此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

愁傷に涙し、不仁に猛る 後編

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【6】

 カッシュの事を聞き、一目散に疾駆したトレイドを追い掛けたクルーエ。一抹の不安で衝動的に動いた彼女だが歴然とした身体能力の差で追い付けず、瞬く間に見失ってしまう。
 激しく息を切らし、生えた一本の木に身体を預けて悔やむ。膨れ上がり続ける心配に気持ちは逸る。しかし、見失ってしまえば如何する事も出来なかった。
「うおっ!?」
 彼女の耳が性急な足取りを、躓いた音と聞き慣れた声を捉える。その方向を確認すると、不意に転倒しそうになったガリードの姿を捉えた。
「・・・ったくよぉ・・・はぁ、わりぃな、クルーエさん。あいつが勝手しやがってよ」
 追い付けなくて悔やむ彼女に向けてガリードはわざと陽気な笑みを、軽々しい口調で語り掛ける。それが少しばかり気持ちを和らげた。
 追おうと思えば追えたであろう、息を切らしても随分な余裕を感じる。それでも諦めたのは、仲間に告げたように、一人の女性を置き去りにする事など出来なかった為。例え、追うように命令されていたとしても、彼女達の安全を優先したであろう。
「トレイドさん、とても、速くて・・・とても、追い付けません・・・」
 息を必死に整える彼女。最中に操魔術ヴァーテアスを使用して全力で駆けても追い付けなかったと悔やみ続ける。それは胸に抱き続ける懸念、言い様のない不安がそうさせるのか。
 そんな憂う彼女の事も相まってガリードは守る事を決める。その彼も一番に気掛かりとするのはトレイド。今も暴走していると見て間違いなく、自身を危険に曝す恐れがある。大勢の狂える傀儡シャルス=ロゼアが出現して混乱の只中、このままでは彼もまた命を喪う危機も考えられた。
 逡巡すれど友を信じてクルーエの傍へ近寄っていく。止められなかったと、虚しく感じて落胆する彼女を見て、困った表情を浮かべる。その心中、全てを察する事は出来なくとも、心配する思いは同じと言わんばかりに溜息を零す。
「本当に、よぉ・・・散々忠告したってのに、こんな可愛い人が呼び止めても簡単に置き去りにしちまうんだからなぁ~」
「・・・え?」
 思わぬ攻撃を受けて拍子抜けた声が漏れる。耳を疑い、見る見るうちに表情が赤くなる。
「こんだけ心配するほどに好きだってのによ、こういうのは本当に疎いって言うのか?ああ、鈍感って奴か!まぁ、仕方ねぇよ、あいつの家庭環境を知ってりゃあ、さ」
 決して気が無い訳ではない、状況故だと、彼も知らない事が多いと擁護し、同時に応援する言葉を告げる。浮付くだけの会話は今するものではない。けれど、沈み続けるクルーエの気分を上げる為でもある。
 だが、充分であった。寧ろ、十分過ぎてすっかり気持ちが別方向へ急上昇してしまう。
 あまりもの突拍子な話、嫌らしい笑みとあからさまな茶化し。今しかないと畳み掛けられた画策に、彼女の面は真っ赤に茹だっていく。
「えっ!?あ、あの、そ、その・・・え、っと・・・っ!」
 関係を悪戯に掻き乱すような言動にクルーエは激しく反応、動転する。まともに返事が出来なくなるほどに動揺、今の状況を忘れてしまう程に困惑する。赤面は更に熱を帯び、湯気が出てしまう程の恥じらいに包まれる。知られた、気付かれていた恥ずかしさに思わず顔を両手で隠して蹲ってしまう。自身の疲れも忘れ去って、困惑の声を漏らす。
 その様にガリードも少し呆気に取られる。これほどの反応を、顕著過ぎる感情は想定外であったのだ。けれど、直ぐにも気を取り直して怪しい笑みを浮かべる。この機を逃さまいと、常々抱いていたもどかしさを解消すべく、悪戯心を隠しながら誘導の言葉を切った。
「この際聞いちまうけどさ、如何してあいつ、トレイドを好きになったんだ?」
「えっ!?な、なな、何でっ!?し、知っているの、ですかっ!?えっ!?私、あの・・・っ!」
 単刀直入な質問を前に凄まじい動揺を示す。顔から火が出るとはこの事であろう、隠しても赤面の色が分かるほど。言葉を詰まらせ、言葉に困る姿にしてやったりと笑みが示される。客観的に見れば避難される絵面であろうか。
「見てたら分かるって。多分、気付いている奴は居ると思うぜ?大丈夫、あいつには言ってないし、思い切って教えてくれよ」
 平然と嘘を言い放って聞き出そうとする。尋問を受け、火照ってしまう程の激しい羞恥に囚われるクルーエ。心配を薄れさせる誘導、その勢いに負けてしまったのか、簡単に信じてしまい、言い淀みながら言葉にした。
「あ、あの・・・その、私を助けて、頂いて・・・何度も、身を、挺して、くれて・・・そ、それで、その・・・」
 紅潮した面を隠しながら俯き、緊張で震わせながらボソボソと答える。恥じらいながらの告白にガリードは満面の笑みを浮かべた。それは勝利を確信した悪党の笑みであった。
「成程ねぇ・・・白馬の王子様、って奴だな?」
「~っ!」
 言葉にならないほどの恥ずかしさに彼女は更に姿を隠してしまう。否定も肯定も出来ないまま口をもごもごとする。
 その様を面白がっていたガリードは途端に冷静な、落ち着いた面持ちとなる。揶揄うのはここまでとし、親友の為に人肌脱ぐと言った真剣具合であった。
「・・・まぁ、そうだな。あいつはぶっきら棒でも誰かの為になれる奴だから。早めに捕まえないと誰かに取られちまうかもな」
「えっ?それって、如何言う事ですか?」
 突然の不穏な発言に急に冷静を取り戻すクルーエ。不安を顔に宿して聞き返す。
「あいつってさ、今まで恋愛どころか初恋すらした事がないって言うんだよ。笑えるだろ?でもさ、それが嘘でもなさそうなんだ。真顔で、言っちまったからな」
「そう、なんですか?」
「それでな?クルーエさんの事を聞いてみたんだよ。そしたら、恋愛対象・・・とは言い難いけどさ?少なくとも気にはなっているようだったな。朴念仁?って言うんだよな、ああ言うのは。だから、希望はあると思うぜ?」
 平然と前言撤回の台詞を言って退けたのだが彼女は気付いていなかった。それよりも優先する事があった為に。
「え、でも、そんな・・・っ!」
「だからさ、早めにしなきゃ駄目だと思うぜ?多分だけど、ああ言う奴は一度誰かに惚れると一生涯尽くす奴だと思うしさ。だから、誰かが、恋敵ってのが出る前に頂いちまえって!逃がさないようにってな!?」
「え、ええっ!?でも・・・そん、な・・・」
 想い人の友人に強烈に推され、驚き返り、そして恥ずかしさに追い付かれて返答が出来ない状態と成り上がってしまう。誰が見ても分かる反応を前に、ガリードは満足げな笑みを浮かべる。
「・・・まぁ、あいつは良い奴だよ。どんな時でも、誰に対しても態度を変えずに接してくれる。人を選ばず、心を変えない。そして、人を決して裏切らねぇ。一生懸命、守ってくれて、手を引いてくれる奴だよ。あいつは本当に良い奴だ、お世辞でも何でもねぇ、本当に思っている。信頼に値する、保障するよ」
 精悍な顔立ちが良く似合う凛々しき表情、真摯な台詞で告げる。親友として接し、今迄の彼を見てきたからこその言葉。重みも感じるそれにクルーエは自然と照れを抑え、真剣な表情を合わせていた。
「・・・ガリードさん」
「だからさ・・・」
「何を話しているのかは聞かないが、そろそろ仕事に戻るぞ」
 彼女の意思、トレイドに対する想いを聞き出そうとした丁度の場面で邪魔が入る。声の方向を確認すると、戦闘の後を転々と身体に付けた仲間達が立っていた。その先頭に立つ者が面倒そうな表情を浮かべる。彼のみならず、他の者も微妙な面を浮かべている為、どのようなタイミングで居たのかは想像出来た。
「・・・終わったんスか?」
 水を差されたと不服そうに、けれど仕方ないと言った様子でガリードが尋ねる。その隣、聞かれたと激しく動揺するクルーエの姿があった。
「ああ、トレイドのお陰でな。他も同じような状況かも知れん。かなり拙い状況かもな、急ぐぞ」
 考える以上の状況かもと指摘され、二人はハッとしていた。遊んでいる場合ではないと浮付いた気持ちを引き締める。
「では・・・ッ!!」
 指示し、駆け出そうとした矢先、突然の圧迫感に言葉が出なくなる。一瞬で死を覚悟するほどの気配、餓えなど殺気ではない、心底から怖気立つそれは本能的な作用であった。
 終始感じ続けていた奇妙な気配と空気、それを圧縮したかのようなそれに皆は身体を緊張させ、言葉を失う。誰もが顔色を青くし、だが鬼気を帯びる形相となる。反射的に武器を握り込み、死を想起させる気配に立ち向かう為に振り返った。嫌な想像を振り切る様に。
 全身に冷や汗が僅かに伝わせ、乾く喉奥に唾を飲み込みながら睨む先、茂る緑が目に入らない強烈な存在感を放つ存在が一人立っていた。
 男、奇妙に洗練された若さを、しかし、老練された雰囲気を醸す。脅威である事を肌で感じさせながらも、謎の色香とも言えるのか、引き寄せるような魅力も纏う。
 それらを掻き消すほどの、どす黒く、揺らめく黒煙を身体から漂わせる。実体を持っているかのように蠢くそれは生命でないと言うのに、無数の複眼で観察されているかのような錯覚を抱く。
 未だ嘗て味わった事の無い感覚に恐慌状態に陥る。戦慄、死する直前の如き感覚すらも覚えてしまう存在を前に、全身は凍り付く。寒気か身震いが身体の芯から発する。逃げなければ死ぬ、そう悟ってしまう恐怖が、彼等の前に前触れもなく立っていた。
「ッ・・・クルーエさん、離れてろ・・・!」
 今の状況で刺激を与えたくなかったのだが、気遣う余裕が無かった。そして、彼女はあまりもの気配、禍々しい気配に圧され、足が竦んで動けなくなっていた。その様子に気付き、悟らせないようににじり寄って庇う。
「ふむ、気紛れを起こしてみるものだな。思わぬ収穫とはこの事か」
 放った言葉に誰もが身体を硬直させ、だが全身全霊を以て身構えた。伝う汗の量は増す。
「そこな」
「・・・俺か?生憎と、俺はお前の事を知らねぇけどな・・・!」
 現れた存在がガリードを見る。当然、彼は覚えが無いと挑発的な態度を取る。それですらも疲労するほどに。
「あの雨の降る地、雑多な村であったか、戯れに差し向けてみたが、思わぬ展開となったからな、少しは覚えもする。なればこそ、楽しませてくれ」
「なん、だと・・・!」
 見下し、下等と蔑む発言を前に、ガリードは憤怒に包まれた。其処に恐怖に怯える姿はなく、誰であっても叩き潰す気迫を放つ男が一人。だが、直情的に飛び出さなかったのは後ろにクルーエが、傍に仲間が居る為。その代わりか、目だけ息の根を止めてしまいかねない殺気と戦意を放っていた。
「その目、その殺気、稀に見ないな。どれ、一つ」
 そう告げて、羽虫を払うが如く腕を振るった。瞬間、全身に駆け抜けた悪寒、更に濃厚となった死の予感を感知したガリードは動き出していた。
 何もかもの感情を停止させ、皆の前へ全力で踏み出し、火花を散らして剣を引き抜いた。全身全霊、己の全てを賭けるようにそれを地面に突き立てる。外聞など関係ない、必死な形相で大剣を押し支えて踏み止まった。
 瞬時に彼が察したのは操魔術ヴァーテアス。それと同等か、似て非なるものか分析する余裕などない。事前情報があったとは言えど、それに行き着くのは危機察知能力の高さなのか。気付けば、皆を守ろうと焦燥感に塗れて行っていた。
 その彼を、彼等の必死な抵抗など嘲笑うかのように、力が飲み込んだ。皆の視界は瞬くに埋め尽くすそれは慈悲の観念など無かった。
 急激な収縮もなく、唐突に膨張、炸裂したそれはその場一帯を変貌させた。地面を揺らすどころではない、球状に抉り取る衝撃波は緑を一切に消し飛ばした。破片など残さない、余さず微塵と化し、爆風で散らした。当然、それは優しき風を蹂躙し、彼方の木々まで激しく撓らせ、多量の枝葉を無残に歪めて散らした。
 爆心地から彼方に掛けて轟音、振動は行き渡った。凄まじいそれは森林地帯に生息する全てを震撼させ、絶望させたに違いない。直ぐにも治まったとしても、延々と身体を揺らす錯覚を抱かせたであろう。
「・・・さて」
 悪戯に力を振るい、静かに観察する男。無残な姿と化した緑に囲まれながらも、眼前には草一本も宿らない荒地が広がる。無惨に抉り取られた大地、開けてしまった空間は爆発による硝煙に似た煙と土煙が立ち込める。
 幾多の物質を焦がした異臭も含めて少しずつ鮮明とされていく。その間を晒されていく光景を、不意に出現したその存在は静かなる表情で観察していた。
 爆風が消え、緩やかに巡って来た風が徐々に掻き消す。それによって晒される内部、示されたのは異物であった。
 人の身に余る太き物体。鉄の塊としか見えないそれ、確かに刃が備わり、その重さと所持者の力量で両断する獲物。紛れもなく、ガリードが所持する大剣であった。

【7】

 煙が晴れ、残酷な姿とされた森林地帯の一角が晒される。何もかもを吹き飛ばす酷薄な力の後、一人が立っていた。愛用する大剣を構えて。
「ほう、あれを耐えるとはな」
 少々意外であり、期待に応えてくれたと賞賛を示す男。その目が更なる光景を捉えていた。
 煙と血に塗れた彼の後方、同行していた仲間達が累々と横たわる。多くが対応が遅れ、それすらも関係ない力を前に誰もが地面に伏す。誰もが痛々しい姿に、衝撃と熱による負傷を負う。直ぐに治さなければ危険な状態であった。
 爆心の中心付近であったにも仲間達が形を保ち、ガリードが耐え切ってみせたのには理由があった。彼等の耐久力が、ガリードの捨て身の防御がそれを為した訳ではない。無論、全員は重傷を負い、死者も見られる。それでもそれでも生きている者が多かった。それだけには終わらず、彼等付近の地面に微妙な相違点があった。
 何かしらの壁でもあったとでも言うのか、境界線の様に曲線を描いて地面が隆起する。いや、本来の地面がある程度保たれていたのだ。僅かばかりの緑や衝撃で圧し折れた樹木も数本。何もかもを消し飛ばす爆発が彼等を仕留めきれなかったのにはクルーエの存在があった。
 恐怖に囚われ、竦んでいた彼女だが肌で感じ取った脅威と仲間を助けたい一心で瞬時に念じた。僅かな時間であったにも関わらず、嘗てないほどの速度で操魔術ヴァーテアスを展開、防壁を張った。空気の膜、全員を包み込むそれは砲弾を容易く弾く硬度、厚みに圧縮した事だろう。向こう側の景色を歪ませる密度のそれ、爆発を一身に受け止め、しかし容易く砕かれていた。
 けれども、それが緩衝となって直撃を回避、全員を助ける一因となった。その奇跡とも称される行いをした彼女、強烈な衝撃を前に敢え無く気絶、仲間達と共にガリードの背後で転がるしかなかった。
 そして、皆を守らんとしたガリードも酷き姿であった。まさに驚天動地させる爆発を耐えてみせた彼だが、纏っていた防具、衣服は見る影もなく無惨に破損し、代わりと言うように大量の裂傷と流血を纏う。それで立っているのも不思議なぐらいであり、強烈な衝撃と熱による火傷で激痛に苛まれながらも意識は朦朧とする。尚も立ち塞がるのは、仲間を、クルーエを守ろうとしての事。それを象徴する抉りながらも後方へ滑った足跡。其処にも赤が濃く滲む。
 凄まじい負傷だけでは生存した代償が不釣り合いとでも言うのか、防御に使用した厚く広い刀身に亀裂が僅かに生じていた。今迄の乱雑な扱いで蓄積した疲労なのか分からずとも、先の爆発が後押しとなって死期を映す結果となる。だが、その事を、今の彼が気付ける余裕は無かった。
 血を吐き、揺らめく瞳を定めようとしながら、倒れそうになるのを何とか踏み止まって振り返る。蒙昧としていた意識が急激に定まっていった。
 仲間が、クルーエが酷き姿で横たわる。流血で赤く滲む視界では生死など判別出来ない。呻きが聞こえる為、誰かしらは生きている事は確か。しかし、爆音で音を認識出来ない耳では聞こえなかった。
 意識は強引に覚醒に至り、感情は、全身の毛が逆立つほどに、そう怒髪天を衝く勢いで高まった。
 憤怒は様々な痛みを、苦しみを意識の彼方へと、全てを後回しにした。鬼の如き形相、流血が溢れ出す殺気を思わせ、その血を沸騰させかねないほどに身に熱が巡る。
 傷だらけの身、傷だらけの武器を大きく翻して大きく踏み出す。一歩一歩に渾身以上の力が篭る。
「ふざけた事、しやがって・・・ッ!」
 激昂する彼、身体中に白煙を纏い、痛みを引き摺りながらも接近していく。一瞬でその場一帯を消し炭にする、桁違いの猛威を示されたとしても関係なかった。仲間を、友人を想う者を傷付けられた事で、思考は仇を討つ、怨敵を討つ意識しかなくなった。
「斯様な様でありながらも、まだ立ち向かって来るか。良いぞ、もっと余興を続けるといい」
「ブチ殺してやるッ!!」
 余裕綽々、素晴らしい余興と薄ら笑いを浮かべる男に対し、怒号を轟かせた。煮え滾る激情のままに、喉が痛むほどの大声で殺意を叫んだ。
 空を揺らし、葉を揺るがしかねないそれに酷薄な薄ら笑みを浮かばせる。楽し気に、試すように再び腕を振った。
「ガァァァアアアアッ!!」
 獣の如き咆哮を響かせて鉄の塊を振り上げる。激昂に任せて地に塗れた足跡を刻み込む。その初手を潰すかのように、巨大な砲弾が襲い掛かった。
 男が行った仕草の直後、更地とし、窪ませた地面の一点が歪み、隆起して突出した。溶かした鉄を成形するが如く、急速に岩の塊が形成される。菱形、殺意の塊としか言い得ない鈍く尖る先端と巨大さ。それが彼を押し潰さんと射出された。
 それを前にガリードは回避せず、正面から迎え撃った。後方に護るべき仲間の為、力の限りに大剣を振り下ろした。
 強烈な音、強烈な火花を散らす衝撃が接触時に生じた。砲弾の威力、創痍の身にはあまりにも過酷であろう。しかし、彼は鬼気を満ちた形相を緩めずに受け止めて見せる。足跡を溝にしても踏み留まってみせ、そして騒音を響かせて地面に叩き付けていた。
 凄まじき膂力、仲間を護る精神が偉業を為して見せた。その彼は再び剣を振り上げ、巨岩を前に再度振り下ろす。それは砕く為ではない、直感、更なる危機を感じ、それを砕く為に。
 眼前を塞いでいた巨岩は突如砕けた。無数の岩石に成り果てる。それを為したのは男であり、直接ではない。生じ、切り刻んだのは見えざる刃、幾多の透明の刃を混ぜたが如き突風であった。蹂躙する為のそれを再度ガリードは迎え撃ったのだ。
 真っ向から縦に、再度全力で叩き伏せる。塊が織り成す風圧、それが突風の進行を乱し、激減させる。だが、消し切れず、身を、下方に逸らした事で主に足に余波が駆け抜けた。それは衣服を激しく煽った。
「・・・ぐっ!」
 幾多に傷口が開く。噴き出す流血が更なる赤を塗る。思わず膝を折りそうになるも堪え、尚も立ち向かう為に踏み出す。 
「クソ、が・・・ッ!」
 行く手を、彼の意思を阻むかのように視界を埋める赤が接近する。揺らめくそれは火球、拳大のそれが斜に降り注いでいく。それは後方に立つ仲間にも及ぶものであった。
 悪態を滲ませながら大剣を振るった。乱舞には程遠い、鍛錬にあかせた強引な連撃。宛ら小さな嵐を思わせる連撃を以て弄ぶ為の火球の群れを落とす。一心不乱に叩き落とす。熱、散った火に身を焼かれても手を緩めずに無力化していく。忙しなく動かす目で次々と補足し、叩く。その眼が、空間の一点に色付く様を捉えた。
 彼を飲み込む火炎が炸裂した。衝撃を伴うそれは爆発であり、小規模ながらも人を殺傷せしめるには十分のもの。その音、衝撃は十分に空気を揺るがし、地を揺らしに容易く。
 景色を遮る異物は間も無く消え、晒されるのはその場に踏み止まって防御の構えを取ったガリードの姿。強襲した膨大な衝撃を踏み止まり、何とか耐え切り、受け止め切った彼。背後の仲間に及ぶ被害は少なく。けれど、代償は更に払う事となる。当然、命を削る負傷を重ね、愛用していた大剣に大きな亀裂が行き渡った。今に砕けても不思議ではないそれが深く。
「何度も、何度も・・・この、クソ野郎がァァァァッ!!」
 仲間諸共巻き込む規模の力を何度も行使した。それを辛くも防ぎ、把握する彼は我を忘れるほどの激情を昂らせた。
 我を忘れるほどの感情のままに大剣を振るって構える。その動作は、刀身が為す風のうねりは音となり、刀身に纏って音叉の様に音を持続させる。その動きでさえも周囲に血を散らし、痛みが発しただろうに。
 その胸は守り切ると言った心でなく、喪いたくない恐れが根強く縛り付けていた。救えた筈の人を、自分の無力さ故に護れない。それを二度と目の当たりにはしたくなかった。その時の為に今まで鍛えていたのだ。全身全霊、魂を賭けてでも守り抜く。例え、自身の手足が失おうとも、半身なろうとも。例え、死ぬ事になろうとも。その熾烈なる覚悟が方向と構えの力が強さが語っていた。
「うぐっ!?」
 思いを滾らせたのも束の間、思いもよらない攻撃を受けて怯む。前ではなく、後方から幾多の衝撃と痛みを感じたのだ。その元凶は破片であった。
 彼に突き刺さった破片、それは寸前まで静々と、けれど確かに生きていた樹の残骸であった。およそ人の殺傷能力の少ないそれ、しかし群れを成して襲えば命に届きかねない。多くは防具に阻まれる筈が、最初の爆発で破損が大きく、幾多に肌に突き刺さり、抉られてしまった。
 密かに行ったであろうそれを受け、怯めども歩みと戦意に揺るぎはない。痛みを引き摺って距離を詰めんとする。その不屈の闘志を前に、男の手が翳される。その手の平から何かが射出された。
 目視した彼は直前で防ぐ。剣を盾にし、接触地点に幾多の水飛沫が散らされた。射出されたのは短剣を模した水であり、鋭い衝撃が彼の身に腕を通して伝わる。
「っぐぅ・・・!!」
 両太腿に走った激痛と共に両足ががくりと曲がる。力が途端に抜け落ちたかのような動作でも膝は折らず、踏み止まってみせる。その足、痛みが発した太腿に大きな切創が刻み込まれていた。
 断たれたズボン、裂かれた肉体から大量の血が噴き出し、あっと言う間に周囲は真っ赤に染め上げられた。
 その原因は上方からの一撃、見えぬ刃が彼の太腿を斬り裂いたのだ。先の破片で気を引き、隙を見計らっての一撃。何とも狡猾な事か。それを行ったのは言うまでもなく眼前の男でしかなく。
 だとしても、ガリードは踏み込む。力任せに、血が噴き出そうとも確かな一歩を地面に刻んだ。危険な人物に向かって、臆する事無く奮起して戦意を剣に移す。足の傷から流れ出す血が、表面を赤に潤わせる靴に因って軌跡が残される。足の激痛が意識外に追い遣るほどの激昂を保ち、その憤怒が尋常ではないほどに昂ぶる勇猛な闘志を生み出していた。
 何があろうとも、満身創痍の状態が悪化しようとも歩みを止めない。不撓不屈、揺るがぬ精神と怒りに支えられたその身は不退転を体現するかのように。
 その彼の眼前、視線と同じ位置の空気に異常が生じる。空気の層が淀む、いや収縮を始めたのだ。急速な凝縮は視界に留まるほどの濃度を見せ、瞬く間に解き放たれた。
 放たれたそれは赤き色と熱を以て炸裂、空間を激震させる衝撃と爆音を齎す。発生地の目前に立っていたガリードは当然に巻き込まれてしまい、爆風と衝撃で舞い上がった土煙に拠って周囲は視認不可となってしまう。
 囂然として残酷な爆発、けれど既に更地とした其処を拡大するには至らない。ガリードを仕留める為に規模を小さくしたと言うのか。そうだとしても易々と地形を変化させるには十分で。
 伝播した音と衝撃は止み、急激に静かとなる空間に立つ男は静けさを保ったまま腕を降ろす。大爆発が切り裂いた後を、大規模な焦熱させた跡が刻まれる。しかし、煙がまだ隠して。
「良く粘ったものだ。あそこまで喰らい付くとはな。だが、終わってしまえば呆気ないものだ」
 予想を超えたと感心しつつも、然程愉しめなかったと言った様子を示す。その様は勝利を確信するように。
 吐き捨てながら薄く赤に染まっていく煙から離れようとする。寸前、身に僅かな悪寒が駆け抜けた。それは危機察知と言うもの。今迄感じた事がないのか、小さな驚きを浮かべて半歩下がっていた。それは怖気なのだろうか。
 生じた煙幕、それを吹き飛ばして何かが飛び出す。赤黒きそれは太き長物を担ぎ、一直線に出づるは人を模す。
 このような展開になるなど想像していなかったであろう。そう、大剣を上段に構え、全身を血で染めても寸分も衰えぬ戦意と怒気、殺気を奮い立たせて跳躍する者が、仕留めたと判断したガリードであるなどと。
 想像と反する事態を前に冷酷、沈着とする男であっても動揺を示す。怯み、視界に何かが過ぎ去ったと同時に身に痛みが駆け、赤き血が飛び散った。
 地面を僅かに減り込ませるほどに踏み込み、大剣が空間を二分させる一閃を煌かせた。鉄塊を彷彿とさせるそれ、目に留まらせないほどの凄まじき速度で落下。空気を叩く音も風を切る音もなく、音を置き去りにするように地面へ騒々しく叩き込まれた。
 膂力のみならず、全てを篭めたであろう一撃は地面に大きく沈み、周囲を小さく揺らし、逆巻くほどの風を巻き起こした。それが自身にも残る土煙すらも吹き飛ばしていた。驚嘆する一撃、それも片腕で行っている事が更に驚かせよう。
 赤黒い、酷き裂傷と歪んだ腕から白き突起物が見える。それを垂らした彼、血に染まったもう片方の腕は極限まで膨張させ、振り下ろした姿勢で静止する。攻撃の反動で血は噴き出して。
 対する男も動かない、いや動けなかった。起こされた風が彼方へ駆け抜け、消え失せた後のその場に、何度と無く訪れた沈黙に包み込まれていた。
「あ゛ぁ・・・踏み、込みがァ、甘かっ、たな・・・」
 静止していたガリードは虚ろな意識の中で零す。血の滲むそれから吐き出された声、気管に火傷を負ったのだろう、掠れ、濁っていた。口惜しく言い残し、ゆっくりと身体は前に傾く。顔から地面に倒れ、そのまま彼は気を失った。
 幾多の負傷、死しても可笑しくない重傷を負い、血溜まりを作りかねないほどに流血する。その様を前に、男は冷静を取り戻していた。その胸、衣服を断ち、身体にやや斜めの切創が刻まれる。それは致命傷には程遠い、気になる程度の痛みを発するもの、単なる掠り傷に過ぎなかった。それでもそれは、ガリードが初めて与えた確実な一撃であり、躱されなければ・・・
「・・・よもや、我が手傷を受けるとは。甘く見ていたとは言え、驚嘆する。ともすれば、面を割られていたであろうな・・・素直に称えよう。雑兵の中にも斯様な者が居ると。まこと、興味が尽きないものだ」
 そう呟きながら傷口をなぞる。すると、その軽い切創は消え去っていた。この程度の傷を治す事など造作も無いのだろう。
「度重なる攻撃を受け、既に満身創痍であったにも関わらず、それでもなお、同胞を守らんとする。例え、半身に成ろうと意思は覆らなかったであろう。不撓不屈の意思、この我が僅かばかりでも気圧されようとは。敵ながら畏敬する」
 雄々しく、猛々しいその姿勢を思い出しながら語る。取るに足らないと見ていた存在とは言え、あそこまで抗ってみせた。余興を楽しませてもらった事も含めて敬意を示す。
 数々の負傷を負い、血塗れで呼吸の音が小さくなる姿を見下した後、その目を別の方向へ向ける。
「そして、それよりも前に目を見張る動きを見せた女。砕けたものの、ほんの少しでも抗ってみせた。操魔術ヴァーテアスを扱う、か。中々に良かったぞ」
 視線を戻すとゆっくりと手を、その手の平をガリードに向けて下方に翳す。何かを発動させようとしたのだろう、迸るのは光。閃光ではなく、駆け巡る小さな稲妻。しかし、それは治まり、手が下ろされた。
「我に傷を負わせた不敬、万死に値しよう。しかし、始末するのはあまりにも面白味がない。それに、興味が湧いた。敢えて、摘むのではなく、駒として扱った方が面白かろう。ともすれば、だ。だが、ともあれ・・・」
 一人不気味に冷笑を浮かばせると方向を転換させて歩み始める。その方向は重傷者と死者が転がる。そう、クルーエを含めた者達が居る。
「行わなければ想像の無駄と言うもの、試さなくてはな。先ずは、この強者が全力を賭して守らんとした者共・・・そうさな、やはりこれからにしよう」
 最初の対象をクルーエに定め、ゆっくりと膝を曲げる。その目はゆっくりと息絶えていくばかりの仲間達、その中の彼女に定めて。手を伸ばし、何かを念ずる。際に僅かばかり苦い顔をして。
 少々暗く静まり返った森林地帯の一辺が、怪しく蠢く光が灯る。事の顛末を静かに見極めようとする男の背に、一つの影が過ぎった。
 勢い良く跳躍し、黒い刀身の剣を降下と同時に振り下ろした。迅速な一連の動作は、男の後方で静かに展開されていた。静寂が周囲を包み込み、一切の異変が周囲に綻んでいない。黒き刀身は光を反射せず、影を残さずに軌跡を残す。鋭い、瞬きの間に行われた一閃。風切る音すらも無かった。時が流れ始めたのは、何者かが着地し、クルーエを、仲間達を庇った時から。

【8】

 鈍い光すらも遮ってしまう森林地帯、その一角は無残にも焼き払われた。酷き荒野、黒い焦げ痕と穿痕、透明の刃による切創が広がる。命が喪われようとする地に、鋭き剣戟の一筋が通過した。
 軌道を見せず、音を立てず、瞬きの間に過ぎ去ったそれ。しかし、その刀身は何も捉えず、風を起こすに留まってしまう。捉える筈の男は悠然と躱す。衣服の一辺を掠る事すらさせず、飛び上がった勢いのまま滞空していた。
 振り下ろした一撃、即座に切り返して切り上げる。男が後退した方向へ振り切ったのだが何も捉えず。宙を裂いた音、虚しく空を斬った音しか残らなかった。
 黒く揺らめく靄を翻し、静かに地面へ降りる魅了させる端整な顔立ちの男。怪しき雰囲気を、悍ましい気配を崩さずに悠々とした姿勢で構える。巻き起こす風すらも起こさず、沈黙して冷静に眺めて。
 都度の静寂に落ち込んだその場に小さな音、水滴が落下する音が一つ二つ。飛退いた方向に一線の血の雫が点々とする。そして、気絶し、身悶える仲間達の付近で彼等とは別の血痕が幾多に落ちる。今も点々と落とす。その発信源は新たに出現した者。
 介入した者は憤激し、その表情は更に険悪に歪む。痛みの問題ではない、周囲に広がる景色がそのまま理由となった。静穏に呼吸を繰り返す事は出来ず、少しずつ荒くなる呼吸と溢れ出す怒気。その様を、男は実に冷静に眺めて。
「・・・ほう」
 感心を寄せた小さな呟きの先、クルーエ達を案じ、けれど一向に戦意を解かぬ姿が立つ。何もなくなった場所ではその姿は良く見え、意味をほぼ成していない防具と衣服を着込み、先刻に負った傷を引き摺っていた。その為に、その周辺、右脇腹周辺は赤く濡れそぼる。
「久しいな、小僧」
 面識などあって当然であった。つい最近に介したばかり。故にだろう、挑発も篭めて余裕綽々とした様子で嘲りの言葉を吐き捨てた。
 形式ではなく、僅かでも確かな感情が宿る。重なる出会いに際して、新たな愉しみを見付けたと言うのか。その言葉を聞くまでも無く、現れた青年は憤慨を露わにして睥睨、殺気を仕向けた。
「彼女を、仲間を・・・貴様・・・ッ!」
 正体はトレイド、靄を纏う男を犯人と断定し、身体を焦がすほどの昂りを必死に抑えながら睨む。傷付いた身体でクルーエを、仲間を庇い立つ。その手、純黒の剣を握る拳は感情を顕著に示される。
 男を捉えるその双眸に抱きたくない殺意が宿る。並々ならぬ怒気以上のそれが渦巻く。浅からぬ因縁を前に、レインやカッシュを、シャオやラギアの命を玩んだ挙句にその命を奪った存在。それだけに留まらず、多くの命を遊んで愉悦に浸る邪悪。憤激し、怒り猛るのは当然であった。
 戦慄く腕、純黒の剣が振動する。滾る激情がそうさせて。小さな金属音を響かせて憤激する姿を前に、男は静かな面で観察する。
「考え得るに先の戦闘音か。まぁ、さもありなん。それを差し引いても、あれをこれほどまでにも早くに始末するとはな。多少、貴様を侮っていたようだ。それは、見直そうではないか」
 男は冷静に情報分析する。その様、何事も想定を外れていないと言った様子で、邪魔するなと言った雰囲気も見せて。
「人を、命を、弄ぶ・・・いい加減にしろッ!!生かして帰すものかッ!!」
 湧く感情にトレイドは怒鳴る。怒号、憤怒を受けても男は然して態度を変えない。再会した事も含めて、嘲るように一笑を零す。
「猛るばかりでは面白みも無い。先ずはそれを見てみるのだな。然すれば理解しよう」
 野蛮だと、話にならないと促す。その怒りを誘う声に怒りを抱きながらも横目にする。警戒しながらの一瞥だったのだが、思わぬ事に二度見して凝視してしまった。最初に庇った時には気付けなかった物であり、忌々しき紋様であった。
 彼女の首元、血の色を凝縮したかのような赤の紋様。恰も花を、それの蕾を思わせて刻まれる。残忍、非情なそれは命を以て花弁を咲かさんとするように。
 それはシャオに刻まれた者と同等の物。その事に、大きく見開くトレイド。脳裏に、シャオと別れる情景が甦る。込み上げる悲哀と悔い、それを上回る激怒に囚われた。
「貴様ァッ!シャオだけには飽き足らず、クルーエにも歯牙に掛けるのかッ!外道がッ!!」
 その場を割りかねないほどの怒号を響かせる。形相を変え、身の内に生じた衝動を抑えながらも憤怒する。それは森林地帯に轟けども、男の前ではただの遠吠えの如く虚しく。まさにそうと見下すように平然と男は立つ。
「猛るな、何度も言わせるな。そうだな、一週間か?それの命は。いや、ともすればもう少し早いやもな。少しずつ順応しているからな。そうだとしも、幾許のか細き灯火よな」
 淡々と語る。それは研究者、観察者のようであり、対象の経過をただ黙って眺めるように。その関心の逸れた様に、言動はトレイドの怒りを誘うしかなかった。
「解けッ、彼女を解放しろッ!!今すぐにだッ!!」
 衝動的に剣を突き出して牽制して恫喝する。だが、強行した本人が解く訳など有り得ない。またもや想定内であったのだろう、呆れた様子で見下すように見つめる。
「それを優先しても良いのか。その周りは如何でも良いのか。それらを守らんとしたあれも気に掛けないとはな。それとも、実は関心など無かったか。まぁ、如何でも良いがな」
 付き合っていられない、本当につまらないと言った様子で指摘する。それは時間稼ぎや注意を逸らす意図はない。ただの他愛もない指摘であった。
「・・・何?」
 嘯く様子もなく、警戒するトレイドの眉間の皺が更に深くなる。促されるまま、その目が男が示した方向を確認、驚愕を表情に刻み込んだ。
 酷き光景の中に横たわるのは、血に塗れて微動だにしない友。とうに砕けても不思議ではない大剣を傍に、事切れていると認識してしまう。その実、そうなっても可笑しくない重傷でありながらも気絶で留まっていた。彼等の位置では分からないのだがか細い吐息を繰り返し、弱々しい鼓動も刻む。それも時間の問題。
 その事実は知れる筈も無いトレイドの目にはそうとしか映らない。悲しむより、哀れむよりも先に表情は豹変する。表現せずとも、一つの感情に染められ、頭は白く染まっていった。
「・・・貴様ァアアアアッ!!」
 更に激昂して吼え立てる。一目瞭然、もう問い質す必要性などない、捨て去った。もう、目的を問い質す事もクルーエを救う事も、仲間を助ける事などの何もかもを埋め尽くす暗い感情に囚われた。
 瞬時に剣を振り上げ、地面に勢い良く突き立てた。強烈な振動を受けた利き手、ギリギリと握り締める手の平に血を滲ませ、わなわなと震わせる。それに男は冷ややかな表情のまま鼻で嘲笑を零す。
「何度も言わせるな、獣か?そう目くじらを立てなくても良い、生きている。あれだけしてもな、頑丈な事だ」
「錯乱させようと言う腹かッ!?」
 指摘に怒号で返答する。聞く耳を持たない積もりだったのだが僅かに踏み止まる。その小さな躊躇いの動きが幾多の血痕を下に刻む。
「そう思うなら勝手だ。しかし、我の忠告を蔑ろにする事は無い。まだ助けられるのではないのか?」
「何処までも・・・」
 挑発、怒りを増長しかさせない言動に殺意が漲るばかり。一瞬たりとも油断せず、隙を見極めんとして神経を尖らせた。
「ほう・・・まだそのような気を持つとはな。ならば、来るか?それらを庇いながら我に剣を振るうか。であれば、それは諦めねばな。逆であっても同じだ。多くを望めば取り零す。浅慮で動く愚者と言うのなら、止めはせぬがな」
 それがトレイドの行動を封じてしまった。先に黒結晶を呼び出す手順を踏んでいたのだが、行ってしまえば誰かの命を喪う結果に成りかねない。位置にしても誰かを犠牲にしなければならなかった。
「それとも見捨てて我を討たんとするか?良いぞ、枷を外せば勝機を掴めるやもな。その非情の選択、出来ると言うのなら、な」
 迷う彼に追い打ちを掛けるように男は構える。それは能力を行使する動作であり、既に完了していると、周囲から感じる妙な気配に悪寒が伝う。それに益々追い詰められ、身動きは出来なくなった。
「貴様・・・ッ!」
 口惜しく言葉を吐くしか出来なかった。誰かを、全員を見捨てるなど出来る筈も無かった。非情になれない彼の身体は様々な感情で戦慄くばかり。
「賢明な判断だ・・・いや、それを選択するしかないか」
 小さな笑い、またもや予想通りと言った処か。それか、思うように操れる事が愉しくて溜まらないのか。
「余興の褒美だ、此度はこれで幕引きとしよう。多少なりとも有意義な時間となったからな。手駒を消費するに値する有意義な時間であった」
 まるで実験していたかのような口振りにトレイドの感情は燃え滾る。
「ふざけているのか、貴様ァッ!!」
「威勢が良いのも大概にするのだな。足手纏いを抱える前に、十全に動けているのか?傷も癒えていないと言うのに、我に弓引くとは滑稽だ。感情に踊らされるとはな、つくづく人間とは愚かだ」
「黙れッ!!」
 僅かな嘲笑交じりの長髪に怒号は飛ぶ。強烈な衝動を抑え、吼えるしか出来ないその姿が滑稽なのだろう、終に告げた。希望を与えるように、悠々と。
「口惜しきと思うなら、追って来ると良い。少なからず因縁を感じる貴様の事だ、ともすれば我の居場所を突き止められるやもな。だからこそ、恩赦に打ち震えていろ」
 つくづく人を苛立たせる台詞を吐く。それは観察対象を奮起させる意図があるのだろうか。人に寄り添う気持ちの欠片も無い、全てを嘲り、何かが苦しむ姿を純粋に愉しむ笑顔でしかない。切磋琢磨する様を称え、歓迎するそれではなかった。
「ではな。それにも伝えるのだな。存外に楽しませてもらった、褒美として共々に生かしておいてやるとな」
 警戒心を薄れさせる怪しく澄む声で零し、薄ら笑みを零しながら黒い靄を翻して歩き去っていく。
「待てッ!!」
 無自覚に飛び出して制止を怒鳴り付ける。だが、男が纏う黒き靄が急速に周囲へ膨脹、包み込む。それでも有り余る量と広範囲に展開された。それは瞬く間に消え、次の瞬間には無惨なる情景しか乗らなかった。
 黒い靄が風に吹き消されてもその場所が鮮明に映されるのみ。やはり、あの男の姿はなく、あの纏わり付き、怖気に囚われる邪悪な気配も残り香も残さない、微塵にも感じられなくなった。逃げられた、もうこの森林地帯から居なくなったと判断するしかない。
 再度介し、再度見逃された屈辱感を痛烈に抱き、トレイドは手の平を赤くするしかなかった。しかし、悔やむよりも皆の命、傷の治療が先であった。気絶し、今に命を落としても可笑しくない状態、急を要するのは歴然。
 武器を収め、皆の容態を確認しようとした頃、遠方から人の声が聞こえ始める。先の戦闘音を頼りに、事態が収束に向かったのだろう、人の気配が集まりつつあった。
 助けられると希望を抱きながら生き永らえさせようと応急処置を始める。先ずは近くのクルーエ達。その際に彼女の首元に刻まれた紋様を確認する。紛れもなく同一のものであると理解して歯噛みしていた。
 また、命を喪っても可笑しくない重傷を負う仲間達の姿に推察する。生存者を許さないような所業を行ったあの男。それを前にして多数生き残っているのは二つの要因があると。考えられるのはクルーエの操魔術ヴァーテアス、そしてガリードが身体を張って庇ったのだと。後者は負傷が物語っていたから。
「こんな姿になってでも・・・阿呆が・・・!」
 二人が、ガリードが居たからこそ助かった命があると噛み締め、同時に残忍な所業を行ったあの男に恨みを抱く。それでも手は止めずに。
 困惑する別の仲間達の声を耳に、トレイドは恨みのままに呟く。口にもしたくなかった呪詛を。それはある日を境に疎遠にした、忌まわしき意味。言葉には言霊が宿るとの通説が存在する。言葉に表した事に力が宿るとの意味なのだが、それが事象に関するのではなく、不思議な力として現れるのでもない。自己の意識に作用する、詰まり決意の意識を強めると言った、志に関する気概のようなもの。
 彼の潜在意識に、ある一つの感情が産まれていた。それは確実に『善い』ものではない。人の心を蝕む、抱えてはならない感情。それを持ってしまった。その自覚を彼自身は全く気付けず、性急に友の傍へ駆け、助かって欲しい一心で応急処置を行う。仲間達に止められる寸前まで。

 風は吹く、吹き続けていく。良くも悪くも吹き続け、ふとした拍子に止む。それは命を鼓動を止めるかのように。だが、何時かは吹き始め、鼓動は再開する。今は、どっちなのだろうか。それは誰にも分からない。だが、誰も終わりなど望んでいない。不安しか残らない現実であろうと、希望を持ち続けるしかないのだから。故に誰もが必死になって生きていくのだ。
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