Accarezzevole

秋村

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Ⅲ奏人の過去

2

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 ソロがおかしい。一体どうしたのか。悪魔と戦って気でも触れたか。

 耳も首も顔も全部真っ赤になって身悶えていると、平伏していたボブヘアーの少年が心底納得したような声で告げた。

「恐れながら、御身はその者を本当に愛でておいでなのですね。遠征中のご様子にも、得心がいきました」

「ち、違っ、ソロは面白がってるだけ! オモチャで遊んでるんだよ!」

 しかしそれには誰も頷かない。

 ふと、視界が大きくぐらついた。ソロがソファから立ち上がり、歩き始める。抵抗しても無駄なのはこの数カ月で学習しているので大人しくしていたが、向かう先に嫌な予感を覚えてソロへ呼びかけた。

「どこ、行くの?」
「愚問だな」

 優雅な足取りで進む先の、寝室。慌ててフォニックたちを見て助けを求めても、彼らは笑顔で手を振るだけだ。

「お前たちは下がれ。そこの三人も遠征中ご苦労だった。ゆっくり休め」

 ソロの台詞に、三人が嬉しそうに目を輝かせた。だが肝心なことが明確でないのか、不安を隠せていない。

「あのさ、ソロ。そこの三人凄く心配してるんだ。……その、アンタとそういうことがなかったから、このままフエテに突き返されるんじゃないかって」

 ソロが足を止める。プラチナブロンドの三人組を振り返った。

 三人は緊張した面持ちでソロを見上げ、微動だにしない。青い顔色に向けて、ソロが口を開く。

「お前たちを遠征に連れて行ったのは、その能力に目を付けていたからだ。期待通りよく働いてくれた」

「っ! で、では我々をここへ置いて頂けるのでしょうか? 我が君とお呼びしても……?」

 三人の中で一番口数の少なかった青年が、期待と不安の入り混じったような表情で尋ねた。

「フォニック、この者たちの侍従服を誂えてやれ」

「御意」

 目に涙をためて喜ぶ三人。フエテフォルツァの元へは、よほど帰りたくなかったようだ。実によく分かる。奏人もホッとした。彼らだけ若干フォルムの違う服装だったが、今着ている服はいわばフエテフォルツァのところの制服。これから他の侍従たちと同じ服装になり、本当の仲間としてソロに仕えるわけだ。

 呼び名もソロのことを御身と呼んでいたのは、まだそれを許されていなかったせいであろう。彼らのルールを垣間見た気がして、とても興味深い。

(そういえば……)

 屋敷の中でソロのことを名前で呼んでいるのは、奏人が知る限りとても少ない。彼らはソロの名をとても自慢げに呼ぶ。まるでそれが自分の誇りであるかのように。記憶に新しいのはフォルテだ。最近顔を見ない彼は、ソロのことを呼ぶ時誰よりも自信に満ち溢れていた。

 あれにもし特別な意味があるのなら、考えられる可能性は一つ。胸の奥にズンと重いものが落ちてきて、感情が嫌な方向に揺さぶられた。それが我慢ならなくて、小さく首を振る。

「やっぱ、変えるべきだよなぁ。世話にはなってるんだし」
「なんだ、カナト?」
「我が君って?」
「……なんの真似だ」

「色々改めようかなと。最初はさ、必死だったんだ。だからつい、呼び捨てた。でも、ここで働く人たちからすれば確かに俺って不敬だよな。これから改めるよ。悪かった」

「くだらん」

「ペットだからご主人様の方がいい?」

「……。やめろ」

「え、嫌なの? じゃあ、あとはなんだろ。旦那様? お館様は違うか。主君も変だし、殿様はもっと違う……。んー……。っ、てぇぇ! 何すんだよ! 痛いだろッバカ!」

 頬の辺りの空気が急に捻じ曲がって、奏人の頬を抓る。百二十パーセント犯人に違いない男の肩を叩き、「あ」となった。

「この私を罵った挙句叩く男が、面白いことを悩むものだ。だいたい敬う気もないくせに、何が不敬だ」

「これでも色々考えてんだよっ。痛かっただろ!」

「少し赤いな」

「今度やったら俺も抓るからな」

「私をか? 面白い」

「本気だからなっ? 痛かったんだぞっ?」

「分かったから暴れるな。謝ってやる」

「上から目線ー腹立つー」

「実際、私は偉いからな」

「敬ってない俺からすれば、アンタだってただのソロだ」

「私にそんなことを言うのはお前くらいなものだ」

「そーかそーか、じゃあ俺は独自路線で行くことにするよ」

「それはいい。楽しみにしているとしよう」

 本気だと思っていないのか、なんなのか。ソロの機嫌が戻っている。というか妙に機嫌がいい。

 これとは逆に、コードを含めプラチナブロンドの三人が、もの凄い顔で硬直していた。瞠若したまま動かない。フォニックとシンだけがいつも通り、平然とそこに立っている。不思議に思って声をかけると、二人はなんでもないと微笑んだ。

「行くぞ」

 自分でやっておいて赤くなった奏人の頬にキスをするソロは、奥にある寝室へ奏人を連れ込んだ。まだ日も高いうちに腰布を解かれ、ドキドキしてくる。久しぶり過ぎて羞恥が勝ってしまった。

 ソロが目の黒布の結び目を解いている隙に、ゴロゴロとベッドの隅に退避する。なんだろう。物凄く恥ずかしい。だがすぐにソロに引き寄せられて、逃げ場を失った。

「逃げるな」

「帰ってきた早々押し倒すなよ」

「何が悪い。何日お前を抱いていないと思ってるんだ」

「……、綺麗どころを連れて行ってただろ。アンタと違って、俺は久しぶりなんだよ」

 例の三人組でないにしても、この絶倫男が誰も相手にしないだなんてあり得ない。

 また深く沈みそうな心の根っこを引きずり上げて、必死に考えまいとした。だが、一度掴まれてしまった根っこは、黒い何かに引きずり込まれて身動きがとれない。

 どんどん、嫌なものが広がる。気持ちが悪い。

「どうした、まだ痛むのか?」

 触れてこようとする指先を、顔を背けて拒んだ。

 ソロの気配が変わる。叱責されるかと思ったが、不思議なことにそうはならなかった。

「そう拗ねるな」

「別に、そんなんじゃない。……ごめん」

 面倒くさい気がする。自分が、自分で。こういうのは嫌だ。慣れてもいなくて、ひどく惨めになる。

 自分でも何がなんだかよく分からないまま、己の首を絞めるような気分で胸の奥を戒めた。反発して出てこようとするものを押し殺し、奥歯を噛み締める。

(出て、くるな……、お前は、ダメだ)

 二度と、許されない。それを甘受していたせいで、大切なものを失った。他ならぬ自分のせいだ。後悔してもしきれない。背負った罪は、あまりに重い。

 だから。

(出てくるな)

 もう二度と。

 身をもって学んだではないか。刻み込まれたはずだ。それを許してくれた人たちはいない。奏人のせいで失われてしまった。この罪は、一生涯消えることはない。

 ――お前のせいだッ!

(……っ)

 ――お前が死ねばよかったんだ。どうして生き残った? この疫病神ッ!

(っ……めん、な、さい……)
 
 ――血なんて繋がってもいないくせにッ! 

「カナト?」

 ソロの声が遠い。体が震える。ここ数カ月聞かなかった声が甦り、奏人を縛った。頭の中で響く、ある男の憎悪。久しく忘れていたそれに、奏人は息を呑んだ。

 無意識にソロのシャツを掴む。奏人の異変に気付いたソロがもう一度奏人の名を呼んだが、奏人は応えなかった。

 ――お前は誰にも愛されない、幸せになれない。一生呪い続けてやる……ッ!

 喉の奥が窄まり、息ができなくなる。冷や汗が滲み、呼吸も浅い。

「カナト、おい」

(俺、が……ごめんなさい。ごめ……な、さ……っ)

 頭が割れそうに痛い。苦しくてたまらない。吐き気がする。汗に濡れる小さな頭を、不意に大きな手のひらが鷲掴んだ。冷たい手のひらに、ハッとなる。

「私の目の前で、これの意識を捉えるとはいい度胸だ」

 ソロの左目が青く黒く輝き、奏人の意識を射た。

「この私が何日一人寝で通したと思っている。――さっさと返せ」

 二度と我儘は言うな。そう、叱られながら育った。奏人が我儘を言ったから、両親はいなくなった。だから我儘は駄目なこと。胸に秘めることさえ許されない。

 両親を失って以来、学校でも家でも奏人は我儘を言ったことがない。言おうとしても、言葉に出す前に消化してきた。息を殺しての生活は、いつしか奏人の根っこを捻じ曲げてしまった。自分では気づかない、とても恐ろしい変化だ。

 きっかけは、葬儀の席。両親を亡くして泣き続ける奏人を、叔父は両親の棺から引き離して殴りつけた。ビックリして見上げた先にあった、鬼の形相。何度も殴られて、叩かれて、蹴られて、別の親類が気付いて止めるまで暴力を受けた。容赦のない仕打ちは、簡単に奏人を病院送りにしたほどだ。

 そのせいで最期の別れを言うこともできずに済まされた、両親の葬儀。

 親戚はみな、奏人を引き取ることを良しとせず、施設に行くことが既に決定していた。無理もない。奏人は血の繋がらない子だ。誰が引き取りたいのだろう。指示されるがまま施設に出戻り、奏人はそこで二年ほど過ごした。奏人を施設から出したのは、まさかの人物。予想外過ぎて信じられなかった。

 それは、奏人を病院送りにした叔父だった。奏人への暴行容疑で捕まったが結局は不起訴となったらしく、新しい事業を成功させていた。

 これまで一度も施設に顔を出したことはない。施設長や区の担当者も最初こそ了承せずにいたが、熱心に足繫く通う姿と改心したかのような笑顔に騙されて、最終的には許可を出した。

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