Accarezzevole

秋村

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Ⅴ四律将

5

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 ずっと、見ているだけだった。

 通り過ぎる親子。手を繋いでいた。

 いつも、眺めているだけだった。

 運動会。手を振る親。スマホやビデオカメラに向ける視線。 

 遠慮のない会話、ワガママを言える関係。嬉しそうで。恥ずかしそうで。羨ましかった。

 だけど、それを口にしたところで何も変わらない。自分だけを見てくれる人は、もういない。奏人のせいで死んでしまった。こうなったのは、自分のせいだ。だから。期待をするより先に、懺悔を覚えた。

 叔父は必ず行事には顔を出す。運動会も。学芸会も。授業参観も。必ずそこにあった。けれど、写真はたったの一枚もない。感想もない。そこにあるという事実が、叔父の目当て。

 一位になっても、主役をもらっても、誰より手を挙げて発表しても。誰も奏人を見ない。

 そうやって、生きてきた。来る日も来る日も、謝り続けて。頭を下げ、罪を悔い、叔父に詫びる。

 疑問を持たなかったのは、言い聞かされてきたからだけではない。頭が痛くなるのだ。考えると、頭痛がする。引き取られた頃はとても不安定で、よく吐いていた。喘息の発作とは違う。別だ。頭が痛くて、眩暈がして、吐いてしまう。

 ある日を境に、何かが壊れた気がしたけれど……それがなんであったかは奏人には分からなかった。目に見えないものだったと思う。ただ、それからは頭が痛くなくなった。不思議なことにそれまで気になっていたことが、全く気にならなくなった。叔父の言う通りにして、叔父の命令通りに動く。ただそれだけ。

 拓斗に出会ったのは、そんな頃だ。何かが壊れたのと入れ替わるように、彼は突然現れた。優しい拓斗。歌が上手くて、人気者で、誰からも好かれていた。拓斗と一緒にいると、心が安らぐ。辛い時はいつも傍にいてくれた。叔父への疑問も虚しさも、何もかもを拓斗が奏人の代わりに口にしてくれた。

 だけど。なんだろう。この違和感は。胸がざわつく。また頭が痛くなる。懐かしい痛みだ。

 拓斗はいつも笑顔だった。太陽のような、明るい笑顔だった。それが曇るのは、決まって叔父のこと。では、他の時はどうであったか。叔父とは関係のない奏人を前にした、拓斗は。

 何故だろうか。上手く思い出せない。何より大切な人だったのに。

 変だ。拓斗の代わりに思い浮かぶ、青年の姿が離れていかない。光を埋め込んだような、美しい銀の髪。青空の色を、そのまま写したような瞳。

 これは、誰であったか。泣きたくなるくらいに綺麗な顔だ。ジッと、こちらを見下ろしている。拓斗と違ってニコリともしない。どこか不遜的で、威圧的。鋭い視線だ。怒っているのか。

 何故。

 こんな男は、知らない。怒られる筋合いもない。

 拓斗に会いたい。

 また、頭が痛くなる。もう嫌だ。胸が苦しい。締め付けられるようだ。こんな男、知らないのに。見られていると、どういうわけか手を伸ばしたくなる。

 そんなことをしてみろ、冷たく手を払われるだけだ。消えて欲しい。いなくなって欲しい。眠りたい。忘れたい。

 忘れたい……?

 何を。

 誰を。

 揺れる。大きく。胸の中の、深い部分。

 一段と頭が痛くなる。

 拓斗はどこだろう。どこへ行ってしまったのか。

 探して。手を、伸ばして。差し出した相手を、間違える。

 知らない男へ。怖い男に。伸ばした手。払われる前に引こうとする。けれど、その手は払われることなく、掴まれた。大きな、温かい手だった。 

 怒っていると思ったのに、男は泣いていた。無表情で。静かに。泣いていた。

「……そ、ろ?」

 ソロ。

 そうだ。

 ソロだ。

 彼の名前はソロ。

 どうして忘れていたのか。 

「どうしたの? なんで、泣いてるの?」

 掴まれた手を握り返し、彼の頬に手を伸ばす。涙は拭っても拭って溢れて止まらず、ソロはただ奏人を見つめている。

「泣かないで。泣かないでよ……。どこか痛いの? 苦しい? 辛いことでもあった?」

 繋いでいた手が、離れる。代わりに、両手が頬に添えられた。ほとんど真上を見上げて、彼は真っ直ぐに見下ろしてくる。

 落ちる、涙。

 注がれる、視線。 

 訳もなく、急に申し訳なさがこみ上げてくる。

 何もしていないなのに。何も。

 視線を落とす。右に、左に、揺れる。

 何もしていない。

 その、はずだ。しかし。気付く。

 そういえば、ここは、どこだろうと。

 何もない。ぼんやりと光る床、空、空間。

 今まで自分は、どこにいたのだったか。ずっと暗い場所にいた気がする。それなのにここは、とても明るい。

 違和感が芽吹く。強烈な違和感だ。

 立っていると思っていた床が、一瞬で抜けた。正確には、下へ落ちたのだ。光る水の中。ブクブクと、ブクブク。沈む。息は苦しくない。温かい。たちまちソロの姿は消え、今度は彼の代わりに誰かの声が聞えてきた。

「よし繋がった……ッ! 絶対に閉じるなよ、ゼローザ!!」

「分かっている!」

「フエテ! もっとしっかり変調させんか! 我の術に合わせろ!」

「やっていますよっ、そっちこそ腕が落ちたんじゃないですかっ?」

「なんじゃとぉぉー!」

「おい、無駄口を叩くな! もっと波長を合わせろッ」

 必死な、声。怒鳴り声なのに、ちっとも怖くない。むしろどこか優しい。この声を、奏人は知っている。覚えていた。 

 全身が熱を帯び、大きく心臓が脈を打つ。強引に引き寄せられる感覚。そちらへ行くのはとても怖くて抗うと、知った声が一様に苦しげに呻いた。

「戻って来んか、カナト! このまま、あやつを生きた人形にしておく気かッ?」 

 幼い声が今にも泣き出しそうで、胸が締め付けられる。

 治癒師、エレジー。彼はいつも奏人を助けてくれた。今度は何をする気なのだろう。もう放っておいて欲しいのに、何故それを許してくれないのか。

「ッ、ゲホ、ゲホ……!」

「フエテッ?」

「問題ありません、それよりカナトを」

 この声も知っている。自分を玩具にして傷つけた男の声だ。フエテフォルツァ。痛々しい。微かな血の匂い。それでもなお、何を押し通す。なんのために。彼に、どんな理由があって。

「カナト……。あいつが、ソロがあのままでは律界が危ないのだ。頼む、戻って来てくれ」 

 これはゼローザ。優しくて、真っ直ぐな人。ソロとは犬猿の仲であるはず。なのに、ソロと世界のことを案じている。

 そうだ。ソロだ。彼の声が聞こえない。さっきまでそこにいたはずなのに。

 彼は泣いていた。声もなく。音もなく。ただ静かに。

 ソロに何かあったのか。生き人形とは、なんのこと。

 カナト。カナト、と。必死に名を呼ばれる。

 また大きく脈を打つ、心臓の鼓動。ソロが泣いていた理由が、ひどく気にかかった。こうも必死に名を呼ばれて、不安になる。やはりソロに何かあったのだ。きっと、とんでもないことが。

 分からないのは、なんの役にも立たない奏人を何故三人がこうも呼び続けるのか。奏人なんて、いてもいなくても変わらないだろうに。

「ソロが死ぬぞッッ」

 脅迫にも似た、一喝。エレジーの怒鳴り声に、全身が震えた。

 ソロが死ぬ?

 馬鹿な。そんなことあり得ない。彼は世界に愛されている。王となり、律界の人々を導くのだ。その彼が死ぬわけない。そんなこと絶対に駄目だ。冗談でも聞きたくない。

 引き寄せられる方へ、手を伸ばしてみる。足を、進めてみる。役に立つとか立たないとか、そんなことは欠片も考えなかった。ソロが死ぬ。それだけは、あってはならないこと。絶対に許されない。

 彼は不敵に微笑んで、玉座に君臨する。あの男以外に律界を治める者なんて、存在しない。ソロこそが王であり、支配者なのだ。

 奏人にとって、そこは決して揺らいではならないことだ。

 絶対的な、断固たる、未来図である。

 進んだ。自らの足で。力強く。一歩。また一歩。エレジーたちの声が、ふわり、消える。目も眩む閃光に包まれた。浮上する感覚。逆らわない。流れに身を委ねる。そして――。

「――ッッ」

 一瞬後の、色彩。

 ハッと目を開き、水の中にいることに慌てた。淡い黄金色の水の中だ。光っている。息ができないと思ってもがくが、すぐにそうではないことに気付いた。水の中なのに、息ができる。

 ぼやけていた視界が段々とクリアになってゆく。左右を見回して、自分に何が起こっているのかを確認した。手を伸ばし、ガラスのような壁にぶつかる。閉じ込められているのか。

 ふと、下で何か動いた。視線を下に向けて、そこに知った顔が並んでいることに気付く。こちらを驚いた表情で見上げている彼らを見つめ返し、声が出るのか分からなかったがその名を呼んでみた。

「……エレジー?」

 届いた。途端、くしゃり、彼の顔が歪む。泣き出すのを必死に我慢しているような顔だった。困惑する。何故そんな顔をされるのか、分からなかった。

 戸惑いながら隣のゼローザに視線を向ける。安堵に満ちた顔。更に隣には、口の血を拭いながら肩で息をしているフエテフォルツァの姿もあった。エレジーも、ゼローザも、フエテフォルツァも。一様に疲れ切っている。

 と、いきなり壁にヒビが入った。構える暇もなく水の中から外へと放り出される。 

 さっきまで普通に呼吸していたはずなのに、外気に触れた途端息苦しくなり大きく咳き込んだ。吐き出す水。何度か繰り返すと、今度は肺が酸素を取り込み始める。多少クラクラしたが、すぐに体が酸素を貪り、呼吸が安定してきた。 

 ふらつく体をどうにか起こし、自分が全裸であることに気付いて慌てふためく。何が起こっているのかサッパリ分からないでオロオロしていると、小さな体が抱きついてきた。

「馬鹿者ぉぉぉ!!! 馬鹿者っ、この……ばかもの、が……っっ」

「……エレジー」

 奏人が濡れているのにも関わらず、力いっぱい抱きついてくる黒髪の少年。灰色の瞳に涙を溜めて、人のことを馬鹿者馬鹿者と弱弱しく罵り続ける。

 抱きつかれて、ましてや泣かれるなど初めての経験だ。どうしていいのか分からない。そんな中、すぐ傍で大きな物音がした。

「……っ、っ、……カ、ナ……ト、さ……っ」

「フォニック?」

 泣き崩れるフォニックと目が合い、徐々に記憶が戻ってゆく。自分に何が起こり、どういう状態だったかを思い出した。 

 目が、見える。

 耳が、聞こえる。

 生きて、いる。

 自分で胸を刺したはずなのに、助かってしまったのか。 

「俺なんか……、助けなくてよかったのに」

 そう、呟き終えるや否や、パァンッ! と、肌を打つ音と痛みが同時に襲ってきた。

 驚いて上を見る。目の下に濃いクマと、疲労の色。口元には血。フエテフォルツァだ。しかし奏人の知るフエテフォルツァではなく、奏人の頬をぶった男はまるで別人のようだった。エレジーを強引に遠ざけ、もう一度逆の頬をぶたれる。

「痛いですか? そうでしょうね。生きているんですから。勝手に生き返らせたことは、貴方にとってはさぞ不服でしょう。でも目、見えるでしょう? 耳も聞こえますね? ここまで復元して蘇生させたのは、そこのエレジーです。この二カ月、寝食を惜しんで貴方のために必死に呪詛を解き続けた。勝手なことをしたのはこちらです、理不尽なのも分かっています。でも僕は謝りませんよ。貴方が一度死んだせいでソロが生きた人形のようだ。我々は四律将の座も追われ、実力不足の連中が律王の命令でその座に就いた。日夜訴えが届くんです。復帰してくれと、涙を流しながら頭を下げられる。ソロの元には更に多くの上級貴族たちが通っていますよ。それでもソロは動かない。貴方の死んだ部屋に閉じこもって、言葉一つ発さない。どうせ分からないでしょうから、教えてあげます。このままでは、この律界が危ういんです。律王の執政は問題だらけ、魔界や霊界とのバランスも取れていない。いつ何時、攻め入られてもおかしくない状態だ。いいですか? たった一人。たかが人間一人死んだだけで、この有様なんです。だから生き返らせた。貴方に生き返る理由がなくても、こっちにはある。ソロを元に戻してもらいますよ。あの男が元に戻らなければ、律界に先はない。ソロはね。創生樹がこの世界を守る為に創造した男なんです。その男を元に戻せる貴方を、呼び戻して何が悪いんですか!」

 フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向くフエテフォルツァ。奏人はぶたれた頬を押さえて、ゆっくりと周囲を見回した。

 やはり、一度死んだのか。それをエレジーたちが蘇生させたらしい。二カ月もかかって。だから三人がこんなにも疲弊しているのか。

 理由はなんであれ、エレジーとフォニックの涙は本物だ。この表情に偽りはない。安堵と、歓喜。喜んでくれている。奏人が生き返ったことを。

「……荷物に、なりたくなかったんだ。なんの役にも立てない。生きていても、意味がない。玩具のことなんて、すぐ忘れるだろ。なのに、ソロが……?」

 フォニックを見る。辛そうに頷く彼に、なんと言えばいいのか分からなかった。

 すぐに忘れると思っていたのに。そんなことになっているなんて。

「貴方ね、自分が逆の立場だったらどうしました? ソロが死んだら、すぐに忘れるんですか?」

「そんなこと! ……っ、ぁ」

「おめでたいですね! まったく!」

 心底呆れた調子で言われ、奏人は俯くしかなかった。自分の命の価値なんて、玩具程度でしかないと思っていた。信じて疑わなかった。それが当たり前の世界で生きていたから。だけど、そこから落ちて別の世界で生きていたことを、奏人は気付くべきだった。とても大切なことだったのに。

 だが、ようやく理解する。身をもって、知る。

「俺……、ごめんなさい。……ごめんなさい」

 エレジーやフォニック、ゼローザとフエテフォルツァ。四人の顔を見つめ、深く頭を下げた。

「ありがとう、ございました」

「……カナト。もう、しないか。あんなこと」

「うん。もうしない、約束する。助けてくれて本当にありがとう、エレジー。やっぱりエレジーは凄いんだね。目も見える、耳も聞こえる。感謝しかないよ」

 笑顔で約束すれば、エレジーが荒々しく涙を拭って立ち上がった。奏人の前に仁王立ちのポーズを取り、ふんぞり返る。

「ふ、フン! 有能な我に感謝しろよ! 言っておくが、我はアレだからな。お主のことなんてどうでもいいんだぞ? ただ、お主とはまだ勝負がついてないから、だから生き返らせたんだ。そこをちゃんと理解してだな」

「そういえば、ここどこ?」

「聞かぬかっ。死んでも治らんなお主のそれはっ」

 プリプリ怒っているエレジーに一礼して、フォニックが自身の上着を奏人へかけてくれた。真新しい布で奏人の顔を拭いながら、エレジーの屋敷だと教えてくれる。

 蘇生は完了していたが覚醒には至っていなかったらしく、それを今しがたようやく成功にこぎ着けたのだそうだ。

 そこへ、エレジーの屋敷の侍従統括がにこやかな笑顔で登場した。

 奏人のために大きめのタオルと着替えをフォニックへ差し出し、恭しくエレジーの隣に立つ。

「皆様、お疲れ様でございました。カナトさん、覚醒おめでとうございます。我が君を始め、生命球をぶん捕ってきたゼローザ様や、隠蔽工作をなさったフエテフォルツァ様のご苦労も報われました」

 え、と奏人は目を剥いた。ゼローザたちを見る。分捕ってきたのか。生命球を。創生樹から。あれは律界人にとって、母のようなもの。かなり神聖なもののはずだ。それを人間の奏人のために、盗み出したのか。

 では、さっきまで入っていたアレがそうなのか。出た瞬間、跡形もなく消えてしまったが、確か人間は生命球に入っても蘇生しないはず。そう記憶している。

 それをエレジーに質問すれば、エレジーが得意げに答えてくれた。

「お主にブレスを与えていたのは、あのソロだからな。濃度の高い律力を摂取し続けていたんだ。魂は人間であっても、体は多少なりとも変化する。しかも貴様には八重の吐息がかけられていた。切れたとはいえ、あれは律界でも特殊な術だ。重ねてソロがかけたとなれば、多少なりとも波動は追えた」

 それを手掛かりに奏人を蘇らせたと語るエレジーだが、いかにそれが大変であったかはゼローザやフエテフォルツァを見ていれば分かる。エレジーとて、幼い顔に疲労の色が濃い。

「そうだったんだ、……本当にありがとう。感謝してもしきれない。お屋敷の方々にも、長くご迷惑をおかけしました」

「いえいえ。我が君の、この嬉しそうなお顔。久しぶりに拝見でき、わたくしの方こそお礼を言いたいくらいですよ。ようございましたね、我が君」

「わ、我は別に、っ」

「ですが、お急ぎを」

 老齢の侍従統括がにこやかな表情を引き締め、エレジーへ向き直る。その表情に、場の空気が一気に引き締まった。

「律王配下の兵が、ソロ様の屋敷に向けて……出発致しました」

 


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