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第二三部「消える命」第2話
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応仁元年。
西暦にして一四六七年。
後に応仁の乱と呼ばれることになる戦乱は次第に広がりを見せていた。
青洲とスズが宿を出てから十日と五日。その道中でも戦火の跡には何度も遭遇していた。通る道によっては夜の籠を断られる事があるほど。
二人がやっと辿り着いた雄滝神社は一年を通して静かな湖の畔だった。大きな山に囲まれた中にある大きな湖。雄滝と言われる小さな滝から常に水が流れ込み、それはやがて多くの川へと支流を作っていく。
雄滝の畔には小さな祠。伝説の鬼退治の時に湖を守る為に作られたという。その管理も雄滝神社が代々務め、月に一度は必ず神事も行われていた。
憑き物専門の神社であり、通常の参拝者が来ることはない。山を降りた里の村にはそれぞれ地元に根付いた社がある。雄滝神社に訪れるのは全国から噂を聞きつけた人々。霊障等に困っているような人々だけ。しかもそのほとんどが誰かの紹介によって賄われていた。
小さな神社。
住居と繋がった小さな本殿があるだけ。
現在の当主は滝川東州────齢は三二。妻とまだ幼い二人の息子。
他の家族は東州の弟、滝川青洲────齢は二五。
世の中が少しずつ疲弊して荒んでいく現実に東州と青洲は〝清国会〟を立ち上げ、世直しをすることを決意する。しかしそれには賛同者が必要だった。地方の小さな神社だけで何かを成し遂げることは現実的ではない。
どうしても、仲間が必要だった。
その為に青洲が動いていた。それでも簡単に事が進まないまま、重要地点でもある京の都から青洲が戻る。
兄の東州は当然のようにスズを伴った青洲に驚いた。
到着したのはすでに薄闇の頃。旅で疲れたスズが眠りについてから、東州は青洲から説明を受ける。
「そうか……御苦労であった。どこか大きな所が賛同してくれるとよいのだが…………」
東州はそう言って溜息を吐いた。神職に就いている者なら誰でも今の世の中を憂いているのは予想出来ること。しかしだからと言って事を起こそうとまでするとは限らない。帝のみならず諸大名までをも納得させて幕政を一つにまとめることは簡単ではない。一歩間違えば火に油を注ぐことにも成り兼ねなかった。
青洲も視線を落として返していく。
「左様です……誰もが世の中を憂いているのは事実……しかしながら腰が重く…………」
「我等に力があれば良かったのだが…………」
本殿の隅に灯していた蝋燭が風で消えた。
真夏はすでに終わり、夜になると風の温度は途端に下がる。その夜の空気も冷たかった。
流れる空気を感じながら東州が続ける。
「…………あの娘……あれも京の都で見付けたのか?」
「スズですか……はい、親に捨てられたそうにございます…………哀れな身の上にて放っておくことも出来ずに連れて参りました」
青洲は床を見つめながら応えていた。
「そうか……」
その東州の言葉だけが耳に届く。
──……もしかしたら余計な事であったか…………
そう思った青洲が気持ちを乱すと、少し間を開けた東州の声が続いた。
「御主があの娘に何らかの意味を見出したとするなら、そこには必ず理由があると見るべきであろう」
意外な東州の言葉に、青洲は思わず顔を上げて返す。
「しかしながら……恐ろしい力も有しておりました…………」
「恐ろしいとは…………」
「総てを見たわけではありませぬが……手を触れずに人の命を取る事が出来ました…………しかも何人もの男達を相手に……顔色一つ変えなんだ…………」
「……そうであったか…………」
東州の声が僅かに震えるのが青洲にも分かった。
流石に東州も驚いた。スズはまだ十歳程度。小さな体に顔も幼いまま。目の鋭さだけが大人びていることは最初に見た時に東州も分かっていたが、よもやそんな〝力〟があるとまでは見抜けなかった。
その東州が続ける。
「それでここに?」
「いえ、拾ったのは私も〝力〟を知る前です」
東州は、青洲の言葉を噛み締めるかのように目を閉じた。
そしてゆっくりと瞼を上げて返した。
「……不可思議な事なりは……あるものよ…………」
口元に笑みを携えた東州が更に言葉を繋げる。
「以前より考えおりし事なるが……青洲よ……清国会にも〝神〟が必要だとは思わぬか?」
「……神……ですか…………」
「いかにも……清国会にとっての神だ…………」
「それでしたら帝が────」
「しかし今の帝を持ってしてもこの世の中ではないか」
「……畏れ多い御考えにございまするぞ兄上」
そう返した青洲の中に、不思議な感情が湧き上がった。
反射的に口調が強くなった青洲にも構わずに、東州は言葉を繋げる。
「〝真の神〟がいればどうか。朝廷のみならず多くの人心までをも掌握の出来る〝神〟がいれば…………この日の本を一つに出来るとは思わなんだか」
「しかしながら…………それは帝よりも上に位置するということ」
無意識に青洲は声を落としていた。
しかし東州は声を張り上げる。
「それこそが神ではないか。天照大神様の末裔が……帝ではなく……あの幼き娘だとしたら…………」
「兄上! そのような御考えは危険です!」
青洲は叫ぶと同時に立ち上がっていた。
強い風が吹く。
狩衣の裾が大きく揺れた。
青洲の顔を見上げる東州の目は鋭い。
「……緩いぞ青洲…………あの御子は神が我らに使わしたに相違無かろう……」
その東州の言葉は重かった。
東州の言うことにも一理があるのは事実。帝自身がこの国の行く末に影響を及ぼしているとは思えなかったからだ。青洲もそこに疑問が無かった訳ではない。
──……帝は……本当に〝神〟なのか…………
──…………ただの…………人形ではないのか………………
──……神は…………どこだ………………
☆
咲の首筋には、綾芽の手にした短刀の刃。
その刃は未だ冷たいまま。
刃が横に引かれれば、咲の命は終わる。
その命は、綾芽が握っていた。
綾芽は御世が作った〝幻〟。
涼沙と西沙が産まれる前から御陵院家に入り込み、この時のために咲の娘として生きてきた。
誰も気が付かなかった。雄滝神社の滝川家ですら分からなかった。御世が作った姫神伝説の創作は、そのためでもあった。
それは御陵院神社を離れた西沙ですら同じ。一歩引いて見ることの出来た西沙でも気が付かなかった。しかも西沙は御世の依代でもある。しかしだからこそ西沙には見えなかった。西沙が気付く前に、綾芽は西沙を遠ざけた。同時に御世は西沙を依代とすることで西沙が気付かないように操作した。
それでも御世に取って予想外だったのは八頭鴉島の一件。
萌江たちは御世の出自に触れた。
だからこそ、見えた。
本殿の中で立ち尽くす御世の目の前には、背後から綾芽に短刀を突き付けられている咲。
背後には西沙。
御世は完全に騙された。萌江だと思っていた姿は西沙の幻惑。
──……萌江様たちが私を裏切るだと…………?
──……何を考えているのか…………私に勝てる者など…………
そんな思考が頭を巡る御世の背後から、西沙の声がする。
「御世は…………血を好むの?」
すると御世は口元に小さく笑みを浮かべて応えた。
「……必要であれば…………」
「……私たちは違う…………騙されたよ……御世も同じだと思ってた」
「綺麗事で復讐は出来ません……」
やや強くなった御世の口調に対し、返す西沙の声は冷静なまま。
「スズって誰? 御世自身の復讐だけじゃないよね……そのスズの恨み? 随分と大仕掛けじゃない」
「スズは……」
御世は僅かに声を震わせながら続ける。
「……金櫻家……最初の御人です…………総てはスズから始まりました……」
その言葉は御世の声のみならず、冷え切った本殿の空気をも揺らした。
「…………始まり…………」
そう小さく呟いていたのは咲。
清国会の二番手。御陵院神社の当主として、総てを信じてきた。先祖もそうだったと思っていた。何の疑いもあるはずがない。天照大神から繋がっていると信じ続けてきた。
同時に、それを信じなければ清国会を守れなかった。支えていくことは出来なかった。
そんな母である咲の気持ちを汲み取りながらも、西沙は御世の背後から言葉を投げる。
「つまり……スズの存在を利用して金櫻家は作られたと?」
すると、御世は咲の震える目を見ながら応えた。
「……そうです…………」
その御世の低い声に、咲は目を見開くだけ。
背後の綾芽が手にする刃が咲の首に微かに食い込む。
次にその咲に声を向けたのは西沙だった。
「だってさお母さん。何が天照よ……そんなものにみんな騙されてきたわけだ。でも……一つ分からなかった…………」
西沙は御世の背中に視線を戻して続ける。
「おかしいと思ったんだ…………時を超えられるあなたが、どうして昨日……萌江の前にだけ姿を現したのか…………綾芽としてもうそこにいたんだよね。そして綾芽として…………涼沙を殺した…………」
意外にも御世の返答は早い。
「西沙様は涼沙様に恨みがあったはず……母上にも…………」
「そうだね……それは否定しないよ。でも萌江に約束したんだ……誰も犠牲にしないって…………それを分かってて、わざと涼沙を殺したの?」
「その理由を御聞きになりたいと?」
「うん……滝川家と金櫻家を終わらせるから……滝川家の血を引いた御陵院家も終わらせるのかな…………それなら私も消さないとね」
「綾芽が全員を殺します」
そう言った御世は視線を目の前の咲に向けたままだった。
その咲の命は、未だ綾芽────御世が握っている。御世は咲の目を見続けることでそれを強調した。しかし同時に、背後の西沙の存在のために動けなくなっていることも事実。
──……西沙様を……甘く見ていたというのか…………
西沙を依代として利用してきた。
西沙を操れると思ってきた。
しかし今、御世が背後から感じる圧力はそれまでの西沙のものとは違う。
御世は初めて西沙に恐怖を感じていた。しかしそれだけではない。そこには自らの計画が崩れていく怖さも重なっていた。
同時に、次の展開が見えない不安。
──……邪魔をしているのは……誰だ…………
西沙が畳み掛けた。
「綾芽が殺せば……自分のせいじゃないことに出来たもんね。それから萌江を操るつもりだったの? 萌江も殺すの? 金櫻の直系だけど…………」
「殺める必要はありません……萌江様の血は言わば犠牲者…………滝川家や御陵院家とは違います」
「ホントにそう? 萌江にはあなたでも勝てないと思ってるから、でしょ?」
御世は応えない。
事実だった。本来ならば金櫻家を終わらせるためなら萌江も殺さなければならない。しかし萌江には本人も気が付いていないほどの力があった。そして御世だけがそれに気付いていた。
「……萌江様は御子を作れぬ身…………殺める必要など…………」
御世のその言葉は、何かを濁す。
しかし、それは西沙に見透かされる。
「へー…………御世ほどの人がそんな〝嘘〟を言うなんてね…………」
「……嘘などと…………」
「勝てないはずだよ…………だって萌江は────」
「────西沙様!」
御世が叫んでいた。
──……気が付いているのか…………
西沙は少し間を空け、まるで臆さずに続けた。
「なら…………私には、勝てるの?」
しかし応えない御世に、西沙が続ける声は自信を持ったもののように感じられた。
「じゃあ……殺される側の私は対抗するしかないね。その前に質問をさせて。さっき金櫻家も終わらせるって言ったじゃない。萌江を殺さないなら……やっぱりあなたも金櫻家を取り込みたいだけ?」
そしてやっと御世が口を開く。
「……いいでしょう……では……苑清殿も知らない真実をお話しします…………」
そう言う御世は、懸命に主導権を自分に戻そうとしていた。
──……この場を掌握しているのは………誰だ……………
☆
応仁二年。
西暦にして一四六八年。
戦乱は未だ続いていた。
スズが雄滝神社に入って一年。
スズは〝神〟として祭り上げられていた。
新たな名────金櫻鈴京。
天照大神の唯一の末裔にして、金櫻家の唯一の血。
その総ては滝川東州が作り上げた神話。
朝廷が真実を隠すために金櫻家の血を潰そうとした、という嘘の歴史まで作られた。
それに多くの神社が真実を知らないまま賛同を始める。
その効果は絶大だった。
少しずつ清国会の名前が広がり始め、東州も次第にその反応に酔いしれていく。
青洲の反対を押し切れる程にスズの能力は絶大だった。他人の意識を操れるだけでなく、過去や未来までも見えた。何の道具も使わずに川を堰き止める様を見た時、東州はその神がかりな〝力〟に恐怖し、同時に平伏した。
──……本物の神だ…………
そして東州は、雄滝神社がスズを手にしたことには意味があると思った。それこそが清国会の存在する理由だと考えるようになっていた。
「鈴京様さえいれば……日の本は我等が掌握出来るであろう…………」
月に一度の祠の神事。その終わりに東州が言ったその言葉に、青洲は背筋に冷たいものを感じながらも返した。
「確かに〝予見〟が外れた事はありません……しかしながら…………」
しかしその歯切れの悪い言葉はすぐに東州に拾われる。
「貴様が見つけてくれた〝神〟ではないか。いずれは御主にも大きな社を預けようぞ」
東州は祠に背を向けて青洲に正面を向けた。
対する青洲は足元の地面を見つめている。
「しかし兄上……かような嘘…………いずれは…………」
その青洲の迷いを含んだ声に反して、それに返す東州の声は力強い。
「案ずるな青洲。清国会はこれから必ず大きくなる…………次は朝廷を中から動かす算段を思案せねば」
しかしその目は、かつての東州の物ではなくなっていた。
青洲はそこはかとない不安の中、何かに突き動かされるように返していく。
「今はまだ良いでしょう……しかしいずれは跡取りの問題もあるではありませんか⁉︎」
「では、どうであろう青洲……鈴京様の血を…………滝川家と絡めてみる気はないか?」
「……? 兄上……それは…………」
──…………何をするつもりか…………
「さすれば我等も天照大神様の血を受け継ぐことが出来るではないか……清国会の頂点としての立場を不動のものに出来るとは思わぬか?」
──……天照大神様の血? それは兄上が作った嘘の歴史ではないか…………
──……気でも違ったか…………操作されているのか…………
青洲の中の押し寄せるような不安が、焦りを生む。
「しかしなれど兄上にはすでに世継ぎが御二人もおるではありませんか」
「鈴京様の御子を世継ぎとする」
「────兄上‼︎」
「近頃は清国会に不信感を持つ社もある……朝廷に入り込む前に黙らせなければ…………」
すでに、青洲の言葉は、東州には届いていなかった。
それから二晩も経った頃だろうか。
すでに子の刻。
東州はスズの寝室にいた。
布団の中で上半身を起こしたスズに向かい、東州は深々と頭を下げ続ける。
月明かりがやけに明るい夜だった。障子を過ぎるその明かりは、容赦無く室内に強い影を落としている。その陰影の強さが新たな影を生み出すのではないかと思う程に、東州の狩衣は複雑な影を作り出していた。
東州は畳の自分の影に額を着けながら口を開く。
「……鈴京様、今後の清国会、否、金櫻家の血筋と、この日の本の繁栄のために…………御子を産んで頂きたく、夜半にも関わらずやって参った次第…………」
スズはいつもと同じ、感情を表さない顔のまま。
スズが笑ったところを誰も見たことがなかった。常に同じ表情を崩さない。しかし冷徹にも見えるその雰囲気は、スズの人間離れした神秘性に拍車を掛けていた。
そのスズが、小さく口角を上げる。しかし頭を下げたままの東州には見えない。
やがてスズが口を開く。
「ほう…………我の子が欲しいと申すか…………」
「はい」
「タネは御主か?」
「…………はい」
東州はすぐに返し続けたが、しかしその気持ちは穏やかではなかった。
痴がましい願いであることは東州にも分かる。しかしその気持ちを押してでも東州には叶えたいものがあった。
清国会が少しずつ大きくなってきた。地方の小さな神社がその中心となることに気持ちが高揚していた。純粋に戦乱の世を憂いていた気持ちはすでに無い。自らで〝神〟を作り、自らでその神を信じた。
しかしその気持ちを後押ししたのは、スズだった。
スズは東州の意識を操った。
東州の作った〝神話〟を、スズが現実のものとした。
もちろん東州はそれに気が付かないまま。
しかしスズは自ら東州をそう仕向けておきながら、拒絶する。
「我の見た〝予見〟に貴様の子はおらん」
東州の全身に汗が浮かんだ。
「……おそれながら鈴京様────」
「我は子を産めぬ体……貴様の子など、無駄な事…………」
そのスズの言葉に、東州は僅かに顔を上げる。
そして少しだけ前ににじり寄った。
──……この後に及んで世迷言を……清国会の為になら無理にでも…………!
上半身を上げかけた時。
背中に圧力を感じた。
その強さが再び東州を畳に押し付ける。
体の中心を何かが突き抜けていた。
その何かは畳まで到達し、大きな亀裂を作る。
東州にはまだ理解が出来ないまま、痛みも感じなかった。
しかしそれが東州の体を後ろに抜けた時、やっと激痛が全身を巡る。
腹部が熱かった。
体が上がらない。
その体の上で、長い刀を両手で持っているのは青洲だった。
東州の呻き声が畳を伝って青洲の足に伝わる。
途端に青洲は息苦しさを感じた。
少しずつ、体の中心で恐怖心が膨れ上がる。
それを打ち消す為か、青洲は東州の背中に再び刀を突き刺す。
何度も、抜いて、突き刺した。
畳に広がった血溜まりが、月明かりを黒く照らす。
その光景を、スズが無表情に眺めていた。
まるで、総てを知っていたかのように、微動だにしない。
しかし、その両目だけは月明かりの中で存在感を持っていた。
怪しく光るその目には、動かなくなった東州の背中。
青洲がゆっくりと顔を上げる。
息が荒い。
その体は黒く染まっていた。
その青洲がやっと口を開く。
「……スズ……逃げろ…………このようなことは……人として許されぬ…………」
そして、スズが静かに。
「……やはり……我の〝予見〟には間違いがなかったようだ…………」
そう言うと、その顔に、小さく笑みが浮かぶ。
初めて見るスズのその表情に、青洲は魅入られた。
「…………スズ……」
青洲が小さく呟くが、スズが続ける。
「……まだだ青洲……我は金櫻鈴京…………天照大神の血を引く者…………」
その声に、青洲の目が沈む。
構わずスズの声が続いた。
「貴様の子を産む為に、我はここにいる…………」
「……金櫻…………鈴京………………」
自分の意思とは関係なく、言葉が口を開かせる。
もはや、青洲は自分がどこにいるのかも分からなくなっていた。
初めて人を殺した。
実の兄を殺した。
戦乱の世を立て直そうとしていた青洲は、もうどこにもいなかった。
スズの目を見ながら、青洲は畳に刀を突き刺す。
そのまま足を進めた。
まるで留めを刺すように、スズの口が開く。
「………我は子を産める体になった…………来るがよい……青洲…………」
そして、部屋中に血の匂いが滴る中、青洲はスズの体を包んでいた。
その夜の内、青洲は東州の妻と二人の息子を殺した。
まだ幼かった二人の世継ぎ。
しかし青洲に迷いは無かった。
総てはスズの〝予見〟通り。
青洲はそれに従うだけ。
すでに、青洲はスズに操られていた。
それから、およそ十月。
スズに三つ子が産まれる。
男子が一人、女子が二人。
スズは出産の翌日、早速こんなことを言った。
「子達は滝川家の後継だ……先の二人を夫婦とする」
青洲にとっては全くの予想外な言葉。
「しかし鈴京様……兄姉で夫婦とは…………」
「濃い血が出来る……我の予見に間違いは無い……そして、御主はこれから金櫻家の人間だ」
「そのような畏れ多い…………」
青洲はスズの言葉の意味を測り兼ねた。
──……何が見えているのか…………
「新しく社を作る…………御主も一緒だ」
「……新しく……社を…………」
それから程なくして、雄滝神社に客が訪れる。
金櫻家に世継ぎが産まれた事が他の社に伝わると、入れ替わり祝いの挨拶に来る者が続いていた。
どの神社も清国会内部での、自分達の立場の為。
権力の為。
金櫻家の為と考えている者は誰もいない。
その日訪れた者。
御陵院神社。
当主、御陵院麻紀世────齢は二三。
まだ当主になって間もない。当主になってすぐ、御陵院神社が清国会に入る。それは麻紀世自身の希望だった。麻紀世は当主になる以前から、清国会、強いては金櫻鈴京に傾倒していた。
急激に勢力を拡大していく清国会と、その中心となる神の存在。それは麻紀世の期待を高めていく。
年齢すらも分からない、謎に包まれた神。そして清国会が大きくなるにつれ、世継ぎが望まれていた。
誰もがその〝血〟を求めていた。
それは御陵院神社のような小さな神社でも同じ。自分達の存在感を高める為に雄滝神社を訪れた。
「此度の世継ぎの御産まれ、我ら御陵院と致しましても至極喜ばしき事」
巫女姿の麻紀世は祭壇前のスズに深々と頭を下げた。
三段構えの階段状になった一番上にスズが座り、その一段下、僅かに向かって左に青洲が腰を降ろしている。陽の高い時間であるのにも関わらず、小さな本殿の中は暗かった。しかしそのせいで作られる強い陰影ですらスズの神秘性を高める。
もちろん麻紀世はスズに初めて会った。
見た目はどう見ても子供。十歳程にしか見えないが、顔付きは聞いていたよりも幼く感じた。しかしその目だけは噂以上のものだ。
子供の目とは思えなかった。
強いだけの目ではない。吸い込まれるのとも違う。
──…………人間の目ではない
麻紀世はそう感じた。
同時に感じるのは、恐怖とは違った。
言葉を返したのは青洲。
「大義だ御陵院。清国会の新参なれど早くに駆けつけた。礼を言うぞ」
混乱の世を憂いていながらも御陵院神社のような小さな社では力不足。そう考えていた麻紀世は清国会の話と共に野心を募らせていた。雄滝神社も同じように小さな神社。その雄滝神社が清国会の頂点にいられるのは、金櫻の名前。
金櫻鈴京の存在。
──……鈴京様に気に入ってもらえれば……清国会での立場も…………
「かなざくらの古屋敷」
~ 第二三部「消える命」第3話へつづく ~
西暦にして一四六七年。
後に応仁の乱と呼ばれることになる戦乱は次第に広がりを見せていた。
青洲とスズが宿を出てから十日と五日。その道中でも戦火の跡には何度も遭遇していた。通る道によっては夜の籠を断られる事があるほど。
二人がやっと辿り着いた雄滝神社は一年を通して静かな湖の畔だった。大きな山に囲まれた中にある大きな湖。雄滝と言われる小さな滝から常に水が流れ込み、それはやがて多くの川へと支流を作っていく。
雄滝の畔には小さな祠。伝説の鬼退治の時に湖を守る為に作られたという。その管理も雄滝神社が代々務め、月に一度は必ず神事も行われていた。
憑き物専門の神社であり、通常の参拝者が来ることはない。山を降りた里の村にはそれぞれ地元に根付いた社がある。雄滝神社に訪れるのは全国から噂を聞きつけた人々。霊障等に困っているような人々だけ。しかもそのほとんどが誰かの紹介によって賄われていた。
小さな神社。
住居と繋がった小さな本殿があるだけ。
現在の当主は滝川東州────齢は三二。妻とまだ幼い二人の息子。
他の家族は東州の弟、滝川青洲────齢は二五。
世の中が少しずつ疲弊して荒んでいく現実に東州と青洲は〝清国会〟を立ち上げ、世直しをすることを決意する。しかしそれには賛同者が必要だった。地方の小さな神社だけで何かを成し遂げることは現実的ではない。
どうしても、仲間が必要だった。
その為に青洲が動いていた。それでも簡単に事が進まないまま、重要地点でもある京の都から青洲が戻る。
兄の東州は当然のようにスズを伴った青洲に驚いた。
到着したのはすでに薄闇の頃。旅で疲れたスズが眠りについてから、東州は青洲から説明を受ける。
「そうか……御苦労であった。どこか大きな所が賛同してくれるとよいのだが…………」
東州はそう言って溜息を吐いた。神職に就いている者なら誰でも今の世の中を憂いているのは予想出来ること。しかしだからと言って事を起こそうとまでするとは限らない。帝のみならず諸大名までをも納得させて幕政を一つにまとめることは簡単ではない。一歩間違えば火に油を注ぐことにも成り兼ねなかった。
青洲も視線を落として返していく。
「左様です……誰もが世の中を憂いているのは事実……しかしながら腰が重く…………」
「我等に力があれば良かったのだが…………」
本殿の隅に灯していた蝋燭が風で消えた。
真夏はすでに終わり、夜になると風の温度は途端に下がる。その夜の空気も冷たかった。
流れる空気を感じながら東州が続ける。
「…………あの娘……あれも京の都で見付けたのか?」
「スズですか……はい、親に捨てられたそうにございます…………哀れな身の上にて放っておくことも出来ずに連れて参りました」
青洲は床を見つめながら応えていた。
「そうか……」
その東州の言葉だけが耳に届く。
──……もしかしたら余計な事であったか…………
そう思った青洲が気持ちを乱すと、少し間を開けた東州の声が続いた。
「御主があの娘に何らかの意味を見出したとするなら、そこには必ず理由があると見るべきであろう」
意外な東州の言葉に、青洲は思わず顔を上げて返す。
「しかしながら……恐ろしい力も有しておりました…………」
「恐ろしいとは…………」
「総てを見たわけではありませぬが……手を触れずに人の命を取る事が出来ました…………しかも何人もの男達を相手に……顔色一つ変えなんだ…………」
「……そうであったか…………」
東州の声が僅かに震えるのが青洲にも分かった。
流石に東州も驚いた。スズはまだ十歳程度。小さな体に顔も幼いまま。目の鋭さだけが大人びていることは最初に見た時に東州も分かっていたが、よもやそんな〝力〟があるとまでは見抜けなかった。
その東州が続ける。
「それでここに?」
「いえ、拾ったのは私も〝力〟を知る前です」
東州は、青洲の言葉を噛み締めるかのように目を閉じた。
そしてゆっくりと瞼を上げて返した。
「……不可思議な事なりは……あるものよ…………」
口元に笑みを携えた東州が更に言葉を繋げる。
「以前より考えおりし事なるが……青洲よ……清国会にも〝神〟が必要だとは思わぬか?」
「……神……ですか…………」
「いかにも……清国会にとっての神だ…………」
「それでしたら帝が────」
「しかし今の帝を持ってしてもこの世の中ではないか」
「……畏れ多い御考えにございまするぞ兄上」
そう返した青洲の中に、不思議な感情が湧き上がった。
反射的に口調が強くなった青洲にも構わずに、東州は言葉を繋げる。
「〝真の神〟がいればどうか。朝廷のみならず多くの人心までをも掌握の出来る〝神〟がいれば…………この日の本を一つに出来るとは思わなんだか」
「しかしながら…………それは帝よりも上に位置するということ」
無意識に青洲は声を落としていた。
しかし東州は声を張り上げる。
「それこそが神ではないか。天照大神様の末裔が……帝ではなく……あの幼き娘だとしたら…………」
「兄上! そのような御考えは危険です!」
青洲は叫ぶと同時に立ち上がっていた。
強い風が吹く。
狩衣の裾が大きく揺れた。
青洲の顔を見上げる東州の目は鋭い。
「……緩いぞ青洲…………あの御子は神が我らに使わしたに相違無かろう……」
その東州の言葉は重かった。
東州の言うことにも一理があるのは事実。帝自身がこの国の行く末に影響を及ぼしているとは思えなかったからだ。青洲もそこに疑問が無かった訳ではない。
──……帝は……本当に〝神〟なのか…………
──…………ただの…………人形ではないのか………………
──……神は…………どこだ………………
☆
咲の首筋には、綾芽の手にした短刀の刃。
その刃は未だ冷たいまま。
刃が横に引かれれば、咲の命は終わる。
その命は、綾芽が握っていた。
綾芽は御世が作った〝幻〟。
涼沙と西沙が産まれる前から御陵院家に入り込み、この時のために咲の娘として生きてきた。
誰も気が付かなかった。雄滝神社の滝川家ですら分からなかった。御世が作った姫神伝説の創作は、そのためでもあった。
それは御陵院神社を離れた西沙ですら同じ。一歩引いて見ることの出来た西沙でも気が付かなかった。しかも西沙は御世の依代でもある。しかしだからこそ西沙には見えなかった。西沙が気付く前に、綾芽は西沙を遠ざけた。同時に御世は西沙を依代とすることで西沙が気付かないように操作した。
それでも御世に取って予想外だったのは八頭鴉島の一件。
萌江たちは御世の出自に触れた。
だからこそ、見えた。
本殿の中で立ち尽くす御世の目の前には、背後から綾芽に短刀を突き付けられている咲。
背後には西沙。
御世は完全に騙された。萌江だと思っていた姿は西沙の幻惑。
──……萌江様たちが私を裏切るだと…………?
──……何を考えているのか…………私に勝てる者など…………
そんな思考が頭を巡る御世の背後から、西沙の声がする。
「御世は…………血を好むの?」
すると御世は口元に小さく笑みを浮かべて応えた。
「……必要であれば…………」
「……私たちは違う…………騙されたよ……御世も同じだと思ってた」
「綺麗事で復讐は出来ません……」
やや強くなった御世の口調に対し、返す西沙の声は冷静なまま。
「スズって誰? 御世自身の復讐だけじゃないよね……そのスズの恨み? 随分と大仕掛けじゃない」
「スズは……」
御世は僅かに声を震わせながら続ける。
「……金櫻家……最初の御人です…………総てはスズから始まりました……」
その言葉は御世の声のみならず、冷え切った本殿の空気をも揺らした。
「…………始まり…………」
そう小さく呟いていたのは咲。
清国会の二番手。御陵院神社の当主として、総てを信じてきた。先祖もそうだったと思っていた。何の疑いもあるはずがない。天照大神から繋がっていると信じ続けてきた。
同時に、それを信じなければ清国会を守れなかった。支えていくことは出来なかった。
そんな母である咲の気持ちを汲み取りながらも、西沙は御世の背後から言葉を投げる。
「つまり……スズの存在を利用して金櫻家は作られたと?」
すると、御世は咲の震える目を見ながら応えた。
「……そうです…………」
その御世の低い声に、咲は目を見開くだけ。
背後の綾芽が手にする刃が咲の首に微かに食い込む。
次にその咲に声を向けたのは西沙だった。
「だってさお母さん。何が天照よ……そんなものにみんな騙されてきたわけだ。でも……一つ分からなかった…………」
西沙は御世の背中に視線を戻して続ける。
「おかしいと思ったんだ…………時を超えられるあなたが、どうして昨日……萌江の前にだけ姿を現したのか…………綾芽としてもうそこにいたんだよね。そして綾芽として…………涼沙を殺した…………」
意外にも御世の返答は早い。
「西沙様は涼沙様に恨みがあったはず……母上にも…………」
「そうだね……それは否定しないよ。でも萌江に約束したんだ……誰も犠牲にしないって…………それを分かってて、わざと涼沙を殺したの?」
「その理由を御聞きになりたいと?」
「うん……滝川家と金櫻家を終わらせるから……滝川家の血を引いた御陵院家も終わらせるのかな…………それなら私も消さないとね」
「綾芽が全員を殺します」
そう言った御世は視線を目の前の咲に向けたままだった。
その咲の命は、未だ綾芽────御世が握っている。御世は咲の目を見続けることでそれを強調した。しかし同時に、背後の西沙の存在のために動けなくなっていることも事実。
──……西沙様を……甘く見ていたというのか…………
西沙を依代として利用してきた。
西沙を操れると思ってきた。
しかし今、御世が背後から感じる圧力はそれまでの西沙のものとは違う。
御世は初めて西沙に恐怖を感じていた。しかしそれだけではない。そこには自らの計画が崩れていく怖さも重なっていた。
同時に、次の展開が見えない不安。
──……邪魔をしているのは……誰だ…………
西沙が畳み掛けた。
「綾芽が殺せば……自分のせいじゃないことに出来たもんね。それから萌江を操るつもりだったの? 萌江も殺すの? 金櫻の直系だけど…………」
「殺める必要はありません……萌江様の血は言わば犠牲者…………滝川家や御陵院家とは違います」
「ホントにそう? 萌江にはあなたでも勝てないと思ってるから、でしょ?」
御世は応えない。
事実だった。本来ならば金櫻家を終わらせるためなら萌江も殺さなければならない。しかし萌江には本人も気が付いていないほどの力があった。そして御世だけがそれに気付いていた。
「……萌江様は御子を作れぬ身…………殺める必要など…………」
御世のその言葉は、何かを濁す。
しかし、それは西沙に見透かされる。
「へー…………御世ほどの人がそんな〝嘘〟を言うなんてね…………」
「……嘘などと…………」
「勝てないはずだよ…………だって萌江は────」
「────西沙様!」
御世が叫んでいた。
──……気が付いているのか…………
西沙は少し間を空け、まるで臆さずに続けた。
「なら…………私には、勝てるの?」
しかし応えない御世に、西沙が続ける声は自信を持ったもののように感じられた。
「じゃあ……殺される側の私は対抗するしかないね。その前に質問をさせて。さっき金櫻家も終わらせるって言ったじゃない。萌江を殺さないなら……やっぱりあなたも金櫻家を取り込みたいだけ?」
そしてやっと御世が口を開く。
「……いいでしょう……では……苑清殿も知らない真実をお話しします…………」
そう言う御世は、懸命に主導権を自分に戻そうとしていた。
──……この場を掌握しているのは………誰だ……………
☆
応仁二年。
西暦にして一四六八年。
戦乱は未だ続いていた。
スズが雄滝神社に入って一年。
スズは〝神〟として祭り上げられていた。
新たな名────金櫻鈴京。
天照大神の唯一の末裔にして、金櫻家の唯一の血。
その総ては滝川東州が作り上げた神話。
朝廷が真実を隠すために金櫻家の血を潰そうとした、という嘘の歴史まで作られた。
それに多くの神社が真実を知らないまま賛同を始める。
その効果は絶大だった。
少しずつ清国会の名前が広がり始め、東州も次第にその反応に酔いしれていく。
青洲の反対を押し切れる程にスズの能力は絶大だった。他人の意識を操れるだけでなく、過去や未来までも見えた。何の道具も使わずに川を堰き止める様を見た時、東州はその神がかりな〝力〟に恐怖し、同時に平伏した。
──……本物の神だ…………
そして東州は、雄滝神社がスズを手にしたことには意味があると思った。それこそが清国会の存在する理由だと考えるようになっていた。
「鈴京様さえいれば……日の本は我等が掌握出来るであろう…………」
月に一度の祠の神事。その終わりに東州が言ったその言葉に、青洲は背筋に冷たいものを感じながらも返した。
「確かに〝予見〟が外れた事はありません……しかしながら…………」
しかしその歯切れの悪い言葉はすぐに東州に拾われる。
「貴様が見つけてくれた〝神〟ではないか。いずれは御主にも大きな社を預けようぞ」
東州は祠に背を向けて青洲に正面を向けた。
対する青洲は足元の地面を見つめている。
「しかし兄上……かような嘘…………いずれは…………」
その青洲の迷いを含んだ声に反して、それに返す東州の声は力強い。
「案ずるな青洲。清国会はこれから必ず大きくなる…………次は朝廷を中から動かす算段を思案せねば」
しかしその目は、かつての東州の物ではなくなっていた。
青洲はそこはかとない不安の中、何かに突き動かされるように返していく。
「今はまだ良いでしょう……しかしいずれは跡取りの問題もあるではありませんか⁉︎」
「では、どうであろう青洲……鈴京様の血を…………滝川家と絡めてみる気はないか?」
「……? 兄上……それは…………」
──…………何をするつもりか…………
「さすれば我等も天照大神様の血を受け継ぐことが出来るではないか……清国会の頂点としての立場を不動のものに出来るとは思わぬか?」
──……天照大神様の血? それは兄上が作った嘘の歴史ではないか…………
──……気でも違ったか…………操作されているのか…………
青洲の中の押し寄せるような不安が、焦りを生む。
「しかしなれど兄上にはすでに世継ぎが御二人もおるではありませんか」
「鈴京様の御子を世継ぎとする」
「────兄上‼︎」
「近頃は清国会に不信感を持つ社もある……朝廷に入り込む前に黙らせなければ…………」
すでに、青洲の言葉は、東州には届いていなかった。
それから二晩も経った頃だろうか。
すでに子の刻。
東州はスズの寝室にいた。
布団の中で上半身を起こしたスズに向かい、東州は深々と頭を下げ続ける。
月明かりがやけに明るい夜だった。障子を過ぎるその明かりは、容赦無く室内に強い影を落としている。その陰影の強さが新たな影を生み出すのではないかと思う程に、東州の狩衣は複雑な影を作り出していた。
東州は畳の自分の影に額を着けながら口を開く。
「……鈴京様、今後の清国会、否、金櫻家の血筋と、この日の本の繁栄のために…………御子を産んで頂きたく、夜半にも関わらずやって参った次第…………」
スズはいつもと同じ、感情を表さない顔のまま。
スズが笑ったところを誰も見たことがなかった。常に同じ表情を崩さない。しかし冷徹にも見えるその雰囲気は、スズの人間離れした神秘性に拍車を掛けていた。
そのスズが、小さく口角を上げる。しかし頭を下げたままの東州には見えない。
やがてスズが口を開く。
「ほう…………我の子が欲しいと申すか…………」
「はい」
「タネは御主か?」
「…………はい」
東州はすぐに返し続けたが、しかしその気持ちは穏やかではなかった。
痴がましい願いであることは東州にも分かる。しかしその気持ちを押してでも東州には叶えたいものがあった。
清国会が少しずつ大きくなってきた。地方の小さな神社がその中心となることに気持ちが高揚していた。純粋に戦乱の世を憂いていた気持ちはすでに無い。自らで〝神〟を作り、自らでその神を信じた。
しかしその気持ちを後押ししたのは、スズだった。
スズは東州の意識を操った。
東州の作った〝神話〟を、スズが現実のものとした。
もちろん東州はそれに気が付かないまま。
しかしスズは自ら東州をそう仕向けておきながら、拒絶する。
「我の見た〝予見〟に貴様の子はおらん」
東州の全身に汗が浮かんだ。
「……おそれながら鈴京様────」
「我は子を産めぬ体……貴様の子など、無駄な事…………」
そのスズの言葉に、東州は僅かに顔を上げる。
そして少しだけ前ににじり寄った。
──……この後に及んで世迷言を……清国会の為になら無理にでも…………!
上半身を上げかけた時。
背中に圧力を感じた。
その強さが再び東州を畳に押し付ける。
体の中心を何かが突き抜けていた。
その何かは畳まで到達し、大きな亀裂を作る。
東州にはまだ理解が出来ないまま、痛みも感じなかった。
しかしそれが東州の体を後ろに抜けた時、やっと激痛が全身を巡る。
腹部が熱かった。
体が上がらない。
その体の上で、長い刀を両手で持っているのは青洲だった。
東州の呻き声が畳を伝って青洲の足に伝わる。
途端に青洲は息苦しさを感じた。
少しずつ、体の中心で恐怖心が膨れ上がる。
それを打ち消す為か、青洲は東州の背中に再び刀を突き刺す。
何度も、抜いて、突き刺した。
畳に広がった血溜まりが、月明かりを黒く照らす。
その光景を、スズが無表情に眺めていた。
まるで、総てを知っていたかのように、微動だにしない。
しかし、その両目だけは月明かりの中で存在感を持っていた。
怪しく光るその目には、動かなくなった東州の背中。
青洲がゆっくりと顔を上げる。
息が荒い。
その体は黒く染まっていた。
その青洲がやっと口を開く。
「……スズ……逃げろ…………このようなことは……人として許されぬ…………」
そして、スズが静かに。
「……やはり……我の〝予見〟には間違いがなかったようだ…………」
そう言うと、その顔に、小さく笑みが浮かぶ。
初めて見るスズのその表情に、青洲は魅入られた。
「…………スズ……」
青洲が小さく呟くが、スズが続ける。
「……まだだ青洲……我は金櫻鈴京…………天照大神の血を引く者…………」
その声に、青洲の目が沈む。
構わずスズの声が続いた。
「貴様の子を産む為に、我はここにいる…………」
「……金櫻…………鈴京………………」
自分の意思とは関係なく、言葉が口を開かせる。
もはや、青洲は自分がどこにいるのかも分からなくなっていた。
初めて人を殺した。
実の兄を殺した。
戦乱の世を立て直そうとしていた青洲は、もうどこにもいなかった。
スズの目を見ながら、青洲は畳に刀を突き刺す。
そのまま足を進めた。
まるで留めを刺すように、スズの口が開く。
「………我は子を産める体になった…………来るがよい……青洲…………」
そして、部屋中に血の匂いが滴る中、青洲はスズの体を包んでいた。
その夜の内、青洲は東州の妻と二人の息子を殺した。
まだ幼かった二人の世継ぎ。
しかし青洲に迷いは無かった。
総てはスズの〝予見〟通り。
青洲はそれに従うだけ。
すでに、青洲はスズに操られていた。
それから、およそ十月。
スズに三つ子が産まれる。
男子が一人、女子が二人。
スズは出産の翌日、早速こんなことを言った。
「子達は滝川家の後継だ……先の二人を夫婦とする」
青洲にとっては全くの予想外な言葉。
「しかし鈴京様……兄姉で夫婦とは…………」
「濃い血が出来る……我の予見に間違いは無い……そして、御主はこれから金櫻家の人間だ」
「そのような畏れ多い…………」
青洲はスズの言葉の意味を測り兼ねた。
──……何が見えているのか…………
「新しく社を作る…………御主も一緒だ」
「……新しく……社を…………」
それから程なくして、雄滝神社に客が訪れる。
金櫻家に世継ぎが産まれた事が他の社に伝わると、入れ替わり祝いの挨拶に来る者が続いていた。
どの神社も清国会内部での、自分達の立場の為。
権力の為。
金櫻家の為と考えている者は誰もいない。
その日訪れた者。
御陵院神社。
当主、御陵院麻紀世────齢は二三。
まだ当主になって間もない。当主になってすぐ、御陵院神社が清国会に入る。それは麻紀世自身の希望だった。麻紀世は当主になる以前から、清国会、強いては金櫻鈴京に傾倒していた。
急激に勢力を拡大していく清国会と、その中心となる神の存在。それは麻紀世の期待を高めていく。
年齢すらも分からない、謎に包まれた神。そして清国会が大きくなるにつれ、世継ぎが望まれていた。
誰もがその〝血〟を求めていた。
それは御陵院神社のような小さな神社でも同じ。自分達の存在感を高める為に雄滝神社を訪れた。
「此度の世継ぎの御産まれ、我ら御陵院と致しましても至極喜ばしき事」
巫女姿の麻紀世は祭壇前のスズに深々と頭を下げた。
三段構えの階段状になった一番上にスズが座り、その一段下、僅かに向かって左に青洲が腰を降ろしている。陽の高い時間であるのにも関わらず、小さな本殿の中は暗かった。しかしそのせいで作られる強い陰影ですらスズの神秘性を高める。
もちろん麻紀世はスズに初めて会った。
見た目はどう見ても子供。十歳程にしか見えないが、顔付きは聞いていたよりも幼く感じた。しかしその目だけは噂以上のものだ。
子供の目とは思えなかった。
強いだけの目ではない。吸い込まれるのとも違う。
──…………人間の目ではない
麻紀世はそう感じた。
同時に感じるのは、恐怖とは違った。
言葉を返したのは青洲。
「大義だ御陵院。清国会の新参なれど早くに駆けつけた。礼を言うぞ」
混乱の世を憂いていながらも御陵院神社のような小さな社では力不足。そう考えていた麻紀世は清国会の話と共に野心を募らせていた。雄滝神社も同じように小さな神社。その雄滝神社が清国会の頂点にいられるのは、金櫻の名前。
金櫻鈴京の存在。
──……鈴京様に気に入ってもらえれば……清国会での立場も…………
「かなざくらの古屋敷」
~ 第二三部「消える命」第3話へつづく ~
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