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第1章
12.やだ
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「!」
不意打ちもあってリリナの体はヴィルに向かって倒れ、彼の意外と厚い胸板に受け止められる。がっちりと背中に腕を回して抱きかかえられ、ヴィルの整った顔が至近距離に迫った。
「ちょ……!」
近くで見るヴィルの瞳は、獲物を前にした狩人のそれであった。整った顔がにやりと意地悪く笑い、ヴィルの伸ばした指がリリナの黒髪をからめとった。
「リリナはもう俺のものだ。俺が買った。それとも、5千万ラトのこの取引を、無かったことにできるとでも?」
「うざっ」
「……こ……心の底から本音出すのやめてくれ……」
「鳥肌立つので気持ち悪いこと言うのやめてください」
「……」
リリナの頑として譲らない態度に、ヴィルはいじけた子供のようにむすっと唇を突き出した。
「……自分で言うのもなんだけど、俺けっこう優良物件だぞ」
「優良物件だろうが廃墟だろうがどうでもいいですっ」
リリナはヴィルを押し除けて強引に体勢を立て直し、ふんと鼻をはならした。
「興味ないので! そういう地位とかお金とかっ」
「……」
ヴィルはしばらく物足りなさそうにリリナを見ていたが、やがてぽつりと、口を開く。
「……俺、リリナに感謝してるんだ」
「え?」
ふいっと窓の外に視線を移したヴィルからは、先ほどまであった妙な自信の影はすっかりひそめていた。
「今でこそ鬼才の魔道士とか呼ばれてるけど、別に才能なんて無いし。リリナと出会った頃は強くともなんともなくて、まさしくどこにでもいる平々凡々なただの魔道士だった」
「……」
「逆に才能あって褒められてる奴がうらやましくて妬んでて、でもプライドだけは一丁前に高かったから、泥臭い努力なんてする気も無くて……最強の魔道士になるって言ってたのも、そう言っておけばなんとなく目標あってかっこいいような気がしてたから言ってただけで、本気じゃなかったんだ」
「……」
「リリナに会ってなかったら、そうやって一生他人を羨んで、他人を妬みながら、弱い自分を納得させて生きるだけだった」
ヴィルが静かにリリナに目を向けた。赤銅色の真剣な眼差しが、リリナをとらえる。
「十年前、真正面からリリナに弱いって言われて、目が覚めた。リリナになら言われても仕方ないって思った。妬みとか感じる暇もないくらい、それくらい――あのとき俺を助けてくれたリリナは、かっこよかったんだ」
ヴィルが静かにリリナに迫った。覆いかぶさるように、座るリリナの背後の壁に手をつく。
「リリナよりも強くなって、リリナを守れるような男になるってそのとき決めたんだ」
そこまで言って、ふいっとヴィルは目線を横に逃した。この時ばかりは言いづらそうにもごもごと小さく声を落とす。
その頬が、わずかに赤らんでいた。
「ひ……一目惚れだったんだ。別に、約束なんて、あっても、なくても、俺は……リリナを追いかけてた……!」
彼の耳まで珠に染まった横顔を見ながら、リリナは言葉を失った。
もはや目の前にいるのは、最強の魔道士でもなく、女性たちを虜にする美男子でもない。
しどろもどろに十年間の想いを告白する、純粋な青年だった。
「十年前からずっと、本気でリリナが好きだったんだ……! リリナと結婚するためなら、命を賭けて霊獣に挑んだっていいと思えるくらいには……!」
おずおずと、ヴィルがようやくリリナに視線を戻す。その瞳は、約束約束と強引に迫っていた先ほどとは打って変わって、静かな覚悟に満ちていた。ヴィルはもう一度リリナの手をとると、リリナの瞳を見つめて、言った。
「俺と結婚してくれ、リリナ」
沈黙が、しばし馬車を支配した。
馬の蹄の音と、車輪が荒い地を滑る音だけが、二人の間に響いていた。
「……ヴィル……」
ヴィルの真剣な眼差しに真正面から貫かれ、リリナは諦めたようにため息をついた。
この男、どうやらどこまで行ってもリリナと本気で結婚することを考えているらしい。
まあそれもそうだろう。十年間もひたすらに思い続け、最強魔道士になるという条件達成のために命まで賭けた男なのだ。その想いが、簡単なものであるはずがなかった。
ヴィルの想いを知ったリリナは、まっすぐに彼の瞳を見つめ返した。
その想いの強さには正直脱帽だ。そんな熱量でこられたら、わざわざ金だの地位だの見せびらかさなくたって、きっと誰でも堕とせるに違いない――
リリナはため息をつくと、ふっと肩の力を抜いた。理由はわからないが頬も緩んでいた。無自覚に微笑をたたえた口を、ゆっくりと開いて、半ば諦めにも似た境地で、リリナは言った。
「やだ」
「なんでだよおおおおお!! 今の聞いてそれ言える普通!? 鬼! 悪魔! 冷徹女!」
結局振り出しに戻るリリナの回答に、ヴィルはついに膝をつき、慟哭とともに馬車の床を殴った。鬼だの悪魔だのと言われてリリナの眉がカチンとつり上がる。
「はあああ!? 誰が悪魔よ! あんたが本気だってことはわかったけど! 私だって本気で魔道士目指してんの! なんと言われようと私は結婚なんてしないの! 魔力発芽の方法を探すんだから! おろしてよ!」
「やだねぜっっっっっってぇぇぇぇおろさねえからな! もうリリナは俺の嫁! 決定! 永久不滅だからこの決定!」
「言ってること十年前と変わってないでしょそれー!!!」
結局ぎゃーぎゃーと騒ぎながら、黒い高級馬車はごとごとと首都を目指すのだった。
不意打ちもあってリリナの体はヴィルに向かって倒れ、彼の意外と厚い胸板に受け止められる。がっちりと背中に腕を回して抱きかかえられ、ヴィルの整った顔が至近距離に迫った。
「ちょ……!」
近くで見るヴィルの瞳は、獲物を前にした狩人のそれであった。整った顔がにやりと意地悪く笑い、ヴィルの伸ばした指がリリナの黒髪をからめとった。
「リリナはもう俺のものだ。俺が買った。それとも、5千万ラトのこの取引を、無かったことにできるとでも?」
「うざっ」
「……こ……心の底から本音出すのやめてくれ……」
「鳥肌立つので気持ち悪いこと言うのやめてください」
「……」
リリナの頑として譲らない態度に、ヴィルはいじけた子供のようにむすっと唇を突き出した。
「……自分で言うのもなんだけど、俺けっこう優良物件だぞ」
「優良物件だろうが廃墟だろうがどうでもいいですっ」
リリナはヴィルを押し除けて強引に体勢を立て直し、ふんと鼻をはならした。
「興味ないので! そういう地位とかお金とかっ」
「……」
ヴィルはしばらく物足りなさそうにリリナを見ていたが、やがてぽつりと、口を開く。
「……俺、リリナに感謝してるんだ」
「え?」
ふいっと窓の外に視線を移したヴィルからは、先ほどまであった妙な自信の影はすっかりひそめていた。
「今でこそ鬼才の魔道士とか呼ばれてるけど、別に才能なんて無いし。リリナと出会った頃は強くともなんともなくて、まさしくどこにでもいる平々凡々なただの魔道士だった」
「……」
「逆に才能あって褒められてる奴がうらやましくて妬んでて、でもプライドだけは一丁前に高かったから、泥臭い努力なんてする気も無くて……最強の魔道士になるって言ってたのも、そう言っておけばなんとなく目標あってかっこいいような気がしてたから言ってただけで、本気じゃなかったんだ」
「……」
「リリナに会ってなかったら、そうやって一生他人を羨んで、他人を妬みながら、弱い自分を納得させて生きるだけだった」
ヴィルが静かにリリナに目を向けた。赤銅色の真剣な眼差しが、リリナをとらえる。
「十年前、真正面からリリナに弱いって言われて、目が覚めた。リリナになら言われても仕方ないって思った。妬みとか感じる暇もないくらい、それくらい――あのとき俺を助けてくれたリリナは、かっこよかったんだ」
ヴィルが静かにリリナに迫った。覆いかぶさるように、座るリリナの背後の壁に手をつく。
「リリナよりも強くなって、リリナを守れるような男になるってそのとき決めたんだ」
そこまで言って、ふいっとヴィルは目線を横に逃した。この時ばかりは言いづらそうにもごもごと小さく声を落とす。
その頬が、わずかに赤らんでいた。
「ひ……一目惚れだったんだ。別に、約束なんて、あっても、なくても、俺は……リリナを追いかけてた……!」
彼の耳まで珠に染まった横顔を見ながら、リリナは言葉を失った。
もはや目の前にいるのは、最強の魔道士でもなく、女性たちを虜にする美男子でもない。
しどろもどろに十年間の想いを告白する、純粋な青年だった。
「十年前からずっと、本気でリリナが好きだったんだ……! リリナと結婚するためなら、命を賭けて霊獣に挑んだっていいと思えるくらいには……!」
おずおずと、ヴィルがようやくリリナに視線を戻す。その瞳は、約束約束と強引に迫っていた先ほどとは打って変わって、静かな覚悟に満ちていた。ヴィルはもう一度リリナの手をとると、リリナの瞳を見つめて、言った。
「俺と結婚してくれ、リリナ」
沈黙が、しばし馬車を支配した。
馬の蹄の音と、車輪が荒い地を滑る音だけが、二人の間に響いていた。
「……ヴィル……」
ヴィルの真剣な眼差しに真正面から貫かれ、リリナは諦めたようにため息をついた。
この男、どうやらどこまで行ってもリリナと本気で結婚することを考えているらしい。
まあそれもそうだろう。十年間もひたすらに思い続け、最強魔道士になるという条件達成のために命まで賭けた男なのだ。その想いが、簡単なものであるはずがなかった。
ヴィルの想いを知ったリリナは、まっすぐに彼の瞳を見つめ返した。
その想いの強さには正直脱帽だ。そんな熱量でこられたら、わざわざ金だの地位だの見せびらかさなくたって、きっと誰でも堕とせるに違いない――
リリナはため息をつくと、ふっと肩の力を抜いた。理由はわからないが頬も緩んでいた。無自覚に微笑をたたえた口を、ゆっくりと開いて、半ば諦めにも似た境地で、リリナは言った。
「やだ」
「なんでだよおおおおお!! 今の聞いてそれ言える普通!? 鬼! 悪魔! 冷徹女!」
結局振り出しに戻るリリナの回答に、ヴィルはついに膝をつき、慟哭とともに馬車の床を殴った。鬼だの悪魔だのと言われてリリナの眉がカチンとつり上がる。
「はあああ!? 誰が悪魔よ! あんたが本気だってことはわかったけど! 私だって本気で魔道士目指してんの! なんと言われようと私は結婚なんてしないの! 魔力発芽の方法を探すんだから! おろしてよ!」
「やだねぜっっっっっってぇぇぇぇおろさねえからな! もうリリナは俺の嫁! 決定! 永久不滅だからこの決定!」
「言ってること十年前と変わってないでしょそれー!!!」
結局ぎゃーぎゃーと騒ぎながら、黒い高級馬車はごとごとと首都を目指すのだった。
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