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歩いていく、その道の先で
迷い、それでも少女は歩む
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【1】
陽射しは爽やかに、空を彩る蒼は透き通ってまさに快晴。眩い太陽に照らし出されたその空は目を若干眩ませ、白雲は一つも漂わないために広く映ろう。そう、美しく。
曇天ではなく、ただただ蒼い空は心さえも清らかにするだろう。そう、遮蔽物がない為に降り注ぐ輝かしき日光が地上を照らす。爽やかな薫風駆け抜ける草原を。
その広き、瑞々しく鮮やかな緑の色が、光の波を描いて彼方へと流れていく。蒼海ならぬ、碧海は漣に似た音を、草はの揺らめきが奏でて波打つ。穏やかな起伏の地平、折々に生み出される波浪は麗しく。
そうした美麗な景色を突如として遮断するように構えられるのは、頑丈な巨壁。単色のそれは難攻不落を思わせて立ち塞がり、内部を堅強に囲む。かと思いきや、隔てる四つの巨門は人手で且つ片手で開くほどに軽く。
この巨壁に囲まれるのは、様々な建造物が立ち並ぶ。一目で居住地である事は分かる。それらを統括するように、存在を無視させぬように雄々しく建つは白き白。城壁は清らかさを示すように白く、その兜を守るのは空に相対するような青さが雄々しく。
少しずつ需要が、人足が増えて活用の方針が決まりつつある其処を基点に、平穏となった日常は実に穏やかに流れていく。それに、時折生ずる地殻変動、累異転殻震に驚き、怯えながらも皆から笑顔が離れる事は無かった。
眠気を誘う温かいさが広がる町並み、区切る大通りの一つに隣接する施設。目立つ城と負けずとも劣らない清らかな白は清廉の色。高く備える鐘楼の黄金は純真で清純な輝きを放つ。清らかな祈りを捧げ、願いを篭める其処は教会として構え、日々代わる代わる人々が往来する。
その教会を正面に構え、白い塀に囲まれて清く佇む。教会を迂回する途中では植林や花々が美しく飾られる。裏手に回れば小さな運動場が構えられ、玩具が整頓されて置かれる。子供達が居る事は見て明らか。それを示すように、運動場を挟んで構えた離れの建物に修道服姿の大人に混じり、衣服様々な子供の走る様が映る。勿論、運動場にも。
浮かべる笑顔はとびっきり、弾ける喜色満面。幼い声は弾み、身体を汚す事も厭わない。純粋に楽しみ、小さな身体を十分に活用、いや有り余る元気に任せて躍動していた。
そんな子供達の声から遠退き、敷地の隅、運動場から最も離れた空間。其処は洗濯物を干す場所として活用され、今はそれが無い為にただ広い空間でしかない。そして、二人が立っていた。
一人、小柄な体格は明らかに子供であり、少女。その細い柔い手には木刀が握られ、懸命に振るっていた。その面持ちは実に真剣に、汗水が流れる事も厭わずに。その様を、青髪で褐色肌の青年が腕を組んで眺める。同様に真剣であり、眉間に皺を寄せて。
「力の入れ過ぎだな。毎回言ってるけど、多分フーさんも言ってる筈だけどな、最初から最後まで全身に力入れてたら動きが悪くなっちまう。寧ろ、余計な力を抜く。振るう時に可動域に力を篭める。意識してるか?」
指摘する彼、ガリードは師事出来るほどに熟達した腕までではないだろう。しかし、遺伝子記憶による本能的な才覚と重ねた経験による指摘は的確であった。
「は、はい・・・!」
事実、返答する少女、ラビスは身体のバランスがやや保てないほどに疲弊する。それは変に力を入れている事、無理に動く事での消耗である。それでも振るおうとし、更に疲労が増加するとする悪循環。このままでは悪癖が生まれかねず。
ただ、ラビスが反抗している訳ではない。寧ろ、真剣に聞き入れて励んでいるのだが本人の性格と焦りによって上手くいっていない状況なのだ。そして、疲弊が相まって余計に。
真面目で真っ直ぐ過ぎる思いと決意が邪魔されている様に、ガリードは頭を掻きながら溜息を漏らす。
「一旦休みにするぞ!」
我武者羅に振り下ろそうとした木刀を掴んで制止する。その唐突の行動に予期していない少女は手を滑らし、己の動きに負けて転倒しそうになる。だが、それはガリードが片手で受け止めていた。
「ガ、ガリードさん。でも・・・」
息も絶え絶え、紅潮した顔で見上げながら不満を漏らす。立っている事もままならず、動き易さを重視した服装の乱れを直ぐにも直せないと言うのに。
「これ以上やってたら仕事に支障が出ちまうぞ。俺もやる事もあるしな。続きは夜だ、身体を洗って休憩だ」
「でも・・・」
「いいから、休め!毎回言わせるな!あんまりしつけぇとアニエスさんに禁止されちまうぞ」
厳しい兄のように木刀を取り上げながら離れへと歩かせる。やや強引でもこうでもしなければ少女は納得するまで続けるために。
その通りに納得していないラビスだが渋々と諦め、手渡されるタオルで汗を拭い始める。そんな二人に別々に呼ばれる事が聞こえて。
其処は、祈りを捧げ、怪我人なら治癒を、苦しむ者には施しを与えるギルド。別に、多くの子供達を養うギルドでもある。名は天の導きと加護。
今日もまた、子供達は気の向くままに遊び、それを責任者であるアニエスを筆頭にした職員達が見守る、心温かい日常が流れていた。そこには精悍さを半減させる陽気さと能天気さを放つガリードが共に暮らす。子供達に理不尽な暴力を受け、無邪気でも酷き扱いを一身に受けながらも。それでも笑顔は絶える事は無い。あの日を乗り越えたからこそ、その輝きは何ものにも優っていた。
平穏な時間が流れ、ゆっくりと成長を目の当たりに出来る日々。不変こそ、有り触れた日常こそが、人々が常日頃求めるものかも知れない。しかし、大なり小なり、変化は起こるものだろうか。
【2】
それはある日の出来事、少しずつ世界の有様が変容すると同時にこのセントガルド城下町の有様にも変化が微小にも生まれつつある日に起きた。
変わらないような朝を迎え、定められた日課を務めるラビスは子供達を集めつつ、離れの一室に向けて歩いていた。
子供達の成長は早いもの。大人達の目から見ればそれは短時間でも顕著なのだろう。それは精神的な成長でも肉体的な成長でも。それはラビスも例外でなく、歩む後姿は少しだけ丈が伸び、歩く様にも少しずつ自身が見え出して。それでもまだまだ未熟である事は本人も自覚して。
だからこそなのか、その手には絵本が持たれていた。それは向上心なのか、何時日だったか、此処の責任者でもあるアニエスが此処の子供達に向けて朗読を行っていた。それに対し、興味が湧いて教えてもらい、何時の間にか少女の役割となっていた。
それだけでなく、次第に周囲の大人達の仕事に手伝うようになっていた。それは大人を習っての事か、大人になろうと頑張っているのか。どちらにせよ、それは良い傾向であり、他の者達も微笑ましく、そして嬉しく感じ、その変化を受け止めて任命する事を多くしていった。
そして、今日も少したどたどしくも朗読を終え、自分より幼い子供達が嬉しそうに部屋を出て行く様を見守って息を漏らす。それは子供達の姉として頑張り、遣り遂げている達成感だろうか。見送る目には羨ましさではなく、慈しみが見える事から無理している様子ではなく。
成長が窺えるその少女が離れを後にし、教会へ向かう。その途中、ふと聞き覚えのある声での会話を耳にする。男女の、時折聞いた組み合わせのそれに気が留まり、自然とその方向へと足が運んでいた。
向かった先は敷地の入り口であり、丁度他の来訪者が居ない静かな其処。立っていたのは全員知人であった。
「お、ラビス」
「よう、ラビス。久し振りだな」
最初に気付いたのはガリードであり、続いて声を掛けてくれたのはガリードと共に剣を教えて貰っているフーであった。黒い髪を流し、やや粗野な雰囲気を纏いつつも気前の良い彼の隣には、眼鏡を掛けて知的だが少々高圧的に映る女性、アニエスが立っていた。
「フーさん。お久し振りです」
微笑み掛けながら早足で駆け寄っていく。三人の組み合わせに少々不思議がりながらも良くしてくれる三人の近付く足は少し弾むように。
「ガリードから今さっき聞いたけど、あんまり根詰めんなよ?ぶっ倒れちまったら意味ねーわな」
「は、はい・・・」
直ぐにも説教を受けた為に顔と気を落とす。その頭にフーはポンポンと叩く。
「まぁ、急ぐ気持ちは分かるけど、ちゃんと上達しているのは確かなんだわ。だから、怪我しねーようにしねーとな。焦りは禁物」
「はい」
「そうそう、それは俺も見てて分かるしな。ちゃんと強くなっているからな」
直ぐにも掛けられた励ましの言葉に少し頬が赤らむ。それに続く様にガリードから褒められて益々嬉しくなって。
「あの、それで今日は何か用事があって来たんですか?」
様子からして師事しに来た訳ではないと察して尋ねる。するとフーとアニエスの様子が少し変化する。それは照れと喜びであった。
「そうね。ラビスにもちゃんと伝えないといけないわね。ちょっと時間割けられるかしら?」
「は、はい。それは大丈夫ですが・・・」
神妙ではないが、別の真剣さを感じる様子に少し怖気付くラビス。同時に益々疑問を抱きつつも案内されるままに続いていく。
少し様子のおかしい三人に続いていった先は教会。誰かに聞かれて拙い話をする雰囲気ではないが益々に困惑する少女は眉を顰めるばかりに。
そうして再び顔を向かせたアニエス。口を開く寸前、内部に射し込むステンドグラスの明かりに所為か、その時の面持ちは実に幸せに満ちたかのような笑顔に映った。だからこそ、それは凶兆でなく、吉兆である事を瞬時に察していた。
「多分、聞いたかも知れないけど・・・」
「まー、聞いたかも知れねーわな。俺達の事」
彼女はそう切り出し、照れ臭そうにフーも続いて口を開く。瞬間に察した。先程入り口で感じた異なる空気、それは祝福する喜び、される嬉しさによる変化であったと言う事を。
「・・・そ、それって、アニエスさんとフーさん・・・が、ですか?」
見る見るうちに頬が赤くなるラビスの言葉に、アニエスは真っ赤になった顔を背け、にやけた顔が留まらないフーは後頭部を忙しなく掻いて。
「あれ?二人共、伝えていなかったんスか?俺も今さっき知ったスけど」
伝えていない事がかなり意外と聞き返すと二人はやや気まずそうにする。
「か、隠そうとした訳ではないの。でも、いざ言おうと思ったら、ちょっと・・・ね」
「そ、そうなっちまうわな。俺、多分印象悪ーだろーし」
それは以前、フーが誘拐紛いの事を仕出かした事があり、それが直接的な出会いにも繋がるのだ。聞けば皆を愉快にさせるエピソードではあっても、当人達にはちょっと胸を張れない話なのだ。
だが、それは過ぎた話であり、今回の事を伝えたならば思い出して笑い出す事はすれど快く受け入れるだろう。現にラビスは喜ぶ、喜ぶほどに。
「やったぁ!!結婚、結婚だっ!!」
激しく興奮して喜ぶ。その事に二人は胸を撫で下ろすように笑みを零す。
「良いっスね!丁度、教会がありますし、式を挙げる予定なんスか?」
「そうなるわな」
「でも、その前に皆には伝えないといけないわ」
「そうっスね。他のギルドには俺から伝えとくっスよ?」
「いえ、それは私達がしないといけないわ」
「そうそう、俺達の事だからな。ちゃんとやらねーといけねーわな」
祝福する空気は実に温かく、傍に居るだけでも心が温まるものだろう。知人の事ながら、まるで我が事のように喜ぶ。そのまま離れへと歩き出す三人の背に続こうとしたラビスの足が止まる。
「・・・そしたら、アニエスさんは・・・」
抱く懸念。考え得る選択が過ぎり、表情が曇る。そうなれば祝福する気持ちが揺らいでしまう。そして、その思いは簡単には消えず、この空気を崩さまないとしてか聞き辛くなってしまう。そして、続く足は遠のいていった。
【3】
一人、表情を暗くしたままそのまま時間を過ごす事となる。日課に対し、手を抜く事はせず、仕事は仕事として専念する。けれども表情は固く、動きにぎこちなさが残って。それは失敗、雑念として残る。後々に。
敷地内が祝福に包まれ、誰もが浮足立つ中、少女だけは浮かないままに過ごし、夜を迎えていた。
子供達を寝かし、大人達は残した雑務や明日の準備を行う中、ラビスは再び動き易い恰好となって外に、敷地の片隅に移動していた。そう、剣の特訓の為に。だが・・・
「ストップッ!」
唐突な呼び掛けは驚かせる結果となる。少女は飛び跳ねる勢いでビクリと身体を反応させて振り返る。手を抜いていない証拠に息切れ、汗を伝わせているのだがそれは必要以上の疲労でもある。
「全然集中出来てねぇな。今朝よりも動きが散漫だぞ。ちゃんとやろうと身体が縮こまっているんじゃなくて、別の事を考えているって感じだな」
指摘するのはガリード。それは図星である。事実、二人の事を聞いてからラビスは上の空であったのだ。それは表面でも読み取れるほどに。
反論出来ず、不安げに視線を右往左往させて言いまどう姿にガリードは小さく溜息を吐いてその頭を荒く撫で回す。
「アニエスさんの事だろ?」
「えっ!?え、えっと・・・その・・・」
的確に指摘された為に更に動揺して間誤付く。その反応に困ったかのように表情を崩すガリード。
「アニエスさんとフーさんの話を聞いてから、何となく変だなって思ってたんだよ。嬉しがってた筈なのになってな・・・あれか、アニエスさんと別れちまうって、考えてんのか?」
またもや的確な指摘に見上げ、瞬きを繰り返す。それは子供達の玩具にされている姿とは掛け離れた聡明さに戸惑うばかりに。意外だと取られている事に気付いた彼は苦笑して頭を掻く。
「・・・やっぱか。まぁ、結婚したら子供も授かるかも知れねぇしな。子供達は大事だけど、自分達の子供も大事だしな。お腹に赤ん坊抱えているまま仕事も出来ねぇから、休まねぇといけねぇ。そう言うのは、仕方ねぇと思うぜ?」
「それは・・・そうだけど・・・」
理解は出来るけど受け入れられないと表情を曇らせる。それは理解出来ないのではない、受け止め難いのだ。其処には我儘からの願いは籠っておらず。
「・・・私、アニエスさんに助けられたの。ラギアが居たけど、それでも他に誰も居ない場所に居たの。怖くて、怖くて、泣いていたの。でも、アニエスさんが見つけてくれて、此処、セントガルドに連れて来てくれたの・・・アニエスさんのお陰で、生きて、いるの」
「・・・そりゃ、恩人だな。ああ、なるほどな」
このギルド、天の導きと加護の人物構成や有り方として家族に似ているだろう。単純にアニエスや他の女性達は母親や姉みたいなものだろう。それに倣って彼女を母や姉として見ている訳ではなく、恩人として恩義を感じているのだ。共に仕事をする、手伝っているのは恩返しの部分もあるのだろう。なら、今回の事はまだ返し切れていない事への不満が出てしまったと言う事。
「嫌、なの・・・」
悲しげな声で本音を漏らす。泣き出しそうな表情で零すそれはまさに涙のように。それに荒く撫でていた手から力が抜けて優しくなる。
「かもな・・・」
唐突の事で不安は一入だろう。その気持ちの全ては分からなくても、理解する為に慰め程度でも相槌を打って撫でる。しかし、また急に撫でる力が強くなる。
「でもな、仮にアニエスさんが辞めちまってもよ、一生会えなくなる訳じゃねぇだろ?会おうと思ったら何時でも会える場所に居るだろうし、それに良い機会かも知れねぇぞ?」
「そんな事、無いよ・・・」
「いやいや、アニエスさんに習った事をちゃんと活かして頑張っている事を報告したら褒めてくれるかも知れねぇし、若し子供が生まれたらお前は姉ちゃんになれんだぞ?」
「・・・お姉ちゃん?」
姉と言う言葉に思いは留まる。今迄それに類似した役は買って出ていたのだが、琴線に触れたのは彼女の子供である事だろう。
「そう!殆ど家族だからな、此処は。なら、お前はお姉ちゃんだ。そしたら、アニエスさんが困った時に姉ちゃんとして助けてやる!良いじゃねぇか!恩返しにもなるし、そうじゃなくてもやっぱり新たな家族が増えるんだしな!」
「新しい、家族・・・」
夢想すればそれは微笑ましく、胸躍る光景だろう。可愛らしい妹、或いは弟と接する。それは苦楽を共にするだろう。それでも、それが苦にならないほどの経験と記憶に残る日々になる事は間違いない。思えば、気持ちは薄れ、別の方向へ急上昇していく。
だとしても、やはり考えは消えないだろう。表情から憂いが消えない。気持ちは分かると口辺を僅かに上げて再度小さな頭をポンポンと叩く。
「・・・確かに、アニエスさんが辞めちまったら面倒な事が増えたり、寂しく感じるかも知れねぇけどよ、それは一人で悩む事じゃねぇよ。そんなに不安だったら、ほら、本人に聞くのが一番だ。アニエスさんとちゃんと話して方針を決めるのもな」
そう言いながらとある方向に意識を向ける。その動作に視線を動かすと話題に上がったアニエスが立っていた。夜の暗さに邪魔されているとしても、申し訳なさそうな表情は良く映って。
「アニエス、さん・・・」
「ガリードさんに聞いた時は、もしかしてと思ったけど・・・」
近付いて来るにつれて、ラビスの表情は暗くなるばかり。まるで絶望に落ちてしまうかのように。傍に立った時、萎縮して縮こまって小さな身は更に小さく映る。
その両肩に彼女の両手が乗せられる。気つけをするように強めに。大いに驚かせる結果になるのだが、それでも彼女は強く、そして自分に顔を向けるように仕向ける。おずおずと上げる顔に対し、呆れた面を見せる。
「時々、貴方はせっかち、早合点してしまうわね。そんなに不安なら、直接聞けば宜しいでしょう?」
「・・・出来ないよ。もし、アニエスさんが出て行っちゃったら・・・」
「だから、早合点しないの。私は辞める積もりはないから」
「・・・えっ?」
予期してなかった事を、素っ頓狂な声が答えとなる。寂しさは途端に塞き止められ、瞬きを繰り返して彼女を見る。
「ずっと、天の導きと加護を去ると思っていたの?・・・思い込みが過ぎるわ」
納得した彼女は困った顔で息を着き、優しく言い宥めていた。それが少女の張り詰めた思いを、誤解を解すに至らせる。
「良かったぁ・・・!」
心の底から安堵を浮かべてその場に崩れ落ちてしまう。それだけが心配でならず、安堵すれば足の力は抜け落ちてしまう。その姿に大人二人はやれやれと息を零す。その二人はやはり少女の心境を察して眉を落とす。
そのアニエスは膝を折って視線を合わせる。それは少女の気持ちに寄り添う為に、肩に添えていた両手の位置は上腕に沿えるところへと。
「確かに、何時かは辞めてしまうかもね。でも、それは今直ぐと言う話じゃないわ。それは安心して」
それだけは避けられない。何時かは別れる、それだけは絶対。不安も杞憂ではないのだ。故に、表情はやはり落としてしまう。
「・・・今から落ち込んでどうする?そんなんじゃアニエスさんをずっと心配させちまうし、ラギアにも呆れられちまうぞ?」
鼓舞のようで少し意地悪い言い回しではあった。けれど、それが多少なりとも効果を見せる。
「そう・・・ですよね。そうですね!私・・・頑張ります!」
空元気のように、強がっている様にも見える。それでも力強い言葉と意志強い面に不安の色は薄れていた。それに二人は安堵を少し。
「では、そろそろ就寝しましょう。明日も忙しいですよ」
「はい、分かりました。アニエスさん、ガリードさん、お休みなさい」
「おお、風邪引かねぇようにな」
迷いがちであった足取りではなく、真っ直ぐに踏み締めて立ち去る小さな影。離れから漏れる光を遮りながら遠ざかるそれを眺め、ガリードは小さく息を吐く。
「・・・まぁ、そうなるよなぁ・・・」
予期していたように彼はぼやく。所属してから職員達の関係はそれなりに耳にした。それはアニエスとラビスの関係も。そうでなくても、普段から見ている姿は姉妹のそれでなく、どちらかと言えば母娘に近い。ならば、別れると知れば思いは一層だろう。
「・・・私は、あの子にはゆくゆくは此処の責任者をしてもらいたいのです」
見送りながら呟くように語ったそれにガリードは小さく驚いて振り返る。
「そうなんスか?・・・いや、大丈夫だとは思いますけど・・・荷、重いと言うか、キツくないスか?人一倍、抱え込み易い性格と思うっスけど・・・」
唯一の肉親とも言えるラギアの一件から連想する不安。
「そうね。でも、それは私に負けないほどの責任感にも繋がると思うの。それだけじゃなく、聖復術を利益で乱用するのではなく、人を助けたい思いや救いたい、それに対する行為を良しとして、行える事に喜べる優しさを持っているから」
人を助ける、孤児を養う、それを第一としたこのギルドには最上の適正と言えるだろう。
「勿論、他の子も劣っている訳ではありません。それでも、目を見張るものを感じますから」
「そうっスね、それは俺も思ってますよ。あの年で確りし過ぎているぐらいですから。俺ん時はまだ馬鹿やってばっかでしたからね、今もスっけどね」
小さな自嘲の笑いにアニエスも笑みを零す。
「まぁ、でも、そうっスね。俺はまだまだ勉強する事があるし、ラビスももっと成長途中っスからね。俺とかアニエスさんが立派になるまで支えるって事っスね」
「はい、そう言う事です。こんな私も学ぶべき事は沢山あります。私が、あの子が互いに納得出来る形に出来るよう努めましょう」
「その為には頼って下さいね!」
「その時は宜しくお願いしますね」
課題は山積み、けれどそれが楽しみと言わんばかりの爽やかな笑みを浮かべ、浮足立つようにガリードも就寝に取り掛かる。その背にアニエスは小さく手を振る。
ゆっくりと下ろした彼女は視線を移す。それは数分前に立ち去ったラビスの背を、立ち去った跡。その目は遠く、ぼんやりと零れる赤い明かりを捉えて。
「・・・思えば、泣いてばかりの貴女を、怖くて震えていた貴女を安心させたい気持ちが天の導きと加護を立ち上げる切欠になった様な気がしますね」
思い出す、荒れ果てた残骸の海。恐怖と理解出来ない世界の中、取り残された幾多の人、それでも独りぼっちだと言わんばかりに小さくなった身体と大粒の涙。
「・・・妹を思い出し、無償にも助けたくなって・・・その、甲斐があったのでしょうね、少しずつ貴女は元気を取り戻してくれました。暗く、落ち込んでしまった子供も励すほど、強くなってくれました。日々を過していく毎に、色んな人と出会い、話す度に成長しましたね。元気で明るい性格、本来の貴女に、今のような様子と同じになっていきましたね」
思い出を遡る。哀愁滲む表情は少しずつ喜びに満ちる。確かにそれは姉と言う喜びより、成長を喜ぶ母親の心境であっただろうか。
「家族を、ラギアを喪っても、それでも懸命に生きてくれている。悲しくても、確りと足で立って、前に進んでいる。私よりも強い意志を持って、それに目指して進んでいます」
それでも小さく息を零す。安堵も滲んだそれに心配の色が濃く。
「でも、やはりまだまだ子供ですね。ちゃんと見てあげていかないといけませんね」
いずれ引退するとしてもまだ手が掛かり、教える事は多々ある。その気になっていたと反省し、再び踏み出していく。まだ安心できないと離れへと。
陽射しは爽やかに、空を彩る蒼は透き通ってまさに快晴。眩い太陽に照らし出されたその空は目を若干眩ませ、白雲は一つも漂わないために広く映ろう。そう、美しく。
曇天ではなく、ただただ蒼い空は心さえも清らかにするだろう。そう、遮蔽物がない為に降り注ぐ輝かしき日光が地上を照らす。爽やかな薫風駆け抜ける草原を。
その広き、瑞々しく鮮やかな緑の色が、光の波を描いて彼方へと流れていく。蒼海ならぬ、碧海は漣に似た音を、草はの揺らめきが奏でて波打つ。穏やかな起伏の地平、折々に生み出される波浪は麗しく。
そうした美麗な景色を突如として遮断するように構えられるのは、頑丈な巨壁。単色のそれは難攻不落を思わせて立ち塞がり、内部を堅強に囲む。かと思いきや、隔てる四つの巨門は人手で且つ片手で開くほどに軽く。
この巨壁に囲まれるのは、様々な建造物が立ち並ぶ。一目で居住地である事は分かる。それらを統括するように、存在を無視させぬように雄々しく建つは白き白。城壁は清らかさを示すように白く、その兜を守るのは空に相対するような青さが雄々しく。
少しずつ需要が、人足が増えて活用の方針が決まりつつある其処を基点に、平穏となった日常は実に穏やかに流れていく。それに、時折生ずる地殻変動、累異転殻震に驚き、怯えながらも皆から笑顔が離れる事は無かった。
眠気を誘う温かいさが広がる町並み、区切る大通りの一つに隣接する施設。目立つ城と負けずとも劣らない清らかな白は清廉の色。高く備える鐘楼の黄金は純真で清純な輝きを放つ。清らかな祈りを捧げ、願いを篭める其処は教会として構え、日々代わる代わる人々が往来する。
その教会を正面に構え、白い塀に囲まれて清く佇む。教会を迂回する途中では植林や花々が美しく飾られる。裏手に回れば小さな運動場が構えられ、玩具が整頓されて置かれる。子供達が居る事は見て明らか。それを示すように、運動場を挟んで構えた離れの建物に修道服姿の大人に混じり、衣服様々な子供の走る様が映る。勿論、運動場にも。
浮かべる笑顔はとびっきり、弾ける喜色満面。幼い声は弾み、身体を汚す事も厭わない。純粋に楽しみ、小さな身体を十分に活用、いや有り余る元気に任せて躍動していた。
そんな子供達の声から遠退き、敷地の隅、運動場から最も離れた空間。其処は洗濯物を干す場所として活用され、今はそれが無い為にただ広い空間でしかない。そして、二人が立っていた。
一人、小柄な体格は明らかに子供であり、少女。その細い柔い手には木刀が握られ、懸命に振るっていた。その面持ちは実に真剣に、汗水が流れる事も厭わずに。その様を、青髪で褐色肌の青年が腕を組んで眺める。同様に真剣であり、眉間に皺を寄せて。
「力の入れ過ぎだな。毎回言ってるけど、多分フーさんも言ってる筈だけどな、最初から最後まで全身に力入れてたら動きが悪くなっちまう。寧ろ、余計な力を抜く。振るう時に可動域に力を篭める。意識してるか?」
指摘する彼、ガリードは師事出来るほどに熟達した腕までではないだろう。しかし、遺伝子記憶による本能的な才覚と重ねた経験による指摘は的確であった。
「は、はい・・・!」
事実、返答する少女、ラビスは身体のバランスがやや保てないほどに疲弊する。それは変に力を入れている事、無理に動く事での消耗である。それでも振るおうとし、更に疲労が増加するとする悪循環。このままでは悪癖が生まれかねず。
ただ、ラビスが反抗している訳ではない。寧ろ、真剣に聞き入れて励んでいるのだが本人の性格と焦りによって上手くいっていない状況なのだ。そして、疲弊が相まって余計に。
真面目で真っ直ぐ過ぎる思いと決意が邪魔されている様に、ガリードは頭を掻きながら溜息を漏らす。
「一旦休みにするぞ!」
我武者羅に振り下ろそうとした木刀を掴んで制止する。その唐突の行動に予期していない少女は手を滑らし、己の動きに負けて転倒しそうになる。だが、それはガリードが片手で受け止めていた。
「ガ、ガリードさん。でも・・・」
息も絶え絶え、紅潮した顔で見上げながら不満を漏らす。立っている事もままならず、動き易さを重視した服装の乱れを直ぐにも直せないと言うのに。
「これ以上やってたら仕事に支障が出ちまうぞ。俺もやる事もあるしな。続きは夜だ、身体を洗って休憩だ」
「でも・・・」
「いいから、休め!毎回言わせるな!あんまりしつけぇとアニエスさんに禁止されちまうぞ」
厳しい兄のように木刀を取り上げながら離れへと歩かせる。やや強引でもこうでもしなければ少女は納得するまで続けるために。
その通りに納得していないラビスだが渋々と諦め、手渡されるタオルで汗を拭い始める。そんな二人に別々に呼ばれる事が聞こえて。
其処は、祈りを捧げ、怪我人なら治癒を、苦しむ者には施しを与えるギルド。別に、多くの子供達を養うギルドでもある。名は天の導きと加護。
今日もまた、子供達は気の向くままに遊び、それを責任者であるアニエスを筆頭にした職員達が見守る、心温かい日常が流れていた。そこには精悍さを半減させる陽気さと能天気さを放つガリードが共に暮らす。子供達に理不尽な暴力を受け、無邪気でも酷き扱いを一身に受けながらも。それでも笑顔は絶える事は無い。あの日を乗り越えたからこそ、その輝きは何ものにも優っていた。
平穏な時間が流れ、ゆっくりと成長を目の当たりに出来る日々。不変こそ、有り触れた日常こそが、人々が常日頃求めるものかも知れない。しかし、大なり小なり、変化は起こるものだろうか。
【2】
それはある日の出来事、少しずつ世界の有様が変容すると同時にこのセントガルド城下町の有様にも変化が微小にも生まれつつある日に起きた。
変わらないような朝を迎え、定められた日課を務めるラビスは子供達を集めつつ、離れの一室に向けて歩いていた。
子供達の成長は早いもの。大人達の目から見ればそれは短時間でも顕著なのだろう。それは精神的な成長でも肉体的な成長でも。それはラビスも例外でなく、歩む後姿は少しだけ丈が伸び、歩く様にも少しずつ自身が見え出して。それでもまだまだ未熟である事は本人も自覚して。
だからこそなのか、その手には絵本が持たれていた。それは向上心なのか、何時日だったか、此処の責任者でもあるアニエスが此処の子供達に向けて朗読を行っていた。それに対し、興味が湧いて教えてもらい、何時の間にか少女の役割となっていた。
それだけでなく、次第に周囲の大人達の仕事に手伝うようになっていた。それは大人を習っての事か、大人になろうと頑張っているのか。どちらにせよ、それは良い傾向であり、他の者達も微笑ましく、そして嬉しく感じ、その変化を受け止めて任命する事を多くしていった。
そして、今日も少したどたどしくも朗読を終え、自分より幼い子供達が嬉しそうに部屋を出て行く様を見守って息を漏らす。それは子供達の姉として頑張り、遣り遂げている達成感だろうか。見送る目には羨ましさではなく、慈しみが見える事から無理している様子ではなく。
成長が窺えるその少女が離れを後にし、教会へ向かう。その途中、ふと聞き覚えのある声での会話を耳にする。男女の、時折聞いた組み合わせのそれに気が留まり、自然とその方向へと足が運んでいた。
向かった先は敷地の入り口であり、丁度他の来訪者が居ない静かな其処。立っていたのは全員知人であった。
「お、ラビス」
「よう、ラビス。久し振りだな」
最初に気付いたのはガリードであり、続いて声を掛けてくれたのはガリードと共に剣を教えて貰っているフーであった。黒い髪を流し、やや粗野な雰囲気を纏いつつも気前の良い彼の隣には、眼鏡を掛けて知的だが少々高圧的に映る女性、アニエスが立っていた。
「フーさん。お久し振りです」
微笑み掛けながら早足で駆け寄っていく。三人の組み合わせに少々不思議がりながらも良くしてくれる三人の近付く足は少し弾むように。
「ガリードから今さっき聞いたけど、あんまり根詰めんなよ?ぶっ倒れちまったら意味ねーわな」
「は、はい・・・」
直ぐにも説教を受けた為に顔と気を落とす。その頭にフーはポンポンと叩く。
「まぁ、急ぐ気持ちは分かるけど、ちゃんと上達しているのは確かなんだわ。だから、怪我しねーようにしねーとな。焦りは禁物」
「はい」
「そうそう、それは俺も見てて分かるしな。ちゃんと強くなっているからな」
直ぐにも掛けられた励ましの言葉に少し頬が赤らむ。それに続く様にガリードから褒められて益々嬉しくなって。
「あの、それで今日は何か用事があって来たんですか?」
様子からして師事しに来た訳ではないと察して尋ねる。するとフーとアニエスの様子が少し変化する。それは照れと喜びであった。
「そうね。ラビスにもちゃんと伝えないといけないわね。ちょっと時間割けられるかしら?」
「は、はい。それは大丈夫ですが・・・」
神妙ではないが、別の真剣さを感じる様子に少し怖気付くラビス。同時に益々疑問を抱きつつも案内されるままに続いていく。
少し様子のおかしい三人に続いていった先は教会。誰かに聞かれて拙い話をする雰囲気ではないが益々に困惑する少女は眉を顰めるばかりに。
そうして再び顔を向かせたアニエス。口を開く寸前、内部に射し込むステンドグラスの明かりに所為か、その時の面持ちは実に幸せに満ちたかのような笑顔に映った。だからこそ、それは凶兆でなく、吉兆である事を瞬時に察していた。
「多分、聞いたかも知れないけど・・・」
「まー、聞いたかも知れねーわな。俺達の事」
彼女はそう切り出し、照れ臭そうにフーも続いて口を開く。瞬間に察した。先程入り口で感じた異なる空気、それは祝福する喜び、される嬉しさによる変化であったと言う事を。
「・・・そ、それって、アニエスさんとフーさん・・・が、ですか?」
見る見るうちに頬が赤くなるラビスの言葉に、アニエスは真っ赤になった顔を背け、にやけた顔が留まらないフーは後頭部を忙しなく掻いて。
「あれ?二人共、伝えていなかったんスか?俺も今さっき知ったスけど」
伝えていない事がかなり意外と聞き返すと二人はやや気まずそうにする。
「か、隠そうとした訳ではないの。でも、いざ言おうと思ったら、ちょっと・・・ね」
「そ、そうなっちまうわな。俺、多分印象悪ーだろーし」
それは以前、フーが誘拐紛いの事を仕出かした事があり、それが直接的な出会いにも繋がるのだ。聞けば皆を愉快にさせるエピソードではあっても、当人達にはちょっと胸を張れない話なのだ。
だが、それは過ぎた話であり、今回の事を伝えたならば思い出して笑い出す事はすれど快く受け入れるだろう。現にラビスは喜ぶ、喜ぶほどに。
「やったぁ!!結婚、結婚だっ!!」
激しく興奮して喜ぶ。その事に二人は胸を撫で下ろすように笑みを零す。
「良いっスね!丁度、教会がありますし、式を挙げる予定なんスか?」
「そうなるわな」
「でも、その前に皆には伝えないといけないわ」
「そうっスね。他のギルドには俺から伝えとくっスよ?」
「いえ、それは私達がしないといけないわ」
「そうそう、俺達の事だからな。ちゃんとやらねーといけねーわな」
祝福する空気は実に温かく、傍に居るだけでも心が温まるものだろう。知人の事ながら、まるで我が事のように喜ぶ。そのまま離れへと歩き出す三人の背に続こうとしたラビスの足が止まる。
「・・・そしたら、アニエスさんは・・・」
抱く懸念。考え得る選択が過ぎり、表情が曇る。そうなれば祝福する気持ちが揺らいでしまう。そして、その思いは簡単には消えず、この空気を崩さまないとしてか聞き辛くなってしまう。そして、続く足は遠のいていった。
【3】
一人、表情を暗くしたままそのまま時間を過ごす事となる。日課に対し、手を抜く事はせず、仕事は仕事として専念する。けれども表情は固く、動きにぎこちなさが残って。それは失敗、雑念として残る。後々に。
敷地内が祝福に包まれ、誰もが浮足立つ中、少女だけは浮かないままに過ごし、夜を迎えていた。
子供達を寝かし、大人達は残した雑務や明日の準備を行う中、ラビスは再び動き易い恰好となって外に、敷地の片隅に移動していた。そう、剣の特訓の為に。だが・・・
「ストップッ!」
唐突な呼び掛けは驚かせる結果となる。少女は飛び跳ねる勢いでビクリと身体を反応させて振り返る。手を抜いていない証拠に息切れ、汗を伝わせているのだがそれは必要以上の疲労でもある。
「全然集中出来てねぇな。今朝よりも動きが散漫だぞ。ちゃんとやろうと身体が縮こまっているんじゃなくて、別の事を考えているって感じだな」
指摘するのはガリード。それは図星である。事実、二人の事を聞いてからラビスは上の空であったのだ。それは表面でも読み取れるほどに。
反論出来ず、不安げに視線を右往左往させて言いまどう姿にガリードは小さく溜息を吐いてその頭を荒く撫で回す。
「アニエスさんの事だろ?」
「えっ!?え、えっと・・・その・・・」
的確に指摘された為に更に動揺して間誤付く。その反応に困ったかのように表情を崩すガリード。
「アニエスさんとフーさんの話を聞いてから、何となく変だなって思ってたんだよ。嬉しがってた筈なのになってな・・・あれか、アニエスさんと別れちまうって、考えてんのか?」
またもや的確な指摘に見上げ、瞬きを繰り返す。それは子供達の玩具にされている姿とは掛け離れた聡明さに戸惑うばかりに。意外だと取られている事に気付いた彼は苦笑して頭を掻く。
「・・・やっぱか。まぁ、結婚したら子供も授かるかも知れねぇしな。子供達は大事だけど、自分達の子供も大事だしな。お腹に赤ん坊抱えているまま仕事も出来ねぇから、休まねぇといけねぇ。そう言うのは、仕方ねぇと思うぜ?」
「それは・・・そうだけど・・・」
理解は出来るけど受け入れられないと表情を曇らせる。それは理解出来ないのではない、受け止め難いのだ。其処には我儘からの願いは籠っておらず。
「・・・私、アニエスさんに助けられたの。ラギアが居たけど、それでも他に誰も居ない場所に居たの。怖くて、怖くて、泣いていたの。でも、アニエスさんが見つけてくれて、此処、セントガルドに連れて来てくれたの・・・アニエスさんのお陰で、生きて、いるの」
「・・・そりゃ、恩人だな。ああ、なるほどな」
このギルド、天の導きと加護の人物構成や有り方として家族に似ているだろう。単純にアニエスや他の女性達は母親や姉みたいなものだろう。それに倣って彼女を母や姉として見ている訳ではなく、恩人として恩義を感じているのだ。共に仕事をする、手伝っているのは恩返しの部分もあるのだろう。なら、今回の事はまだ返し切れていない事への不満が出てしまったと言う事。
「嫌、なの・・・」
悲しげな声で本音を漏らす。泣き出しそうな表情で零すそれはまさに涙のように。それに荒く撫でていた手から力が抜けて優しくなる。
「かもな・・・」
唐突の事で不安は一入だろう。その気持ちの全ては分からなくても、理解する為に慰め程度でも相槌を打って撫でる。しかし、また急に撫でる力が強くなる。
「でもな、仮にアニエスさんが辞めちまってもよ、一生会えなくなる訳じゃねぇだろ?会おうと思ったら何時でも会える場所に居るだろうし、それに良い機会かも知れねぇぞ?」
「そんな事、無いよ・・・」
「いやいや、アニエスさんに習った事をちゃんと活かして頑張っている事を報告したら褒めてくれるかも知れねぇし、若し子供が生まれたらお前は姉ちゃんになれんだぞ?」
「・・・お姉ちゃん?」
姉と言う言葉に思いは留まる。今迄それに類似した役は買って出ていたのだが、琴線に触れたのは彼女の子供である事だろう。
「そう!殆ど家族だからな、此処は。なら、お前はお姉ちゃんだ。そしたら、アニエスさんが困った時に姉ちゃんとして助けてやる!良いじゃねぇか!恩返しにもなるし、そうじゃなくてもやっぱり新たな家族が増えるんだしな!」
「新しい、家族・・・」
夢想すればそれは微笑ましく、胸躍る光景だろう。可愛らしい妹、或いは弟と接する。それは苦楽を共にするだろう。それでも、それが苦にならないほどの経験と記憶に残る日々になる事は間違いない。思えば、気持ちは薄れ、別の方向へ急上昇していく。
だとしても、やはり考えは消えないだろう。表情から憂いが消えない。気持ちは分かると口辺を僅かに上げて再度小さな頭をポンポンと叩く。
「・・・確かに、アニエスさんが辞めちまったら面倒な事が増えたり、寂しく感じるかも知れねぇけどよ、それは一人で悩む事じゃねぇよ。そんなに不安だったら、ほら、本人に聞くのが一番だ。アニエスさんとちゃんと話して方針を決めるのもな」
そう言いながらとある方向に意識を向ける。その動作に視線を動かすと話題に上がったアニエスが立っていた。夜の暗さに邪魔されているとしても、申し訳なさそうな表情は良く映って。
「アニエス、さん・・・」
「ガリードさんに聞いた時は、もしかしてと思ったけど・・・」
近付いて来るにつれて、ラビスの表情は暗くなるばかり。まるで絶望に落ちてしまうかのように。傍に立った時、萎縮して縮こまって小さな身は更に小さく映る。
その両肩に彼女の両手が乗せられる。気つけをするように強めに。大いに驚かせる結果になるのだが、それでも彼女は強く、そして自分に顔を向けるように仕向ける。おずおずと上げる顔に対し、呆れた面を見せる。
「時々、貴方はせっかち、早合点してしまうわね。そんなに不安なら、直接聞けば宜しいでしょう?」
「・・・出来ないよ。もし、アニエスさんが出て行っちゃったら・・・」
「だから、早合点しないの。私は辞める積もりはないから」
「・・・えっ?」
予期してなかった事を、素っ頓狂な声が答えとなる。寂しさは途端に塞き止められ、瞬きを繰り返して彼女を見る。
「ずっと、天の導きと加護を去ると思っていたの?・・・思い込みが過ぎるわ」
納得した彼女は困った顔で息を着き、優しく言い宥めていた。それが少女の張り詰めた思いを、誤解を解すに至らせる。
「良かったぁ・・・!」
心の底から安堵を浮かべてその場に崩れ落ちてしまう。それだけが心配でならず、安堵すれば足の力は抜け落ちてしまう。その姿に大人二人はやれやれと息を零す。その二人はやはり少女の心境を察して眉を落とす。
そのアニエスは膝を折って視線を合わせる。それは少女の気持ちに寄り添う為に、肩に添えていた両手の位置は上腕に沿えるところへと。
「確かに、何時かは辞めてしまうかもね。でも、それは今直ぐと言う話じゃないわ。それは安心して」
それだけは避けられない。何時かは別れる、それだけは絶対。不安も杞憂ではないのだ。故に、表情はやはり落としてしまう。
「・・・今から落ち込んでどうする?そんなんじゃアニエスさんをずっと心配させちまうし、ラギアにも呆れられちまうぞ?」
鼓舞のようで少し意地悪い言い回しではあった。けれど、それが多少なりとも効果を見せる。
「そう・・・ですよね。そうですね!私・・・頑張ります!」
空元気のように、強がっている様にも見える。それでも力強い言葉と意志強い面に不安の色は薄れていた。それに二人は安堵を少し。
「では、そろそろ就寝しましょう。明日も忙しいですよ」
「はい、分かりました。アニエスさん、ガリードさん、お休みなさい」
「おお、風邪引かねぇようにな」
迷いがちであった足取りではなく、真っ直ぐに踏み締めて立ち去る小さな影。離れから漏れる光を遮りながら遠ざかるそれを眺め、ガリードは小さく息を吐く。
「・・・まぁ、そうなるよなぁ・・・」
予期していたように彼はぼやく。所属してから職員達の関係はそれなりに耳にした。それはアニエスとラビスの関係も。そうでなくても、普段から見ている姿は姉妹のそれでなく、どちらかと言えば母娘に近い。ならば、別れると知れば思いは一層だろう。
「・・・私は、あの子にはゆくゆくは此処の責任者をしてもらいたいのです」
見送りながら呟くように語ったそれにガリードは小さく驚いて振り返る。
「そうなんスか?・・・いや、大丈夫だとは思いますけど・・・荷、重いと言うか、キツくないスか?人一倍、抱え込み易い性格と思うっスけど・・・」
唯一の肉親とも言えるラギアの一件から連想する不安。
「そうね。でも、それは私に負けないほどの責任感にも繋がると思うの。それだけじゃなく、聖復術を利益で乱用するのではなく、人を助けたい思いや救いたい、それに対する行為を良しとして、行える事に喜べる優しさを持っているから」
人を助ける、孤児を養う、それを第一としたこのギルドには最上の適正と言えるだろう。
「勿論、他の子も劣っている訳ではありません。それでも、目を見張るものを感じますから」
「そうっスね、それは俺も思ってますよ。あの年で確りし過ぎているぐらいですから。俺ん時はまだ馬鹿やってばっかでしたからね、今もスっけどね」
小さな自嘲の笑いにアニエスも笑みを零す。
「まぁ、でも、そうっスね。俺はまだまだ勉強する事があるし、ラビスももっと成長途中っスからね。俺とかアニエスさんが立派になるまで支えるって事っスね」
「はい、そう言う事です。こんな私も学ぶべき事は沢山あります。私が、あの子が互いに納得出来る形に出来るよう努めましょう」
「その為には頼って下さいね!」
「その時は宜しくお願いしますね」
課題は山積み、けれどそれが楽しみと言わんばかりの爽やかな笑みを浮かべ、浮足立つようにガリードも就寝に取り掛かる。その背にアニエスは小さく手を振る。
ゆっくりと下ろした彼女は視線を移す。それは数分前に立ち去ったラビスの背を、立ち去った跡。その目は遠く、ぼんやりと零れる赤い明かりを捉えて。
「・・・思えば、泣いてばかりの貴女を、怖くて震えていた貴女を安心させたい気持ちが天の導きと加護を立ち上げる切欠になった様な気がしますね」
思い出す、荒れ果てた残骸の海。恐怖と理解出来ない世界の中、取り残された幾多の人、それでも独りぼっちだと言わんばかりに小さくなった身体と大粒の涙。
「・・・妹を思い出し、無償にも助けたくなって・・・その、甲斐があったのでしょうね、少しずつ貴女は元気を取り戻してくれました。暗く、落ち込んでしまった子供も励すほど、強くなってくれました。日々を過していく毎に、色んな人と出会い、話す度に成長しましたね。元気で明るい性格、本来の貴女に、今のような様子と同じになっていきましたね」
思い出を遡る。哀愁滲む表情は少しずつ喜びに満ちる。確かにそれは姉と言う喜びより、成長を喜ぶ母親の心境であっただろうか。
「家族を、ラギアを喪っても、それでも懸命に生きてくれている。悲しくても、確りと足で立って、前に進んでいる。私よりも強い意志を持って、それに目指して進んでいます」
それでも小さく息を零す。安堵も滲んだそれに心配の色が濃く。
「でも、やはりまだまだ子供ですね。ちゃんと見てあげていかないといけませんね」
いずれ引退するとしてもまだ手が掛かり、教える事は多々ある。その気になっていたと反省し、再び踏み出していく。まだ安心できないと離れへと。
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