて勝利したときのことだ。

「それってもしかしてあの、薔薇園の前で……」
「そう、あの時のことです」

 クロエが赤面して下を向く。フェルナンドはクロエのおかげで勝てたというが、クロエからすれば恥ずかしい思い出だ。単に花が盛りを過ぎたのを枯れたと勘違いした挙げ句、魔力を暴走させてしまったのだから。

「……あ、あの。指、どうなされたのですか?」

 うつむいたことで、クロエは下におろされていたフェルナンドの手の異変に気づいた。白い手袋の指先に血がにじんでいる。

「ああ、先日の練習試合で相手の剣が折れまして、破片で指を切ったんですよ。たいした怪我ではないので放っておいたのですが、傷口が開いてしまったようです。でも痛くもないし大丈夫ですよ」

 出血にたった今気づいた、という感じで、なんでもないことのようにフェルナンドは言うが、クロエは「放っておいたらダメです!」と声を一段高くした。

「ほんのささいなことが勝敗を分けることもありますし、それでなくても傷が膿んだりするといけませんし」
「これくらいの傷なら、膿んだところでたかがしれてますよ。それに私は他人の傷に治癒魔法をほどこすのは得意だが、自分の傷というのはどうも……」

 フェルナンドはそう言って苦笑いする。治癒魔法にはやっかいな性質があって、自分の傷は治せないのだ。必ず他人に治癒してもらわなければならない。女神教では、これを女神の利他精神の教えのあらわれであると考える。

「わ、わたくしが治癒いたします。あの時のお返しをさせて下さい」
「そ、それならわたく――」

 リディアが口を挟みかけて、困ったように黙り込む。そう言えば彼女はこの間、授業で習った治癒魔法が全然上手く行かなかったとこぼしていたのをエレナは思い出す。リディアの魔力量は貴族の平均と比べてそれほど弱い方でもないはずだが、治癒魔法だけはどうしても苦手らしい。
 リディアがまごついているうちに、フェルナンドは微笑みながら手袋を外す。

「それなら、ご厚意に甘えようかな」

 差し出された手に、クロエはうやうやしく触れる。
 触れ合っている部分に燐光がきらめき、傷を治していく。
 美しいシーンだが、横からぎりり、という似つかわしくない音が聞こえる。リディアの歯ぎしりだ。
 しばらくしてクロエが手を離す。フェルナンドがハンカチで指先をそっと拭うと、傷はなくなっていた。

「ありがとう。これでなんのうれいもなく試合に臨めそうだ」

 フェルナンドが謝意を述べると、クロエははにかみながら「いえいえ、以前していただいたことのお返しですから」と頬を赤らめた。
 そのまましばらくお互いに照れ笑いを浮かべながら見つめあっていた二人に、リディアが割って入った。

「クロエ、フェルナンド様を治してくださったのは良いですが、フェルナンド様は試合を観戦したいのですから、邪魔しては駄目ですわ」

 言われてクロエは「すす、すみません!」と慌ててフェルナンドから視線をそらす。フェルナンドもクロエの方に向いていた体をピストへ向けて、試合の行方を見守り始めた。すでに試合開始から三分が経過し、第一セットが終了して小休止に入っていた。得点は四対二で三年のディエゴ選手が優勢だ。

(よし。最初のイベントは無事に済んだ。このまま順調にいけばいいけど)

 エレナはフェルナンドの方を見るともなしに見つめながら、今後の展開に思いを馳せた。このままシナリオ通りにことが進めば、先ほどのクロエの治癒魔法が、かえってやっかいな問題を起こすことになる。つまりハーレムルート攻略のためのイベントを順調にこなすということは、そのやっかいな問題が起こるということでもある。

(ゲームシナリオなら多少のトラブルはないと面白くないけど、自分で体験するのは精神衛生上よくないな)

 考えてもしょうがないことなので、エレナも試合を観戦することにした。
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