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もう会えないと嘆き、それでも誰かと出会って
謝り、悔やみ、朱染まる墓前へ
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【1】
次第に暮れ始める街並みを眺めながらトレイドは進む。まだ薄い記憶を頼りに向かった末、無事に到着を果たしていた。
五角形を模る、少しだけ艶を見せる黒い石材の建物。法を扱い、罪人を罰する者達が集う場所故なのか、牢獄の様な印象を受ける其処。この世界の規律を守る組織であり、総じて正義と言う印象を抱き、信頼を置いて頼る。
一連の仕打ちを受けたトレイドはその印象は薄れ、不信感を募らせ、疑惑の眼でその建物を見上げる。感情に因ってはその建物は善悪を排除し、気に食わない存在を閉じ込める監獄にしか見えなくなる。
そうした偏見を溜息と共に消し、面倒そうな表情で彼は室内へ踏み入っていく。
室内は多くの人が詰めかけていた。多くは近隣住民であろう、様々な服装の老若男女が職員と会話する。事務をする者は笑顔、或いは真剣な面持ちで聞き受ける。ある者は請われた誰かに付き従って歩む。
仕事風景は至極真面目であり、業績に結び付いた信頼が窺える。実態を知れば偏見も薄れると言うもの、表情を戻したトレイドは丁度手の空いた女性を引き留めた。
「如何しましたか?」
「これを渡せと言われてきたんだ」
単刀直入に、渡された釈放手続きを見せる。受け取った彼女は一文字すらも見逃さないよう確認する。終えると再び顔を合わせ、片手を上げて奥を示した。
「御用件は事前に届いております。アイゼンが奥で居ますので御案内致します」
そう畏まって丁寧な言葉を微笑みながら告げられる。
「・・・頼む」
「此方に」
あまりもの丁寧さに少し面を喰らったトレイドだが落ち着いた表情のまま返答する。会釈した彼女は雑踏の中でも強調するような靴音を鳴らして歩き出す。それに続き、様々な表情が浮かぶ広場を横切っていく。
向かった先は初めて此処に訪れた時に連行された個室。詰まり、此処がアイゼン専用個室と言う事。執務室、と言った処であろう。それを示すように他とは少々異なる豪華な意匠の扉が待ち受けた。
「失礼致します」
ノックを行って女性職員は入室する。僅かな遣り取りが室内から聞こえ、程無く彼女は戻ってくる。
「中へどうぞ」
扉を開いて迎えられたトレイドは少し表情を険しくする。このような客人を持て成す行為には慣れていない為、でもあるが、以前の遣り取りを思い出して、一連の行動に少しの違和感を抱いた為に。
「ありがとう」
礼を忘れずに告げて入室する。それと入れ違いになる様に彼女は部屋から立ち去って行った。
入室し、一番に感じるのは対面する一面張りの窓、差し込む斜陽、茜に染まりつつある光の美しさ。窓を介した光は実に煌びやかで知らずに入れば眩まずには居られないだろう。
茜色に染まりつつある部屋の中、沈黙が保たれた部屋の中で件の男性が椅子に腰掛ける。書斎机に似た事務机に面し、刃ペンを用いて書類を書き記していく。その作業の音が微かに聞こえるだけであった。
丁度区切りが着いたのだろう、ペンを少し持ち上げた後、小さく息を吐いてからペン立てにそれを置いた。そうして、身体を上げて入室者と対面する。
姿勢正しく腰掛け、身体は揺れる事は無い。冷ややかに映る無表情の中、何を考えているのだろうか。思慮が読めないアイゼンと顔を合わせ、トレイドもまた冷静に務める。以前の遣り取りから来る怒りを堪えて。
「来たか・・・まずはその書類を渡して貰おう」
「・・・」
変わらず、何もかもに無関心のような態度で仕事を始める。その彼を感情を抑えた目で眺め、ゆっくりと歩み寄って釈放手続きの書類を渡す。
無言で受け取ったアイゼン、トレイドを一瞥すらもせずに書類に目を通す。分厚い本を熟読するように、一画の読み落としもしないように。終えるまでの時間は熟読する姿を見下ろすしかなく、苦痛でしかなかった。
およそ数分、小さな吐息と共に書類が机上に置かれる。終わったと同時に二人の視線が合う。さも蔑むように映るのはトレイドが嫌っている為か。同時に彼もまた見下されていると感じても仕方なく。
「褒められない内容もあるが、看守及び囚人の為に尽力した事は賞賛しよう」
「・・・そうか」
トレイドを部下と認識するかのような発言に、当人は眉を顰める。賞賛される為に尽力した訳ではないが、無関心を貫くような態度と値踏みする発現で素直に喜べず。
言葉少なく返答するとアイゼンは起立し、視線を同じにする。気分を悪くしたのかと思った矢先、その頭が下げられた。唐突の行動にトレイドは目を疑った。
「此処、法と秩序の責任者として、私の部下、同僚達を助け、広がりかねなかった事態を事前に防いでくれて感謝する」
その言葉、態度に偽りはない。姿勢は揺るがず、頭の頂点を見つめるだけのトレイドは表情を歪める。今回に限って、いや今回だからこそ私情を挟まず、本心を語ったのだろう。
「・・・それは良い。だが、あの先からまだ魔物が出てくる恐れがある。その対処は済んでいるのか?」
話題を逸らす。とても以前の事を問う、或いは皮肉を言える気分にはなれなかった。相手が真剣に臨んでいるのならそれに応じるのが筋。
問われたアイゼンは面を上げ、確認を取るように視線を交わした後、ゆっくりと着席する。そして、先程渡した書類に対面して羽ペンを取った。その一連の動作に少しだけ不信感は募る。
「それは君が気にする事ではないが・・・まぁ、いい。心配しなくとも指示は既に出している。以降の被害が出ないだろう」
「・・・そうか」
その言葉を信じるしかない。不信感を抱いていると言えど、仕事には真っ当な事は様子から分かる。この案件で嘘を吐く理由もないのだ、少し不安だが信じる事としていた。
会話を為す間にもアイゼンはペンを走らせる。書類の最後の空白に自身の名を記し、その末尾に傍らの判子と朱肉を用いて押印を行う。そして、書き損じが無いかを確認すると机上の隅に置く。
「これで、晴れて釈放だ。今後は、ないように・・・」
それは忠告、いや警告であった。魔族との関わりを断てと言うもの。この先、再び接するようであれば処遇は如何なるか分かっているか、と言う示唆。だが、挑発とも取れた。反抗的な人間にそう告げれば反発して逆の行動をする。そう、魔族との接触をさせるかのようでもあったのだ。実際の処、その意図は分からず。
「・・・なら、これで失礼させて貰う」
不快感と不信感は募るばかり、用事が済んだのなら一刻も早くその場から離れたかった。自身を抑制出来る、出来ないよりも、ただ目の前の人間に信用が出来ない為に。
「もし良ければ・・・」
足早に立ち去ろうとするトレイドを、表情を変えないままに呼び掛ける。それに不機嫌な表情の彼は立ち止まって振り返った。
「私達の同僚となる気はあるか?」
感情の薄い表情で勧誘が為された。その様子、とても前々から考えていたようには見えず、高山地帯での功績を鑑みた結果にも見えない。
思わぬ勧誘を前にトレイドは驚きよりも酷き猜疑心を向ける。最初に会った時、あれほど魔族を嫌悪する態度を取った、人と見做さないような発言も行った。なのに、関わった人間を引き入れようとする。意図を読もうとするうち、取引にも取れる勧誘に一つ推察した。
手元に置いて監視し、余計な事を避けないようにする飼い殺しか。それとも、魔族の情報を吐かせる魂胆なのか。私情で物事を考えるのは悪しき事だがそう考えて止まず、抑えた嫌悪感が再び再燃していく。
「・・・遠慮する」
だが、此処で感情を爆発させる訳にもいかない。それがどのような方向に転ぶか分からない。今は我慢するしかなかった。
「それは、残念だ」
特別な反応を示さず、きっぱりと勧誘を諦めていた。変わらない顔色に平静な表情、冷めて関心を向けない態度、それらから最初から予測出来ていたように映った。断れた処で惜しいとも微塵にも感じていないだろう。或いは別の意味では惜しんでいるのか。
その次の言葉は無く、トレイドも口にする事無く退室する。閉扉音の後、アイゼンは小さく息を吐き捨てる。それに何を篭め、少しだけ示した感情は何を示すのか。ゆっくりと仕事を再開する彼は物憂げに羽ペンを持った。
【2】
漸く自由の身となったトレイド、五角形を模る法と秩序の施設を一瞥した後に歩き出す。不機嫌な表情は少しずつ平常に戻り、向かう先は自身が所属するギルド、人と人を繋ぐ架け橋へ。
斜陽の色が濃くなる。空は既に青ではなく、薄い赤に染められつつある。夕暮れに向かう道、主道を行き交う雑踏の数は減少の兆しを見せる。誰もがそうではないが家路に就き、待つべき家庭へ、自宅へと向かう。
暮れ行く時間でも目的の為、仕事の為に道を行く者は多い。まだまだ、セントガルドを包む活気は静まりそうにない。
そうした者達に紛れてトレイドは歩く。密集した人々、その表情や流す空気に人知れず感無量となって。記憶にこびり付いた高山地帯での生活とはまさに雲泥の差、嬉しくなるのは当然と言えた。
自然と歩く足が速くなり、早くも噴水を構えた中央広場が視認出来る位置でトレイドは立ち止まっていた。雑踏の中、知人と思しき人物を見付けた為に。凝視して確認して間違いなく、直ぐに駆け寄っていった。
「ユウ、フー」
名前を呼ぶと二人もまた立ち止まり、声の主を探して見渡す。駆け寄る気配に気付いて顔を合わせた二人は驚きを示す。今目の前にトレイドが居る事が信じられない様子であった。
「お前、戻ってたのかよ」
「ギルドの方に連絡は無かったと思うけど・・・」
「今日の朝に高山地帯を出て、ついさっき釈放手続きを提出してきた所だ」
「って、事は漸く自由の身、言ー訳か」
二人の表情は明るい。特にフーは笑って迎えてくれた。それがトレイドには嬉しく、小さく笑みを浮かべた。だが、負い目を感じる表情を示す。
「長い間、迷惑を掛けてすまない」
「本当にな。その分、働いて貰うわな。お前が抜けてた分、俺達が割を食ってたんだしよ?」
「それは・・・悪かった」
「ちょっと、フー。驚かさないで。そんなに激的に変わっていないでしょ?」
「冗談ですよ、冗談」
真に受けて頭を下げるトレイド、その姿を見て笑いを零すフーにユウが注意する。
陰険な雰囲気とは全く異なる、笑いが零れる明るき空気がセントガルドの主道に流れる。拒絶の一端すらも感じられないそれにトレイドは喜びを胸に、小さく噛み締めていた。
「んで、お前は如何する積もりだ?この間のように一応、謝罪して回んのか?」
「一通り集めて事情は説明して把握はさせているの。だから、無理に謝りに行かなくても良いと思うわ」
「そう言う訳にはいかない。止むを得ない事情じゃない、俺が、悪いんだからな・・・」
客観的に見ればトレイドは悪くないだろう。人助けを行っただけ、その相手が関わってはならず、関わってしまったが故に罪となった。その理不尽な事実を、理由付けて自分に言い含めて諦めていた。
葛藤を宿す難しき顔、けれど何かに決意を含むその面を見て、フーは満足げに眺め、ユウは物憂げに視線を逸らす。
「それで、そっちはこれから何か用事があるのか?」
「いや、俺はねーんだわ。単なる警邏。ユウさんは大方篭りっきりだから、無理矢理連れて来たんだわ。要するに、気晴らしの散歩にな」
「・・・そうね。戻ったら、フーも手伝ってくれる?次から次へと溜まる一方だから、人手が欲しいと思っていたところだから」
「あー、でも、ちょっと用事があったかなー?」
苦い顔でそっぽを向き、言い逃れの言葉を口篭もりながら告げる。フーが率先して敬遠すると言う事は余程面倒なのだろう、あの書類整理は。或いは、様々な案件に振り回されているのか。
少しの間離れていたトレイドは知らないのだが、今は別の事で難しい表情を浮かべていた。
「如何した?何でそんな顔してんだ?何かしたい事があんのか?」
トレイドの表情に気付いたフーが顔を窺いながら問う。それはユウも同じ。
尋ねられ、少し躊躇する。だが、此処を離れた時から密かに悔やみ続けていた事。出来ず、告げられなかった事が心に残っていたのだ。
「・・・レインの、墓の場所を教えてくれても、良いか?」
そう、墓参り。必ず行かなくてはならない場所。そうしなければ前にすら進めないと思って。
胸の内を明かされ、二人は見合う。暗く辛い面で。すると、フーが頭を掻きながらトレイドに向いた。
「あ~・・・まー、良いぜ。警邏っ言っても、名目だけだしな。実際は手持無沙汰、暇だったんだわ」
名目では仕方ないと言った様子だが大切な事、断る事はしなかった。それはユウも同じ。
「・・・良いわ。行きましょう」
小さな動揺。切なき面でも了承した。まだ、別れを受け止めきれず、悲しみ続けていると察した。
「・・・悪い、二人共」
二人、主にユウの気持ちに感化されるように悲哀を面に宿したトレイドが謝る。それに反応もなく、二人は城下町の外へ歩いていく。
「こっちだ。その前に、寄る所があるんだわ」
フーを先頭に歩く。その足取りは決して早く、軽くなく。ユウに至っては、何時もの凛然とした態度は消えて。
【3】
大きく開け放たれた巨門が閉ざされ、登攀など困難に思わせる巨壁を背にし、全容を掴めない更に巨大に聳え立つ黒壁に向けて三人は歩く。
もう既に時間は夕暮れ時、空を包み込む茜色が哀愁を漂わせ、一日の終わりを告げようとしている。周囲の景色も紅に染まりつつあり、何とも言えない悲しみに居る。
切ない表情で歩む三人、水を満たした木桶と手酌、とある花で作った花束を持って。
「いい、香りだな」
草原に広がる香りを乗せた薫風に吹かれた時、ふわりと漂った花の匂いに感想が零れる。
「・・・これはレインが好きだったの。供花には相応しくない花、だけどね」
濃い桃色の花弁。その色で満たされた花束を見て彼女は切なげに笑いを零した。
「・・・そうか」
例え、亡者を慈しみ、弔う為の謂れがある花が正しくとも、その本人が好んでいた花を添えた方が、それこそその者に対しての思い遣りとなろうか。
小さな相槌は肯定、静かに揺れる花束を眺めながら歩み続ける。遠くに小さな小物の群れを捉えて。
目的地と思しき場所へ近付くにつれ、少しずつ緑は薄れゆき、渇いた茶色い土が剥き出しとなる。草地を踏む音は土を踏み、土を躙るような音となり、悲しげに響く。
首を痛めるほど見上げても捉え切れない巨大な黒き壁、その向こうから波の音が聞こえる。同時に打ち付ける音も耳にする。水場が近く、海辺である事を潮の香りから察しようか。だが、調べるにはあまりにも労力を必要としよう。
事実、その黒壁の向こうは緑、大地すらも途切れ、切り立った崖となる。その向こうには広大に展開される蒼穹と無窮に満たされた蒼海が存在していた。
遠方へ行くに連れて青は淀みない鮮やかさとなり、白く歪な斑紋を描く水面は光を反射し、それよって作り出される煌びやかさは星空にも劣らない。その色鮮やかな海と清々しき蒼の空は同化したかのように広がる。
その美景を望める崖、その下は人の身長では遠く及ばない高さを誇る。その崖下では波が絶え間なく打ち付ける。長い年月を経て、削り取られてしまったのだろう、荒々しき岩壁は僅かに弧を描く。
微かに鼻に届く潮の香、草の香りを感じつつ進むトレイドは不可思議な記憶を思い出していた。何時の事か、ただ緑に広がる地で、誰かと並んで立ち、同じような光景を眺めていた、知らぬ記憶を。
懐かしさも感じる、見慣れた景色を前にトレイドは立ち止まって息を吐く。その少しの静止の間、フーとユウは目的地に到着を果たしていた。
分かり辛いが其処は僅かに岡となっていた。穏やかな曲線を描くその場に多くの類似した物体が並ぶ。一目でもそれの正体を理解し、目を瞑って悲しさを抱こう。それとも、懐かしさが込み上げるか。
それは墓石、沈黙してただ等間隔に並ぶ。そう、其処は墓地であった。緩やかに黄昏に染まりつつある其処に遮蔽物は壁を除けばなく、壁に斜陽は遮られず、全てが平等に色を塗られ、影を作り出す。時間の経過を顕著に現す伸び行く影、そして暗がりに消えていくそれ。
墓石の群れは見るだけで胸が痛む。記憶に触れ、思い出に触れ、落涙が悲愴の頬に伝おうか。そうでなくとも、零れる息は震えて、消えて。
一つの墓石の前に立つ二人、ただただ静かに佇むそれを前にして悲しき顔で眺める。その二人の元へトレイドは近付く、同時に墓石にも。言わずもがな、其処に彼は眠って。
周辺に建ち並ぶ墓石は洋風のそれと相似する。其処に如何言った意味合いがあるのか、トレイドはそれに付いて深く考えようとはせず、二人の目配せに応じるように前に立った。
表面に刻まれた文字を凝視し、その下にレインが眠らされている事を確認する。その現実に向き合った今、その胸に様々な思いが沸き起こっていく。悲しみを第一に後悔、身が引き裂かれるような思いに襲われていた。
それでも自身の責任として、揺るがない現実を受け止めて対面する。ゆっくりと膝を折り、剣を傍らに置いた後に、両手を合わせた。墓参りにおける手順よりもまずすべき事、謝罪を念じた。終始迷惑を掛けた事を謝った後、感謝を述べた。自身が抱いた目標を語り、最後に安らかに眠る事を切に願っていた。
長く対話するように硬く瞼を閉ざし、両手を合わせるトレイド。その姿を二人は静かに見守る。故人を一時たりとも忘れず、専心して向き合う姿勢に胸を打たれるようにして。
その姿に続くようにユウが黙祷を、フーも二人の祈る姿を切なく眺めた後に黙祷を行った。
時間が静かに流れ、周囲は更に暗くなる。黄昏時の哀愁を漂う色合いは過ぎ、夜が迎えようとしていた。
様々な影の境目が薄れゆく中、トレイドは面を上げてレインの墓石と再度向き合う。深く息を吸い、吐き捨てた溜息は静かな空間に酷く響き渡るようであった。
立ち上がり、左右を見る。既に二人は黙祷を終え、何とも言い難い表情で佇んでいた。時間を経てたとしても、辛さ、悲しさは風化などしない様子。それはトレイドも同じ、誰しもだろう。
「・・・もう、良いのか?」
尋ねたのはトレイド。まだ名残惜しい面持ちを前に少し空白を挟んで問い掛けた。同時にそれは自身にも問い掛けるように。
「・・・ああ、俺は充分だ」
「・・・ええ」
少ない口数で答える。無意識なのか、顔を逸らして。
返答に相槌も無く、小さく息を零したトレイドはその場から少し離れ、彼の墓石を洗い、供花を添える。既に添えられて萎びてしまった、同じ花の隣に。
黙々と行った後、負えた三人は今一度墓石と対面した。墓石の表面に静々と伝う水はさも涙のように映る。
向き合って間も無く、小さく震える息が零れ、双眸から涙が溢れ出した。静かに、トレイドは涙していた。抑えていた想いが溢れ出していた。流さまいとしても堪え切れずに。
静かに伝ったそれは音も無く流れ、地面へ落ちていく。ただ一筋、落涙の音は無く、ただ偏に彼に対する後悔の念と彼の冥福だけが篭められて。
この沈黙を崩さないよう、ユウとフーの二人はその場から離れていく。トレイドもまたその場から離れる。その面、悲壮感が刻まれているのだが、心成しか表情に暗さは感じられない。憑き物が落ち、目に力が宿ったかのように。
人は悲しいから、切ないから、苦しいから思いを篭めて涙を流す。立ち上がれないほどの悲嘆に暮れ、流す涙は感情の全てが篭められる。それを振り払う、それでも立ち上がるのは人の意思。故人への思いが尽きずとも、だからこそ歩み出す。裏切らないように、逃げ出さないように。
次第に暮れ始める街並みを眺めながらトレイドは進む。まだ薄い記憶を頼りに向かった末、無事に到着を果たしていた。
五角形を模る、少しだけ艶を見せる黒い石材の建物。法を扱い、罪人を罰する者達が集う場所故なのか、牢獄の様な印象を受ける其処。この世界の規律を守る組織であり、総じて正義と言う印象を抱き、信頼を置いて頼る。
一連の仕打ちを受けたトレイドはその印象は薄れ、不信感を募らせ、疑惑の眼でその建物を見上げる。感情に因ってはその建物は善悪を排除し、気に食わない存在を閉じ込める監獄にしか見えなくなる。
そうした偏見を溜息と共に消し、面倒そうな表情で彼は室内へ踏み入っていく。
室内は多くの人が詰めかけていた。多くは近隣住民であろう、様々な服装の老若男女が職員と会話する。事務をする者は笑顔、或いは真剣な面持ちで聞き受ける。ある者は請われた誰かに付き従って歩む。
仕事風景は至極真面目であり、業績に結び付いた信頼が窺える。実態を知れば偏見も薄れると言うもの、表情を戻したトレイドは丁度手の空いた女性を引き留めた。
「如何しましたか?」
「これを渡せと言われてきたんだ」
単刀直入に、渡された釈放手続きを見せる。受け取った彼女は一文字すらも見逃さないよう確認する。終えると再び顔を合わせ、片手を上げて奥を示した。
「御用件は事前に届いております。アイゼンが奥で居ますので御案内致します」
そう畏まって丁寧な言葉を微笑みながら告げられる。
「・・・頼む」
「此方に」
あまりもの丁寧さに少し面を喰らったトレイドだが落ち着いた表情のまま返答する。会釈した彼女は雑踏の中でも強調するような靴音を鳴らして歩き出す。それに続き、様々な表情が浮かぶ広場を横切っていく。
向かった先は初めて此処に訪れた時に連行された個室。詰まり、此処がアイゼン専用個室と言う事。執務室、と言った処であろう。それを示すように他とは少々異なる豪華な意匠の扉が待ち受けた。
「失礼致します」
ノックを行って女性職員は入室する。僅かな遣り取りが室内から聞こえ、程無く彼女は戻ってくる。
「中へどうぞ」
扉を開いて迎えられたトレイドは少し表情を険しくする。このような客人を持て成す行為には慣れていない為、でもあるが、以前の遣り取りを思い出して、一連の行動に少しの違和感を抱いた為に。
「ありがとう」
礼を忘れずに告げて入室する。それと入れ違いになる様に彼女は部屋から立ち去って行った。
入室し、一番に感じるのは対面する一面張りの窓、差し込む斜陽、茜に染まりつつある光の美しさ。窓を介した光は実に煌びやかで知らずに入れば眩まずには居られないだろう。
茜色に染まりつつある部屋の中、沈黙が保たれた部屋の中で件の男性が椅子に腰掛ける。書斎机に似た事務机に面し、刃ペンを用いて書類を書き記していく。その作業の音が微かに聞こえるだけであった。
丁度区切りが着いたのだろう、ペンを少し持ち上げた後、小さく息を吐いてからペン立てにそれを置いた。そうして、身体を上げて入室者と対面する。
姿勢正しく腰掛け、身体は揺れる事は無い。冷ややかに映る無表情の中、何を考えているのだろうか。思慮が読めないアイゼンと顔を合わせ、トレイドもまた冷静に務める。以前の遣り取りから来る怒りを堪えて。
「来たか・・・まずはその書類を渡して貰おう」
「・・・」
変わらず、何もかもに無関心のような態度で仕事を始める。その彼を感情を抑えた目で眺め、ゆっくりと歩み寄って釈放手続きの書類を渡す。
無言で受け取ったアイゼン、トレイドを一瞥すらもせずに書類に目を通す。分厚い本を熟読するように、一画の読み落としもしないように。終えるまでの時間は熟読する姿を見下ろすしかなく、苦痛でしかなかった。
およそ数分、小さな吐息と共に書類が机上に置かれる。終わったと同時に二人の視線が合う。さも蔑むように映るのはトレイドが嫌っている為か。同時に彼もまた見下されていると感じても仕方なく。
「褒められない内容もあるが、看守及び囚人の為に尽力した事は賞賛しよう」
「・・・そうか」
トレイドを部下と認識するかのような発言に、当人は眉を顰める。賞賛される為に尽力した訳ではないが、無関心を貫くような態度と値踏みする発現で素直に喜べず。
言葉少なく返答するとアイゼンは起立し、視線を同じにする。気分を悪くしたのかと思った矢先、その頭が下げられた。唐突の行動にトレイドは目を疑った。
「此処、法と秩序の責任者として、私の部下、同僚達を助け、広がりかねなかった事態を事前に防いでくれて感謝する」
その言葉、態度に偽りはない。姿勢は揺るがず、頭の頂点を見つめるだけのトレイドは表情を歪める。今回に限って、いや今回だからこそ私情を挟まず、本心を語ったのだろう。
「・・・それは良い。だが、あの先からまだ魔物が出てくる恐れがある。その対処は済んでいるのか?」
話題を逸らす。とても以前の事を問う、或いは皮肉を言える気分にはなれなかった。相手が真剣に臨んでいるのならそれに応じるのが筋。
問われたアイゼンは面を上げ、確認を取るように視線を交わした後、ゆっくりと着席する。そして、先程渡した書類に対面して羽ペンを取った。その一連の動作に少しだけ不信感は募る。
「それは君が気にする事ではないが・・・まぁ、いい。心配しなくとも指示は既に出している。以降の被害が出ないだろう」
「・・・そうか」
その言葉を信じるしかない。不信感を抱いていると言えど、仕事には真っ当な事は様子から分かる。この案件で嘘を吐く理由もないのだ、少し不安だが信じる事としていた。
会話を為す間にもアイゼンはペンを走らせる。書類の最後の空白に自身の名を記し、その末尾に傍らの判子と朱肉を用いて押印を行う。そして、書き損じが無いかを確認すると机上の隅に置く。
「これで、晴れて釈放だ。今後は、ないように・・・」
それは忠告、いや警告であった。魔族との関わりを断てと言うもの。この先、再び接するようであれば処遇は如何なるか分かっているか、と言う示唆。だが、挑発とも取れた。反抗的な人間にそう告げれば反発して逆の行動をする。そう、魔族との接触をさせるかのようでもあったのだ。実際の処、その意図は分からず。
「・・・なら、これで失礼させて貰う」
不快感と不信感は募るばかり、用事が済んだのなら一刻も早くその場から離れたかった。自身を抑制出来る、出来ないよりも、ただ目の前の人間に信用が出来ない為に。
「もし良ければ・・・」
足早に立ち去ろうとするトレイドを、表情を変えないままに呼び掛ける。それに不機嫌な表情の彼は立ち止まって振り返った。
「私達の同僚となる気はあるか?」
感情の薄い表情で勧誘が為された。その様子、とても前々から考えていたようには見えず、高山地帯での功績を鑑みた結果にも見えない。
思わぬ勧誘を前にトレイドは驚きよりも酷き猜疑心を向ける。最初に会った時、あれほど魔族を嫌悪する態度を取った、人と見做さないような発言も行った。なのに、関わった人間を引き入れようとする。意図を読もうとするうち、取引にも取れる勧誘に一つ推察した。
手元に置いて監視し、余計な事を避けないようにする飼い殺しか。それとも、魔族の情報を吐かせる魂胆なのか。私情で物事を考えるのは悪しき事だがそう考えて止まず、抑えた嫌悪感が再び再燃していく。
「・・・遠慮する」
だが、此処で感情を爆発させる訳にもいかない。それがどのような方向に転ぶか分からない。今は我慢するしかなかった。
「それは、残念だ」
特別な反応を示さず、きっぱりと勧誘を諦めていた。変わらない顔色に平静な表情、冷めて関心を向けない態度、それらから最初から予測出来ていたように映った。断れた処で惜しいとも微塵にも感じていないだろう。或いは別の意味では惜しんでいるのか。
その次の言葉は無く、トレイドも口にする事無く退室する。閉扉音の後、アイゼンは小さく息を吐き捨てる。それに何を篭め、少しだけ示した感情は何を示すのか。ゆっくりと仕事を再開する彼は物憂げに羽ペンを持った。
【2】
漸く自由の身となったトレイド、五角形を模る法と秩序の施設を一瞥した後に歩き出す。不機嫌な表情は少しずつ平常に戻り、向かう先は自身が所属するギルド、人と人を繋ぐ架け橋へ。
斜陽の色が濃くなる。空は既に青ではなく、薄い赤に染められつつある。夕暮れに向かう道、主道を行き交う雑踏の数は減少の兆しを見せる。誰もがそうではないが家路に就き、待つべき家庭へ、自宅へと向かう。
暮れ行く時間でも目的の為、仕事の為に道を行く者は多い。まだまだ、セントガルドを包む活気は静まりそうにない。
そうした者達に紛れてトレイドは歩く。密集した人々、その表情や流す空気に人知れず感無量となって。記憶にこびり付いた高山地帯での生活とはまさに雲泥の差、嬉しくなるのは当然と言えた。
自然と歩く足が速くなり、早くも噴水を構えた中央広場が視認出来る位置でトレイドは立ち止まっていた。雑踏の中、知人と思しき人物を見付けた為に。凝視して確認して間違いなく、直ぐに駆け寄っていった。
「ユウ、フー」
名前を呼ぶと二人もまた立ち止まり、声の主を探して見渡す。駆け寄る気配に気付いて顔を合わせた二人は驚きを示す。今目の前にトレイドが居る事が信じられない様子であった。
「お前、戻ってたのかよ」
「ギルドの方に連絡は無かったと思うけど・・・」
「今日の朝に高山地帯を出て、ついさっき釈放手続きを提出してきた所だ」
「って、事は漸く自由の身、言ー訳か」
二人の表情は明るい。特にフーは笑って迎えてくれた。それがトレイドには嬉しく、小さく笑みを浮かべた。だが、負い目を感じる表情を示す。
「長い間、迷惑を掛けてすまない」
「本当にな。その分、働いて貰うわな。お前が抜けてた分、俺達が割を食ってたんだしよ?」
「それは・・・悪かった」
「ちょっと、フー。驚かさないで。そんなに激的に変わっていないでしょ?」
「冗談ですよ、冗談」
真に受けて頭を下げるトレイド、その姿を見て笑いを零すフーにユウが注意する。
陰険な雰囲気とは全く異なる、笑いが零れる明るき空気がセントガルドの主道に流れる。拒絶の一端すらも感じられないそれにトレイドは喜びを胸に、小さく噛み締めていた。
「んで、お前は如何する積もりだ?この間のように一応、謝罪して回んのか?」
「一通り集めて事情は説明して把握はさせているの。だから、無理に謝りに行かなくても良いと思うわ」
「そう言う訳にはいかない。止むを得ない事情じゃない、俺が、悪いんだからな・・・」
客観的に見ればトレイドは悪くないだろう。人助けを行っただけ、その相手が関わってはならず、関わってしまったが故に罪となった。その理不尽な事実を、理由付けて自分に言い含めて諦めていた。
葛藤を宿す難しき顔、けれど何かに決意を含むその面を見て、フーは満足げに眺め、ユウは物憂げに視線を逸らす。
「それで、そっちはこれから何か用事があるのか?」
「いや、俺はねーんだわ。単なる警邏。ユウさんは大方篭りっきりだから、無理矢理連れて来たんだわ。要するに、気晴らしの散歩にな」
「・・・そうね。戻ったら、フーも手伝ってくれる?次から次へと溜まる一方だから、人手が欲しいと思っていたところだから」
「あー、でも、ちょっと用事があったかなー?」
苦い顔でそっぽを向き、言い逃れの言葉を口篭もりながら告げる。フーが率先して敬遠すると言う事は余程面倒なのだろう、あの書類整理は。或いは、様々な案件に振り回されているのか。
少しの間離れていたトレイドは知らないのだが、今は別の事で難しい表情を浮かべていた。
「如何した?何でそんな顔してんだ?何かしたい事があんのか?」
トレイドの表情に気付いたフーが顔を窺いながら問う。それはユウも同じ。
尋ねられ、少し躊躇する。だが、此処を離れた時から密かに悔やみ続けていた事。出来ず、告げられなかった事が心に残っていたのだ。
「・・・レインの、墓の場所を教えてくれても、良いか?」
そう、墓参り。必ず行かなくてはならない場所。そうしなければ前にすら進めないと思って。
胸の内を明かされ、二人は見合う。暗く辛い面で。すると、フーが頭を掻きながらトレイドに向いた。
「あ~・・・まー、良いぜ。警邏っ言っても、名目だけだしな。実際は手持無沙汰、暇だったんだわ」
名目では仕方ないと言った様子だが大切な事、断る事はしなかった。それはユウも同じ。
「・・・良いわ。行きましょう」
小さな動揺。切なき面でも了承した。まだ、別れを受け止めきれず、悲しみ続けていると察した。
「・・・悪い、二人共」
二人、主にユウの気持ちに感化されるように悲哀を面に宿したトレイドが謝る。それに反応もなく、二人は城下町の外へ歩いていく。
「こっちだ。その前に、寄る所があるんだわ」
フーを先頭に歩く。その足取りは決して早く、軽くなく。ユウに至っては、何時もの凛然とした態度は消えて。
【3】
大きく開け放たれた巨門が閉ざされ、登攀など困難に思わせる巨壁を背にし、全容を掴めない更に巨大に聳え立つ黒壁に向けて三人は歩く。
もう既に時間は夕暮れ時、空を包み込む茜色が哀愁を漂わせ、一日の終わりを告げようとしている。周囲の景色も紅に染まりつつあり、何とも言えない悲しみに居る。
切ない表情で歩む三人、水を満たした木桶と手酌、とある花で作った花束を持って。
「いい、香りだな」
草原に広がる香りを乗せた薫風に吹かれた時、ふわりと漂った花の匂いに感想が零れる。
「・・・これはレインが好きだったの。供花には相応しくない花、だけどね」
濃い桃色の花弁。その色で満たされた花束を見て彼女は切なげに笑いを零した。
「・・・そうか」
例え、亡者を慈しみ、弔う為の謂れがある花が正しくとも、その本人が好んでいた花を添えた方が、それこそその者に対しての思い遣りとなろうか。
小さな相槌は肯定、静かに揺れる花束を眺めながら歩み続ける。遠くに小さな小物の群れを捉えて。
目的地と思しき場所へ近付くにつれ、少しずつ緑は薄れゆき、渇いた茶色い土が剥き出しとなる。草地を踏む音は土を踏み、土を躙るような音となり、悲しげに響く。
首を痛めるほど見上げても捉え切れない巨大な黒き壁、その向こうから波の音が聞こえる。同時に打ち付ける音も耳にする。水場が近く、海辺である事を潮の香りから察しようか。だが、調べるにはあまりにも労力を必要としよう。
事実、その黒壁の向こうは緑、大地すらも途切れ、切り立った崖となる。その向こうには広大に展開される蒼穹と無窮に満たされた蒼海が存在していた。
遠方へ行くに連れて青は淀みない鮮やかさとなり、白く歪な斑紋を描く水面は光を反射し、それよって作り出される煌びやかさは星空にも劣らない。その色鮮やかな海と清々しき蒼の空は同化したかのように広がる。
その美景を望める崖、その下は人の身長では遠く及ばない高さを誇る。その崖下では波が絶え間なく打ち付ける。長い年月を経て、削り取られてしまったのだろう、荒々しき岩壁は僅かに弧を描く。
微かに鼻に届く潮の香、草の香りを感じつつ進むトレイドは不可思議な記憶を思い出していた。何時の事か、ただ緑に広がる地で、誰かと並んで立ち、同じような光景を眺めていた、知らぬ記憶を。
懐かしさも感じる、見慣れた景色を前にトレイドは立ち止まって息を吐く。その少しの静止の間、フーとユウは目的地に到着を果たしていた。
分かり辛いが其処は僅かに岡となっていた。穏やかな曲線を描くその場に多くの類似した物体が並ぶ。一目でもそれの正体を理解し、目を瞑って悲しさを抱こう。それとも、懐かしさが込み上げるか。
それは墓石、沈黙してただ等間隔に並ぶ。そう、其処は墓地であった。緩やかに黄昏に染まりつつある其処に遮蔽物は壁を除けばなく、壁に斜陽は遮られず、全てが平等に色を塗られ、影を作り出す。時間の経過を顕著に現す伸び行く影、そして暗がりに消えていくそれ。
墓石の群れは見るだけで胸が痛む。記憶に触れ、思い出に触れ、落涙が悲愴の頬に伝おうか。そうでなくとも、零れる息は震えて、消えて。
一つの墓石の前に立つ二人、ただただ静かに佇むそれを前にして悲しき顔で眺める。その二人の元へトレイドは近付く、同時に墓石にも。言わずもがな、其処に彼は眠って。
周辺に建ち並ぶ墓石は洋風のそれと相似する。其処に如何言った意味合いがあるのか、トレイドはそれに付いて深く考えようとはせず、二人の目配せに応じるように前に立った。
表面に刻まれた文字を凝視し、その下にレインが眠らされている事を確認する。その現実に向き合った今、その胸に様々な思いが沸き起こっていく。悲しみを第一に後悔、身が引き裂かれるような思いに襲われていた。
それでも自身の責任として、揺るがない現実を受け止めて対面する。ゆっくりと膝を折り、剣を傍らに置いた後に、両手を合わせた。墓参りにおける手順よりもまずすべき事、謝罪を念じた。終始迷惑を掛けた事を謝った後、感謝を述べた。自身が抱いた目標を語り、最後に安らかに眠る事を切に願っていた。
長く対話するように硬く瞼を閉ざし、両手を合わせるトレイド。その姿を二人は静かに見守る。故人を一時たりとも忘れず、専心して向き合う姿勢に胸を打たれるようにして。
その姿に続くようにユウが黙祷を、フーも二人の祈る姿を切なく眺めた後に黙祷を行った。
時間が静かに流れ、周囲は更に暗くなる。黄昏時の哀愁を漂う色合いは過ぎ、夜が迎えようとしていた。
様々な影の境目が薄れゆく中、トレイドは面を上げてレインの墓石と再度向き合う。深く息を吸い、吐き捨てた溜息は静かな空間に酷く響き渡るようであった。
立ち上がり、左右を見る。既に二人は黙祷を終え、何とも言い難い表情で佇んでいた。時間を経てたとしても、辛さ、悲しさは風化などしない様子。それはトレイドも同じ、誰しもだろう。
「・・・もう、良いのか?」
尋ねたのはトレイド。まだ名残惜しい面持ちを前に少し空白を挟んで問い掛けた。同時にそれは自身にも問い掛けるように。
「・・・ああ、俺は充分だ」
「・・・ええ」
少ない口数で答える。無意識なのか、顔を逸らして。
返答に相槌も無く、小さく息を零したトレイドはその場から少し離れ、彼の墓石を洗い、供花を添える。既に添えられて萎びてしまった、同じ花の隣に。
黙々と行った後、負えた三人は今一度墓石と対面した。墓石の表面に静々と伝う水はさも涙のように映る。
向き合って間も無く、小さく震える息が零れ、双眸から涙が溢れ出した。静かに、トレイドは涙していた。抑えていた想いが溢れ出していた。流さまいとしても堪え切れずに。
静かに伝ったそれは音も無く流れ、地面へ落ちていく。ただ一筋、落涙の音は無く、ただ偏に彼に対する後悔の念と彼の冥福だけが篭められて。
この沈黙を崩さないよう、ユウとフーの二人はその場から離れていく。トレイドもまたその場から離れる。その面、悲壮感が刻まれているのだが、心成しか表情に暗さは感じられない。憑き物が落ち、目に力が宿ったかのように。
人は悲しいから、切ないから、苦しいから思いを篭めて涙を流す。立ち上がれないほどの悲嘆に暮れ、流す涙は感情の全てが篭められる。それを振り払う、それでも立ち上がるのは人の意思。故人への思いが尽きずとも、だからこそ歩み出す。裏切らないように、逃げ出さないように。
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